2023年七月大歌舞伎 松竹座
3月からほぼ4カ月ぶりに、大阪松竹座で「七月大歌舞伎」を観た。
今回は、夜の部に片岡仁左衛門が演じるのは最後となるだろうといわれている「俊寛」が予定されていたが、さすがに人気が高すぎて、私たちには昼の部しか切符が取れなかった。それでも内容はなかなか充実していた。
最初の演目は「吉例寿曽我 鶴ヶ岡石段・大磯曲輪外」である。
これは私には初見の演目である。鎌倉幕府の草創期、平重盛の家人から源頼朝の寵臣となった工藤祐経(くどうすけつね)がこの舞台の主役である。工藤祐経の家臣近江小藤太と八幡三郎が、主君たる工藤祐経の武運長久を祈るために夜中に鶴ヶ岡八幡宮に参詣にきていた。そのとき八幡三郎は近江小藤太に「見てもらいたい書がある」と持ち掛けた。それは謀反の密書であり、それを感づいた近江小藤太は「中身を見ないでとりあえず私に譲ってほしい」と返事した。八幡三郎は「ほしいなら譲らぬでもないが、まず私が中身を読んでからだ」と返す。これで二人は激しく刀を交わすことになった。大きな八幡宮の石段を舞台に、華やかな立ち回りが演じられる。近江小藤太を中村隼人が、八幡三郎を中村虎之介が演じる。若い伸び盛りの二人の機敏な立ち回りはなかなか美しい。舞台の石段も、ゆっくりせりあがって場面が交代するようなカラクリとなっていて、なかなか興味深い。
そのカラクリが幕間なくただちに舞台を大磯の曲輪へと変える。源頼朝の寵臣に成りあがっていた工藤祐経は、富士の巻狩りの総奉行を仰せつけられ、工藤の屋敷では大名や遊女大磯の虎などの取り巻きが祝いに駆け付けていた。そこへ朝比奈三郎が二人の若者を連れてくる。それはかつて工藤が討った河津三郎の忘れ形見、曽我十郎・五郎の兄弟であった。父を殺した相手に面会できたことを知った兄弟は、とくに血気盛んな曽我五郎が仇討ちを意識してはやるが、朝比奈がなだめ、工藤は巻狩りの身分証明書である狩場の切手を兄弟に与えて、双方再会を期して別れる。工藤祐経をはじめ、登場人物一同が、疑心暗鬼の探り合いとなり、「だんまり」と呼ばれる舞台となっている。工藤祐経を坂東弥十郎が、曽我十郎を片岡千之助、曽我五郎を市川染五郎が演じている。「だんまり」の舞台様式については、私にはよくわからなかった。
二番目の演目は、京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)で、竹本連中と長唄囃子連中の伴奏による舞踊の舞台である。私は、この演目を観るのはたしか2度目だと思う。
鐘供養のために所化(しょけ:修行僧)が集まる紀州の道成寺が舞台である。そこへ美しい地元の白拍子花子がやってくる。所化たちが訝しんで所用を訪ねると、なんとしても鐘を拝みたい、と。舞を奉納することを条件に白拍子に入場を許すと、白拍子は熱い恋心を込めて艶やかな踊りを披露するうちに、形相も衣装も変化し、最後には鐘に登って取りついてしまう。1時間近くにおよぶ壮麗でエネルギッシュな舞踊が、尾上菊之助によって披露された。ときには動きの速い踊りに加えて、伴奏にきっちり合わせながら自ら鼓や小太鼓を演奏する。まことに見事としか言いようがない素晴らしい舞踊であった。
最後の演目は「伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)沼津」である。
裕福な江戸の呉服商十兵衛は、縁あってある武士が敵討ちから逃れるために九州相良に落ち延びる手助けのために沼津まで来ていた。そこでひょんなことから貧しいが人柄の良い老人雲助平作から、駄賃仕事がないので荷物運びをさせて欲しいとせがまれ、荷物を運ばせる。ところが平作は老いぼれていて荷物運びの役に立たないばかりか、足を怪我してしまう。可哀そうに思った十兵衛は、偶然持ち合わせた評判の妙薬を印籠から出して施薬してやると、薬効てきめんに傷は癒えた。そのあと偶然平作の娘お米と行き合わせ、お米の美貌に惹かれた十兵衛は、平作・お米のあばら家に立ち寄り、一宿することになる。お米は、実は元吉原の「瀬川」と名乗った高名な花魁であったが、ある武士と結婚していて、その夫は鎌倉円覚寺で果し合いに敗れて負傷し療養していた。夫の回復のために「妙薬」を手に入れようとして十兵衛の印籠を盗もうとしたお米は、十兵衛に取り押さえられてしまうが、平助とともに平謝りして十兵衛から許しを得た。そんなこともあり、十兵衛は夜明け前であったが、すぐに平助の家を出て、千本松原に向かって旅立った。残された印籠に付随していた書付から、平助とお米は、実は十兵衛が平助の実子でありお米の兄であることを確信する。さらに、その印籠が、お米の夫に傷を負わせた武士のものらしいことをも発見した。十兵衛がその仇の消息を知っているかも知れないと感づいたお米は、平助とともに十兵衛を追った。
なんとか十兵衛に追いついて、仇の武士について聞き出そうとした平助は、律儀な十兵衛から断られ、とっさに十兵衛の脇差を引き抜いて自刃する。驚いた十兵衛は、近くにお米が潜んで聴き耳を立てていることを知りながら、死にゆく平助への言葉として仇の武士の消息を教えたのだった。
人情劇とはいえなんとも複雑なストーリーで、私には全容がすぐには把握できなかった。その複雑さの遠因として、この物語は、沼津に実際にあった仇討ち事件、しかも高名な荒木又右衛門にも関わる有名な事件を下敷きにしたものであるという。
呉服商十兵衛を中村扇雀、平作を中村鴈治郎、お米を片岡孝太郎がそれぞれ演じる。
回り舞台だけでなく、背景が目の前でするりと入れ替わる新しい舞台装置を導入し、場面の展開が迅速なことに驚いた。そのため、一幕の舞台ながら1時間半余りの、内容の濃い長丁場である。先述の石段のカラクリもそうだが、私が歌舞伎を観るようになったこの20年ほどの間にも、舞台装置も少しずつ変化・進化しているのだろう。
舞台に登場する役者も、確実に世代交代が進む。高名なベテランの役者を見慣れたひとには、若手役者に物足りなさを感じてしまうのかも知れないが、若手も確実に育っている。
今回は、休憩を2回含むが、全体で4時間以上にわたる長い公演で、ここ3年間余りのコロナ騒動で、開催されても全体で2時間から3時間弱と短かったのが、ようやくかつての公演なみに復活していて、その意味でも嬉しかった。
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