「わたしのいる場所─みるわたし」兵庫県立美術館コレクション展(5)
3.女性と身体
ここでは、作家にとってもっとも身近な「自画像」を中心に展示されている。
最初に自画像ではないが、尊敬する人の追悼を表わしたケーテ・コルヴッツ「カール・リープクネヒト追悼」(1919)がある。
ケーテ・シュミット・コルヴィッツ( Käthe Schmidt Kollwitz, 1867~1945)は、ドイツの版画家、彫刻家である。ケーテ・コルヴッツは、東プロイセンのケーニヒスブルクに左官屋の親方の子として生まれた。幼少期から仕事場の職人から銅版画を学んだ。ベルリンに絵の勉強に出ると、ベルリン分離派の画家・版画家から感化された。学業を終えて、ミュンヘンに移り、フランス印象派から影響を得た。
1891年ケーニヒスブルクに戻ると、自画像に取り組み、生涯描き続けた。貧民街に出かけ、マルクス主義にも近づいた。そのひとつの作品がこの「カール・リープクネヒト追悼」(1919)である。ドイツ共産党を創設し、射殺されたリープクネヒトを描いた。彼女は彼について書いている。
ひとりの芸術家に、まして女性の芸術家にこの気ちがいじみて複雑化した状況の勝手がわかるはずがない。私は芸術家として、あらゆるものから感情の内容を引出し、心に刻み込み、外に向かって差し出す権利を持っている。だから労働者とリープクネヒトとの別れを表現する権利があり、しかもその際には、政治的にリープクネヒトを追及せずに、それを労働者に捧げる権利がたしかにあるのだ(1920年10月の日記)。
同じケーテ・コルヴッツの「犠牲」(1922)がある。
これは木版の連作「戦争」の7点のシリーズのひとつである。目を閉じて自ら幼い子供を捧げる母親の姿は、この8年前に第一次世界大戦で次男のペーターを戦死で失ったケーテ・コルヴッツ自身の姿である。シリーズ「戦争」の冒頭に置かれたこの作品は、1931年魯迅が中国に初めて紹介したことで知られていて、後の中国や日本における木版画運動に大きな影響を与えた。魯鈍は、この作品について、以下のように述べている。
この画集によって、実際に世界の多くの場所で、まだまだ辱められ虐げられた多くの人々がいること、彼らが私たちと同じ友であること、しかもその人々のために苦しみ、叫び、闘っている芸術家もまたいることがわかる。(飯倉照平「魯迅にとっての1930年代上海」より)。
« 「わたしのいる場所─みるわたし」兵庫県立美術館コレクション展(4) | トップページ | 「わたしのいる場所─みるわたし」兵庫県立美術館コレクション展(6) »
« 「わたしのいる場所─みるわたし」兵庫県立美術館コレクション展(4) | トップページ | 「わたしのいる場所─みるわたし」兵庫県立美術館コレクション展(6) »
コメント