パウル・クレー展 兵庫県立美術館(7)
第3章 破壊と希望
第一次世界大戦の破壊
クレーの画業に大きなインパクトを与えたチュニジア旅行から3か月ほど後の1914年8月、ヨーロッパは第一次世界大戦に突入した。夏の帰省でクレーはベルンに居て、当初は戦争の直接的な影響は免れたが、ロシア国籍のカンディンスキーは母国への帰国を余儀なくされ、ドイツ国籍のマッケとマルクは、「8月の体験」とも呼ばれる開戦直後の高揚感のなか自ら従軍した。青騎士のメンバーたちは、こうして開戦により瞬く間に散り散りとなった。
まもなく9月にはマッケが戦死した。クレーは戦場のマルクに宛てた手紙で、戦争の先には淡い期待しかないのにその代償はあまりにも大きい、と嘆いた。しかしマルクは信念を揺るがすことなく「この偉大な戦争はヨーロッパの内戦であり、ヨーロッパの精神の内側に潜む見えざる敵との戦いだ」と考えていた。そのマルクが1916年3月戦死すると、その知らせとほとんど同時にクレーも、父方の家系によりドイツ国籍であることによって徴兵を受け、ドイツ軍に従軍した。
戦争の先に希望を見ていた友人たちの死と、自らの従軍を経て、クレーは戦争に対する態度を複雑に変化させていった。「この戦争が今日のように恐怖に満ちていればいるほど、芸術は抽象的になる」とクレーは日記に記している。戦時中のクレーの作品は、戦争を直接・間接にテーマとしながら、抽象の度合いを増していった。その過程で、自作の作品の切断と再構成というショッキングな手法も採用された。クレーは、幸いにして戦争の前線に立つことはなかった。
「深刻な運命の前兆」(1914)は、身体の断片を思わせる不可解で不気味な形が画面に参戦し、重ねられたジグザグの線が戦争の暴力を連想させる。大きな間隔を空けて台紙に貼り付けられた2つの画面は、もともと1枚だった画面を切断して生じた断片であり、しかも本来とは上下の関係が逆転しているそうだ。自作を切断して再構成することで、クレーは戦争との距離を図ったのかも知れない。
第一次世界大戦直前のマルクの作品としてフランツ・マルク「冬のバイソン(赤いバイソン) 」(1913)が展示されている。 カンディンスキーと同様に、芸術に精神的な価値を求めていたマルクであったが、彼にとって抽象的な表現は選択肢のひとつに過ぎなかった。マルクは精神的な価値を、動物を通して世界を見ることで表現しようとした。この作品は、南チロル地方への旅行の直後に制作されたもので、背中を丸めて雪の上に座るバイソンが、幾何学的な形へと還元されている。その形は初期キュビスムを連想させるが、ここではむしろその形が周囲の雪や木々、さらに背景に連なる山々の形と呼応・調和している。ここでは動物たちが、その絶対的本質たる原初的な形において、自然の全体と調和しているのである。
戦時中のクレーは、文字と形象(イメージ)との間を横断するような表現を試み始めた。「日傘のあるヒエログリフ」(1917)では、古代エジプトのヒエログリフに関心が向けられた。ヒエログリフは、漢字と同様に表意文字に分類され、慣習性に基づいて音と意味を表現する。ただヒエログリフは、しばしばその起源たる形象を明瞭に引き継いでいて、少なくともそれを「読む」ことができない者に対して、それは文字でありながらも形象(イメージ)として振舞う。クレーは言語的な論理に代わる視覚的な論理を構築するために、ヒエログリフが鍵になると考えたのかも知れない。
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