東京大学「気候と社会連携研究機構」編『気候変動と社会』東京大学出版会
IPCCの科学的予測には不確実性が残り、かつ彼らの事実認識には疑義がぬぐえない
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告は「科学的で疑う余地がない」というヒトがいる。その一方で、そのIPCCのメンバーでもある杉山大志は著書『データが語る気候変動問題のホントとウソ』においてIPCCの主張に多くの間違いがある、という。アメリカ民主党オバマ政権の科学分野のブレーンであった科学者スティーブン E. クーニンも著書『気候変動の真実』において、IPCCの主張は科学的というより多分に政治的で公平でない、と懐疑的である。この方面に特段の専門的知識がない私としては、それぞれの主張を虚心坦懐に読んでみて、できるだけ納得のいく理解を得たいと思い、このたびは、IPCCの立場を代弁すると思われる東京大学「気候と社会連携研究機構」の著書を読んだのであった。
①IPCCの論拠は科学的に正しいか
②IPCCが把握しているファクトは正しいか
③IPCCが主張する気候変動の事実と将来予測は正しいか
が主要なポイントである。
(1)IPCCの論拠は科学的に正しいか
これについては、主に第3章で述べられている。
温室効果ガス、そのなかでももっとも主要な二酸化炭素による気候温暖化は、多数の研究者の成果に基づくシミュレーションによって予測されている。気候温暖化のような「気候変化」は長期的な気候の変化、とくに重要とされる地球全体の表面の気温(全球平均気温)の変化を対象とするものであり、日々の短期的天気予報とは、考え方も基本的なアプローチも大きく異なる。二酸化炭素を放出して自然のバランスを崩すのは人間の生産活動であるから、人間がどの程度二酸化炭素を排出すれば、それがどの程度の全球平均気温の上昇をもたらすかを、科学的に精緻なシミュレーションで求めよう、というものである。
このシミュレーションは、環境の変化とそれに対する人間のアクションとでもたらされる結果を求めようとする。環境に対しては物理科学的なモデルを設定して「環境システム」を客観的に設定できるが、人間のアクション、すなわち社会経済的な変化、環境関連技術の進歩などは客観的に定義できないので、いくつかのシナリオを設定してそれらのシナリオごとに試算することになる。
さらに、「環境システム」たる自然はとても多様で複雑で、気候に関わっている自然現象がすべて把握できているわけではないので、我々の知り得ない自然の「内在的」な変動要因があり、これも当然シミュレーションの結果に不確定要素として入ってくる。
シミュレーションの有効性の評価のために、過去の事実をシミュレーションで再現することを行うが、上記の不確実性が免れないため、シミュレーションは直接ひとつの確定した結果をもたらすことはできなくて、直ちに過去の結果とは一致しない。しかし、あり得る範囲のできるだけ多くのケースを想定して複数のシミュレーションを行い、それらのなかから過去の事実に合う結果が得られれば、そのシミュレーションがある程度事実を把握したと考えることができる。
すなわち、確定的な結果を直接導くようなシミュレーションは存在せず、確率的・統計的に妥当な解を求めることができる、というのが現在の「科学的シミュレーション」なのである。
シミュレーションそのものは科学的に行われるが、シミュレーションによる結果が、決定論的でなく確率的な蓋然性である、という点は重要である。気候変動が起こらない、と断定することが間違いである一方、スウェーデンの元少女、あるいは多くのメデイアが叫ぶように、断定的・確信的に気候変動を理解するのもまた間違いなのである。
2021年ノーベル賞を受賞した真鍋淑郎氏の気候変化のシミュレーションは、1967年1次元モデルで、さらに1975年3次元大気海洋結合モデルで、二酸化炭素濃度を2倍に増すと、地表で2.3~3℃の温度上昇が発生するとの結果を得た。1967年1次元モデルで、地球大気の気温の鉛直分布が、二酸化炭素濃度の違いでどう変わるかを、大気放射の物理に即して計算した。計算のモデルには、プランク応答と水蒸気のフィードバックのみしか含まれず、あくまで限られた条件下の計算ではあるが、IPCCの最近の計算結果3℃、また産業革命から現在までの温度上昇実測値1.2℃に近い2.36℃の地表での気温上昇を算出した。この結果を今から半世紀も前に得ていたのは凄いことである。とりわけ二酸化炭素濃度が2倍になったとき、高度15キロの対流圏界面では気温が上にずれ=温暖化、より高い成層圏では下にずれる=寒冷化という応答を示した。この変化は、ずっと後になって観測データで確かめられた。複雑な気象問題を、鋭い洞察で思い切った簡略化により、未だ知られていなかった大気圏の気温の垂直分布をあきらかにしたのは画期的であった。真鍋淑郎氏は、現在のIPCCのシミュレーション、とくに気候変化の物理的モデルの原型を提示したので、その貢献は大きい。それでも、シミュレーションの全体には既述のような不確実性、結果の確率統計的性格は残っている。
(2)IPCCが把握しているファクト=気象観測事実は正しいか
これについては主に第4章で述べられている。
この本では、気候変化による多くの懸念事項・問題予測が示され、その一部、むしろ多くは「すでに明らかになった」として書かれている。
このファクトにかんする記述では、引用文献を見よ、ということらしいが、紙面のなかで具体的なデータの提示はほとんどない。この部分こそ杉山大志やクーニンが疑問視する、あるいは批判するところである。
唯一、当たり前ながら産業革命から現在までの全球平均気温上昇が1.2℃であることはこの本も杉山大志もクーニンも同じである。気温上昇が皆無とする論者はいない。問題は将来的にどの程度の温度上昇と考えるのか、そして気温上昇に伴うさまざまな弊害をどう考えるか、である。
平均気温の大きな上昇は、すでに世界的に認められているとこの本では言うが、杉山大志は都市部での気温上昇は二酸化炭素よりもヒートアイランド効果が2.8~3.2℃あることが主要因だという。
気温上昇による災害の激甚化もすでに世界的に認められている、とこの本では文章で述べられるが、杉山大志は公表データを数値で引用しながらその事実はない、とする。クーニンも同様である。
自然災害による損害についても、この本では経済被害も増加しているとデータなく文章で言うが、杉山大志は実績データを引用して、経済的被害の増加は物理的災害レベルそのものの激甚化ではなく、人間行動の経済成長が要因であり、当然のことである。一方で経済成長によって防災・救済能力が改善されるので、GDPで規格化するならば経済損失は減少しているという。
この本でも、大雨の増加や旱魃の増加などに定性的に言及しながら、一部にはその確信度を「可能性が高い」「確信度が低い」などと併記しているのは、シミュレーションによる予測が本質的に不確定要素を免れず、確率統計的なものとならざるを得ないことから、断定的ではなく蓋然性として示そうとする意思が顕れている。それは、部分的ながらこの本の善意の表明なのかも知れない。
いずれにしても、この本の最大の弱点は、このファクトの説明であり、主張をもっと説得性のあるものとするためには、少なくともここを数値データの引用を含む具体的なものとして欲しい。
また、この本では太陽光発電に対して、すでに十分コスト低減が達成され、普及も進んでいると数値データなく述べているが、これについても杉山大志の指摘のように現実から乖離している。現在発電コストが低いように見えるのは、発電能力が時間的に大きく変動して実用のためには他の発電と丁寧に組み合わせて平準化する必要があるが、不当なまでに高い価格で買い取らされ、発電の時間的平準化を他の発電機(多くは火力発電)と組み合わせて送電する既存の電力会社のお陰なのである。結局その追加コストは、電力の使用者たる我々国民が電力料金の値上げとして支払っているのだ。また、二酸化炭素削減効果も、発電電力平準化のための火力発電の二酸化炭素増加分をきちんと相殺すべきである。
さらに、太陽光発電パネルの老朽化時の廃棄も大問題である。体積・重量が大きくガラス、半導体、レアアースなど多様な材料が複合された太陽光パネルは、廃棄技術もその過程の費用も馬鹿にならない水準となるであろう。そういう範囲まで含めると、太陽光発電は実はとてもコストが高く、それは杉山大志の指摘の通りである。災害時にも光さえあれば発電が止まらないので、新たな感電被害の危険もある。製造はコストの事情から大部分が中国製であるが、杉山大志の指摘のように、人権問題を含むチベット地方の被抑圧貧民の安価な労働力を用い、かつ製造プラントごとに新設される石炭火力発電所による製造用エネルギーを必要とする、それだけでも問題の多い代物なのだ。そのうえ、太陽光発電のためにギガソーラーなど大規模太陽光パネルを設置するとき、たいてい広い面積の伐採・森林破壊が伴っている。これは二酸化炭素濃度増加に寄与するはずである。
環境保全のために二酸化炭素削減を目指すとするIPCCの、甚大な片手落ちの一部だと、杉山大志は指摘する。
私はほとんど情報を持たないが、時間的に変動する発電、大型の廃棄物の増加、広い面積にわたる二次弊害の増加などの問題は、この本(すなわちIPCC)が今後もっとも期待を寄せるもうひとつの再生可能エネルギーたる風力発電も、おそらく同様だろう。
気候変動の表現も、たとえば二酸化炭素の海水吸収による「海水の酸性化」という表現は、「科学的」というには誇張が過ぎると思う。産業革命時代から現在までにPHが8.2から8.1に変化したというが、それはアルカリ性の範囲であり「酸性化」は誇張表現のように思えるのは私だけだろうか。
これらの傾向をみると、クーニンが言うように、IPCCも科学者集団との触れ込みながら本性は政治的集団だから、そういう目でみないといけないのかも知れないとも思う。
(3)IPCCが主張する気候変動の事実と将来予測は正しいか
クーニンも杉山大志も、温暖化が一切ないとはしていない。ただ、クーニンも杉山大志も、せいぜい3℃程度のゆっくりした気候変化なら、人類もその他生物もほとんど問題なく順応するであろう、と言う。それは私もそのように推測する。
この本でも、将来の「激甚な気候変動」は世界の静穏な生活を破壊するかのごとく説いていて、しかもその責任を負わない先進国は倫理的に不正義だとするが、そこまで問題を展開するなら、その根拠たる「気候温暖化の根拠と予測」が、現状のようなせいぜい確率統計的な蓋然性だけでは、あまりに頼りない。二酸化炭素放出量をわずかに削減するためだけで、たとえば日本は今後10年間に150兆円を投入するという。私はそれだけの巨額投資に見合う意義のあるものだと確信できないのである。
私は、気候変化の問題に取り組んでいる研究者の真摯な努力と学問的な進展には敬意を惜しまないが、不確実性が本来的に在り、その決定論的ではない蓋然性の結果から「もしかしたらこうなるかも知れない」という問題に、理不尽なまでの巨額の費消を我々が負わされることには到底納得しかねる、というのが結論である。
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