2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
フォト
無料ブログはココログ

« 2024年度 第26回高槻ジャズストリート(下) | トップページ | 2024年度高槻こいのぼりフェスタ »

嵐山光三郎『昭和出版残侠伝』筑摩書房

 雑誌出版の編集を生業とした著者が、もっとも親しかった上司と過ごした自らの人生ピークの時代を、回顧的に綴った自伝である。とくに「月刊ドリブ」という「カネとオンナに強くなる雑誌」をキャッチフレーズとする雑誌の、発刊準備から成功と転変のエピソードが山場である。
 著者は、自嘲的あるいは自省的に「雑誌の編集という生業は、消耗品だ」という。私は、読み進めて途中までは、それならなぜそんなに命を削るほどに没頭し熱中して打ち込めるのか、よく理解できなかった。しかし読み進めるうちに、つまるところこの人はヒト、つまり人間がほんとに好きなんだな、とわかった。
 ヒトという生身の生物は、一筋縄でいかないし、また定義できない。「清濁あわせ飲む」などと簡単に言えない複雑・微妙・困難な存在である。それを探求するために、著者は浮浪者と生活を共にしたりもする。
 私自身は、反省してみると、世界観に人間以外の領域、つまりモノ=物理的・非生物的存在との共存を前提とするなかで生きてきた。モノを用いて、物理学に基づいてモノを製造することを生業としてきた。常にアタマのなかは、人間以外のものがかなり占めていた。もし、自分の生きる世界が非生物的要素の比率が少ない、生ものの人間が主要部分を占めるものであったとしたら、嵐山光三郎のいうような感覚となる可能性もあっただろうことが、年齢を重ねた今ではわかる気がする。
 私は、年齢を重ねるにつれて、生身の人間の存在、つまり自分の世界のなかの家族や友人の存在の比率が漸増している。家族と一緒にいること、友人との他愛のない会話で過ごすことの大切さ、ありがたみを、ますます深く感じるようになっている。ヒトへの愛着、ヒトとの関りの大切さ、不可欠さをますます重視するようになってきている。
 命がけで取り組む営みが、振り返ったら、冷静に考察したら、実はとても消耗的であった、ということは、若いころの私には到底耐えられなかったろうと思うが、生身の人間の人生とは、実はそのようなものかも知れない、と今では思う。
 たまたま私は今、世界を二分して闘争している新冷戦を分析しようとするDavid E. Sanger, "New Cold Wars"という本を読んでいて、また一方で友人から『技術革新と不平等の1000年史』という新自由主義に苦悩する人びとを救済するための議論を書いた本を紹介されて、これもいずれ読んでみようと思っている。かつて読んだ斉藤幸平トマ・ピケティの議論も、おそらくこれと同様だ。これらの本が問題として取り上げる「人間とその暮らし」に現れる「人間」と、嵐山光三郎が格闘する雑誌編集者あるいはその読者という「人間」が、同じ「人間」としてどのように交絡し位置づけられるのだろうか、私なりに考えてみたいと思っている。
 生身の人間とガチに取り組み合ったヒトの自伝として、私なりに興味深く、とてもおもしろかった。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

« 2024年度 第26回高槻ジャズストリート(下) | トップページ | 2024年度高槻こいのぼりフェスタ »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 2024年度 第26回高槻ジャズストリート(下) | トップページ | 2024年度高槻こいのぼりフェスタ »