深谷散策 ─渋沢栄一関連を軸に(6)
諏訪神社と渋沢青淵翁喜寿碑
渋沢邸「中の家」を出て、すぐ近くに諏訪神社がある。
これはこの地の鎮守社で古来より武将の崇敬が厚く、古くは源平時代に岡部六弥太忠澄(おかべろくやたただすみ)が戦勝を祈願し、戦国時代は皿沼城が鎮守社とし、江戸時代には領主安倍摂津守が参拝したと伝えられている。
大正5年(1916)渋沢栄一の喜寿を記念して、境内に渋沢青淵翁喜寿碑が村民によって建てられた。神社の拝殿は、渋沢栄一がこれに応えて造営・寄進したものである。
栄一は、帰京のたびにかならずこの社に参詣したという。そして、少年時代に自ら舞った獅子舞を秋の祭礼時に鑑賞することを、楽しみとしていたという。
境内には、栄一手植えの月桂樹があった。また長女穂積歌子が父栄一のために植えた橘があり、その由来を記した碑がある。
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