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「シュルレアリスムと日本」展 京都文化博物館(6)

4.シュルレアリスムの最盛期から弾圧まで(上)
 昭和10年を過ぎると戦争は激化の一途となっていったが、日本国内ではヨーロッパの直接的影響を離れて、独自の円熟した作品が次々に生み出されていった。Photo_20240407054901
 靉光「眼のある風景」(1938年)がある。
 地球ではないかのような怪しげな空間のなか、岩石とも巨大生物ともつかない暗い色の塊が横たわり、陰鬱な表情の眼がいくつか描かれている。なにかを監視しているのか、それとも助けをもとめているのか、いずれにしても緊迫した悲惨な状況を感じさせる。
 靉光(あいみつ、明治40年1907~昭和21年1946)は、広島県山県郡壬生に農家の二男として生まれた。高等小学校を卒業後、印刷所に奉公して製版技術を習った。大正13年(1924)大阪に出て天彩画塾に洋画を学び、画家を志すようになった。このころから靉川光郎(あいかわみつろう)と名乗る。靉光(あいみつ)の名は、これを略したものであった。翌年17歳で上京し、太平洋画会研究所に学んだ。フランス近代絵画の影響を受けて作風はめまぐるしく変化した。昭和元年(1926)二科展に初入選した。「池袋モンパルナス」と呼ばれた界隈で、独自の画風を追求していった。次第に前衛的作品が増え、二科展の他、中央美術展、独立展などに出品して多くの賞を得た。
 昭和13年(1938)第8回独立美術展に出展したのがこの『眼のある風景』であった。独立美術協会賞を受賞し、靉光の代表作とされる。
 靉光はシュルレアリスム風や宋元画風など特異で多彩な画風で知られるが、生前に多くの作品を破棄した上、残された作品も原爆で失われたことからその数は非常に少ない。将来を大いに嘱望されたが、敗戦後に戦地からの復員を待たず、38歳で病死した。

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