京セラ美術館 コレクションルーム展(1)
冬晴れの午後、京都市京セラ美術館のコレクションルーム冬期展を鑑賞した。
コレクション展なので展覧会そのものの企画に明確な方向性はないが、「昭和前期の日本画と古典」という副題があり、そのような範囲の作品が展示されていた。
私もすでに観たことがある作品もかなりあり、一部の気にとまったものについてメモしておく。
菊池契月(上)
冒頭に、菊池契月の5点の作品が「昭和前期の日本画」として展示されている。
菊池契月(きくち けいげつ、明治12年1879~昭和30年1955)は、長野県下高井郡中野町(現在の中野市)の素封家の次男として生まれた。少年時代から絵を描くことを好み、13歳で南画家児玉果亭に入門して「契月」の画号を与えられたという。小学校高等科卒業後、呉服屋・製糸工場・町役場などで勤務し、そのかたわら中野町に滞在中であった高島雪松に私淑した。
明治29年(1896)17歳のころ、同郷の友人町田曲江とともに故郷を出奔、京都に出て南画家内海吉堂に入門した。やがて翌明治30年(1897)18歳で京都の日本画家菊池芳文(きくちほうぶん)の門下となった。
師の菊池芳文は、竹内栖鳳・谷口香嶠・都路華香とともに「幸野楳嶺門下の四天王」と呼ばれて、京都画壇正統派の四条派の高名な画家であった。彼のもとで研鑽を積み、入門翌年の明治31年(1898)には第4回新古美術品展で『文殊』で一等賞を得た。さらにその翌年にも第2回絵画共進会展出品の『資忠決死』が一等賞となり、その後も毎年受賞を重ねた。
明治39年(1906)27歳のとき、芳文の娘アキと結婚し、菊池家の婿養子となった。以後菊池姓を名乗るようになった。
明治41年(1908)創設されたばかりの文部省美術展覧会(文展)の第2回展で『名士弔葬』が二等賞、翌年の第3回展で『悪童の童』が3等賞、その翌年の第4回展では『供燈』で二等賞をあいついで受賞した。同作は1911年にローマで開催された万国芸術博覧会にも出品された。この年には京都市立絵画専門学校の助教諭となった。

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