木下佳通代展 中之島美術館(7)
第3章 1982-1994
1987年から1989年にかけては、徐々に「塗り」は後退し、緊張感漂う「線」の表現がピークを迎えるようになった。色の濃淡や塗り重ねによって画面に奥行きを感じさせる描き方は、やがてストロークそのものを見せるアプローチへ昇華していった。
「LA'92-CA729」(1992)は、それらの多くの作品のひとつである。色のグラデーション効果を使いながら、線を描き、またその線から絵具が垂れる様にも注力した作品である。
「'89-Pa537」(1989)は、興味深い作品である。これはA4判にも満たないごく小さな作品であるが、絵のコンセプトも描画法もまったく大作と変わりがない。サイズは小さくとも画家の強い意志は堂々と表現されている。
画家としての新たな頂点を迎えた最中の1990年、木下は乳がんの告知を受けた。手術を拒んだ木下は、制作を継続しながら治療法を求めて国内各地に病院を訪ね、さらにロサンゼルスにまで渡った。1991年から断続的に滞在したロサンゼルスでも、精力的に制作をすすめ、ストロークを重ねて形や空間を生み出す表現は極致を極めた。
「描きたい、描きたいのに時間がない」、そんな葛藤を胸に、木下は病床でも作品を描き続けた。「無題(絶筆・未完)」(1994)がある。これは、さすがに比較的小型の水彩画である。木下佳通代の研究者によれば、ちょうど800点目の作品だったという。もし完成して木下が正式に題名相当の作品番号をつけていれば「800」の数字が刻まれたであろう。55歳までの人生で、実に多くの作品を残したものである。作家の飽くなき創作意欲や、試行錯誤・アップデートを重ねて描き続けてきた探究心を何よりも物語っている。













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