「わたしのいる場所─みるわたし」兵庫県立美術館コレクション展(1)
兵庫県立美術館の所蔵作品の作家のうち女性作家は約100名で、これは全体作家数の1割を占めるという。この「わたしのいる場所─みるわたし」と題する今回のコレクション展では、女性作家約60名による絵画、写真、立体作品を「生活」「私の身体」「風景」「素材」「歴史・物語」「反復と拡大」という6つのキーワードをもとに紹介している。日本ではじめて女性の教官として油彩の技術を教育した工部美術学校卒業生の神中糸子(1860-1943)から最年少作家の谷原菜摘子(1989- )まで、世代を超えた作品で構成する。
合計120点余りの多様な出品のなかから、私が印象に残ったと思ったものについて、簡単にまとめておく。
1.特別展示
冒頭に、特別展示として、わが国でほとんど最初に女性を油彩で描いた本多錦吉郎「羽衣天女」明治23年(1890)が展示されている。
本多錦吉郎(ほんだ きんきちろう)は、幕末期の嘉永3年(1851)広島藩士の長男として広島藩江戸屋敷で生まれた。広島藩校で最新の洋式兵学を学び、慶應義塾で英語を学び、明治新政府の工部省計量司の測量学校に学んだエリート学生であった。その時のイギリス人測量教師から画才を見出されたという。
明治7年(1874)イギリス留学から帰国した洋画家国沢新九郎に師事して本格的に 洋画を学ぶとともに、持ち前の英語力を生かして国沢が持ち帰ったイギリス絵画の技法書を翻訳し、講義し、また出版した。明治10年(1877)ころから週刊新聞「団団珍聞」に風刺漫画を描いたりもしていた。
明治22年(1889)岡倉天心、フェノロサたちが日本美術の革新運動を活発化して洋画を排斥した東京美術学校を設立するなど、わが国の洋画にとって厳しい時期に入った。そんななか、明治23年(1890)第3回内国勧業博覧会に、しばらくぶりに洋画の出展が認められて、展示したのがこの「羽衣天女」であった。羽衣も羽根も敢えて両方併せ持つ天女が誇り高く描かれているのも、時勢に対する本多錦吉郎の意地なのかも知れない。
ふたつ目の特別展示は、桜井忠剛「壺と花」明治33年(1900)である。
桜井忠剛(さくらい ただたか、慶応3年1867~昭和19年1944)は、尼崎藩主の弟であった松平忠顕の子として生まれ、勝海舟の側近など公務の傍ら洋画家として活動した。後には初代尼崎市長を勤めた。本多錦吉郎から少し若い世代の、わが国初期の洋画家である。
この静物画は、一見なんでもないものに思えるが、よく見ると画家の社会的環境を反映していることが感じられる。壺は直に置かれるのではなく敷台に置かれている。傍らにある植物の種類がコデマリや撫子である。壺は文様のない青白磁のものである。すなわちしかるべき人によって、これから活けられ床の間などに飾られようとしているのだと思われる。
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