プレディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は経済を語ろう』亜紀書房
国民に飯を食わせることに注力しないで何が民に寄り添うサヨクか、とは言うものの
ちょっと奇異な長い題名の本だが、サヨクにかんする論考として参考までに読んでみることとした。
まずこの本の内容についてかいつまんでまとめ、その後コメントを記す。
ヨーロッパ・アメリカ・日本の左派の状況についての認識
現状の世界の左派の問題の本質は、下部構造(経世済民たる経済)を忘れたこと、つまり経済の問題、すなわち「すべての民衆が飯を食えることを保障する」という根本課題を等閑視していることにある。
永らく日本が陥って多くの民衆が苦しんでいる不景気・デフレに対しては、反緊縮、財政出動による経済再生こそが必須なはずである。それは本来左派こそがやるべきだったのに、日本では安倍政権がやって、かなり成功してしまった。翻ってその前の民主党政権の場合、本来右派がやりがちなものであった緊縮財政政策を、左派(民主党)がやってしまうから国民の指示を得られなくなった。
財政出動に対しては、すぐ財源とプライマリーバランスが問題視されるが、財源はお金を刷って出せば済むのである。国は政府とは違いお金を発行する権限があり(緩和マネー)、返済する必要はない。財政均衡のための緊縮は、弊害のみなのである。
安倍政権が選挙に勝ち続けたのは、右派の思想が支持されたのではなく、本来左派がやるべきであった経済政策を実行したことを支持されただけである。安倍政権は、国民を救うことが目的でなく、安保法制・憲法改正のために経済政策をやったのであり、そのため途中から緊縮的な方向転換(消費増税)もあった。
著者たちが目指すこと
著者たち全員がマルキストあるいは社会主義者を宣言していて、「ヴァージョンアップしたレフト3.0」を目標としている。
「レフト1.0」はソ連・中国の中央集権的共産主義、「レフト1.5」は「レフト1.0」に対する反省から出た60~70年代の新左翼のことである。この間民衆側には活動主体の「労働者階級」→「学生」のシフトがあり、「レフト1.0」の上位下達への強い反感が顕れた。
「レフト2.0」では課題対象が、終わらない資本主義の豊かさの中での、消費社会論の枠組み(=下部構造軽視)とアイデンティティの問題にシフトし、貧困者の問題よりそれぞれ個人の在り方の問題へのシフトが起こり、脱階級的な「市民運動」が「新しい社会運動」として展開した。「もはや成長はいらない」というメンタルがひろがり、それはソ連崩壊後の90年代にピークを迎えた。
「レフト2.0急進派」はイスラムゲリラに連帯したり、武装蜂起したりした。「レフト2.0穏健派」は、レフトとも呼べない「第三の道」(ブレアなど)や日本の民主党政権などになった。政府官僚依存への忌避感から「大きな政府」には批判的となり、アナキズムに向かう者と、市場原理補完を目指す者とが出現したのである。
しかし、中間層の没落、不況の長期化が起こって、ほんとうに貧困な人々が出てきて豊かな社会とは言い難くなり、反成長主義、緊縮政策の問題が露呈した。マクロには、「下部構造=経済の軽視」が大きな問題であった。「働いて飯がちゃんと食える」ことこそが、なにより民衆にとって大事なのだ。「レフト2.0」は「豊かさの上に立った豊かさ批判」だった。
これから進むべき「レフト3.0」は、「大きな政府の復権」「労働者の階級的視点の復権」そしてなにより「経済の重視=脱緊縮主義」が基本となるべきである。
感想とコメント
社会主義者を自認する著者たちは、左派らしく懸命に自民党を批判する(したい)が、対案としての「レフト3.0」における具体的な政権運営のプランが、ほとんど不分明なままである。マルクスが晩年言ったと斎藤幸平氏もいう「市民参加の柔軟なアソシエーションによる政府」などの文言が出てくる。しかし政府は強力な権限を持って政策を推進するかわりに、政策実施の結果に対しては責任を問われるし、当然責任を負うべき存在である。著者たちは「アソシエーション」のみならず「自由なアナキスト」たちにまで期待するなどとするが、極端なアナキストでなくても、明確な組織を持たない市民(私はこの言葉のきちんとした定義を知らないが)のアソシエーションが政治を行うとき、どのようにして政治責任を担保するのだろう、と率直な疑問がぬぐえない。
また、経済学者松尾匡氏がいう「お金は国が刷れば済む」というのも、無責任かつ現実性がないと思う。少し前にアメリカ民主党のアレクサンドリア・オカシオ=コルテス議員が、「財政出動に必要な金の問題は、政府が札を刷れば済むこと」と発言していた。これももちろん大胆な発言だが、アメリカは日本と違って米ドルが世界貿易の基軸通貨であり、アメリカが発行する米ドルは世界中のだれもが欲しがるので、すべてがアメリカ内に滞留するわけでなく、貨幣増加の弊害がかなり抑制・遅延されるという特殊事情がある。
著者たちが指摘する、現状の左派が「経済を重視せず、緊縮財政に同調的」という点と、なにより「働いて飯が食えること」が民衆にとってなにより大切という点は、とても説得力のある主張であると思うが、その望ましいあるべき政治の実施方法については、説明が非常に脆弱であり、到底実現できそうにない。いかにも机上で考える学者、あるいは無責任な評論家の議論のように思えた。
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