深谷散策 ─渋沢栄一関連を軸に(7)
尾高惇忠生家
旧・渋沢邸「中の家」と諏訪神社がある血洗島から14号線下手計交差点を目指して東方向に行く。下手計交差点の少し手前の北側に尾高惇忠生家がある。
尾高惇忠は、渋沢栄一の10年年長の従兄であり、天保元年(1830)この家に生まれた。この家を建てて住み始めたのは惇忠の曽祖父尾高磯五郎であった。「油屋(あぶらや)」の屋号で呼ばれ、この地の有力な豪農でかつ商人であった。
磯五郎の3代後の惇忠は、尾高勝五郎保孝の長男であった。惇忠は、栄一の妻となった千代の兄であり、栄一の見立て養子となった平九郎の兄でもあった。また富岡製糸場長を勤めていた惇忠の依頼・指示により富岡製糸場の伝習工女第一号となった、惇忠の長女ゆうがいた。これらのひとびとがみなこの家で生まれ、成長した。
また若き日の惇忠や栄一らが尊王攘夷運動に共鳴して、高崎城乗っ取り・横浜外国商館焼き討ちの謀議を行ったのもこの家の2階座敷であった。
この屋敷は、やはり典型的な豪農の屋敷であるが、天井が高く、畳は江戸畳よりひとまわり大きく、それぞれの部屋が大きく、商いの店頭としても便利なように、広く開いた2間続きの間口が特徴である。
煉瓦造りの大きな土蔵も特徴である。
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