姫路城好古園(1)
姫路城に花見に出かけたとき、お城の一画にある大名庭園「好古園」を初めて訪れた。
1.好古園の名の由来と歴史
姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、姫路市制百周年を記念して建造された。姫路城を背景にした池泉回遊式の約1万坪の日本庭園で、文化財の保全と活用を兼ねた新しい文化施設として平成4年4月(1992)開園した。私は、半世紀以前の高校時代からすでに10回余り姫路城を訪れたが、この庭園は比較的新しい建物なのである。
整備に先立って7次にわたる姫路城西の丸の発掘調査が実施され、元和4年(1618)本多忠政が造営した西御屋敷や武家屋敷、通路跡などがほぼ正確に確認された。
姫路城西の丸一帯の豊かな原始林を借景とした庭園の計画・設計は、京都大学中村一教授の設計・監修によるものであり、確認された屋敷割や通路の地割を活かした9つの大小庭園群、およびアプローチ樹林帯、広場で構成している。
この「好古園」の名称については、竣工・開場に先んじて愛称を公募して選定した結果、江戸時代後期にこの城の城主となった酒井忠恭(さかい ただずみ)が、寛延2年(1749)前任地上野国厩橋城(まやばしじょう、場所は現在の前橋市)から移ってきたとき、厩橋城で経営していた藩校「考古堂」を姫路城内大名町東南総社門内の元藩会所跡に移設したことに因んでいる。
その後、好古堂は桜町大手門前南側を経て、天保13年(1842)酒井忠学により大手門西側(現在の好古園入ロ付近)に移転拡張された。
好古園入ロの扁額は、酒井藩校「好古堂」の督学(とくがく: 学校の監督責任者)であった松平孫三郎が後に開いた家塾において塾頭を勤めた結城義聞の子息で元東京大学教授結城令聞(ゆうきれいもん)氏の書である。
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2020年12月に全国通訳案内士の研修で姫路城の後に好古園を訪れました。他の方達と一緒で余り時間がなかったので、名前の由来や歴史までは理解できませんでしたが、ブログ管理人さんの記載により、理解することができました。コロナ禍で人が少なかったせいもあり、四阿の鷺望亭から姫路城がくっきりと見え、素晴らしかったです。紅葉も綺麗で姫路城と一緒に良い思い出となりました。今度は時間をかけてじっくりと見たいと思います。
投稿: 荒牧 秀夫 | 2025年5月30日 (金) 14時39分