スティグリッツ『資本主義と自由』
アメリカの資本主義の状況とその対策についての詳しい論考
まず著者ジョセフ・スティグリッツの論点を要約する。
1960年代からハイエクとフリードマンが「新自由主義」を唱え、現在に至るまでアメリカの経済システムの考え方の主流となっている。
それは経済活動は自由で効率的な競争的市場に任せさえすれば、市場が持つ合理的な競争原理によって自ずからあらゆることが最適化され、最大利益が達成される。政府は財産権の保証と契約の実施の担保のみに専念すれば、すべての経済活動はイノベーティヴにうまく機能して社会全体も潤う、というものであった。
しかしとくに2008年のリーマンショック以来の経済的混乱を経て、自由市場を過信する新自由主義にもとづく経済システムが、多くの欠陥を露呈した。
誰のものでもない自由でオープンな競争的市場というものは現実には存在せず、実際には富裕者が市場を支配し、不公正な取引が横行していた。新自由主義は「自由」を最重要視するが、市場に関わっている一部の企業や人びとが自由を確保すると、必ず自由を制限される人びとが発生した。利益は少数の人びとに独占され、損失は社会に共有される事態となっていった。その結果、ごく一部の企業やヒトが潤うことはあっても、社会全体が潤うことはなく、国民の経済格差が拡大した。
このように市場機能が失敗したのは、規制なく放置された市場は、公平で有効な競争的状況にはなく、さまざまな外部性が関わって不公正で搾取的になっていたからである。外部性とは、個人や企業の行動が市場を経ずにほかの経済主体の行動に影響を与えることである。
競争力の源泉たる研究開発には、市場に関係ない国家あるいはなんらかの公的な支援があるのが普通であり、その有無の間には不公平があった。参加する人びとの価値観、道徳観は多様で、独占や搾取が横行しても阻止できなかった。取引の前提となる契約は、公正・公平なもののみでなく、片務的・搾取的なものも多々存在した。市場に参加する企業や人びとも、新自由主義が謳う均一の道徳をわきまえたおなじような性向の持ち主ではなく、独りよがりの不道徳な者がいた。
これらの道徳的でない不公正な企業や人々の行動に対しては、市場機能の維持のために、それを阻止・管理できる政府の介入が必須であった。
経済は政治と切り離せないため、アメリカの政治まで新自由主義経済の影響を受けた。不公正な市場経済から生まれた富裕者と貧困者の格差の拡大は、社会の分断を引き起こして、アメリカ社会全体の不安定性をもたらしている。
スティグリッツは、そのような事態を改めて、自由で公正な社会をつくるために、今後は「進歩的資本主義」として、特定の企業や個人でなく社会全体の繁栄を目指すルールや規制を取り入れた、新自由主義を脱した新しい政治経済システムが必要だとする。それは、個人の自由が他者の自由に関与することを自覚し、道徳的立場を尊重して共有し、富の極端な偏在を認めず、経済に妥当な政府の介入を含む、「新しい社会民主主義的な社会」だとする。
以下、この本を読んでみて考えたことを記す。
これまでアメリカの経済活動のベースとなっていた新自由主義の実情についての詳しい分析があり、その問題点も分かり易く丁寧に解説されている。
2016年3月、時の首相安倍晋三は、数年前に民主党政権の末期2012年に国会を通過した「社会保障と税の一体改革」による消費税増税が、アベノミクスで改善中の景気に水を差すのを懸念して増税の継続的先送りのために、官邸大会議室にスティグリッツとポール・クルーグマンを招いて国際金融経済分析会合を実施した。
この論考のなかで述べられている「政治とはなにか」の文章は、適格で妥当だと思う。
政治の目的は、集団でなすべきことにかんする考え方に大きな違いがある世界を渡り歩いて行くことにある。そのためには、巧みな駆け引きが必要になる場合もあろう。ある領域では一方がおかしいと思われる判断、すくなくとも理想的でないと思われる判断を受け入れ、その見返りに別の領域では他方が、納得のいかない判断を受け入れ、全体として合意に至る。細部には不満が残ることもあろうが、全体的な結果には調和がある。その結果、最終的にはほぼ全員の合意さえ得られるかも知れない。こうした幅広い合意から生まれる社会的結束が利益をもたらすのだと、市民も理解する。
ただ、新自由主義がヒトラーやプーチンなどの権威主義的独裁を招来したとの説、また第二次世界大戦前後のフランクリン・ルーズベルトのニューディール政策を賞賛する、などについては、他の研究者の論考との相違もあり、私は賛同できない。
新自由主義者は共和党支持で、富裕になった企業や人が、政治まで牛耳って民主主義を踏みにじるとするが、ディジタル先端技術・産業などを発展させ代表的な富裕者も多いシリコンバレーは、ずっと民主党支持が多数派であり、大統領候補に対する金銭的支援でも目立っていた。直近大統領選挙時の民主党ハリス候補も、選挙運動費の獲得ではトランプ候補より優勢であったと朝日新聞は報じていた。富裕者が経済のみでなく政治までをも支配しているという仮説がどこまで正しいかは、私にはよくわからない。
また、スティグリッツが唱える「新しい社会民主主義」について、少なくとも相対的には、日本はアメリカよりもその傾向があると思う。日本は、さきの大戦の後、国家と経済の復興のために、政府、たとえば通商産業省などの政府機関が関与・指導しながら経済が発展してきた、という事実がある。現在に至っても、政府の経済政策への国民の期待は大きいし、中央銀行の金融政策も重視されている。現在の時点では、その限界も露呈しているのだが。
「新しい社会民主主義」という制度は、比較的小規模で、国民の均一性が高い、たとえばスウェーデンのような国では、ある程度実現性が見込めるかも知れない。少なくとも、日本でそれにいささかでも近い体制がかつてうまく機能した背景には、日本社会の同一性・均一性が貢献したと思う。その一方、とくにアメリカのように、人種問題を抱えた上に開放性が高く「不法移民」問題までかかえ、多様性・不均一性が大きく、良い意味でも悪い意味でも流動性の大きな国では、「新しい社会民主主義」を実現するのはかなり困難が想定されると思う。
« 日本美術の鉱脈展 中之島美術館(12) | トップページ | 石破の乱とこれからの自民党 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 海堂尊『蘭医繚乱』PHP、2024(2026.04.03)
- 東京大学「気候と社会連携研究機構」編『気候変動と社会』東京大学出版会(2026.02.26)
- プレディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は経済を語ろう』亜紀書房(2025.11.22)
- スティグリッツ『資本主義と自由』(2025.09.11)
- 藤井泰則『杉本伝』デザインエッグ(株)(2025.06.25)


コメント