貧困を救い得るのは身近な人間たる家族・コミュニティとアイデンティティーである
今年は年初から、アメリカでトランプ氏が大統領に復帰して大きな話題となっているが、トランプ政権の副大統領に就任したJ.D. Vanceが、10年ほど前、まだ政治にまったく従事していなかったころに自伝を出版していて、アメリカでベストセラーとなっていることを知り、読んでみることにした。
1.J.D. Vanceの生い立ちと親族
J.D. Vance(ジェームズ・デイヴィッド・ヴァンス)は、1984年アメリカ合衆国オハイオ州の、シンシナティとデイトンの間にある小さな町Middletownに誕生した。母は十代に妊娠して姉を生み、ジェームズの幼少期に離婚し、その後次々に何人もの男と一緒に暮らしては別れる不安定な生活であった。母は彼女なりに息子を愛したが、重度の薬物中毒に蝕まれて感情が不安定で、昼夜構わず大声で喚くことはしばしばであった。母との生活は安定せず、落ち着いた日常生活ができなかった。それでも幼いながらもジェームズは、次々に入れ替わる母の男たちと、できるだけ良い関係をつくろうと試みた。まだ少年のころ、憤って興奮した母に、突然無理やり車に乗せられ無理心中させられそうになった事件は、ジェームズの心に苦い思い出としてずっと残り、母との関係に暗い影を落とした。
ジェームズにとって、真に親らしい存在は、母の両親つまり母方の祖父母であった。
祖母は、12歳のとき侮辱しようとした男に対して銃殺を試み、すんでのところを止められた。信仰が深く思慮もあり、ジェームズに慈愛を惜しまなかったが、激しい性格の人であった。
祖父は、十代で妊娠した祖母をともなってケンタッキー州の小さな町Jacksonから、当時重工業地帯として繁栄していたオハイオ州Middletownに出てきたのであった。大企業たる製鉄会社アームコArmcoに勤務して、堅実な生活を獲得した。しかしやがてMiddletownは、大企業が相次いで撤退して「ラストベルト」と呼ばれる寂れた町に変貌していった。
祖父母が生まれたケンタッキー州Jacksonは、アパラチア山脈南西部のちいさな町で、Hillbilly(山の田舎者)と呼ばれるScots-Irishの移民の子孫が多数集まっている地域である。全般に教育水準は低く、頑固で荒々しい白人貧民層とみなされている。祖父も、実直でよく働いたが、アルコール中毒で祖母との喧嘩が絶えず、その荒れた生活が娘たるジェームズの母にも影響したと祖父母は考え、責任を感じていた。
祖父母は、孫のジェームズに惜しみなく深い愛情を注ぎ、さまざまな面から彼を助けたり導いたりしたことが、いくつも具体的に記述されている。ジェームズは、祖父母のいたケンタッキー州Jacksonこそが、自分の心の故郷だと言う。
喧騒と不安の絶えない少年期を経て、ジェームズは地元のMiddletown Highschoolに進んだ。落ち着いて勉学に励む環境にはなく、遅刻や欠席も多く、落第に近い成績となるなど、なんども学生生活中断の危機があったが、なんとか乗り越えた。このころ、祖父母のアドバイスにより地元のスーパーマーケットでレジのアルバイトをした。そこで、貧しい人たちは生鮮食料品より加工済みの惣菜を買い、また赤ん坊には粉ミルクを買うが、それに対して金銭的に余裕のある人たちは自炊するので生鮮食料品を買い、また母乳で育てるらしく粉ミルクを買わない、という著しい違いがあることを観察した。貧しい人たちは、たいていフードスタンプ(貧困層のための政府の食糧支援制度)で商品を買うが、ジャンクフードの消費が目立って多いことも知った。これら白人貧困層の人たちと貧困層でない人たちとの間に、生活、習慣、感覚の大きな違いをはっきり知り、考え込むようになった。
高校を卒業して大学に進学したいと思ったが、学費も生活費も生活環境も到底それが許されるような状況にはなかった。祖父も従軍経験があり、自分も愛国心があったので、とくに希望が強かったわけではなかったが海兵隊に入隊することにした。
ジェームズは、海兵隊での4年間に、厳しい訓練とイラクへの戦場派遣を経験した。
イラク従軍中に戦場で、引っ込み思案のイラク人の男の子にふと遭遇した。2セントの消しゴムをわたしてやると、男の子はそれを「意気揚々と掲げながら、家族のもとへ走っていった」。ジェームズは「私はそれまでずっと、世の中に対して恨みを抱いていた。しかしその男の子と遭遇して、自分がどれだけ幸運なのかを実感した。誰かが消しゴムをくれたら、にっこり笑う、そんな人間になろうとこの瞬間に誓った」と述懐している。
彼は4年間の海兵隊での経験で、体力の向上と健康維持に必要なことをしっかり学ぶとともに、みずから努力して目標を達成したことで自信を獲得した。かろうじて金銭的目処も得て、オハイオ州立大学に進学することができた。彼の親族の中では、はじめての大学進学者となった。
また、在学中にアルバイトとして共和党上院議員Bob Schulerのもとで働く機会があった。ジェームズは政治家としてのBob Schulerを信頼・尊敬し、それまでの政治家と政治に対する見方が、がらりと変わったと述懐している。この本を書いた時点では、ジェームズはまだ政治に直接関係する仕事には就いていなかったようなので、この経験が後の上院議員、副大統領というキャリアに直接つながったのではないようだが、結果的には遠因だったのかも知れない。
海兵隊の経験を経てかなりの自信を持つようになったジェームズは、優等生の評価を得て飛び級でオハイオ州立大学を卒業した。
そして全米で最高峰のイエール大学ロースクールに入学を認められた。学費はとても高額であったが、ここにはきわめて行き届いた奨学金制度があって、その点では問題なく学ぶチャンスを得た。しかしジェームズは、イエールではこれまで経験しなかった大きなストレスを経験した。イエールで学ぶ学生は、学力が最高レベルであるのみならず、出自の環境がジェームズとはまったく違うのである。ジェームズは、おそらく経済的最下層からのほとんど唯一の学生であった。学問を学ぶという面ではついて行けても、生活習慣、価値観などで大きな違和感を持ちながらの学生生活であつた。
しかし、良い先生たちとのめぐり逢いがあった。彼にこの自伝を書くことを推奨してくれた指導教官エイミー・チュア教授がそのひとりである。また、後に妻となる素晴らしい恋人、同級生だったウシャ・チルクリUsha Bala Chilukuriとの運命的な出会いがあった。こうして結果的には大成功の学生生活を送ることができた。
かなり壮絶な半生であったが、ともかく成功といえる結果を得たのだ。この本を書いた時点は、まだ上院議員になる以前であったので、主要なことは以上である。
2.Hillbillyと白人貧困層
J.D. Vanceの出自はHillbillyである。Hillbillyは、17世紀以降19世紀までにわたって、アイルランド北東部のUlster地方からアメリカに移民してきたScots-Irish(スコッチ・アイリッシュ)と呼ばれる人たちである。そのうち、アパラチア山脈南西部のケンタッキー州近辺にかなりの人たちが集住して、それがHillbillyと呼ばれるようになったのである。
Hillbillyは、彼らの伝統的特徴を自覚し、誇りをもってそれを維持している。キリスト教の敬虔な信者であり、政治的には保守的で、家族を愛し、コミュニティを尊重し、世界でもっとも強力なアメリカの国民であることに誇りを持ち、愛国心が強い。ハードワークに耐え、頑固に努力する。
しかしその反面で、大部分の人たちが高度な教育を受けておらず、貧困であり、離婚が異常なまでに多い。
ハードワークの尊重をエトスとすると唱えつつ、現実には実行できないこともあり、アルコール依存あるいは薬物依存が蔓延しているという現実がある。J.D. Vanceの認識としては、アメリカに住んでいる黒人、ヒスパニックなどのいわゆる被差別層を上回るほどに、貧困層の比率が高い。それにもかかわらず、自分がHillbillyであるとのアイデンティティーの意識は強く、そのプライドはとても高い。
アメリカには黒人などの非差別階層などに限らず、根強くこのような貧困層が存在する。それに対して、広範囲にわたるフードスタンプなどの政府による大規模の支援制度が存在しているが、そのような経済的措置は、大きな恩恵を与える半面で、Welfare Queenウエルフェア・クイーンなどとも呼ばれる「福祉依存」に陥って自立への意欲を喪失してしまう慢性的貧困層も現実に多数存在している。救済のための制度が、実は貧困層を定着させてしまう現実があるのだ。
J.D. Vanceは、結局ヒトを救うことはヒトにしかできない、と断言する。彼自身の場合は、祖父母こそがかけがえのない救済者であった。彼が経済的なことも含めあらゆる困難に遭遇したとき、祖父母がさまざまな形で彼を救済してくれた、とジェームズはなんども述べている。
救済する主体が存在できるのは、家族(ここでは血縁者・親族・同居者などを含む広義の家族をいう)、共同体などの濃密な人間関係の存在と機能の結果である。それを支えるものとして、宗教も慣習も重要な貢献をする。これらはアイデンティティーに支えられているので、けっしてアメリカ人一般に及ぶようなものではない。J.D. Vanceの場合は、Hillbillyであり、それはHillbillyの外の人びとには無縁である。それでもHillbillyの人びとにとっては、Hillbillyのアイデンティティーこそが、なにものにも代えがたく重要だとするのである。
3.私の感想とコメント
この本はJ.D. Vanceの自伝なので、当然さまざまな事象が綿々と綴られていて、その内容は多岐にわたる。そのなかで私が注目したのは、J.D. Vanceが貧困で崩壊した家庭環境の当事者として成長したこと、そこから彼がいかにして脱し得たのか、そしてその彼が社会や政治をどのようにとらえているのか、である。
アメリカの貧困層の存在については、ルポルタージュでは堤美果『貧困大国アメリカ』のシリーズがあり、堤は権力を掌握する少数の政府・大企業・マスコミが結託して多数の民衆から収奪し、多数の貧困を発生していると糾弾している。この堤の論考に対しては、アメリカ国内でも日本でも、取材と考察に偏向があるとの指摘もあるが、アメリカ国内にかなりの数の貧困層が存在することは事実らしい。そういえば、貧困層の実像の一端を表わすものとして、クリントイーストウッドの映画『ミリオンダラー・ベイビー』があった。政府のフードスタンプに依存して自立する意欲を失い貧困から抜け出せない人たちが、主人公の家族として描かれていた。
経済学者の視点からは、半世紀前にJohn Kenneth Galbraith, ”The Nature of Mass Poverty”が、ガルブレイス自身のインド・アフリカ諸国での勤務経験から、貧困脱却の困難さの要因として、貧困者が生き延びるために貧困に順応してしまうことを指摘していた。ノーベル賞を受賞したAmartya Sen(アマルティア・セン)は、『貧困の克服 ―アジア発展の鍵は何か』で、貧困問題の解決のために、教育、医療、民主主義と人間の安全保障(Human Security)、弱者の救済、潜在能力(capability)の尊重と育成、市民的自由(権力からの自由)、寛容、などの要因が重要であると述べる。
これらはそれぞれ視点と考察が異なるものの、いずれも外部からの観察にもとづくものであり、客観的・普遍的真理を求めようとするものであり、結果として抽象的で、解決への有効な具体的アクションに乏しい。ただ、貧困はカネの不足が露呈しているものの、貧困問題はカネだけで解決できないことは縷々議論されている。
対してこのJ.D. Vanceの著作は、貧困の当事者による論考である点で、希少かつ貴重なものであり、非常に具体的な内容を持つ指摘および提案となっている。
J.D. Vanceは、政府や諸団体など外部からの貧困者への支援は、もちろん重要ではあるものの、決定的なものとは決してならない、と断言する。貧困な人間を救済できるのは結局人間しかなく、そのためには家族・コミュニティ(共同体)の人間関係に基づく愛情を基礎とする対応が必須で、それを支えるものが宗教であり、郷土愛であり、愛国心であり、その自覚がアイデンティティーとなる。それは、普遍的に誰でもが共有できる価値観に一致するとは限らない。
J.D. Vanceが言う通り、これらは当事者の属する生活の「文化」と言える。それはデイヴィッド・ランデス『強国論』(David.S.Landes, "The Wealth and Poverty of Nations")に述べられていた「経済的成功のための文化の重要性」に通ずるものである。
こうした「文化」を育成し維持するために、J.D. Vanceはいわゆる「保守」主義者となった。そういう観点からは、現在のとくにわが国の「そんなのは古い」「今はそんな時代ではない」「多様性がなにより大事だ」「西欧に比べてあまりに遅れている」「国連から改革を求められている」などの安易で軽薄な進歩派的なあるいはアンチ保守的な言葉の蔓延や風潮は、要注意である。一部のマスコミが煽る「保守=守旧的・頑迷」「保守=右翼」「保守=好戦的」などという馬鹿げた風潮に惑わされることなく、私たちの生活文化を冷静にみつめて、そのよりよい維持と育成に努め続けなければならない、と私は思う。
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