パウル・クレー展 兵庫県立美術館(8)
第3章 破壊と希望
反戦運動としてのダダイズム
永世中立国スイスのチューリッヒに1916年に集まった芸術家たちによる「ダダ」の活動は、第一次世界大戦と密接な関係がある。
ドイツの作家・詩人フーゴー・バルは、母国ドイツのベルギー侵攻を目の当りにして反戦運動を開始し、歌手・アーティストのエミー・ヘニングスとともにチューリッヒに移った。1916年2月、彼らはチューリッヒにキャバレー・ヴォルテールを開設した。そこにはトリスタン・ツァラ、マルセル・ヤンコ、ハンス・アルプ、リヒャルト・ヒュルゼンベックたちの芸術家・アーティストが集い、バルの主導のもとにダダが結成された。
ダダイストは戦争、制度、規範、ブルジョワ文化に反対した。このキャバレーで、彼らはヨーロッパを大戦の悲劇に導いた文化・社会・理性を全面的に否定するパフォーマンスを行った。ツァラは、同時進行詩としてドイツ語・英語・フランス語の互いに内容が無関係の3つの詩を同時並行に朗読して、単語を音に分解し、言語から意味を剥奪した音響詩とした。伝統の破壊という点で彼らの運動はイタリアの未来派にも通じるが、ダダイストたちは戦争とナショナリズムを明確に否定・拒否していたところが異なる。
ダダは美術にも活動を広げ、1917年春にはギャラリー・ダダを開設して、展覧会を開催した。カンディンスキーやクレーの作品も展示された。1917年7月雑誌『ダダ』第1号が発刊され「ギャラリー・ダダの狙いは、選び抜かれた際立った作品によってダダイズムの理解を広く得ること、そして交戦中の国々からやってくる芸術家たちにコミュニケーションの機会を提供することである。芸術は純粋で倫理的な効果をもつものなのだ」と書かれていた。
トリスタン・ツァラはダダの活動のために幅広い人脈を確保したいと、1916年11月従軍中のクレーに手紙を送り、クレーの作品をダダの展覧会のために貸してほしいと書いた。今回展示されている「都市の描写」(1915)は、そのひとつである。
これは当時のクレーの作品の中でもとくに抽象性の高い作品である。ダダイストたちは、従来の言語から意味を剥奪し、言語を新たに再編することで社会を変革しようとしていた。そのゆえに彼らはクレーの抽象的な作品に、自分たちの活動との共通性・共鳴性を見出したのであろう。
終戦後スイスへの短期間の逃亡を経てミュンヘンに戻ったクレーは、それまで直接に言及しなかった戦争に対して目を向け、その惨禍をいくつかの作品に描いた。そのひとつが「破壊された村」(1920)である。
十字架を頂く教会堂を真ん中にして、まわりに暗い窓の並ぶ傾いた建物が林立する。村には人影が見えず、灯火の消えた蝋燭がひとびとの営みの終焉を象徴するかのようである。空には不気味な太陽が昇っているが村を明るく照らすことはない。当時、激戦で著しい損傷を受けたフランス北部の町ヴィレ・ブルトヌーの光景は写真を通じて知られていた。クレーは戦争における破壊を、ここでは抽象化も神話化も無しに具体的に描いているのである。
クレーは第一次世界大戦がはじまった1914年から、近代的な兵器など機械的装置を図式的に描きはじめている。それは『ダダ』4・5号合併号に掲載された、フランシス・ピカビアの機械の線描画の刺激があったのかも知れないという。機械と人体を併せた作品のひとつが「淑女の私室でのひとこま」(1922)である。
この作品では、性的な連想を誘う有機的な形が横たわり、その両端には車輪をつけた奇妙な機械、アンテナのような装置、雌蕊を連想させる機械などが描かれている。機械が生命的な形態をとり始めていて、人体と機械の境界があいまいになる未来が予測されているかのようだ。
« パウル・クレー展 兵庫県立美術館(7) | トップページ | パウル・クレー展 兵庫県立美術館(9) »
「美術」カテゴリの記事
- 「アンチ・アクション」展 兵庫県立美術館(21)(2026.05.08)
- 「アンチ・アクション」展 兵庫県立美術館(20)(2026.05.07)
- 「アンチ・アクション」展 兵庫県立美術館(19)(2026.05.06)
- 「アンチ・アクション」展 兵庫県立美術館(18)(2026.05.05)
- 「アンチ・アクション」展 兵庫県立美術館(16)(2026.05.01)


コメント