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東京都心「幕末維新動乱コース」散策(17)

三田春日神社
 NECビル北側の道を西へ行き、桜田通り(国道1号線)を渡って南にすぐ三田春日神社がある。
 三田春日神社の前身は、平安時代の天徳2年(958)武蔵国国司の藤原正房が赴任していたとき、春日大社の第三殿に祀る天児屋根命(あめのこやねのみこと)の御神霊を、目黒区三田に勧請して建立した春日神社であった。そして戦国時代の天文年間(1533~1555)この地へ遷座した。
 なお最初に鎮座した目黒区三田には昭和9年(1934)跡地に目黒三田春日神社が再興され、昭和22年(1947)よりこの三田春日神社の兼務社となっている。Photo_20240607054801
 幕末期、ちょうどこのあたりに江戸の治安維持、とくに薩摩藩上屋敷を監視する任務を帯びた庄内藩兵の屯所があった。この庄内藩兵の主力が「新徴組」であった。
 先述の通り、文久3年(1863)清河八郎により将軍上洛の警護を目的とした浪士組結成募集が行われ、京都へ上洛した際に、清河八郎の「将軍より攘夷決行」との翻意を告げられ、同意できなかった者たちは京で壬生浪士組を経て新選組を旗揚げすることになったが、清河八郎に同意した者は清河に率いられて江戸に戻って「新徴組」を結成した。この新徴組は清河八郎の死後、元治元年(1864)庄内藩酒井家の預かりとなり、幕府より江戸市中警護、海防警備の命令を受けた。直接庄内藩酒井家によって強力に指導・支援・指揮される新徴組は「酒井なければお江戸はたたぬ、おまわりさんには泣く子も黙る」と謳われるほど江戸の治安維持に貢献した。おまわりさんとは、古からある市中巡回の官職である御見廻り(おみまわり)に由来する愛称であるが、この呼称は明治になって近代警察の巡査に受け継がれ、現代の警察官にまで続いている。
 慶応3年12月20日(1867)かねてより新徴組が薩摩藩邸を見張っていたところ、中から武装した「御用盗」たちが出てきたためこれを追撃、御用盗たちが藩邸内に逃げ帰ったことで薩摩藩の関与が決定的となった。「御用盗」とは、討幕派の武士、浪人、博徒たちを使って放火や、掠奪・暴行などを繰り返しては幕府を挑発する薩摩藩の武装行動集団のことで「薩摩御用盗」とも呼ばれた。
 数日後、今度は新徴組と庄内藩の屯所が相次いで御用盗に襲撃され、使用人が殺害された。ここに至って堪忍袋の緒が切れた庄内藩は、幕府と協議のうえ新徴組と他藩の藩兵を引き連れ、江戸薩摩藩邸を包囲し討ち入りする「江戸薩摩藩邸焼討事件」を引き起こした。これが徳川幕府を終焉に導く戊辰戦争の発端となったのであった。

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