東京都心「幕末維新動乱コース」散策(13)
赤羽接遇所跡
日比谷通りを芝公園交差点まで下り、右折して外苑東通りを西に進む。国道1号線を渡ってまもなく右折すると、少しほそい小径のさきに「飯倉公園」というちいさな公園がある。この公園の一角に「赤羽接遇所跡(あかばねせつぐうしょあと)」という説明板が建っている。 赤羽接遇所は、幕末の安政6年8月(1859)それまで講武所付属調練所であった飯倉五丁目の地2800坪(現在の東京都港区東麻布1丁目12番、14番などを含む)に、作事奉行関出雲守行篤らによって建設された外国人のための宿舎兼応接所である。黒の表門をもち、高い黒板塀で囲まれ、内部は間口10間、奥行20間のものと、間口奥行各10間のものとの2棟の木造平屋家屋から成っていた。
幕末に日本を訪れたプロイセンの使節オイレンブルクは、上陸後ただちにここを宿舎として日普修好通商条約を結んだ。またシーボルト父子やロシアの領事ゴシケーヴィチなどもここに滞在し、幕末における外国人応接の舞台となった。
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