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深谷散策 ─渋沢栄一関連を軸に(4)

渋沢栄一記念館
 カフェを出て、一般道を少し北に向かい45号線に入って西に向かう。新成交差点を過ぎて大塚交差点を右折して14号線に入り少し北上すると「渋沢栄一記念館」の案内標識があって、それにしたがって進むと渋沢栄一が名乗った号である「青淵」に因んだ緑地「青淵公園」に行き当たり、やがて渋沢栄一記念館に到着する。Photo_20241126055301
 渋沢栄一記念館は、この地深谷市八基(やつもと)の公民館と併設の形で1995年11月建設された立派な建物である。1階は渋沢栄一の生涯の歩みを丁寧に解説・展示している。
 渋沢栄一は、幕末の天保11年(1840)この地の血洗島村に穀物と野菜に加えて藍玉と養蚕を営む豪農の長男として生まれた。渋沢家は、製造のみならず買入・販売をも営んだので商業的な才覚に富み、栄一も若くして村を出て藍玉の目利き・買入、販売にかかわり、商いの基礎を学ぶ機会に恵まれた。当時の商業のさまざまな問題・課題を熟知していたことが、後にヨーロッパを訪れたときに、近代的・合理的な経済システムや諸制度を能動的に理解・導入する下地となり、さらに現実的な合理主義の意識形成につながった。
 父は漢籍の知識も有り、さらに従兄の尾高惇忠(おだかじゅんちゅう)は論語・四書五経・日本外史などに詳しく、これらの人たちから早くから多くを学ぶことができた。剣術も在郷の師範から神道無念流を学んだ。
 安政5年(1858)18歳のとき、尾高惇忠の妹で従妹にあたる尾高千代と結婚した。
 文久元年(1861)江戸に出て、北辰一刀流の千葉道場に入門、勤皇志士と知り合うと、尊王攘夷の思想に染まり、文久3年(1863)従兄弟の尾高惇忠や渋沢喜作たちと、高崎城を襲って占拠し、横浜外国人居留地を焼き討ちにするという計画を断行しようとした。しかしこのとき、尾高惇忠の弟長七郎の諫めを受け入れて断念した。
 しかしここまでの挙動から、親族への類が及ぶことを避けようと、勘当されたことにして喜作とともに京都に出た。折しも文久3年8月18日の政変があり、勤皇派は京都を追われ、立場を失った二人は、偶然の縁で一橋家家臣平岡平四郎の推挙を得て、当時朝議参与であった一橋慶喜に仕えることとなった。期せずして反幕府側から幕府側に転じたのであった。
 慶応2年(1866)12月、主君の慶喜が将軍になり、栄一も幕臣となった。その翌年、幕府はフランスのパリで開催される万国博覧会に参加・出展することとなり、栄一は渡航団代表徳川昭武に随行する御勘定定格陸軍付調役の肩書でフランスに行った。
 この外遊は、栄一に大きな刺激とチャンスを与え、外国語の学習、先進的な産業・諸制度の見分から多くを学んだ。この経験は、渋沢栄一の人生を大きく変えたようだ。
 帰国までにすでに大政奉還がなされ、徳川慶喜は駿府に謹慎していた。慶喜に面会のため静岡に赴いた栄一は、慶喜への報恩もあり静岡藩に出仕し、フランスで学んだ株式会社制度を実践した。商法会議所の設立も行った。
 明治2年(1869)10月、明治新政府から招請を受け、栄一は静岡から東京に移った。新政府の民部省改正掛長として、度量衡制定、国立銀行条例制定を進めた。明治4年(1871)から民部省が大蔵省に統合されると、通貨の改正、東京の都市計画など広範囲に活躍した。富岡製紙工場ができると、従兄の尾高惇忠を初代場長として事業立ち上げを託した。
 明治6年(1873)井上薫とともに大蔵省を退官した後、第一国立銀行を設立して総監役となった。さらに全国の国立銀行の設立・指導・支援を推進した。
 並行して、近代化を目指す明治時代に必須の洋紙の国産化のために、東京北部の王子に「抄紙会社」を設立し、これが現在の「王子ホールディングス(王子製紙)」につながっている。その地にも、東京ガス、廻米・生糸貿易、石川島平野造船所、印刷業、新聞、東京海上保険などの保険業、鉄道網の建設、倉庫・運輸業、煉瓦製造・電灯・電力、紡績業、セメント、など、広範囲の起業・育成に貢献した。
 産業方面の他にも、福祉・医療・教育・文化娯楽・国際交流・民間外交など、実に多彩に活躍した。
 私たちはさいわいNHK大河ドラマで概略を予備知識として持っているし、私は20年近く前だが東京都北区飛鳥山のもうひとつの渋沢栄一記念館を訪れたことがあるので、おどろくような新情報はなかった。

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