深谷散策 ─渋沢栄一関連を軸に(9)
あかね通り
次の訪問先は、渋沢栄一らによって設立されたレンガ工場「日本煉瓦製造株式会社」の史跡である。14号線を少し南下して、大寄小学校の横を左折して、国道11号線中山道に並行して東西に走る道に入る。唐沢川を渡り少し行くと「あかね通り」という遊歩道に行き当たる。この道は、ヒトが歩行するラインと自転車が通行できるラインとの2つに分けられ、両脇に並木のある個所も多く、ある程度整備された道となっている。
「日本煉瓦製造株式会社」のレンガ工場は、利根川の支流小山川に近接しており、明治21年(1888)の操業開始から、製造された煉瓦は舟運により小山川から利根川へ、そして江戸川に入り東京に至るというルートをとっていた。
しかしやがて輸送力向上を目的として明治28年(1895)日本鉄道の深谷駅から工場までの約4.2kmにわたって、日本初の製品輸送専用鉄道が敷かれた。この専用鉄道が開業した4年後、舟運による輸送は廃止された。専用列車は、大正時代ころは1日に3往復が運行していた。
しかし、大正12年(1923)関東大震災によって建築物の煉瓦構造の脆弱性が指摘されたこと、日本煉瓦製造株式会社が秩父セメント(後の太平洋セメントの一部)を設立してセメント製造業に進出したこと、などによって煉瓦の出荷量が減少した。さらに鉄道による貨物輸送の衰退も相まって専用鉄道は存在意義が減少していった。
ついに昭和47年(1972)から休止扱いとなり、昭和50年(1975)3月に全線の廃止が決定し、翌年3月に線路用地が深谷市に譲渡された。
その後線路が撤去され、歩行者と自転車が通れる遊歩道「あかね通り」となっているのである。
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