木下佳通代展 中之島美術館(8)
「存在」と美術
この展覧会は、私にとって難解であった。最初1回ざっと見まわして、ほとんど感銘も感動もなかった。木下佳通代は「存在」の表現を求めて、さらに「認識」や「視覚」の探求を進めた、と学芸員の解説には書かれている。それが、私には理解できなかった。
しかし木下佳通代よりちょうど10年年少の私が思い返してみても、1960年代からしばらくは、わが国はサルトルやカミュ、ハイデガーなどの「実存主義」の全盛期であった。17世紀以来のデカルトを代表とする、神の存在と人間の理性に疑いを持たない理知的な近代哲学が、進化論や自然科学、フロイト哲学、マルクス唯物論などの波乱を受けて後退し、理性の哲学再建のために、人間にしかないと思われた「意識」を基底として「人間の存在、現存在」をあらためて中心に据えた「実存主義」が希求された時期であった。そのころに哲学に関心を注いだ木下佳通代が、「存在」に取りつかれていたことも不思議ではない。前掲の中原祐介の評論も、キュビスムに対する理解なども含めていまでは稚拙にも見えるけれども、当時の雰囲気では真剣な議論だったのだろう。
19世紀の進化論の出現で人間と他の生物との区別が失われた。哲学から分離独立した自然科学が目覚ましく発展し人間の生活に大きく介入してきて、人々の宗教への敬意と依存を大きく削減するとともに、自然科学は世の中に存在するものを分析し解析し、構成要素に分解して原理的に再現可能なモノと位置づけるに至った。人間の理性に基礎を置く哲学そのものが、「人間の理性」を特別なものとして位置付ける根拠を失った。
実存主義の哲学者は、「かけがえのない価値」「一度きりの感情」「感動や印象」などといったものが、客観的に分析できて再生可能なモノと同列になることが許せなかった。そのためサルトルは、人間の存在はそこにあるモノではない、「無」なのであり、それこそ個々の人間が自分で創生するものなのだ、として「実存主義」を説いた。
「存在」を主張する美術とは、それらの決して代替可能とはならないもの、科学的に説明できない情動や感動などの重要性・特異性を、造形芸術として表現したかったのだろうと思う。
ところが折しもソビエト連邦崩壊のころから、哲学の世界もミシェル・フーコーの生命哲学やドゥルーズやガタリなどの生命機械論哲学が押し寄せてきて、今ではサルトルはまったく過去の人となって顧みられることもなくなってしまった。現在では「存在」を問うという意図が、かつてのようには理解できないのも当然なのかも知れない。
しかし考えてみれば、有史以前から蓄積されてきた芸術や美術というものは、本来そのような範囲、つまり「かけがえのない価値」「一度きりの感情」「感動や印象」などこそを主題にしてきたのではなかったか。目前にした一期一会のかけがえのない感動を絵画に描きとめることこそが、ごく普通のアーティストの行動だったのではないのか。そのように考えると、敢えて「存在」を取りあげて主張するまでもなく、たいていの美術活動はその意味での「存在」を専ら扱ってきたと考えることもできる、と私は思う。
今回の展示を再度眺め直すと、「存在」の表現について画家が意図したように「成功している」と言えるかどうかはさておき、心の動きを表現する「抽象絵画」としては、この画家なりの苦闘と成長が明らかに感じられ、その点では納得できる鑑賞となった。
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