2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
フォト
無料ブログはココログ

« 東京都心「幕末維新動乱コース」散策(15) | トップページ | 東京都心「幕末維新動乱コース」散策(17) »

東京都心「幕末維新動乱コース」散策(16)

芝さつまの道
Photo_20240606055401  古川の一之橋を渡り、古川の南側の道路を取って返して、国道1号線赤羽橋南交差点を渡り、都心環状線に沿って芝3丁目に進み、日比谷通りの1筋手前で右折して南下すると、真正面にNECビルが聳えている。その南北の道を半ばまで進むと「芝さつまの道」として整備された、少し広がった緑の多い地区に入る。これは「ホテル・ザ・セレスティン東京」を建設した三井不動産が、この地にかつて存在していた薩摩上屋敷の歴史の顕彰を目的として、島津家の子孫たちとも話し合って、薩摩ゆかりの工芸・歴史・文化を、できるだけ反映して保存しようと、地域整備したものである。Photo_20240606055402
 ホテル・ザ・セレスティン東京のロビーには、薩摩切子をあしらった壁のレリーフが設えられ、島津家の家紋である丸に十の字のモチーフが、内装のデザインに用いられている。
 江戸時代この地域周辺には、多くの大名の江戸屋敷があった。とくにこのホテルのある場所は、薩摩藩上屋敷のほぼ中央部に重なる。薩摩藩上屋敷の敷地は、東は第一京浜道近くから日比谷通りをはさみ、西は桜田通り(国道1号線)まで、東西800メートル、南北300メートルの広大なものであった。その広大な敷地の中央部分のごく一部を占めるのが、このホテル・ザ・セレスティン東京なのである。
Photo_20240606055501  このあたりには、薩摩藩のみでなく、阿波の徳島、土佐の高知、讃岐の高松、伊予の松山の四国の諸大名の藩邸があったことから、明治5年(1872)に名づけられた「三田四国町」と呼ばれた地区もある。文久元年(1861)には鹿児島藩松平(島津)修理太夫のほかにも、鳥取新田藩松平(池田)伊勢守、拳母(ころも)藩内藤山城守、徳島藩松平(蜂須賀)阿波守、山形藩水野和泉守などの屋敷があったことが記録されている。なお、水野邸は、神崎与五郎以下8名の赤穂義士が切腹した場所としても知られている。
 このスクエアの南端にあるNECビルの北辺の植込みにも「薩摩屋敷跡」の碑がある。実際、ホテル・ザ・セレスティン東京から少し離れたこの地も、やはり薩摩藩上屋敷の敷地なのであった。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

« 東京都心「幕末維新動乱コース」散策(15) | トップページ | 東京都心「幕末維新動乱コース」散策(17) »

散策」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 東京都心「幕末維新動乱コース」散策(15) | トップページ | 東京都心「幕末維新動乱コース」散策(17) »