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2024年10月

木下佳通代展 中之島美術館(7)

第3章 1982-1994
La92ca729-1992  1987年から1989年にかけては、徐々に「塗り」は後退し、緊張感漂う「線」の表現がピークを迎えるようになった。色の濃淡や塗り重ねによって画面に奥行きを感じさせる描き方は、やがてストロークそのものを見せるアプローチへ昇華していった。
 「LA'92-CA729」(1992)は、それらの多くの作品のひとつである。色のグラデーション効果を使いながら、線を描き、またその線から絵具が垂れる様にも注力した作品である。89pa537-1989
 「'89-Pa537」(1989)は、興味深い作品である。これはA4判にも満たないごく小さな作品であるが、絵のコンセプトも描画法もまったく大作と変わりがない。サイズは小さくとも画家の強い意志は堂々と表現されている。
 画家としての新たな頂点を迎えた最中の1990年、木下は乳がんの告知を受けた。手術を拒んだ木下は、制作を継続しながら治療法を求めて国内各地に病院を訪ね、さらにロサンゼルスにまで渡った。1991年から断続的に滞在したロサンゼルスでも、精力的に制作をすすめ、ストロークを重ねて形や空間を生み出す表現は極致を極めた。
1994  「描きたい、描きたいのに時間がない」、そんな葛藤を胸に、木下は病床でも作品を描き続けた。「無題(絶筆・未完)」(1994)がある。これは、さすがに比較的小型の水彩画である。木下佳通代の研究者によれば、ちょうど800点目の作品だったという。もし完成して木下が正式に題名相当の作品番号をつけていれば「800」の数字が刻まれたであろう。55歳までの人生で、実に多くの作品を残したものである。作家の飽くなき創作意欲や、試行錯誤・アップデートを重ねて描き続けてきた探究心を何よりも物語っている。

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木下佳通代展 中之島美術館(6)

第3章 1982-1994
 1986年3月、同志社大学から京田辺キャンパスのラーネッド記念図書館ロビー壁面のための大作を、夫の奥田善巳とともに受注した。幅が数メートルにおよぶ巨大な壁画である。
「'86-CA323」(1986)が木下佳通代の作品であり、「CO-310」(1986)が奥田善巳の作品である。
奥田善巳の作品とともに、円熟した大作の風格がある。

86ca323-1986
Co310-1986

 このように、木下佳通代の作品はサイズも大きくなり、画法もますます大胆かつダイナミックになり、まさに円熟の境地を迎えたと見える。

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木下佳通代展 中之島美術館(5)

第3章 1982-1994
 82ca1-1982 ドイツで高い評価を得たものの、木下佳通代はやがて写真というツールの窮屈さ・限界を知ったのか、ふたたび絵画的手法へ立ち返り、パステルを用いたいくつかの表現を模索した後、1982年ころから油彩による表現へと展開した。より身体的な手法を求めて、描いては塗りつぶすことを繰り返すうちに、コンセプトを変えることなく目的を実現できる新たな表現にたどり着いた。
 「存在」をめぐる概念や理論を作品に盛り込むのではなく、「存在そのもの」を画面の上につくれば良い。「存在」について理知的に検証を重ねていた段階から、「存在」そのものを描きだすという転換が起きたのであった。図式的なコンセプトを取り去った木下は、1982年「'82-CA1」を発表した。
83ca74-1983  表現を模索し悩んだ時期の「描きと潰し」から発展させ、「塗ること」と「拭うこと」とを画面上で等しく扱うようになった。これは木下佳通代にとって、大きなターニングポイントとなった。
 「'82-CA1」は、写真にしてしまうと平版な暗色一色に見えるが、実物をじっくり見つめると、油彩の表面の質感は繊細で、微妙な表現を達成していることがわかる。
 これ以後、木下佳通代の抽象絵画は多作となり、作風も年々アップデートされていった。
 「'83-CA74」(1983)がある。塗りこめる面を意図的にカンバスに対して傾けている。カンバスの下地を残すことで、カンバスと色面の「存在」を同時に出現させようとしている。布によるふき取りの効果は、まるで筆のストロークであるかのように強調されているのが特徴的である。

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第50回衆議院選挙を考える

 昨日10月27日、第50回衆議院選挙の投票・即日開票が行われ、15年ぶりに与党が過半数割れの大敗という結果となった。この結果に関して思うところを書きとめておく。
 今回の選挙だけでなく、私が最近思うのは、日本の国民に政治と政治家への冷静な評価とリスペクトが欠けているということである。
 政治という営為は、政治の執行者にとってもなかなか思ったようにはいかない、という本質がある。平たく言えば「あっちをたてれば、こっちがたたず」というもので、到底アタマで考えたようには実現できない。そういう意味ではとても難しい仕事・生業である。
 したがって具体的には、妥当に妥協を重ねて、弱いところ・良くないところをできるだけ抑制して、良いところ・見込みのあるところを正しく認識して伸ばしていく努力を積み重ねる、その努力を繰り返す、ということしかない。それは、日本の政治にかぎらない、世界共通の問題、課題、現実である。
 政治がけしからん、というが、政治が実質的に存在しない国も実在していて、その現実は悲惨である。たとえばソマリアやニジェールなどは、国民の大部分が貧困と飢餓に苦しみ、そのうえロシアや中国など世界の独裁者の餌食となってしまっている。ロシアや北朝鮮などの冷酷な独裁国家でさえ、政治リーダーは、ないよりはある方がはるかにマシなのだ。
 政治という「難しい仕事・生業」は、評論家にはできない。まして作家やアイドルが副業として思い付きを放言するのを「論客」扱いで登場させるテレビなどの情報だけで、政治を考え判断して「世論」ができるのは危ういかぎりである。
 今回の選挙の争点は「政治とカネ」であったという。しかし政治にはカネが必要である。わかりやすいのはアメリカ大統領選挙で、カマラ・ハリス候補が選挙資金集めのためのパーティーを開催し、24時間に17億円余りの資金集めを達成した、という記事を朝日新聞がさも嬉しそうに頼もしそうに書いていた。それは彼らが国内向けに懸命に喚いている「裏金」と関係がないのか。
 政治資金においても、もちろん脱税は不正であり、きちんと法律に基づいて取締り、問題あれば懲罰されるべきである。しかし政治資金パーティー収入の政治資金収支報告書への一部記載漏れだけで、政治資金全般を「裏金」と決めつけて、いかにも悪辣なもののように扱うのは間違いである。
 そんなウラガネモンダイで政権与党が脱落するというのは、情けないことである。最近デフレ脱却への過渡期もあって、インフレで多くの人々が物価高騰に悩んでいるなか、いかにも怪しげで悪辣に聞こえる「裏金」というコトバを聞いて、ふと憤るのも感情的には理解できる面がある。そういう気配を把握できず、配慮できなかったことは、与党の問題だったろう。これまでの「与党一強」のたるみと指摘されても仕方ないであろう。
 しかしメディアが叫ぶような安直な「政治改革、政治の刷新」は、悲惨な結果をもたらしかねない。外国から見て、政治の弱い国は軽視され、信用を失い、福祉を支えるためにも必要な経済を低迷させ、さらには独裁国家の餌食にもなりかねないのである。
 ただ、現政権に期待する私でさえ、石破氏にはいささか懸念がある。発言がまだ評論家的で、語尾が「重要事項として議論してゆく」というような、他人事なのかアイマイなのか不安な傾向がある。さらに彼の「アジア版NATO」である。ヨーロッパのNATOに類似の国際軍事協力の枠組みを新たに提案したいとするものだが、具体的にどの国と協力関係を造りたいのか、日本として他国に供与できることが、憲法9条の日本に何があるのか。血を流すことを拒むなら、血を吐くくらいの資金供与をせよ、などと多額の金銭供与を請求されかねない。さらにQUADやAUKUSなどの(安倍前首相などの努力による)既存の枠組みとの関係をどうするのか、肝心なことがまったく脱落しているのである。自他ともに認める「軍事オタク」に到底ふさわしくない、まさに評論家的なお粗末なアイデアのように、私には思えるのである。

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木下佳通代展 中之島美術館(4)

第2章 1972-1981
 1976年からは、写真とフェルトペンのドローイングによるシリーズの制作をはじめた。やはり問題は「視覚」と「認識」である。76c-1976
 「'76-C」(1976)という作品がある。コンパスで紙の上に円を描く様子が写っている。しかし当然ながら、紙面に斜めの方向から撮影しているので、コンパスで描かれた円はこの写真を見る者には楕円にみえるはずである。しかし私たちは、撮影の状況を知っているためそれを「真円」と認識する。同じ図形でも、実際に見えているものと認識の間では差異があることを示している。これを木下は「存在多重性」と見たという。
 これらの作品は、1981年12月ドイツのハイデルベルク・クンストフェラインで個展を催したとき展示して、現地で高い評価を得たという。このハイデルベルクでの個展に際して、美術評論家の中原祐介に依頼して書いてもらったという評論文が展示されていた。その概要は以下である。
 木下佳通代の作品は、「表面」のもつ機能の多様性に根ざしたものである。表面の多義的な機能に注目した最初の美術家は、立体派(キュビスム)のピカソ・ブラックであり、それはパピエ・コレ(紙や木片ののり付けによるコラージュ)によるものであった。彼らは、キャンバスの表面が描かれる場であるのみならず、壁紙や新聞紙などが貼り付けられる平面であると、つまり機能の二重性を明らかにした。しかし表面の多義性は描くことと貼ることだけでなく、もっと古くから絵(画家の創造物)と文字(与えられた言語)の共存などの前例が多々ある。木下佳通代は、写真の映像の上にフェルトペンのドローイングを加えて「イリュージョンの多様化」を実現するという表面の多機能化で、第三のイリュージョンの形成を達成した。外から与えられた写真(文字・言語に通じる要素)に主体的行為としてのドローイング(絵画の要素)を加えることで、言語化している写真をもっと絵画へ引き戻そうとするハイパーリアリズムに木下佳通代の独創性がある。
 私は、この評論が理解できない。

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木下佳通代展 中之島美術館(3)

第2章 1972-1981
Untitledb-103  1972年から木下は、絵画作品から写真の制作に重心を移した。客観的に対象を正確にとらえる写真というツールは、木下が制作のコンセプトとしていた「存在」「知覚」「認識」などをより明確に表現できるように思えたらしい。
 1974年ころまでは、複数の写真を並べて組として構成する方法で、それを見る者がそれらのイメージを交互にながめて共通点や差異を探そうとすることで認識することに注目した。このような方法は、当時かなり流行したようで、その様式そのものはとくに特徴はない。ただ木下は、組写真によって、視線の動きやものを認識するプロセス、イメージと時間の関連などを鑑賞者に意識させ、ものの存在と視覚の関係性を提示しようとした。361976
 「Untitled-b/む103(壁のシミ)」(1972)という作品がある。
 同じ壁の同じ部分を切り出して撮影し、並べたものである。しかし右側の壁にはチョークで印が記されている。このチョークの印によって、この2つの画面は違うものと認識される可能性が生じている。同じ存在に対して、別の認識が発生するメカニズムを表現している。
 「む36」(1976)というフォトコラージュ作品がある。木下自身の幼少期のポートレートをコラージュしたものだ。過去の「私」と今日の私はまったく同じではないが、どちらも「存在」としては同じ「私」である。こうした同一性と差異の問題に、コラージュの手法で取り組んだのであった。

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木下佳通代展 中之島美術館(2)

第1章 1960-71
「境界の思考」シリーズ(1970)がある。

1970_20241026060101

 これも、実在するものを描いたのではなく、想念のイメージを絵に落とし込んだもので、立体の断面が背景と同化して、断面から立体の外側までつながって見える。また別の作品では、描かれた立体の一部が、紙のようにめくれている。「内側と外側」が等価になることを意識した描画となっている。
 「滲蝕」む95(1971)がある。
 キャンバスの二次元の広がりにグリッドを描き込んで座標を指定する。その上に重ねられた色面がグリッドの線上で「滲蝕」し合うかのように浸みだす。1972年シロタ画廊(東京)で行われた奥田善巳との二人展で発表された作品である。存在には「位置」があり、しかしその拡がりには明確な境界がなく、他の存在領域に拡がり、浸みだすものなのだ。
 1962年大学を卒業した木下は、神戸の市立中学で美術の教師となり、あわせて創作活動に励んでいた。このころ前衛美術の集団「グループ〈位〉」と一緒に活動していた。
 「グループ〈位〉」は、昭和40年(1965)、神戸在住の若い美術家9名(井上治幸、奥田善巳、河口龍夫、武内博州、豊原康雄、中田誠、向井孟、村上雅美、良田務)が結成した現代美術グループである。951971
 グループ〈位〉は、われわれがいま存在するこの世界とは何か、という哲学的なテーマに強い関心を持つ。個人の感覚では複雑で多様な現代の一面しか認識することができないとして、世界とは何かを、個人ではなく集団で思考し、それを作品として表現しようとする。
 1965年8月岐阜市内で開かれた「アンデパンダン・アートフェスティバル」での「穴」(会期中、メンバー全員で長良川河畔に巨大な穴を掘る。ひとつの目的のために全員の意志と力を結集する試みである)や、同年11月の「非人称展」(メンバー全員で全く同じ絵画を描き、作者を入れ替えて発表して個人を無化する試みである)、1967年11月京都で開かれた「フィルム67」で発表した映像作品「観測の時間(15秒)」(風景や物体を15秒間ずつ撮影した合計60分の作品で、15秒という同一・客観的な基準ですべての存在を平等に置き直し、世界の成り立ちを問い直す試み)などを発表して、彼らの思想を観衆に問いかけた。
 グループ〈位〉の活動は、その後1960年代後半から美術界で深まりを見せた概念的な領域への関心の先駆けとして位置付けられるという。それはまた、1960年代という時代が求めた新しい哲学、新しい世界観への、美術家の立場からの反応であったと見ることもできる。彼らが掲げた「世界とは何か」というテーマや、個人を無化し、世界を総体として認識するという思想は、さまざまな価値観が併存し、その関係のなかからしか世界を認識できない時代において、さまざまな示唆を投げかけようとしていた。
 木下佳通代は、グループ〈位〉の中心メンバーであり高校時代から知り合っていた河口龍夫と、1963年結婚した。1968年ころ木下は、グループ〈位〉から離れ、河口龍夫とも離婚した。
その後、1970年に、やはりグループ〈位〉の中心的メンバーであった奥田善巳と再婚した。

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木下佳通代展 中之島美術館(1)

 中之島美術館で、「没後30年 木下佳通代」というタイトルの展覧会が開催された。私は、木下佳通代(きのした かづよ)というアーティストをこれまでまったく知らなかった。したがって普通なら鑑賞に出かけることもなかったと思うが、私は中之島美術館の会員となっていて無料で鑑賞できるので、一度観てみようということになったのであった。Photo_20241025060601
 木下佳通代は、昭和14年(1939)神戸市長田区に生まれたというから、ちょうど私より10年の年長であった。京都市立美術大学西洋画科に学び、1960年代から河口龍夫、奥田善巳らの前衛美術の集団「グループ〈位〉」と活動をともにし、70年代には写真を用いた作品を中心に制作、80年代には抽象絵画へと表現の軸足を移した。1981年には彫刻家植松奎二の紹介でドイツのハイデルベルク・クンストフェラインで個展を開催した。その後も新たな展開を模索していたが、1990年に乳がんの宣告を受け、惜しくも1994年に55歳の若さで亡くなったという。

第1章 1960-71
1962  木下佳通代は、昭和33年(1958)京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)西洋画科に入学した。黒田重太郎や須田国太郎らに師事したが、在学時は絵画や彫刻のみならず、哲学や教育学も熱心に学び、「存在」というものについて哲学的・芸術的な探究を行なっていたようだ。そのころの木下のノートが展示されている。 当時の京都市立美術大学で哲学を教えた久松真一は、日本思想や東洋哲学の権威であった。木下は生涯の創作において「存在」を問い続けたが、その萌芽がここにあったことが推測される。ただ木下自身の回顧談によると、すでに15歳ころから星空をながめて人間と宇宙の存在について考え始めたと言っているそうだ。
「無題」(1962)という初期の抽象画が残されている。
 このころ、植物の茎や蔦、花弁のようなイメージをよく描いていたらしい。これらの絵を通じて、地球上の生命、さらに人間の精神に「等価に存在する何か」を見出そうとして、モチーフのディテールを構成する存在そのものを、どのようにキャンバスに写し取ることができるのか、思索を巡らせたらしい。

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New Cold Wars(82)

Epilogue
新冷戦に臨んで
 中国はこれまでアメリカに対抗してきたいかなる国とも違う。アメリカは中国から、軍事的、経済的、社会構造的、政治的と、実に多面的な挑戦を受けている。これに対して、Bidenは自らの国を立て直して、この状況に対処していく方法を具体化しようとしている。しかしそれは、アメリカ国内でさえ十分な説明がなかった。
ただ、2024年Biden大統領の任期の最終年に至って、習近平は国内の経済事情が悪化したためか、これまでにない前向きな姿勢でアメリカに協力を求めてきている。しかしそれは、一時的な戦術的調整に過ぎず、中国が、つまり習近平の戦略が変わったのではない。
 これから数十年にわたって対立と競争が続くだろうが、とりわけ3つの分野が関心を惹く。核兵器・宇宙・人工知能(AI)の3分野である。いずれも最先端半導体の応用分野であるが、それぞれに異なる戦略・考え方・投資のしかたを必要とする。
 核兵器の競争は、習近平の個人的プロジェクトとも言えるもので、毛沢東以来これほど核兵器の拡充に熱心な中国のトップはいなかった。そして中国の核装備の水準がアメリカとロシアに拮抗するまでは、核軍縮の協議に参加する意志はないと明言している。習近平は、台湾併合に動くとき、アメリカに煩わせられたくないのかも知れない。ロシアのウクライナに対する核威嚇がヒントかも知れない。
 アメリカの核武装の意味が生き残るためには、宇宙とサイバー空間の競争にも負けるわけにはいかない。しかしいずれの分野も、もはやアメリカの優位は大きくはない。
 AIほど激しい開発競争にある分野はない。中国は、数十億ドルの開発費を投入して量子コンピューティングを用いた暗号技術などに取り組んでいる。
 アメリカが、自由と民主主義を掲げて世界を設計し指導する、という考え方は、すでにアフガニスタン戦争やイラク戦争で成功しなかった。これからの方向づけはまだわからないことも多いが、ひとまずはっきりしていることは、アメリカと西側には、自発的に接近してきてくれる友人たちが多いという事実だ。専制主義的なロシア中国が、人権を説かずカネをすぐに出してくれるから靡くという開発途上国などはあるが、それは信頼にもとづく友ではない。
 大事なことはJoseph Nyeが説いた”soft power”をさらに培い、世界の多くの国々から、ますます喜んでアメリカにやってきて、アメリカを楽しんで、成長して、自発的にアメリカを支えるようになる、という方向を目指すべきだろう。
 また、現在のさまざまなリスクを前に、最も注目すべきで忘れてはならないが議論されていないことは、旧冷戦においてスーパーパワーは、自他の違いを直接の衝突にエスカレートさせなかったことである。それは80年間を通じて、我々が破ってはいけないことであった。【完】

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New Cold Wars(81)

Epilogue
旧冷戦の終焉と新冷戦の到来
 かつてのCold Warは、対抗する二大超大国の片方(ソビエト連邦)が、自身の機能不全から崩壊して終わったが、今の中国にはその気配は見えない。Putinは自国内でも問題を抱えるが、ロシアを中国とイランに結びつける彼の決断は、彼が欲しがる技術の獲得と国の維持には役立っている。しかしPrigozhinの乱にみるように国内に問題が露呈していて、彼も明らかに危機を抱えている。
 Robert Gatsは、次のような見解である。
 アメリカは過去数十年にはなかった深刻な脅威に直面している。ロシア、中国、北朝鮮、そしてイランのもつ核兵器を合計すると、アメリカの2倍になる。そしてかつては競争対手が経済的にも科学的にも技術的にも軍事力でも、今の中国ほどではなかった。ただ幸いなことに、それらの競争相手はそれぞれ弱みを持っていて、しかも互い信用できない関係にある。それでもウクライナ侵略、太平洋のあいつぐ紛争、そして中東での新たな戦争と、アメリカは頻繁に起こり、制御しにくい多くの火種に囲まれている。そしてそれらは、些細な間違いからスーパーパワー同士の深刻な対決に拡大しかねない恐れがある。
 冷戦が続いていたころ、アメリカ人は自分たちが十分裕福でありつつ積極的に西側ブロックを率いて自由と民主主義を護る役目に意欲的であった。しかし冷戦を過ぎて、そのような傾向はだんだん衰えてきた。Trump時代には、アメリカ的民族主義、孤立主義の気配さえ出てきた。
 2022年2月のロシアのウクライナ侵略は、Bidenを試した。Bidenは、条約なしでウクライナを支援する、NATOの枠組みにこだわらない民主主義への脅威に対する対処法を示した。ロシアは30万人以上の戦死者を出し、ともかくもウクライナは自分で立っている。しかしロシアをすっかり追い出すには程遠いのが現実である。アメリカも西側も「いかなることでも」ウクライナを支援すると言っていたが、やがて「できるかぎり」となってきている。ウクライナにしてみれば、かつて旧冷戦時代の「代理戦争」とも思える被害者意識もあるだろう。Putinにしてもウクライナ戦争は、世界の舞台からアメリカを引きずり下ろすための、アメリカに対する代理戦争としての意味があるのかも知れない。アメリカの目標は、戦争を封じ込めてウクライナを存続させ、Putinの戦略的敗北を狙っているのかも知れない。
 しかしすでにNATOに加盟するヨーロッパの国のなかに、結局ロシアが勝ってNATOからヨーロッパの国を引き抜くようなことにならないか心配している国もあり、アメリカがほんとうにその核の傘で自分たちを守ってくれるのか不安を感じ出している。

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New Cold Wars(80)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 20. The Downward Spiral
シリコンバレーでの首脳会談
 2023年11月習近平はシリコンバレーを訪れた。パレスチナ・イスラエル戦争開始から、6週間が経過していた。Bidenとの会談のためであった。
 Bidenは多くを期待できなかった。3年間以上も知的財産の窃盗や台湾問題でさんざん口論し、巨大風船問題があり、互いに相手が言いそうなことはわかり切っていた。それでもこうして直接会って話ができるということ自体が危機や戦争を回避するために重要なことだと認識していた。二つの超大国の競争的共存だけが残された落としどころである。
 儀礼的でぎこちない会話であったが、習近平は、互いに衝突し戦うことは望まないし、耐えうるものでもない。ただ、互いを認め決して相手を変えられるとは考えないことだ、と主張した。アメリカは過去40年間、新しい中国を創り出すことを試みたがうまく行かなかったのだ。
 もっとも興味深かったことは、習近平がサンフランシスコで、アジア太平洋経済協力サミットのさまざまなイベントに登場したことだ。そしてアメリカのチップとチップ製造装置の輸出規制が、中国の先端的半導体や先端的AI技術の開発に支障をもたらした、と痛烈に不満を示した。
首脳会談の公式発表としては、軍事部門の情報交換再開、不測の事態にはトップ同 士で直通電話ができること、危険な鎮痛薬フェンタニル前駆体の取締り、AIの危険性にかんするワーキンググループの設定の合意、などが表明された。
 また、習近平は多数のアメリカの先端企業のCEOに会って、もっと中国に出てきてほしい、中国に工場をつくって雇用をつくってほしいとは言ったが、アメリカ人をあいまいな理由で逮捕したりしない、知的財産を窃盗しない、などとは言わなかった。

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New Cold Wars(79)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 20. The Downward Spiral
パレスチナ・イスラエル戦争の勃発
 2023年10月7日イスラエルでハマスがイスラエル人の音楽フェスティバルの最中にテロを仕掛けて、多数のイスラエル人を殺害し、また捕虜をガザに連れ去った。これを契機としてパレスチナ・イスラエル戦争が始まった。
 この直前までSullivan国務長官は、中東はこれまでになく平穏で、当面の課題は、ながらく関係が良くなかったサウジアラビアを説いてイスラエルを公式に認めさせることを完成させ、一層の中東の安定化を図ることだとの認識であった。
 最初のハマスの攻撃で、イスラエル人・外国人が1200人以上の死者を出し、240人以上が捕虜としてガザに連れ去られた。高度なインテリジェンスを誇っていたイスラエルが、ハマスの秘密トンネル建造や今回のテロの計画について十分察知できていなかったことは、アメリカをも驚かせた。
 これに憤ったBenjamin Netanyahu首相は、徹底的な報復に出た。当初はイスラエルを全面的に支持すると表明したBidenだが、それでもNetanyahuにアメリカの9/11の後の過ちを繰り返すな、と警告を忘れなかった。アメリカは正義を求め正義を貫いたが、それでも失敗した、と。
 Netanyahuは容赦なくパレスチナを老若男女無差別に攻撃し、当初殺されたイスラエル人の16倍以上のパレスチナ人を殺害した。そのイスラエルの攻撃に、アメリカが提供した武器が使用された。
 Netanyahuは、正義をとなえてハマスの壊滅と奪い去られた捕虜の全員奪回を目標とする、と宣言した。ガザの悲惨な被害は、そのためにはやむを得ないものとした。Bidenにガザの過大な被害を責められると、Netanyahuはアメリカも第二次世界大戦で東京に無差別に空襲をかけ、さらに原子爆弾を投下して、無差別に数十万人を殺したではないか、と反論した。
 アメリカがもっとも信頼するイスラム系でありながら西側に理解を示してきたヨルダンのAbdullah-Ⅱ国王ですら、イスラエルのこのような無差別の残虐行為は責められるべきで丁寧な説明が求められる、と非難した。アメリカは、ロシアのウクライナOdessaへの無差別ミサイル攻撃を非難するが、イスラエルはアメリカ製のミサイルでガザ市を無差別攻撃しているのだ。アメリカのdouble standardがイスラエルからもアラブからも責められるという事態がおきている。

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New Cold Wars(78)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 20. The Downward Spiral
不審な最近の中国の動向
 突然の首脳会談の提案だが、アメリカと中国の間には、抗争の火種になりかねない事象が多々発生していた。アメリカの諜報部門は、アメリカの軍関係の施設周辺の通信ネットワークに不可思議なコードが紛れ込んでいたことを検出していた。電気エネルギー配送網、ガス配送系、水道パイプラインなどにも同様の不審コードが発見された。
 なぜそのようなアクションをするのか、ある国家安全保障局の役人は、それは台湾問題だろう、と。もし台湾で衝突が発生したとき、中国はなによりアメリカの発動を少しでも遅らせたいだろうから。
 しかし最近の中国の経済不振が深刻なので、習近平は中国の台湾侵攻のリスクが2年前よりも高くなっていると考える、とアメリカは分析する。経済制裁が中国の経済成長をさらに抑制するからだ。ロシアのウクライナ侵略の困難さをPutinの将軍たちが見積もりを誤ったように、習近平の将軍たちが計算間違いしないとも限らない。
 アメリカにとって中国の心配のひとつが、核兵器の迅速な開発である。アメリカは、中国が2023年秋の時点ですでに500の核兵器を蓄えていると見積もっていた。それは近年の倍増となっている。これを見ると、アメリカとしては、中国をも核兵器の軍縮協議に参加させることが必要となる。2022年Sullivanが中国の担当役人幹部にそれを打診したが、そっけなく拒絶された経緯もある。北京が核兵器の充実を進めアメリカとロシアに拮抗するようになったら、彼らも乗ってくるかも知れない。
 ただ、2023年秋になって、中国は軟化してきた。突然そのような対話に前向きになったのだ。ワシントンと東京の軍事協力合意が、アメリカに中国に対する新しい反撃能力を加えたと考えたのかもしれない。この対話は全体的な軍縮には結びつかないだろうが、無いよりははるかにマシである。
 そんな状況のなかにも、中国に不審なことが進行している。戦狼外交の代表的な外交官として知られていたQin Gang 秦 剛(しん ごう)が、6月スリランカで現地の外相と会った時以来、突然消えたのである。続いて2人の将軍が消えた。詳細は不明だが、習近平はすべての政権内の要人を彼自身が選定したのであり、なんらかの体制内の問題の存在を感じさせる。国内を抑圧し国外を攻撃するタカ派の役人と経済担当の役人の葛藤などもあり、アメリカはこの20年間考えてもみなかった新しい悩み、すなわち「弱った中国との付き合い方」をも考える必要が出てきた。

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New Cold Wars(77)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 20. The Downward Spiral
突然のアメリカ-中国トップ会談の提案
 Raimondoが北京に出かけて中国人たちと議論している、という光景は、ある意味興味深いものである。2022年バリのサミットで、Bidenと習近平が直接対話して、アメリカ-中国の関係について話し合ったが、その後2023年初めには巨大風船のアメリカへの飛来があり、スパイ風船疑惑から風船は爆撃された。これが契機となってBlinkenの訪中は延期され、中国の防衛大臣はアメリカの制裁リストに載るようになり、米中の軍事対話も中止となった。中国の戦闘機がアメリカの監視機に異常接近し、Bidenは不測の事態発生を懸念した。そこでBidenは、動き出した。2023年夏の広島でのG-7会議で米中会談を実施しようとした。
 その準備として、中国のインテリジェンス部門チーフとBill Burns、並行してSullivanとWang Yiは、春から秘密折衝を始めていた。中国は直接対話を好む。6月にはBlinkenが北京に行き、直接習近平にBidenのメッセージを伝えた。
 会談には、財務長官Janet Yellen、climate envoy(気候変動問題大統領特使)John Kerry、そしてRaimondoが加わることになった。このアイデアはSullivanが”guardrails ガードレール”と呼ぶもので、車のシートベルトが交通事故時に命の危険を半減するようなもので、コミュニケーションを継続することが基本的な安全策となり、地政学的事件勃発のリスクを減らそうとするものである。しかしそれは、対話のための対話という内容のない外交ともなりかねない。Sullivanは”Engagement” を中国との深い相互依存を前提として成り立つものと定義し、中国人とのワーキンググループにより問題を解決し、中国の行動を変化させるものとする。これこそがホワイトハウスがやり損ねてきたものだと。一方、”Diplomacy”は、対立・抗争を処理manageすること、と定義している。
 多くの責任が北京駐在アメリカ大使のNick Burnsにかかることになった。彼は、2023年巨大風船事件の後、北京との関係がきわめて不安定になっており、僅かでも安定化に向かうための信頼できるコミュニケーションのチャネルを見つけなければならないと警告していた。彼はその糸口として、習近平に表敬訪問したとき、ある役人が閣僚レベルの訪問を熱望していることを知ったので、上院多数派リーダーのChuck Schumerが超党派上院議員団として中国に来訪して、習近平に会見することを提案した。
 Nick Burnsは、たしかに雰囲気が変化しているという。おそらく中国経済の不振がこの四半世紀で初めて習近平とその側近たちを怖れさせたのだろう。投資家たちの多数が中国を去り、アメリカ・日本の残っている会社も、次善策として逃げ出し先を探している。まったく突然に、Bidenとのトップ会談の提案がきた。できれば次のアジア太平洋経済連携会議のときにそれを実現したい、と。
 Burnsは、これが中国の基本的な態度を変えさせる機会になるとは思わない。単なる戦術的行動に過ぎないだろうが、まずは受けて立って、様子を見たい。

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New Cold Wars(76)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 20. The Downward Spiral
Raimondoアメリカ商務長官の北京訪問
 2023年夏、アメリカ商務長官Gina Raimondoは北京を訪問して、意外な歓迎を受けた。それは北京の経済的苦境を反映していた。北京向け半導体とその製造装置の輸出規制は、彼女が管轄している。Huaweiのアメリカ国内ネットワークからの締め出しも、TikTokの締め出しも同様である。
 しかし彼女に対して、中国側からのスピーチ、すなわちあらゆるレトリック、習近平の考え、台湾問題、米中の問題など一切の公式メッセージはなかった。おそらく中国の経済の落ち込みがあまりに激しくて、アメリカが中国を必要とするより、はるかに中国がアメリカを必要としていたということなのだろう。
 何百万という若者が、結婚できず、雇用を得られない。国外に出ていく人口も増加した。富裕層は、カナダやカリブ海に別宅を求める。習近平の鉄の軛から逃れるように。中国から出ていく富裕層の数は、兵役から逃れるためにロシアから出ていく若者の数よりも多いという。
 中国の経済人たちは、もっと多くのビジネスをアメリカとやりたがっているし、中国への直接資本進出を欲しがっている。「米中の関係改善のためのバラストとして、商業的関係を持ちたい」というような表現も好む。
 Raimondoは中国に滞在中、「二大国経済は、永遠にふかく絡まり合って、互いに必要とする」などという従来の言い回しは一切用いなかったという。アメリカにとって、中国は投資先としてはリスクが大きすぎるというビジネスリーダーたちが増加している。中国の経済不振、知的財産の窃盗、中国当局のアメリカビジネスマンに対する不意の手入れ、逮捕の横行などが要因である。アメリカのCEOたちは、本当は中国でビジネスをしたいが、中国の反スパイ法のため、いつ何が起こるかわからないのである。Raimondoは過去40年来のハッピートークを止めた。
 中国は、高度なAI技術も、半導体も、最先端からは後れを取っている。なんとしてもアメリカの技術も資本も流入して欲しいのが実情らしい。Raimondoは、人民大会堂に案内されて、中国の経済界要人たちと30分間のミーティングを予定していた。しかしそれは1時間半以上に延長となった。
 Raimondoは言う。アメリカは、中国を分離(decouple)したいわけでも、閉じ込め(contain)たいわけでもない。多くの中国人たちがRaimondoに付きまとって聞き出したいのは、まさにそれなのだが、やはり信じられないのである。それにも理由がある。Raimondoの他の発言には2022年秋Jake Sullivanが立ち上げた“High Fence around a Small Yard”戦略があったが、そのfence=壁はより高く、そのyard=敷地はより大きくなりつつあるのだ。1年前からの先端チップの輸出規制は中国のチップを、すなわちAI産業を遅らせたが、それは十分ではなかった。中国は、ブラックマーケットからの間接的購入などで入手し、産業秘密を盗み出し、”large language models”などの生成AIのコア技術を入手している。アメリカは、企業や大学に警戒を求めている。
 結局Raimondoは、すでに実施している輸出規制をバージョンアップして延長することとした。該当するアメリカの先端技術の企業、たとえばNvidiaのCEO Jebsen Huangは、会社経営の立場からは規制は望ましくないという。Raimondoはそれらの企業の事情に同情はするが、個々の会社の事情を再考の優先順位にすることはできない、という。

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New Cold Wars(75)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 20. The Downward Spiral
NATOサミットとZelensky
 2023年7月リトアニアのヴィリニュスでNATOサミットが開催された。この会議では、ウクライナのNATO加盟にかんしてNATO諸国がどう対処するのかが主要議題であった。
 Bidenは、これまでにウクライナを支援するし、NATO加盟は実現すべきと言い続けていたが、その時期とプロセスの具体的言明は注意深く避けてきた。BidenとSullivanは、代わりに”Israel model”と呼ばれる防衛協定、すなわちアメリカは10年単位の長期的財政的・兵器支援を約束するという心づもりはあった。それは実質的にはNATO加盟よりもより強力かも知れないとアメリカ側は考えるものであった。
 しかしZelenskyの捉え方は異なった。彼は、もし事前にNATO加盟が実現してさえいたら、NATO加盟の全部を敵にまわすことを避けるために、ロシアはウクライナに侵攻することはなかったと主張するのである。
 実際、旧ソ連に属した東ヨーロッパ諸国でNATOに加盟している国や、ソ連から多大な被害を被ったポーランドなどは、ウクライナを加盟させるゆるやかなスケジュールまでを含めたウクライナのNATO加盟に賛成する立場である。
 しかしアメリカとドイツは、ウクライナの早期の加盟がNATOのモスクワとの対立を導くことを懸念している。結局このサミットでは「ウクライナは将来NATOに入る」と、いつどのように、については触れない決議とした。 
 これにZelenskyは憤った。これではサミットの対面が丸つぶれだ、と。個人的に不満なのはわかるが、公的には謝意も表わすように諭されたZelenskyはしかたなく翌日、いつものように西側の民主主義を支えよう、とありきたりのことを発言した。
 あとから見ると、この2023年7月ヴィリニュスのNATOサミットは、BidenやZelenskyが想定した以上に、ひとつの転換点となった。それまでは、NATO加盟国もヨーロッパも、ウクライナに好意的で、負けずに存続していることを賞賛していたが、夏から秋になるとワシントンでもヨーロッパ全域でも「ウクライナ戦争は、ロシアもウクライナもどちらも勝てないし、どちらも協議して終戦に至るつもりもないだろう。」との見通しが広まるようになった。
 Zelenskyの窮状は、だんだんはっきりしてきた。2022年秋から年末までの優勢は消え、戦線は停滞した。ウクライナがドイツでNATOの兵器を使いこなす訓練をしている間に、ロシアは複雑で広範囲の塹壕と多数の地雷を駆使してウクライナのタンクを入れないようにした。ロシアの軍司令部は、それまでの数多の失敗から学び、戦術を改め、囚人を含む兵力の増強を進めた。ウクライナのドローン攻撃に対して、ロシアはイラン製のドローンの使い方にも習熟してきた。
 西側の制裁措置に対する逃れ方にも習熟し、IMFの観察によれば、年率2.2%の経済成長を達成し、西側の制裁の効力は期待できなくなった。
 Zelenskyは毎晩Kyivから、自軍に向けて戦意を鼓舞し西側諸国にむけて資金と兵器の支援を求め続ける発信を続けるが、明らかにその効果が落ちてきた。ウクライナに疲労感が目立ってきた。Kyivに、はじめて兵士の家族からの反戦運動が起こった。戦地に18か月も行ったきりなので、戻してほしいという切実な願いであったが、Zelenskyの将軍たちには聞き入れがたい望みだった。ウクライナのほとんど唯一の輸出商品たる小麦も、西側のロシアへの制裁が強化されると、対抗措置としてロシアに港を封鎖されて搬送ができなくなった。
 ZelenskyがBidenに求める先進兵器も、Putinのレッドライン、すなわちPutinがロシアの国家的危機を救うためには核兵器の使用を忌避しないとの方針に基づくロシアの核兵器導入のしきい値を恐れるBidenが、結局too little-too lateのウクライナ支援になりがちであった。
 また、アメリカは、ウクライナに兵力を集中して一点突破で戦うことをアドバイスしたが、ウクライナ軍は、一度に広範囲に兵力を分散させ、前線があまりに薄くなりがちで、戦術に失敗が多かった。
 結局、2023年末には、アメリカはウクライナが生き残るために必要な支援は注いだが、ウクライナからみると勝つために必要な支援はうけられなかった、という結果だった。ウクライナの目標が、最低限でも2022年2月時点の領土の確保である以上、これはたしかにミスマッチであった。

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New Cold Wars(74)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 20. The Downward Spiral
Prigozhinの乱
 2023年6月24日Yevgeny Prigozhinが彼の私有軍Wagner Groupを率いて、タンクに乘ってモスクワに迫った。アメリカをはじめ世界が驚くなか、不思議なことにPutinの反撃もなく彼の軍隊は静かに行進した。いよいよモスクワ市街に接近したとき、ベラルーシのLukashenkoが彼にベラルーシへの亡命をもちかけ、Prigozhinはごくあっさりそれに従ってロシアを出てベラルーシに向かった。
 これを見ていた世界は、これが本当の反乱なの否かもわからず、簡単にロシア政府が壊れたりPutinが失脚したりするとも信じられず、ただ長い間にロシアも国内になんらかのヒビ割れが成長していたらしいとは感じた。
 Putinがこの無様な騒動を世界に晒したPrigozhinを、そのまま許すとは誰も思っていなかったが、果たしてPrigozhinは8月、民間航空機に乗っているとき33人の他の乗客を巻き添えにして、飛行機の爆発で死亡した。
ロシア・中国・アメリカの3つのスーパーパワーは、相互間の競争以前に自国内の問題に悩んでいるようだ。
 ロシアは、ひとりの反逆者を撲滅したものの、ウクライナ戦争で2年もたたないうちに30万人の死傷者、うち12万人は戦死者を出している。中国は、COVIDの辛くて厳しい閉塞機関をようやく抜けたら、これまでのめざましい経済成長の時代が終わっていることに気づかされて、国全体が陰鬱な雰囲気になっている。習近平の国家安全保障への偏重は莫大な経済負担を伴っていたこが露呈した。アメリカは、かつてない国家分断の最中にある。政治的暴力が4分の一もの有権者に許容されている。ウクライナでさえ、瀕死の戦争で生き延びても、西側はウクライナのNATO加盟に消極的だし、戦争に対しても彼らから見放されることに現実味が帯び始めた。
 少なくともひとつ教訓とすべきは、三大超大国は自ら思うほどには、自国民に対しても、隣国に対しても、世界秩序に対しても、思うような影響力を持ち得ないのではないか、と言うことだろう。

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New Cold Wars(73)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 19. The Digital War─And its Limits
Kyivのドローン製造
 2023年の夏、まだ十代の若者Wayne Pakは、Kyivの小さな町工場で手作りのドローンを製造していた。学生のアルバイトを雇いドローンを造る。電気系は、中国製の電子部品と小型カメラユニットをはんだ付けする。機械系は、カーボンファイバーを接着剤で組み立てる。1台あたり$350くらいでミニチュア・ドローンを仕上げるのだ。兵士はこれに2~3ボンドの火薬を括り付けて無人カミカゼ爆撃機となる。この工場では毎日20台ほどを造る。生産台数が少ないのは部品の制限による。中国製の部品は、ロシアでも購入しているが、中国の売り手は両方に販売している。両方を維持し戦争を続けさせることで稼ぐ期間を延ばそうとしているのだろうか。
 アメリカでGoogle社の共同創業者でCEOとして20年以上活躍したEric Schmitという人物がいる。彼は2023年10月、ウクライナに来て驚いたという。ロシアのウクライナ侵略を背景に、ここではドローンの製造で、信じられないほどの著しい進歩が達成されている、と。なにより驚異を感じたのは、情け容赦のない徹底した価格の低減への集中力だ。アメリカでは想像もつかない低価格を実現しているうえに、そのスピードだ。ペンタゴンの緩慢なペースとは対照的だ。ペンタゴンのドローンは、巨費を投じて10年以上の開発期間を費やし1994年にできたのだが、2メートル弱の羽根を備え、その試験もコストも$1M以上を要したのだ。Schmitは、ウクライナに呼ばれて来て、自分の力でウクライナを助け、はるかに大きなロシアに勝たせよう、と考えた。ウクライナのソフトウェアの能力を向上し、次世代のドローンを設計したい。ウクライナは、ドローンにとつて世界一の研究所になる、と。
 ウクライナに、突然数百ものドローンのスタートアップが誕生したが、彼は当然のことだと言った。
 あるスタートアップは、安価な4つのプロペラをもち、タンクを狙うドローンを設計した。別のスタートアップは、水中の潜水魚雷型ドローンに特化している。
 しかし2023年秋、Schmitはウクライナの革新的技術だけでは足りないだろう、と懸念を表明した。ロシアは多くの人口を持ち、犠牲を厭わない。原油価格は高いままだし、中国は依然としてロシアにキー技術と部品を供与し続けるだろう。ロシアのタンクの製造は加速され、大砲の砲弾は増産できる。戦争が始まって1年半が経ち、ウクライナの前線は行き詰っている。一部の地域ではウクライナが後退さえしている。ウクライナが一時はKharkivとKhersonで勝利したことで元気づき、戦争の勝利に向けて邁進したが、今ではそれは希望的観測に過ぎなかったことがわかっている。
 ウクライナは工場を立ち上げ安価なドローンを量産しているが、それもいずれ競争力を失う。ロシアはイランのドローンを買っている。イランのドローン工場をロシア国内につくる計画さえあるらしい。戦争が長引くと、時間はZelenskyに味方しない。引き伸ばされた遅い戦争の摩擦は、ロシアに勝たせる結果になるのではないか、とSchmitは恐れる。
 Schmitは、技術者であり事業家だが、軍人ではないので、彼が戦況を覆すためにできることはあまりない。技術者としては、いろいろドローンの性能を上げるアイデアをいくつか持ってはいるのだが、いずれも非人道的という問題はある。

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New Cold Wars(72)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 19. The Digital War─And its Limits
ウクライナ戦争開始とペンタゴンの支援システム
 ロシアのウクライナ侵略が始まったある日の朝、あるアメリカ軍の幹部とウクライナの将軍とがポーランド国境で会った。アメリカ軍幹部は、開発した戦争監視・作戦支援システムを搭載したタブレットを持参していた。彼は、タブレットを操作しながらその豊富な機能を説明した。それを見たウクライナの将軍は、その表示とその時のKyivの状況を電話で確認して照合し、ウクライナの遠地の状況をリアルタイムで把握するその性能に驚いた。彼は、アメリカは、ウクライナを代理兵士としてロシアと戦っているではないのか、と憤りもした。アメリカ軍幹部は、アメリカの対ロシア戦闘参加はBidenが禁止していることを説明した。しかしアメリカは、このシステムを通じてウクライナを支援することができる、と。
 この戦争開始後すぐの段階では、ウクライナはアメリカのこのシステムに驚いたが、やがて時間が経つと、ウクライナ自身の情報収集・戦闘支援技術が急速に進んだ。ウクライナは戦争開始以前から、東ヨーロッパでは技術水準の高い国民であることが知られていた。ウクライナは、最初こそアメリカの諜報収集センターの「ピット Pit」のシステムに頼っていたが、やがて自身のDeltaと名づけられたシステムを作り上げ、それを使うようになった。それはNATOのアドバイザーとともに開発したものであった。” situational awareness software ”も装備されていた。彼らはそれを、さらに改良していった。このシステムを稼働させるために、ウクライナにとって民間衛星通信サービスStarlinkはまさにlifelineであり、死活的に重要であった。兵士は戦場で、本部とあるいは兵士同志の通信が可能になるのであった。
 しかし国の基幹システムが、唯一の外国の民間通信衛星サービスに全面的に依存するのは、きわめて危険である。ペンタゴンは、SpaceXと共同開発で軍事用通信システム” Starshield ”を立ち上げた。

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New Cold Wars(71)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 19. The Digital War─And its Limits
ペンタゴンの戦争監視・作戦支援システムの開発
 諜報収集センターの「ピット Pit」に据えられた大型ディスプレイ”the single pane of glass”には、それに至る前史がある。
 2018年3月シリコンバレーのGoogle社が、ペンタゴンの$9Mの開発プロジェクトとして、ドローンの追跡とその個体の外観の特徴を識別するAIシステムの開発を請け負ったとのニュースがあった。まだ当初のころはテロリスト対策を対象としていて、たとえばAK-17銃とクマ手との識別をするようなことが研究対象であった。
 やがて合衆国国防総省 Department of Defenseの一部に位置づけられ”Project Maven”イニシアティブと名付けられて野心的なAIの開発と実験を目指すようになった。そして目的が拡がり、データを合成synthesizeしてドローンの行先きや装備や攻撃の開始タイミングなどを予測するAI機能が含まれるようになった。まさにAIの開発プロジェクトになったのである。
 その最初は、移動装置、ヒト、建物、武器などそれぞれの識別くらいのことで、それはすでに”Project Maven”イニシアティブの範囲で”computer vision”が対応できた。しかし兵士と民間人を識別して民間人の死傷者を避けるなど機能の拡張と高度化が必要となった。
 これらの新機能の開発に人材の追加が必要であり、その一時的に参加する研究者から、ふとした経緯でプロジェクトの内容が露呈し、軍事研究を嫌う社員から、プロジェクトをGoogle社で進めることに異議が出て、退職者も出現した。
 結局Googleはこのプロジェクトから降りることとなったが、ペンタゴンはプロジェクトをさらに拡大して”algorithmic warfare”と名づけ、開発続行を決めた。
 そのころロシアのウクライナ侵略が懸念され始め、開発体制も充実させ、将来を見据えて、諜報情報の収集だけでなく、戦争遂行を指揮するための支援機能を追加することとした。そのため、「状況認識 situational awareness」と「作戦展開の具体化 common operating picture」が加わった。つまり諜報データと作戦支援の複合化である。

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New Cold Wars(70)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 19. The Digital War─And its Limits
諜報情報と戦争
 これらのウクライナ戦争への技術的・戦略的支援に関わっているのはアメリカNSA長官兼サイバー作戦指揮官であるPaul Nakasoneである。彼は、20年以上前冷戦が終わりかけたころ、IraqやAfghanistanとの戦争のころからアメリカ国家安全保障局NSAで働いてきた。戦場に出かけ、情報を集め分析し、戦闘指揮をサポートする。諜報活動や監視も行う。
 Nakasoneは、これらの仕事に就いたばかりのころは、大量のデータを集めたものの、それを分析して総合することからどの程度軍事に貢献できるのか、よくわかっていなかったという。それが実際の作戦にいかに有効であるのかがわかり始めたのは、イラク戦争の「砂漠の嵐作戦」からであった。
 Nakasoneは、続く30年間に情報の抽出と活用による戦争方法の革命を進めた。ユーゴスラヴィア内戦では、戦争犯罪の抽出と訴求に諜報が活用された。
 技術は急速に進歩したが、アメリカ軍の思考態度mindsetは追いつけなかった。2007年からは、中東の戦場に対して、集めた情報と具体的な戦争の進め方を接続する役目を意識して実施した。集めた膨大なデータを解析・整理して、戦場の兵士が欲するわかりやすい情報に加工することがポイントであった。
 いまでは世界の状況が大きく変わった。ほとんど全員の兵士がセルラー電話をもっている。高精細の衛星画像がある。多様で多数の武器が複合化された軍の装備が戦場に展開している。これらのすべてがNakasone配下のハッカーたちの追跡対象となる。戦闘遂行のために求められる迅速さも考慮しなくてはならない。戦う相手も、かつてのテロリズム集団ではなく、ロシアや中国などの超大国となった。
 そしてロシアのウクライナ侵略が始まった。諜報の相手がテロリスト集団ではなくロシアと言う大国なので、これまでより活動を大幅にスケールアップする必要があった。これまでに培ったテロリストに対する、”find, fix and finish” の仕事を、超大国に対するために探査・収集能力も実行能力も拡大する必要があった。
 しかしそれでも十分ではない。アメリカはますます膨大なデータ・情報と格闘することになるが、そのようなデータの多くが、誰でもが得られる莫大な公開情報に密かに含まれるようになりつつあり、高価なスパイによる情報だけでは無いようになってきている。データを得る技術や手段は誰にも開かれていて、そのなかから重要な情報を抽出することができるために、賢く、速くならなければならないのである。

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New Cold Wars(69)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 19. The Digital War─And its Limits
ウクライナ戦争へのアメリカの先端技術の投入
 ウクライナから数千マイル西、ヨーロッパの中心とも言えるとある場所に、関係者から「ピット Pit」と呼ばれる非公開のアメリカの諜報収集センターがある。アメリカとイギリスの軍人・将校たち、少数のウクライナ兵、そしてシリコンバレーからきたディジタル技術の専門家が、諜報情報の収集・分析を行い、日々のウクライナの戦場へ情報提供や戦闘支援を行っている。
 従来の同様な施設との大きな相違点は、室内の大きな部分を占める大きな動画ディスプレイである。戦場や軍事施設、戦闘状態などさまざまなリアルタイムの画像が表示される。通信衛星、ネット画像、YouTube、インスタグラムなども含まれる。セルラーフォンの電源を切り忘れたロシア兵は、その位置を検出して画面にマッピングできるので、部隊の配置状況も表示される。ディジタル技術の粋を結集したインテリジェント機器であり、”the single pane of glass”と呼ばれている。戦闘現場の生々しい実況中継だけでなく、戦闘にかんするミクロなデータがさまざまに表示できる。
 これは機能的には強力なウクライナ軍への支援が可能となるが、軍事法からみて、ウクライナ兵を手先に利用してアメリカが戦っている、と言うことにならないように細心の注意も必要となる。
 ”the single pane of glass”は、20年間をかけてアメリカ軍とシリコンバレーとの共同で開発した成果である。これがウクライナで使用されるようになって、改良が急速に進んだ。ウクライナ副首相Mykhailo Fedorovはディジタル技術の優れたエンジニアでもあるが、ウクライナこそは新しい戦争推進のための技術開発の最適な試験場であり、戦場の実践に関与することで迅速に改良ができるという。
 2023年初めにホワイトハウスと国務省のグループがウクライナを訪れたとき、ウクライナ兵が戦闘場のすぐ近くで3Dプリンターを持参して、軍事装備の交換部品を現場でつくっているところを視察した。このような技術的優位が、1年目のウクライナの前線での勝利にも関与していると思われる。
 ウクライナのこのような技術レベルの高さは、ペンタゴンが数年かけて達成した水準を数か月で実現することもあるほどである。
 ロシア側も、ウクライナの技術的優位の兵器に対して、「対ドローン銃 antidrone guns」を開発してウクライナを悩ませるなど、軍事技術の競争が続いている。
 開始が遅れていた2023年春のウクライナの反撃攻勢は、2023年夏に始まったが、ウクライナ側の限界も露呈してきて、行き詰まりの形勢である。

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New Cold Wars(68)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 18. Searching for Endgames
フィンランドの苦悩の20年
 フィンランドのサウリ・ニーニスト大統領 Sauli Niinistöは、戦後生まれで壮年期までを冷戦時代に過ごした。若手のフィンランド国会議員として、ソ連やロシアとの関係や交流も少なからずあった。
 2012年フィンランド大統領に就任してから、国際問題により深くかかわるようになった。彼は、NATOに接近しようとして、NATO軍と合同演習も試みた。NATO軍がバルト海をめぐる諜報情報を求めており、フィンランドもNATOの軍事専門技術を得たかった。
 そのころからNiinistöは、ロシアのPutinとも頻繁に接するようになった。 NiinistöはPutinと接して、まもなくPutinがロシアは自分のもの、フィンランドもPutinのものと考えていることを確信した。2012年Putinは彼に突然「なぜ君はNATOの方向に向いているのだ。カレリアは戻ってこないぞ。」と言った。Niinistöはそれに驚いたが、彼にとってカレリアは生まれる前からソ連に奪われていた地で、そのころの彼にとって高い優先順位にはなかった。彼は「独立国はどこでも国の安全保障を最大化したい」とのみ答えた。
 冷戦時代、彼がモスクワと西側との間で、ロシアを怒らせず、フィンランドの独立を慎重に維持する綱渡り外交を維持し、それは多少軽蔑をこめて「フィンランド化 Finlandization」と呼ばれるようになった。NATOとは良い関係を維持しながら、ロシアとの800マイルにおよぶ長い国境を持つフィンランド国内には立ち入らせなかった。西側との協力はフィンランドの西側と彼自身にはしっかり浸みこみながら、彼はPutinのパラノイアを巧みに回避した。
 冷戦が終わり、Finlandizationは不要となるはずであった。ようやくフィンランドはEUには加盟できたが、Putinのことを考えてNATO加盟には突き進めなかった。
 2021年ロシアがウクライナに侵攻しそうだとなったとき、NiinistöはいよいよNATO加盟を真剣に考えるべき時がきたと思い、ひそかに最悪の事態に備えることとした。ロシアがウクライナに侵攻する1週間前、ロシアの侵攻を確信したNiinistöは、スウェーデンの防衛大臣に、もしロシアがウクライナに侵攻したら、フィンランドと一緒にNATO加盟について議論をはじめよう、と伝えた。これは記念すべき提案であったとNiinistöは言う。両国はこのとき、NATOの東漸を覆そうとしているPutinに、まともに対抗したのである。
 しかしロシアのウクライナ侵略は、Niinistöが想定していた以上に激しいものであった。とくにKyivを攻めようとしたことは、ウクライナ全土の占領を目指していることが判明したしたうえ、次はわが国かとの脅威が明らかとなった。
 それからはスウェーデンとともに、真剣にNATO加盟を働きかけた。戦争のなか、ことは急を要するのにNATOの動きは鈍かった。トルコがスウェーデンに対して政治的な取引を仕掛けてNATO新規加入認可の全会一致を妨げたこともあり、難航した。ようやくBidenとPutinのポーランドでのスピーチの後、フィンランドはNATO加盟の見通しを得た。
 著者はNiinistöに、あんなに長く避けてきたNATO加入を、どのように決断したのか尋ねた。Niinistöはためらわず、それはPutinだ、と答えた。ウクライナには多数のロシア系住民がいて、Putinを支持しているのに、独裁者としてあんなに厚かましく残酷に振舞うのを見て、そしてPutinかが平然と嘘を多発するのを見て、フィンランドを護るために必要だと判断した。と。
 しかしNiinistöは、これまでのヨーロッパの判断と行動にも大きな責任がある、と言う。Niinistöが大統領に就任する10年以上前の2000年ころ、彼はポルトガルのリスボンで開催されたヨーロッパ会議にフィンランド代表として参加した。そこでは、いかにヨーロッパが優れているか、ヨーロッパが世界で最も理想的なシステムであるかばかりが語られ、会議の最後も「われわれは世界最高だ、それを極めたのだ、レッツゴー」と締めくくった。それはおそらく汎ヨーロッパ主義の絶頂であった。ヨーロッパの考え方、制度、軌跡が世界の規範になるべきだと思いあがっていた。ソ連も崩壊して、ロシアもヨーロッパの仲間にいれてもらうしかないはずだと思っていた。
 20年経って、いまヨーロッパに残るものはあまり無い。ヨーロッパは、非現実的な強さと安全保障の絵を描いていた。パンデミックと戦争で、その絵は切り刻まれた。
 戦争が続くと、経済制裁と防衛強化など以外に、ロシアに対して現実的で有効な対抗手段を、誰も知らない。
 ヨーロッパは、民主主義と自由などを共有するブロックを世界のなかで形成しようとするが、全世界で共感して集まってくる国が果たしてどれだけあるのか。世界には80億人ほどの人口があるが、民主主義と自由を求める人口は20億人もいるだろうか。それでも残りの60億人は、ロシアや中国のような権威主義的なグループに集うのではないだろうか。「私たちは、大きな計算間違いをしたのかも知れない」とNiinistöは言う。
 ウクライナ戦争が1年続いて、ヨーロッパの仲間うちにも、これがほんとうに西側の戦なのか、という疑問が出てきて仲間割れが起ころうとしている。その典型とも言える景色がドイツのブランデンブルク門での民衆デモだ。2023年2月24日ウクライナ支援者が数千人集まった。まさにその翌日、ドイツ社会党と反戦政治家が同じ場所で、前日のデモに反対する集会をもった。ターゲットはPutinではなく、ウクライナに武器を支援しウクライナ兵をドイツ内で養成するドイツ政府なのだ。ドイツは武器を出して戦争を拡大するな、と。ドイツの極右グループも同調して集まっていた。

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New Cold Wars(67)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 18. Searching for Endgames
BidenのKyiv電撃訪問とポーランドでのスピーチ
 2023年2月20日、BidenはAir Force Oneでワルシャワに飛び、ポーランドとウクライナの戦没者の慰霊をするためにワシントンを出発した。しかしこの旅の日程にひそかな余裕があり、それを利用して突然ひそかに陸路でKyivを訪問し、Zelenskyと会談した。BidenはZelenskyに支援を約束するとともに$500Mの武器・弾薬を踏む追加支援の約束を伝えた。約5時間をZelenskyとともにし、これからの春の攻勢などについて話し合ったようだ。その後、列車でポーランドへ帰った。80歳になってもこうして積極的・精力的に動けることを証明し、国許では共和党上院議員Lindsey Grahamからのねぎらいの電話もあった。
 Kyivからワルシャワに戻ったBidenは、王宮での慰霊祭で挨拶することになっていた。同じ挨拶はPutinにも予定されていて、この度はPutinの方が早く到着して挨拶を述べた。
 Putinは、敢えてウクライナ戦争について触れ、戦争は西側が始めたのだと主張した。生物学兵器が西側によって使用され、ロシア市民を攻撃するためウクライナ人の訓練が行われているとも述べた。西側のエリートたちは、不合理な嘘で固められたシンボルになっていると述べた。Putinの物語では、ロシアはいつものように強く、経済も西側の制裁にも関わらず改善していて、西側のLGBTQ+など道徳破壊に対する防衛の砦となって、ロシア正教の価値観を護っている、と述べた。
 Bidenは8時間遅れて到着した。
 ポーランドは、ウクライナ戦争が始まって以来、積極的にウクライナからの難民を受けいれてきた。ポーランドもかつてロシアとドイツに勝手に国境を書き換えられた経験を持つ。
 Bidenは話し始めた。1年前、世界はKyivが占領されるのではないか、と思った。しかし私はKyivから帰ってきたばかりだ。Kyivは、ちゃんと誇り高く立ち続けていることを報告する。自由のもと、自立しているのだ。アメリカもヨーロッパ諸国もロシアを支配したり破壊したりするつもりはない。ウクライナの何百万人ものロシア人たちも、隣国は敵ではなく、平和に過ごしたいのだ。
 翌日Bidenは、戦争がウクライナ国境を越えて入り込んでくることを恐れている東ヨーロッパ諸国のリーダーたちと会った。

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New Cold Wars(66)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 18. Searching for Endgames
ウクライナ戦争の終結とは
 ドイツのバイエルン州東部Grafenwoehrグレーフンウルに、ドイツ軍の兵士訓練場がある。ウィルヘルムⅡ時代から、ヒットラー時代、そして冷戦時代を経て兵士の訓練に用いられ、現在はときに数千にのぼるウクライナ兵の最新兵器による戦闘の訓練が実施されている。とくに複数の武器や装備を有効に組み合わせて戦う技能を育成する。それはロシア兵が不得意とされる技能である。ここで戦闘技術を学んだウクライナ兵士たちは、5週間の研修期間を終わると、ウクライナの戦場に戻るが、彼らにどのような運命が待っているかは知る由もない。
 ウクライナ外務大臣Dmytro Kulebaは、戦争からまもなく1年が経つというころ、ミュンヘンで戦争の終結について語った。「銃声が途絶え敵兵が領土から去り、ウクライナの領土が割譲なしに完全に開放される。Putinと折衝することもない。これは永続する終戦だ。ただロシアが再び攻めてこないという確認のうえだが。」
 これこそその場にいた皆が聞きたかった終結だが、それは戦場の現実から乖離している。
 1年前のミュンヘン安全保障国際会議では、ヨーロッパ諸国は、ロシアがウクライナ侵略を着々と準備している数多の証拠を前にしながら、それを無視してしまった。
 それから1年経って、東ヨーロッパのリーダーたちは、完全なロシアの壊滅以外に戦争の終結はない、と考えている。しかしロシアの壊滅、Putinの「人道に対する罪」による国際司法裁判所への訴追など、勝手に空想しても現実化の道は見えない。事実として見えているのは、事態の行き詰まりだ。大きいとも言えない領土の奪回のために、さらに数万人以上もの人命を失おうとしているのだ。
 2022年秋の目覚ましかったウクライナの勝利は再現できそうにない。ロシアは失敗から多くを学び始めたようだ。ウクライナ軍はだんだん衰弱しつつあり、西側の弾薬、ミサイルなどは漸減し、NATO諸国も自己防衛に支障なくウクライナを支援し続けることは困難と思い始めた。実際、Raytheon社が6年かけて製造するStinger missileとJavelins missileをウクライナはすでに費やしている。
 スウェーデンのAtlantic CouncilのAnne Wieslanderは言う。ヨーロッパはウクライナのために「なんでも」すると誓っているが、その「なんでも」の内容が具体論では問題となる。ウクライナを早くNATOに参加させてやりたいが、それがロシアとの直接戦争につながるとなれば当然躊躇する。EUに参加させたいと思いつつも、最近はそのための会議の招集の回数が減っている。ウクライナに対して心情的に同情はするが具体論では躊躇するのが現実だ。
 ヨーロッパとアメリカ以外では、日本と韓国がせいぜいスポット的な支援をするにとどまっている。イスラエルは、イランに対抗するためにロシアを敵にまわせず、Putinのロシアに対する制裁に賛成しなかった。
 ウクライナ戦争が2年目に入るにおよび、ヨーロッパに2つのグループができてきた。
 ひとつは、ロシアと国境を接する「前線国 frontline states」ともいうべき東ヨーロッパのグループである。ロシアと接しているので、ウクライナの次は我が身という危機感がある。エストニア、ラトビア、リトワニア、ポーランドである。ロシア帝国とソ連の拡張主義の犠牲となってきた過去を持ち、もしウクライナが領土を少しでも与えたら味をしめて、Putinが彼らの国にも攻め込んでくるのでは、と深刻に心配している。
 もうひとつは、おもに西ヨーロッパの国々で、フランスとドイツが中心である。彼らはウクライナ戦争を終わらせるためには妥協を認める話し合いで終戦するしかないと考えている。戦争開始の当初は、ロシア国内で反Putin運動が激しくなってPutinが失脚するシナリオにも期待したが、そうはならなかった。不幸な妥協でもやむを得ない、との見解である。
 アメリカは、実はこの2つの間で日和見しているのかも知れない。公的にはタカ派ぶって、ロシアは負ける、ロシア軍は疲弊しているなどと言いふらす者も多いが、個人的、あるいは内心ではどうやって終戦にできるか悲嘆に暮れている。アメリカ軍統合参謀本部議長Mark Mellyは、ある質問者に、この戦争に勝者はいない、戦争に勝つという道筋は現実から乖離している。いちばんありそうな結論は、ウクライナの譲歩有無に拘わらず南部と東部の一部を確定して支配権をロシアに渡して終戦に合意することだ、と。ここでアメリカの役割は、なんとか両者の協議にまで至ったときに、ウクライナに「ありうる最善の立場 best possible position」を与えることだ。
 闘い続けることは、多くの将来を担うべき若者の生命を奪い、ヨーロッパの巨額の金をつぎ込んでは失い、核戦争を含む第三次世界大戦になる可能性すら出てくる。それは、ウクライナの未来の戦略的価値とはならない。
 しかし一方で、これらの西側の思考がPutinの思考にあまり影響を与えるとも考えにくい。Putinにしてみれば、ウクライナの領土そのものよりはるかに重要で大きな問題意識がある。ロシア国営放送のインタビューに答えてPutinは言う。西側の目的は一つだ。かつてのソ連を破壊し、その中核たるロシアの文化を消滅させることだ、と。
 Putinは、これまでの失敗も戦争の悪化もすべてを正当化するために、領土の問題を「大ロシアの存在・存続の問題」に拡大・転換している。それはもちろんPutin自身の存続に直結する。ある北欧の軍幹部のひとりが言った。「Putinは、自分が持つすべての弾(タマ ammo)を西側のロシア破壊計画に向けて傾注する。」

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New Cold Wars(65)

Part 4. Fighting for Control
Chapter 18. Searching for Endgames
ドイツのタンクLeopard 2の供与
 2023年になってロシアがドンバス地域への攻勢を強めてくると、ウクライナはタンクを欲しがるようになった。ロシアはそれまでにウクライナ戦争で半分ほどのタンクを失っていた。地雷の他に、HIMARSなどの長距離攻撃可能な高精度ミサイルが貢献していた。
 ウクライナを支援するのに適したタンクを持つドイツに、アメリカはタンクLeopard 2をウクライナに出すように求めた。ドイツのScholz首相は嫌がった。第二次体験の苦い経験もあって、ドイツの反戦派にとって、タンクは神経質にならざるを得ないアイテムであった。苛立ったBlinkenは、この度のウクライナのタンクの使い方は攻撃的ではなく防衛的なのだ、と説得した。
 ドイツにとって、アメリカの直接の関与なしに単独でウクライナへロシアに対する殺傷兵器を送ることは、非常にリスクが高かった。Scholzは、アメリカがそんなにウクライナ支援に熱心なのなら、先ずアメリカのAbramsタンクを出して、その後Leopard 2を出す、ドイツはNATOが所有するLeopard 2のウクライナ移転も許可するだろう、と回答した。
 アメリカのAbramsタンクは、構造上保守部品が煩雑で、ソ連時代の装備しかもたないウクライナでは保守・修理して使いこなすことが難しい。Leopard 2の方が相対的にはウクライナが使いこなせるという。
 Scholzは、すでにNort Stream2を遮断し、反ロシアの意志を固めてはいたが、ドイツの旧東ドイツ地域には根強い親ロシア派がいて、ときにScholzに対してウクライナ支援反対の運動をしていた。Scholzとしては、他のヨーロッパ諸国がドイツのタンク供与を認めること、アメリカが明確にドイツを後押しすることが必要だった。
 長い折衝の末、Bidenは、アメリカのAbramsタンクをウクライナ戦場用に少し改造して8か月余り後にウクライナへ送る。これはLeopard 2の解禁にもつながる、と声明した。
 ペンタゴンは、アメリカの友好国がアメリカなしでロシアに向き合うことをいかに恐れているかを、あらためて認識した。
 ウクライナ戦争が1年経過し、アメリカとその友好国はウクライナに当初の想定よりはるかに多く支援を注いだ。しかし何を支援するのか、何時なのか、どのようになのか、どの程度なのか、によってそれぞれの国の評価や熱意に分裂が生じてきた。評価の仕方も、何がエスカレーションのリスクが大きいか、何が政治的により有効なのか、何がシンボリックになるのか、何が戦場でほんとうに有効なのか、などで分裂してきた。さらに、戦況も推移するなか、果たしてウクライナはどれだけよくやっているのか、が大きな関心事となってきた。

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New Cold Wars(64)

Part Ⅲ Wars Hot and Cold
Chapter17. Don’t Make Us Choose
ウクライナ戦争とロシア・中国の接近
 2022年ロシアのウクライナ侵略開始の前、中国の外交責任者王毅は、ロシア軍の不穏な動きについてどう考えるかを訪ねられ「国家の主権、独立、領土の保全はいずれの国も尊重され、守られなければならない。それは国際関係の基本法則であり、ウクライナも例外ではない」と答えた。しかし1年後の西側と中国が参加したミュンヘン会議では、王毅の言うことがすっかり変わった。中国の立場の現実から、この戦争が中国をキングメーカーにする新しいチャンスだととらえたのか、「ウクライナ戦争の当事者たちはみな妥協してもとの状態に戻るべきだ」、しかしウクライナそのものよりも大きな戦略的目的をもつなんらかの大きな力の存在を仄めかして「それが和平協議を望んでいないのだ」と主張した。
 しかしこのとき、ウクライナ戦争は王毅の主要な議題ではなかった。彼は、いまだにスパイ風船が撃破されたことを問題にしていた。アメリカの風船破壊は不適当でヒステリックな行動だ、中国を不当に辱め他国も巻き込むような行為だ、と。さらにCHIPS Actまで引き合いに出して、中国の関係会社の存在を無視するものだ、と罵った。アメリカには、彼の態度が厚かましいと見えた。
 その後数週間にわたって諜報情報を追うと、中国が急速にロシアに接近していることが観察された。中国とロシアは一致してアメリカに対する壁になろうとしているようだ。Putinは、弾薬を北朝鮮に、ドローンをイランに依存しようとしているが、長期的には中国に頼る以外にはないと思われる。
 しかし戦争開始から1年の時点では、中国は躊躇していた。その理由はよくはわからない。ひとつ考えられるのは、ウクライナ戦争は、中国が望まない立場に中国を追いやっているのではないか。アメリカの諜報部は、中国は武器の供与について、それがあまり表だって新たなアメリカの制裁につながったりしない限り、消極的ではないと信じている。
 さらに今や習近平の計算が変わったとの諜報からの情報がある。中国軍幹部は、殺傷兵器のロシアへの支援を承認した、とのことである。それらは民生用に偽装されて、航空機、鉄道、船舶で搬入される、と。ロシア内の通信からの傍受による情報らしい。
 もし中国がこれからより一層ロシア寄りになっていくと、ウクライナ戦争にドラマティックな変化を与えるだろう。そのため2月以降アメリカは、習近平とPutinのそれぞれの側近の間の裏ルートの動きに探りをいれている。「北京-モスクワ パートナーシップ」という新しい冷戦につながる恐ろしいシナリオである。これが長期的に続くと、西側への大きな脅威となり、またロシアは中国に依存せざるを得ない弱い存在になる。また、西側がウクライナ支援に向いていることは、アメリカの太平洋方面への関与が小さくならざるを得ないため、中国の太平洋進出に有利となろう。イラクやアフガニスタンで経験したように、正義のための遠地の戦争は結局アメリカに利する見込みはない。それを横に見る中国に利するのみだ。
 果たして中国はロシアに加担するのか。王毅は、それをなんども否定した。

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New Cold Wars(63)

Part Ⅲ Wars Hot and Cold
Chapter17. Don’t Make Us Choose
初のバイデン-習近平会談とその後
 2022年秋、Bidenと習近平はインドネシア・バリで初めて直接会って議論する機会を得た。G20にともに参加したのであった。
 Bidenは習近平にCOVIDにかんして苦情を言ったし、習近平はアメリカの貿易規制に対して苦情を言ったが、それ以外では、両国関係が悪化してきていることに対して、協力してなんらかの努力がしたいという方向の話し合いとなった。そのため以後は外務担当者の交流を再開することで合意した。メディアへの発表によると、合意による契約(engagement)にまではいたらないものの、両国間の危機回避のため外交(diplomacy)は改めて再開することに合意したとのことであった。Engagementは意志を共有できるパートナーとするもので、diplomacyは難しい関係をマネージするものだ、との定義が示された。Bidenは「新しい冷戦には決してならないと信じる」とレポーターに告げた。
 そのあと中国は、それまでの過剰なまでのCOVID対策を停止して、PCR陽性者の厳しい隔離政策はなくなり、一時は経済も回復するかに見えたが、すぐに厳しい経済不振に陥った。過剰な不動産投資によるスタグフレーションと住宅危機、若者の雇用危機・失業増加、外国企業の撤退などが重なり、長期的には人口減少危機までが加わった。
 もうひとつ、奇妙なことが発見された。巨大な風船が、小型バスほどの大きさの箱をつけて、アメリカ各地に飛来したのだ。アメリカ政府はこれを中国のスパイ風船と認定して、その由来や真の意図は未解明のまま、結局ミサイルで順次撃墜した。

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