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文化・芸術

パリ・マグナム写真展 京都文化博物館

京都文化博物館に「パリ・マグナム写真展」を鑑賞した。
1952   パリ・マグナムという写真家集団は、ロバート・キャパが世界的に有名であるが、私はそのマグナムという名前だけしか知らなかった。展覧会の説明によると、さきの大戦後1947年にアンリ・カルティエ・ブレッソンを発起人として、ロバート・キャパ、ジョージ・ロジャー、デビッド・シーモアによって、写真家自身による写真家の権利と自由を守り主張することを目的としたグループとして発足したという。
  展覧会は5つのセッションから構成され、マグナム結成以前の作品群、復興の時代1945-1959、スウィンギング・シックスティーズ1960-1969、多様化の時代1970-1989、解体の時代1990-2017 として全131点が展示されている。
  さすがにプロの写真家だけあって、ほとんどの写真はとても美しい。ほとんどすべての写真は、時代の空気感を漂わせた環境条件を表す風景と、そのなかにさまざまな表情を表す人びとの姿との、ふたつの焦点で構成されている。1949_2
マグナムの写真家は、主に報道や出版で写真を通じて政治や社会を批判し、社会変革を訴えることを基本方針としている。さきの大戦については、フランスがドイツに占領されたヴィシー時代の報道写真、そして1944年8月25日のパリ開放とレジスタンスの雄姿などの写真が多数展示されている。しかし、フランスに直接縁のない私としては、フランス人はそもそもドイツに占領されるに至ったことを真剣に反省すべきであって、英雄的に解放を勝ち取ったということ自体は、実はさほど誇れるようなことではないのではないか、と思ってしまう。さらにこの一連の写真を眺めると、ひとごとではない、と感じる面もある。日本では民間会社1社の経営ミスによる損失額と同程度の国家GDPに過ぎない北朝鮮が核兵器をもって日本をはじめとする周辺国を暴力で脅かし、韓国の経済規模に満たないロシアが大量の核兵器・通常兵器を所有するがゆえに軍事大国としてシリア・ウクライナをはじめ世界中を荒し回っている。中東やヨーロッパではISのテロも深刻化している。そんな危険な時代・危険な国際環境のなか、わが国の一部メディアは「政府の疑惑」なるものをでっち上げ、倒閣さえすればあとの日本はどうなってもかまわない、と言わんばかりの行動を続け、国民も俳優の不倫や離婚騒動のテレビ報道に浸っている。1940年ころのフランスのように、日本も北朝鮮や中国に理不尽に侵略されてしまう可能性はないと断言できるのだろうか。
1996   2015年11月のパリ同時多発テロ事件についても、何枚かの写真がある。マグナムの主張によれば、フランスが移民を差別し貧困に陥れたことが原因である、という。振り返れば、私たちが若いころ「人種差別」というと、かならずアメリカの黒人差別が典型的な事例として取り上げられ、ヨーロッパの人びとはアメリカを痛烈に批難していた。「世界」をはじめ、そういう類の雑誌の記事がたくさんあった。いまでは、アラブや中東の難民を受け入れて世界中のメディアから賞賛を受けたフランスやドイツで、差別的処遇を受けて強い反発を感じた移民の一部が、ホームグローン・テロリストとして、このパリ同時多発テロをはじめとするさまざまなテロ行為を行っている。移民を受け入れても、移民を決して差別しない、と断言できる国など決して存在しないのが現実である。マグナムが理解し主張するほどには、現実世界は単純ではない。
  私は、すでに報道や出版の写真について、見方がかなり慎重かつ懐疑的になっている。ベトナム戦争のときも、写真家が「捏造」してピュリッツアー賞を取った報道写真が、世界中の世論を偏向的に煽ったことがあった。最近も、トルコ南西部の海岸で発見された3歳のクルド系シリア人の幼児の死体の写真が、世界中の人びとの関心を集めて、西欧諸国はもっと移民を積極的に受け入れるべきだ、さらに日本ももっと移民受け入れに積極的になるべきだ、との安易で無責任な世論を喚起した。写真は、表現力・影響力・伝搬力に優れるだけに、訴求力が強いきわめて有力なメディアの手段ではあるが、一方的な主張をもとに撮影され報道され伝達されると、まちがった場合に悪影響も甚大となる。
  いろいろなことを考えさせる展示会であった。
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2017年大阪松竹座「レビュー春のおどり」 

  大阪松竹座でOSKによる「レビュー春のおどり」を鑑賞した。
 OSKのこのような催しを観るのは、私にとっては初めてであった。ただ、3年前同じ松竹座で「道頓堀パラダイス」という演劇を観た。これはOSKが大正11年(1922) 創立されたときのエピソードを題材にしたものであった。そのとき舞美りらが出演していたが、今回も登場した。高世麻央、桐生麻耶などが主演クラスのようで、さすがの美声を聴かせてくれたが、私にはOSKの知識が乏しい。2017_osk_2
  前半は、「桜鏡〜夢幻義経譚〜(ゆめまぼろしよしつねものがたり)」という題で、源義経の誕生から死までの物語を、華やかな歌劇として上演している。歌舞伎や文楽で「義経千本桜」として構成される内容を、OSKに適合した舞踏レビューに仕立て直したものだという。義経の誕生、牛若丸時代の五條大橋での弁慶との出会い、屋島・壇の浦の合戦、静御前との出会い、そして奥州平泉で藤原氏のもとでの最期までを綴る。尾上菊之丞が作・演出・振付を担当している。華麗な服装で華やかな画面をつくり、よく訓練されたたしかな踊りで舞台を引き締めている。ストーリーが進むテンポもよく、あっと言う間に終演となった。
  後半は、「Brilliant Wave(ブリリアントウェーブ)~100年への鼓動~」という題の舞踏中心の舞台である。中村一徳作・演出だという。あと5年で創業100周年を迎えるOSKの、いわば前祝いのようなイメージで制作・演出をしたものだという。華やかなラインダンスもなかなか素晴らしかった。動きがきびきびと敏捷で、アイドル・グループと違って完成された舞踏と歌唱は、当然ながらさすがである。これも全体のテンポがよく、まったく退屈しない良い舞台であった。
  偶然の機会で鑑賞した舞台であったが、良い印象が残った。

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七月大歌舞伎 大阪松竹座新築開業二十周年記念興行

 京都南座が修築のため長らく休業しているので、歌舞伎を観る機会が減ってしまっている。しばらくぶりの歌舞伎を大阪松竹座で観た。1
 この度の目玉は、片岡仁左衛門主演の盟三五大切(かみかけて さんご たいせつ)である。盟三五大切は、四代目鶴屋南北作の歌舞伎世話物の狂言で、文政8年(1825)9月、江戸の中村座で初演されたと伝える。昭和51年(1976)国立劇場で復活上演された。『忠臣蔵』と『四谷怪談』を背景として融合し、鶴屋南北らしいグロテスクな見せ場と趣向を取り入れた通し狂言である。
 『忠臣蔵』の討ち入りでもっとも多くの敵を斬ったと伝えられる剣客不破数右衛門を主人公としている。彼が討ち入り前の潜伏の時期に、御用金百両を盗賊に盗まれるという失態を演じ、そのため主家を追われ、薩摩源五兵衛に身をやつし、失った百両の金策をする中、逆に船宿を営む三五郎(実は徳右衛門倅千太郎)に百両を騙し取られ、凄惨な殺人鬼と化してしまう。そのような源五兵衛が元の数右衛門に戻って、晴れて討ち入りするという物語である。
 武勇にすぐれながら芸者への恋慕に我を忘れ、ついに凶暴な罪を犯す。その一方で武士として、もと主君の恨みを晴らすため、艱難辛苦を堪えようともする。色恋、忠義、武士の誇りなどと、世間の人情との格差と軋轢と綾がこの物語の主題のようだ。それにしても、あまりに多数の人びとが簡単に殺され、これでもかというほどの残酷なシーンが続く。これが鶴屋南北ワールドなのだろう。ストーリーとしては、かなり理不尽さを残していて、鶴屋南北が武士社会に対してかなり批判的にとらえていたことが窺える。
 こういう一種の悪役を演じても、片岡仁左衛門は映えて美しい。役者仁左衛門は、悪役を好むのではないだろうか。三五郎を演じる市川染五郎も、源五兵衛の若党を演じる尾上松也も良い味を出していた。
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二月花形歌舞伎 大阪松竹座

  大阪松竹座で「二月花形歌舞伎」を鑑賞した。今回出演する役者たちはベテランがおらず、20歳代後半から30歳代前半の若手ばかりである。当然、円熟し完成された演技ではなく、発展途上の楽しみが中心となる。
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  最初の演目は「義経千本桜」である。これは人形浄瑠璃と歌舞伎で演じられる伝統的な演目のひとつで、初演は延享4年(1747) 大坂竹本座であったという。いわゆる源平合戦のあと、兄頼朝から排斥され都落ちした義経と、源平合戦で死んだとされていた一部の平家の武士が実は生き延びていて、再び義経と出合って絡み合うというものである。今回は「義経千本桜」から「渡海屋」と「大物浦」の二場である。
  「渡海屋」は、大物の渡海屋に宿泊して九州へ向かう船の風待ちをしている義経一行にかかわる。この渡海屋へ、義経を追って鎌倉から相模五郎と入江丹蔵という二人の武士が押しかけてきた。義経が九州に落ち延びたという噂を聞いて、それを追うために渡海屋の船を買い切り、すぐに船出したい、と。居合わせた渡海屋の女房お柳は、二階に先客が泊まっていてその一行が船出してからの後でなければ請け合えない、と断る。しかし相模五郎と入江丹蔵は聞かず、無理やり二階に押しあがって先客と談判するという。そこへ渡海屋の主人銀平が帰って来て、無理を強いる相模と入江を力づくで追い返す。その経緯を窺っていた義経は、渡海屋に感謝するとともに、船出を急ぐ。
  この渡海屋には、幼い少女お安がいた。実はこのお安は壇の浦の合戦で死んだはずの安徳天皇であり、宿の主銀平はやはり死んだはずの平知盛、女将お柳は安徳天皇の乳母典侍の局(すけのつぼね)であった。彼らは、平家の仇を討とうとして義経を待ち伏せしていたのであった。
  すでに船出した義経一行を、平知盛は手勢を連れて船で追いかける。典侍の局は正装して安徳天皇を抱き抱え、大物の浜に戦勝の知らせを待ちに出かける。
  「大物浦」の場では、典侍の局とその侍女たち、そして局に抱き抱えられた安徳天皇が、浜辺で戦勝の吉報を待つ。そこへ相模五郎が駆けつけてくる。じつは相模五郎と入江丹蔵は平知盛の部下で、義経を信用させるために狂言をしかけていたのであった。しかし相模五郎の報告では、平知盛軍は劣勢でいまにも敗戦しそうだ、と。浜から沖合を眺めると、平知盛の船の松明が相次いで消えていき、ついに船は海中に沈んでいった。今はここまで、と絶望した典侍の局は、安徳天皇を説得して、海底深くにある「天国の都」に行きましょう、と告げる。幼いながらも健気に納得する安徳天皇。それをみて声を上げて泣く局と侍女たち。
  そこへ戦いで深手を負った平知盛がよろめきながら登場する。そこへ義経と弁慶たちも来て、義経は安徳天皇を必ず守ると知盛に約束する。典侍の局は自刃し、平知盛は碇の綱を身体に巻き付けて碇を海に投げ込み、壮絶な死を遂げる。
  平家が滅びるのは、清盛が天皇の外戚にのし上がって権勢を誇ったことの祟りであり、義経は智略と武勇に優れている、といつもの判官贔屓はかわらない。それでも、この舞台では主役は平知盛である。
その銀平じつは平知盛を演ずる尾上松也がなかなかよい。まずまず長身で姿もよく、声がよく通ってセリフが聴きやすい。今後の成長が楽しみな若手である。歌昇の弁慶は、容貌は凛々しく動きも良いのだが身長が低いのが玉に疵である。
  つぎの演目は「三人形(みつにんぎょう)」である。若衆・奴・傾城の3つの木箱を開けると、なかから人形が現れ、それぞれに魂を得て動き出す。三味線の囃しに応じて、3人が揃って、また別々にと、舞踊を披露する。三人がほとんど同じ振り付けで揃って踊るとき、若衆は凛としなやかかつ力強く、奴は軽妙かつユーモアに、傾城は艶やかに女らしく、とそれぞれの個性を微妙に表現して動く。その微妙なニュアンスの違いこそが見せ場である。傾城を踊る新悟は、姿貌だけでなく動きがなかなか美しい。奴を踊る種之助も、いささか小柄だが奴としては適任でメリハリのある踊りを披露した。若衆を踊る梅枝もキレのある踊りをしていた。
  いずれも若手で、声が大きくよく響いて、キビキビとした動きで、若々しいエネルギーがある。若い歌舞伎俳優たちの将来性を感じることができたという意味で、今回の催しも良かったと思う。
  この日、3階席に多数の若い外国人たち、とくに女性たちがいた。入り口に「大阪大学留学生の歌舞伎鑑賞の集い」という特設入場コーナーがあった。若い外国人留学生たちに日本の伝統文化を紹介する、という試みのようだがなかなかすばらしいと思う。世界広しといえども、これだけ明るくてきれいな舞台美術も珍しいだろうし、豪華な衣装と徹底した様式美を導入した歌舞伎の演技もきっと印象深いものとなるだろう。休憩時間のひととき、3階のロビーは、外国人女学生たちであふれていて、いつもと少しちがう華やいだ雰囲気があった。
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大阪松竹座 壽初春大歌舞伎

  楽しみにしている歌舞伎だが、昨年から京都南座が修築工事となり、恒例の顔見世もなかったりして、少しご無沙汰の歌舞伎を大阪松竹座に楽しんだ。この度は中村橋之助あらため中村芝翫、その3人の子の新橋之助、福之助、歌之助の4人の一斉襲名披露を兼ねている。2017_2
 最初の演目は「吉例寿曽我」である。この演目は、正月を言祝ぐものとして延宝期(1670年代)から演じられているらしいが、河竹黙阿弥によって整理されて明治36年(1903) に上演されたものが現在の原型となっているとされる。通常は、巻狩りの総奉行を仰せつけられた源頼朝の重臣工藤祐経の屋敷で新年の祝賀行事の場に、小林朝比奈が曽我十郎・五郎兄弟の二人の青年を引き連れてきて、工藤祐経と彼を親の仇と狙う曽我兄弟とが出会う、というものである。今回の舞台では、工藤祐経本人は登場せず、所要のため来ることができない工藤祐経の代りに、その妻たる梛の葉(なぎのは)が登場し、曽我兄弟は、まだ少年の曽我箱王と曽我一万であり、また舞台は新春の屋外となっている。ここで今回襲名した新中村橋之助が小林朝比奈を、福之助が箱王を、歌之助が一万を、それぞれ演じている。初々しいがまだ声ができておらず、発展途上という感じである。それを梛の葉を演じる秀太郎が舞台を引締めている。
 二番目の演目は「梶原平三誉石切」である。鶴岡八幡宮に参詣に集った平家方武将の大庭三郎と弟の俣野五郎、そして梶原平三景時がいて、そこへ娘梢をともなった老人六郎太夫が訪れ、平家の武将大庭に向かって家宝の刀を300両で買い取ってほしいという。大庭は剣豪でかつ目利きとして高名な梶原平三に目利きを頼む。梶原はまちがいなく希有な名刀と判定するが、意地の悪い俣野が試し斬りをしないと真偽がわからないと主張し、とうとう「二つ胴」といって2人を重ねてその胴を一気に切断する、という方法が試されることになった。しかし試し斬りできる罪人はひとりしか都合できず、しかたなく六郎太夫が自ら試し斬りされることを志願する。試し斬りに臨んだ梶原景清は、二つ重ねの上の罪人の胴だけをまっぷたつに斬り、下の六郎太夫を救う。しかしこの結果に俣野・大庭兄弟は納得せず、刀の購入を断って去っていく。残った梶原景清は六郎太夫と梢に、300両が実は頼朝の再挙兵に必要な大切な軍資金であり、梢の許嫁は源氏の武将であることを聞き出す。梶原は、自分こそさきの石橋山合戦で平氏に敗れた頼朝を窮地から密かに救い出し逃がした張本人である、と告げる。そして、この刀はほんとうに希有な名刀である、と証明するために梶原は石の手水鉢をまっぷたつに斬る。梶原は、これから頼朝のために命を懸けて戦うつもりであり、この刀を300両で自分が買うと六郎太夫に告げる。梶原平蔵景時を中村芝翫、大庭三郎を雁治朗、俣野五郎を橋之助がそれぞれ演じている。
 最後の演目は、「恋飛脚大和往来新口村」である。これは一昨年ちがうキャストで上演を観たことがあり、ストーリーは知っていた。今回は、片岡仁左衛門が主人公の亀屋忠兵衛とその父の孫右衛門とをひとり二役で演じていた。こうして順に舞台が進むと、やはり仁左衛門の姿容貌と清澄なその声がきわだつ。声がよく通るうえに発音がきわだって明瞭でありセリフがとても聴きやすい。もちろん動きも美しい。やはり歌舞伎の千両役者たることを改めて確認した。
 新春公演にふさわしく、舞台設定はとくに明るく美しいものが設営されている。中村橋之助・福之助・歌之助の三兄弟も、これから経験を積んで父親たる中村芝翫の域をめざすことになる。そして将来の目標としては片岡仁左衛門のような存在を目指してほしい。

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九月新派特別公演

  大阪松竹座に「九月新派特別公演」を観た。このたびは、市川月乃助の二代目喜多村緑郎襲名披露を兼ねた特別公演である。
  私は、今までテレビで新派劇の舞台の様子や、あるいは花柳章太郎や水谷八重子など新派の有名俳優をドラマなどを通じて見たことがあったが、こうして劇場で直接舞台を観るのは初めての経験である。Photo
  新派劇は、淵源を明治前期の壮士芝居に遡り、関西では川上音二郎が堺で「改良演劇」として「書生芝居」を旗揚げしたのが最初である、と伝える。「改良」とは、歌舞伎の旧派に対して「男女合同」をも意味していた。明治24年(1891) のことであるから、私の祖母が生れてまもなくのことであった。このあと、書生劇は自由民権運動に関わって成長し、活動拠点は東京と大阪の両方にあり、活動メンバーは離合集散を繰り返した。
  今回の襲名披露の「口上」でも述べられたが、大阪の新派の嚆矢は明治29年(1896)、川上一座を脱退した高田実らと京阪で活動していた喜多村緑郎が主要メンバーとなって「成美団」を結成したことであった。以降、尾崎紅葉「金色夜叉」、徳富蘆花「不如帰」、泉鏡花「滝の白糸」など、今日まで新派の古典とされている演目を次々に上演して実績を蓄積していった。歌舞伎座でも興行し、また歌舞伎役者が新派の演目に出演することもあったという。歌舞伎を「旧劇」「旧派」と位置づけ、それに対する呼称として「新派」と呼び分ける習いも定着していった。私たち現代人にとっては古風な印象の「新派」も、当時は伝統演劇に対抗する前衛であった。
  新派は、大正時代末期になって伊井蓉峰・河合武雄・喜多村緑郎の「三頭目時代」となり、その一方では井上正夫一座が台頭し、花柳章太郎・大矢市次郎・柳永二郎らが成長した。やがて初代水谷八重子が新派に参加し、さらに川口松太郎が主要な台本作家として参加した。このあたりになると、ようやく私たちが幼いころ、あるいは若いころに名前を聞いたり、姿をテレビなどで観たりした人々が登場している。たとえばテレビドラマで観た柳永二郎の重厚な雰囲気は、鮮明に思い出すことができる。いまでは、二代目水谷八重子、波乃久里子、安井昌二、英太郎、紅貴代らが、新派を支えている。また歌舞伎界との交流も盛んで、五代目坂東玉三郎、十五代目片岡仁左衛門、先日亡くなった十八代目中村勘三郎らも新派の舞台に出演している。今回の新派の舞台でも、市川猿弥、市川春猿や、売り出し中の若手尾上松也などが出演している。歌舞伎のみならず他の劇団出身者とも交流し、それぞれの分野の著名な俳優たちがしばしば客演として参加している。
  今回襲名披露した二代目喜多村緑郎は、昭和44年(1969) 生れの47歳で、国立劇場歌舞伎俳優養成所の第九期修了生である。身長182センチメートルの長身が目立つ。彼は昭和63年(1988)から歌舞伎の舞台に立っていた。やがて澤瀉屋の四代目市川段四郎に入門し、市川段治郎を名乗った。平成6年(1994)には三代目市川猿之助の部屋子となり修業を続けた。そして今年平成28年(2016)1月 劇団新派へ入団し、今日に至るのである。
  演目の「婦系図」は、泉鏡花の有名な作品であり、新派劇の十八番でもある。ただ、明治時代の義理と人情のストーリーは、現在ではなかなか納得しがたいものが残る。当時の前衛であった新派劇でも、舞台のストーリーは、まだ江戸時代の封建的人間関係が濃厚に残っていたのかもしれない。まあしかし、水谷八重子や波乃久里子などのベテランにも支えられ、大柄で声の良い喜多村緑郎の良さを出した舞台であった。

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七月大歌舞伎 松竹座

  七月大歌舞伎を大阪・松竹座で家人とともに鑑賞した。今回は、女形のベテラン中村芝雀が雀右衛門を襲名するその口上がある、というのがひとつのトピックである。劇場について座席についてみると、この度はたまたま正面のかぶりつきに近い席で、持参したオペラグラスは、舞台の最後まで使用する機会がなかった。Photo
  最初の演目は、「鬼一法眼三略巻 菊畑」である。義経物で、主人公たる智恵内を橋之助が演じる。平治の乱で源義朝たち源氏がことごとく敗走し、平清盛の全盛期となったころの舞台設定である。源義経は、家臣の吉岡鬼三太(=智恵内)とともに、清盛の側近となっていた吉岡鬼一の屋敷に奴としてもぐり込んでいた。目的は、鬼一が所持する権威ある兵法書を鬼一から奪取って、味方の戦力を強化して平清盛を討つ、というものであった。そして実は鬼一と鬼三太とは実の兄弟であったが、鬼一はそれに気づいていないようだ。鬼一の美人の娘である皆鶴姫が、美形の奴虎吉として現れた義経に恋をしており、奴智恵内の手下として身をやつした義経に対して、智恵内が鬼一から義経を打てと命じられる勧進帳みたいな話や、皆鶴姫と虎吉の恋模様なども交えて、結局は皆鶴姫の支援を得て智恵内と虎吉すなわち義経が、首尾よく鬼一から兵法虎の巻を掠め取るというお話である。ここでも、橋之助の三枚目的な軽妙・洒脱な演技の魅力が十分に発揮されている。鬼一の歌六も重厚な演技であった。
  次に、いよいよ雀右衛門の襲名披露の「口上」である。口上の口火を切るのは坂田藤十郎である。84歳という高齢で、多少声に迫力がなくなったが、それでも口上の締めくくりなどの要所要所はきっちり決めるのはさすがである。片岡仁左衛門の兄片岡我當は、最近まで病気療養のため休業していたが、少し身体を労りながらもなんとか復帰して口上に参列していた。片岡仁左衛門は、いつものように艶やかな声で、ユーモラスに雀右衛門襲名を祝った。橋之助も、長らく親しく共演する役者のひとりとして明るく祝辞を述べた。最後に芝雀改め雀右衛門が、支援者・ファン・松竹株式会社関係者などへの感謝と、襲名の抱負を演説した。口上は、それぞれの役者の人間味が垣間見える時でもあり、そういう観点からなかなか興味深い。
  次の演目は「鳥辺山心中」である。半七捕物帳で有名な岡本綺堂の名作で、大正期初演の作品である。将軍上洛に随行して京に上ってきた旗本 菊地半九郎は、遊女に売られて座敷に出たばかりのお染に出会い、しばし二人きりの恋の時間を過ごしたものの、やがて江戸に帰る将軍にともなって京を去ることになる。突然の別れに嘆き悲しむお染を前にして、半九郎は家宝である名刀を売却してお染を揚げる決心をする。そんなとき、親友坂田市之助の、生真面目で放蕩を嫌う弟源三郎と、酒の上のいさかいを起こし、それがこじれて加茂川の河原での深夜の決闘となってしまう。そこで源三郎を切り殺した半九郎は、もはや侍として生きる道を失い、半九郎に同意したお染とともに、京の鳥辺山に心中の道行をする、というお話である。今回公演の主役たる雀右衛門がヒロインお染を演じ、相手役を片岡仁左衛門が勤める。立ち居振る舞いの姿が美しく声に艶がある仁左衛門の演技は、いつもながらすばらしい。ごく近くで鑑賞したためか、二十歳まえの娘お染の演技は多少つらいものの、雀右衛門の円熟した演技も心地よい。
 最後の演目は「芋堀長者」である。明治・大正時代の劇評論家・作家であった岡村柿紅の作である。藤五郎は芋堀を生業とする百姓だが、あるとき村の高名な長者である松ケ枝家の一人娘緑御前を見て一目惚れする。そしてその緑御前が婿選びのため踊りのコンペをするという。踊りはまったく嗜みがない藤五郎だが、親友の治六郎が踊りが上手で、しかも藤五郎になり代わって踊ってやると提案する。緑御前に会いたい一心で、藤五郎は下男と偽った治六郎をともなって松ケ枝家に乗り込んだ。そこにはすでに踊りの達人で素性も藤五郎よりはるかに優れた競争相手の若者が二人いた。順番に踊りを披露して藤五郎の番になった。裾に隠れて、お面を被りうまく治六郎と入れ代わって踊りを見せたものの、踊りを気に入った緑御前は「お面をとって、お顔を見せて踊ってほしい」という。結局、藤五郎は自ら、踊りにならない「芋堀」のしぐさを披露する。思いがけずこれが緑御前のお気に入りとなり、めでたく藤五郎は長者松ケ枝家の婿となる、というハッピーエンドのお話である。主人公の藤五郎を橋之助が演じて、いつものように軽妙でコミカルな演技で魅了する。この日は、雀右衛門の襲名披露公演だが、舞台は橋之助ワールドであった。

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加藤美緒子ピアノリサイタル 兵庫県立芸術文化センター

  阪急電車西宮北口駅前の兵庫県立芸術文化センター内の神戸女学院小ホールで「加藤美緒子ピアノリサイタル」を鑑賞した。加藤美緒子氏は、長年勤務した愛知県立芸術大学を退任するにあたり、名古屋で昨年秋、退任記念のリサイタルを行ったが、故郷の関西において、このたび出身中学校同窓生の支援を得て、西宮で再度開催することになったという。
  加藤美緒子氏は、1964年大阪市立東中学校を卒業し、東京芸術大学附属高校、東京芸術大学を経て、渡欧してベルリン芸術大学ピアノ科を卒業、ローマ・ロンドンで研鑽を積んで世界各地で演奏活動を行い、1983年から愛知県立芸術大学音楽学部で教鞭をとってこられた。家人とは中学校の同窓生であり、この度のリサイタル会場には40名以上の大阪市立東中学校同窓生が参加していたという。
  最初の曲目は、W.A.モーツアルトの「デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 KV573」であった。フランスの名チェリストであったデュポールが作曲したメヌエットをもとに、モーツアルトが6つの変奏曲をつくり、モーツアルト没後出版された楽譜では9つの変奏になっていた、といういささかミステリアスなエピソードがある。伸びやかで美しい曲だが、素人の私は注意して聴いたつもりでも5~6つの変奏しか分別できなかった。
2番めは、やはりモーツアルトの「幻想曲 ニ短調KV397」である。この曲も、3つの部分からなるうちモーツアルトが完成したのは最初の2つで、第3部はモーツアルトの没後、ライプツィヒのトーマス教会楽長であったA.E.ミュラーがモーツアルトに対する敬意をこめて作曲したと伝える。おとなしく寂しい部分と、最後に向けて盛り上がる明るく快活な部分とのコントラストが印象的である。
  3番めは、M.ラヴェル「夜のガスパール」全3曲である。ラヴェルといえば、クラシック音楽に疎い私でも「ボレロ」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」、「マ・メール・ロワ」、「クープランの墓」などが思い浮かぶ有名な作曲家だが、私には「夜のガスパール」ははじめて聴く作品であった。夭折したフランスの幻想詩人アロイジウス・ベルトランの散文詩集「夜のガスパール」から3篇を選び出し、その詩からインスピレーションを得てラヴェルが作曲したという。ラヴェルは、この詩のグロテスクで幻想的な印象に強く感動したと伝える。
  第1曲は、人間の女性を愛したいという男に絶望して悩み悲しむ水の精オンディーヌが主人公である。静かで哀しげな曲相である。
  第2曲は、絞首台がテーマである。ゆっくりと不気味で怨念を含んだようなトーンが繰り返し奏でられる。
  第3曲は、真夜中に眠る人々の部屋を訪れて襲う地獄の妖精スカルポが主人公である。おどろおどろしい感じの部分もある。
  ラヴェルは、作曲当時難曲の代表とされていたバラキエフ「イスラメイ」よりもっと難しい曲を書くぞ、と友人に言っていたと伝える。それだけあって、演奏者は速いテンポで鍵盤上を左右に素早く両手を走らせ、なんどもなんども両腕を交叉させたり、両手を重ねるように近接したりして鍵盤を操作する。素人の私にも、みるからに難しそうな鍵盤操作である。ラヴェルはしっとりした美しい楽曲をつくる、という印象だったが、こんなに複雑で技巧的な曲をもつくっていたことに、改めて感じ入った。

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  休憩をはさんだ4番目は、F.ショパンの夜想曲 変ニ短調 作品27-2である。「ノクターン」としてよく知られる曲で、音楽に詳しくない私でさえなんども聴いたことがあるなじみ深い曲である。短い曲だが、すっかり楽しんだ。
  最後はおなじF.ショパンのソナタ 第3番 ロ短調 作品58である。ショパンが三十歳台なかばの壮年期に、ドイツの伝統様式にもとづいて作曲し、オルレアン公フィリップの側近であったド・ベルチュイ伯爵の夫人エミリに献呈した大曲である。4つの楽章からなるが、それぞれに緩急・強弱が変遷し、どっしりとした感じの演奏であった。
  終演ののち、大きな拍手が鳴りやまず、2回もアンコールに応えた。最後の曲は、E.エルガー「朝の挨拶」であった。
  加藤さんは私と同じ年齢だが、現役の演奏家の迫力はさすがである。私は工学技術者として生きてきたが、その経験から見ると、加藤さんのようなピアノ演奏家という職業は、とても大変な厳しい生業であると思う。スポーツ選手や将棋や碁の騎士もそうだが、専門家として目指す道がとても狭く限られていて、ほとんど逃げ道がない。それに較べるとまだエンジニアの生業は、研究・開発・製造・マーケッティング・企画・営業、などなどアプローチの仕方にヴァラエティーがあって、どこかで躓いてもなんとかカバーできる選択肢が多い。そういう意味で、加藤さんのようなひとつの楽器の演奏一筋という専門家には、敬意を禁じ得ない。
  ピアノは音域も音量のダイナミックレンジも、あらゆる楽器のうちでも最高レベルであり、たった一台の楽器であっても名手にかかると、ひとりオーケストラのような広がりと迫力のある演奏ができる。この度も、そういう躍動感と醍醐味を十分楽しませていただいた。

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2016年 高槻ジャズストリート 二日目

  ジャズストリートの二日目である。昨日と打って変わって雲一つないというべきまさに快晴の一日であった。
  昼過ぎからひとりで出かけて、せっかくの快晴なので屋外ステージから歩きまわることにした。まずは桃園小学校のFM COCOLOのステージである。DJ クリスがプロデュース・MCを勤める高槻ジャズストリート名物の舞台である。

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  この場所で最初から観ることができたのは、Jesse Forest とヴォーカル 東かおる の舞台であった。リーダーのJesse Forestは、日本に滞在するアメリカ人音楽家で、グループが演奏する楽曲の作曲をしていて、今回のステージはすべて彼の作曲による新曲ばかりだという。全体にしっとりしたおとなしい曲相のものが多いようだ。ヴォーカルの東かおるは、丁寧な、好感をもてる歌唱だと思った。
  FM COCOLOステージのあと、市役所に隣接する生涯学習センター会場に入ろうとしたが、満員で入場すらできなかった。それで少し歩いて、市民グランド野球場の会場に立ち寄った。ここでは埼玉からジャンク フジヤマのグループが来ていて、演奏の最中であった。ヴォーカルのフジヤマは、ずんぐりした体躯でよく響きわたる歌声であった。屋外のステージは、この季節どうしても太陽光が強くなっていて少し暑いが、入場制限がないのが大きな利点である。大勢の聴衆が、フジヤマの要請とリードに応えて、ウェーブをしたり手拍子をしたりして盛り上がっている。

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 この会場を後にして、現代劇場の大・中のホールおよびレセプションルームを訪れたが、いずれも超満員で簡単に入場できそうになかった。しかたなく、街中のバーや飲食店の会場に入って、ビールでも飲んで高槻の店を知る機会にしようかと歩いてみたが、これらもいずれも満員ということであった。そういうわけで仕方なく、駅前の総合市民交流センターのクロスパル高槻の会場に行った。ここも入場の前に少し列をつくって待たされたが、ほどなくして途中退場者がでて、中に立ち見として入ることができた。演奏途中であったセッションがまもなく終わりいくばくかの退場者が出て、幸いに座席を得ることができた。

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ここで最初から聴くことができたのが エコリング という一風変わった名前のグループであった。このグループ名は、ヴォーカルの小柳(オヤナギ)エリコ の名前からとって名付けたということで、高槻ジャズストリートの第5回目から今回の第15回まで、連続で参加しているそうである。小柳エリコ自身が高槻出身で、高槻ジャズストリートにはさまざまな思い入れや想い出があるという。この人の歌声はなかなか声量もあり、表現も豊かで、とてもよかった。思いがけずよい演奏にめぐり合えた。Photo_4
  このあと、ふたたび市街部のバーをトライしたら、幸い Sotie という小さな会場で座席の空きがみつかった。ここで黒ビールを飲みながら、1メートル以内最前列真正面のかぶりつきの座席で、ギターとトランペットのデュオ 新井・田中ラッパとギターデュオ の演奏を聴くことができた。たったふたり、しかもトランペットとギターという組み合わせでちゃんと音楽になるのだろうか、と素人の私としては懸念をもったが、とくにトランペットの演奏がなかなかすばらしく、ごく狭い空間で濃密な演奏を楽しむことができた。
  日常では落ち着いた印象のクラシック音楽をごくごく小さな音量でBGMとして流しっぱなしにするのみ、ごくたまにクラシックの演奏会に出かける程度の、音楽に対しては気ままで横着なファンだが、こうして恒例の祭りではジャズなどもそれなりに楽しむことができる。ありがたいことである。

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2016年 高槻ジャズストリート

 今年も高槻ジャズストリートの季節となった。東京から帰省している娘と一緒に、高槻の街を満たしている音楽を求めて、散策した。

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  最初は日本たばこ産業株式会社(JT)の生命科学研究所会場に立ち寄った。ちょうど舞台に登っていたのは、三重県で活動しているというアマチュアのフュージョンバンド「Lo-Fi」というグループで、サキソフォン、キーボード、リードギター、ベースギター、ドラムの5人構成である。高槻ジャズストリートには、今年が初参加だという。仕事の合間に5人が集まるというのは、40~50歳のメンバーたちにとっては、仕事の都合、健康状態の問題などさまざまな問題があって、現実にはなかなか大変だという。それでもアマチュアらしく、演奏できる喜びが現れた楽しい演奏であった。アマチュアというが、サックスはとてもキレのよい演奏で、キーボードもしっかりしていて、よくひきしまったよい演奏を聴かせてもらった。

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  つぎは、JRの駅を越えて阪急電車の駅に行く途中のアメリカン・レストラン「URGE」の会場に入った。去年の夏ころに新設開店したアメリカ料理の店で、店の建物は大きくてきれいが、最近客入がいささか少ないようで、営業の継続を心配していた。さすがに今日はぎっしり聴衆が入り、きれいな店内を満喫できた。Comfortという名の、アルトサックス・テナーサックス・ギター・ベースギター・ドラムの5人構成のバンドである。関西弁で明るく陽気に話しかける人たちで、演奏はプロらしくしっかりしていた。ラスト・ナンバーはさっきのJT会場で聴いたのと同じ「スペイン」であった。ジャズ・メンはこの楽曲を好む人が多いらしい。

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  3つめは、阪急高槻駅前噴水広場の野外演奏に立ち寄った。「The Antidote」という名のギター・キーボード・ベース・ドラムの4人のバンドである。このころからだいぶ雲行きがあやしくなって、天気予報の雨が近づいたことがひしひしと感じられるようになったので、1曲だけ聴いてつぎの会場に急いだ。

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  4つめは、阪急高槻駅コンコース会場である。「Applejack」という5人組である。ギター・サックス・キーボード、ベース、ドラムで構成する。途中から聴いたが、休みなしに30分余りを演奏していたようだ。駅構内のコンコースというオープンな会場で、当然雑踏にまぎれての演奏である。しかし演奏はとてもすばらしく、大音量でありながら清澄で、とてもキレのよい気持ちよい音であった。この会場でこんな音楽を聴けるとは、とても想像していなかったので感動した。
  この日は、天候悪化を恐れて早々に帰宅したが、思いの外充実した鑑賞ができたと思った。

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