東京都心歴史散策「幕臣コース」(8)
国産マッチ発祥の地
勝海舟居住の地から、そのまま道路を南に下ると、まもなく京葉道路の大きな通りに出る。この道路を200m余り東に行くと、道路の南側に都立両国高校がある。この学校敷地内の北側の鉄柵のすぐ裏に、道路に面して「国産マッチ発祥の地」の石碑が柵の間から見える。
日本で初めてマッチを本格的に生産したのは、旧加賀藩士の清水誠(弘化2年1845~明治32年1899)であった。
清水はフランス留学中にスウェーデン式安全マッチの製造法を学び、帰国後の明治8年(1875)三田四国町にあった、薩摩出身で大久保利通・西郷隆盛の親友で明治新政府官僚であった吉井友実の別邸でマッチ製造を開始した。
その翌年明治9年(1876)この地で「新燧社(しんすいしゃ)」を設立し、日本初のマッチ工場を建設して本格的な生産を始めた。
これは、国内各地にマッチ工場が広がるきっかけとなった。明治11年(1878)には上海への輸出も行われ、日本のマッチ産業は明治から昭和初期にかけて大きく発展し、わが国の重要な工業製品のひとつとして、日本の近代産業振興において重要な役割を果たした。
昭和61年(1986)清水誠顕彰会の努力により正確な工場跡地が特定され、都立両国高校の校庭内に「国産マッチ発祥の地」と刻まれた黒御影石の記念碑が建立された。碑には当時の新燧社のマッチ箱ラベルの意匠が描かれている。



































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