亀岡市散策(4)
大本教と丹波亀山城跡
明治22年(1889)廃城の遺構は、石垣なども含めて市町村に払い下げされ転売された。城跡はまったくの廃墟となった。
大正8年(1919年)新宗教「大本」の指導者出口王仁三郎は、管理されず荒廃していた本城を購入して、大規模な復元整備を開始した。「大本」の従来の拠点は綾部にあったが、豊岡出身の出口王仁三郎は、故郷の歴史的建造物跡を新しい拠点としたいと考えたのである。
大日本帝国政府は拡大を続ける大本に警戒を強め、昭和10年(1935)12月第二次大本事件で徹底的な弾圧を加えた。そして王仁三郎を拘束して、所有権を格安値で亀岡町に譲渡させた。裁判結審前にもかかわらず大本施設の破却が進められ、本城の破壊は清水組により昭和11年(1936)5月から1か月にわたった。神殿は1500発のダイナマイトで爆破され、象徴的な石は再利用できぬよう日本海に捨てられた。昭和12年(1937)に訪れた坂口安吾は『日本文化私観』のなかで、鉄条網で囲まれた城の様子を描いているという。
昭和20年(1945)裁判の無罪判決により、大本事件は全面解決し、本城の所有権は再び大本に渡り、信者の努力で再度再建が行われて、大本の聖地「天恩郷」として現在に至っている。
廃城となったときには、石垣でさえバラバラに崩されていたそうだが、信者たちの共同作業により石垣も積み直されて、現在その一部が残されている。石の一部には、刻印がなされたものもあり、近世城郭の考古学的資料として貴重なものがある。
また、かつての城の本丸への入り口の場所が同定され、そこには入口の木戸が再建されている。
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