東京都心歴史散策 偉人コース(10)
一橋徳川家屋敷跡
一ツ橋を渡ると丸紅本社ビルの前に「一橋徳川家屋敷跡」の碑と説明板が立っている。
日本橋川を渡る一ツ橋は、徳川家康が江戸城にはじめて入ったときには、すでに一本の丸太が橋として架けられていた。それがもとで「ひとつばし」と名づけられたという。その一ツ橋を渡って江戸城の内堀内に入るってすぐに「一橋門」があった。
その一橋門のすぐ下の地所を第8第将軍徳川吉宗から与えられて屋敷を構えたのが、一ツ橋宗尹(むねただ)であった。
将軍吉宗は、将軍家に世継ぎとなるべき子がないとき、将軍となるべき該当者を送りこめる家柄として、御三卿、すなわち田安家、一橋家、清水家を創設した。10万石の格式を持ち、直属の家臣団は持たず、将軍家の身内として待遇された。
元来同じ目的で特別な身内の大名として御三家があったが、御三卿ができてからは実質的に御三卿からのみ将軍が出ることとなり、幕末期には御三家水戸藩徳川斉昭は、息子慶喜を将軍にするために苦心して一橋家に養子に出したのであった。
一橋家の屋敷は広大で、この一角に加えて、気象庁・大手町合同庁舎などにまで及んでいた。





























最近のコメント