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「わたしのいる場所─みるわたし」兵庫県立美術館コレクション展(9)

5.歴史
 ニキ・ド・サンファール「ボンジュール マックス・エルンストより」(1976)がある。Photo_20241118055101
 ニキ・ド・サンファール(1930~2002)は、フランス貴族を先祖とする父と、アメリカ人実業家とフランス女性の間の子であった母との娘として、パリ郊外に生まれた。富裕な家の子として幼少期からアメリカのニューヨークに住み、「ナナ」というニックネームをもつ乳母に育てられた。両親ともに愛人をもつという複雑な家族関係もあって、ニキはナナをひとつの理想化された女性像に形成していく一方で、反抗的な少女となり、優れた容姿からモデルにスカウトされ、『ヴォーグ』『タイム』の表紙にも載った。
 幼馴染でやはり富裕層出身の作家ハリーと結婚し、モデル、女優などを遍歴した後、統合失調症となり、そのときのアートセラピストにより絵画を勧められ、はじめた。
 1960年ころからアサンブラージュ(立体を含むコラージュ)の制作を経て、独自の「射撃絵画(ティール)」を創出した。これは絵具を入れた袋や缶を石膏でキャンバスに固定し、離れた場所からピストルやライフル銃で撃つパフォーマンスによる絵画である。「私は絵が血を流して死ぬのを見たかった。誰も殺さない殺害だ。」と語っている。過激な射撃絵画シリーズは、ニキを世界に知らしめた。
 1965年ころには、豊満な女性像「ナナ」シリーズを発表し、ひとつの開放的な女性の理想像を提示した。
 展示されている「ボンジュール マックス・エルンストより」は、シュルレアリストの芸術家マックス・エルンストが逝去した年に発表された版画集『ボンジュール マックス・エルンスト』に参加したものである。本作には、エルンストとパートナーであったドロテア・タニングが描かれている。「ナナ」としてのドロテアと、鳥の姿をしたエルンスト、そしてガラガラヘビ、サボテンなどが、エルンストたちが暮らしたアリゾナのピンク色の夕日を背景に描かれている。ニキは、自分自身の人生を通じて精神世界や神話、文化、政治への関心を、独自の芸術世界として展開した。
Photo_20241118055102  マックス・エルンストのパートナーたるドロテア・タニングによる「ボンジュール マックス・エルンストより」(1976)も展示されている。
 ドロテア・タニング(1910~2012)は、アメリカ合衆国イリノイ州に生まれたシュルレアリスムの画家・版画家・彫刻家・作家である。
 1936年ニューヨーク近代美術館で開催された、ダダとシュルレアリスムの展覧会に衝撃を受け、作品制作をはじめたという。その後、シカゴの美術学校に通ったものの、ほとんど独学で画業を成したという。
 1943年フランスからアメリカに亡命してきたマックス・エルンストと出会い、結婚し、マックスの最後の伴侶となった。
 マックス・エルンストの死去の年に編纂された版画集『ボンジュール マックス・エルンスト』に収録されたのがこの作品で、このなかには"I LOVE MAX"が組み込まれ、その感情が窺える。
 ただ、ドロテア・タニングは晩年、マックス・エルンストの妻という型にはめられることを嫌い「マックス・エルンストと過ごしたのは30年だが、それから私は36年も生きている」と語り、その後も豊かな制作を継続していった。
この作品での裸体のような部分は、同時期に制作していた布と綿による身体を模した作品と類似していて、ドロテア・タニング独自の表現である。

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