パウル・クレー展 兵庫県立美術館(3)
第1章 詩と絵画
同志カンディンスキー
パウル・クレーは、社交的ではなく限られた友人たちとの交流のなかで過ごしたが、芸術家人生のなかでとりわけ親しくつきあったのがロシア出身の画家ヴァシリー・カンディンスキー(1866~1944)であった。カンディンスキーは、クレーより13歳年長の画家であり美術評論家であり、抽象絵画の創始者ともされる人物である。
カンディンスキーは、絵画を学ぶために1896年30歳でミュンヘンに来た。カンディンスキーは積極的に芸術家のグループを結成し、1911年12月フランツ・マルクらとともに「青騎士」をつくり、展覧会を開催した。その直前に、クレーはベルン時代からの友人ルイ・モワイエの紹介でカンディンスキーに会っていた。クレーは、カンディンスキーの印象を「彼は逸材だ。格別に明晰な頭脳を持っている」と日記に記していた。
カンディンスキーは、絵画においては色彩と形が本質的だと考え、その上で具象的な要素を取り除いた「純粋な絵画」を目指した。作品がもつ意味・内容よりも、表現それ自体を重視するカンディンスキーの考え方は、印象主義以降のモダニズムの全般的な傾向を受け継いだといえる。しかしクレーは、芸術家による詩的な創造力を重視して「すべての造形芸術は題名に由来する」と考え、彩色絵画よりも詩的な着想を表現するにふさわしいとして、モノクロで線描画の制作を続けていた。
1909年組織された「ミュンヘン新芸術家協会」が保守派とカンディンスキー・マルクの急進派の対立で分裂し、協会を退会したカンディンスキーとマルクが1911年末「青騎士」を結成したのだが、その「青騎士編集部による第1回展」をクレーは鑑賞し、さらに翌1912年の第2回展には17点の線描画を出品した。クレーは友人への手紙に「私の評判は大きくなっていくだろう。なぜならこの表現主義の地方的集団は、ドイツの中心とみなされているのだ」と書いている。
カンディンスキーのそのころの作品「黒い斑点「響き」より」(1912)が展示されている。「響き」とは、彼の詩画集のタイトルで、38編の自作の散文詩とともに56点の木版画が収められていた。
カンディンスキーの絵画は、青騎士の活動が開始される直前の1910年ころから抽象的な傾向を強めていった。
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