2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
フォト
無料ブログはココログ

文化・芸術

「ショパン─200年の肖像」展 兵庫県立美術館 (1)

 兵庫県立美術館で、日本-ポーランド国交樹立100周年記念として開催された「ショパン ─200年の肖像」展を、家人とともに鑑賞した。展示会場はいつもと少し違う場所であった。絵画など美術そのものでないものをも含むものの、総展示品数は200を超えて、鑑賞にはずいぶん時間を要した。


誕生から少年期
 フレデリク・ショパンは、1810年ポーランド国ワルシャワから50キロメートルほど西にあったジェラゾヴァ・ヴォラという町に、ポーランド人の母と、フランス北東部のロレーヌから16歳でポーランドに移住してきたフランス人の父との二人目の子として生まれた。父ニコラ・ショパンは、ポーランドに移るとポーランド風に「ミコワイ」と名乗った。彼は貴族の屋敷に住み込んで高度な教育を受け、やがてポーランド貴族の家庭教師や、学校の教師として生計を建てた。完璧なフランス語を話すフランス人であったが、ポーランド移住の後はポーランドにすっかり入り込み、1794年のコシチュシュコの蜂起では、ワルシャワの市民兵として戦いに加わった。彼は、自分のことをポーランド人として疑うことがなかったという。これは子のフレデリク・ショパンにも、大きな影響を与えたはずである。Photo_20200211060401
 父ミコワイは、貴族のスカルベク家で家庭教師をしていたとき、スカルベク家の遠い親戚である一家が逼塞してこの屋敷に身を寄せていたユスティナ・クシジャノフスカと出会い、1806年結婚した。1810年フレデリクが生まれて7か月のとき、父がワルシャワ学院のフランス語教師に転任したことで、一家はワルシャワに移転した。
 母ユスティナはピアノに秀で、父ミコワイはフルートとヴァイオリンが堪能であった。そんな音楽的環境のなかで、フレデリクは6歳ころから天賦の音楽的才能を認められ、7歳から公開演奏をはじめ、瞬く間に神童モーツァルトやベートーヴェンと比較されるほどになっていった。7歳のショパンは、すでにト短調と変ロ長調の2つの『ポロネーズ』を作曲した。11歳のとき、議会(セイム)の開会のためにワルシャワに来ていたロシア皇帝アレクサンドル1世の御前で演奏を披露した。12歳の時、シレジア出身の作曲家ユゼフ・エルスネルに出会い、16歳からワルシャワ音楽院で本格的な師弟関係が始まり、ショパンはエルスネルのもとで音楽理論・通奏低音・作曲を勉強した。エルスネルはショパンの通知表に「顕著な才能」そして「音楽の天才」と記し、またショパンの才能が開花するのに対して手を施すことはなく、ただ見守るだけだった。エルスネルはショパンを指導するにあたって「偏狭で、権威的、時代遅れな」規則で「押さえつける」ことを嫌い、若い才能を「彼自身の決めたやり方の通りに」成長させていくことにしたという。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

喜劇「なにわ夫婦八景」大阪松竹座

 大阪落語界の重鎮であった桂米朝の五年祭に因んで、桂米朝夫妻の伝記のような喜劇が大阪松竹座で上演された。
 米朝を筧利夫、妻絹子を真琴つばさがそれぞれ演じる。狂言まわし的な役回りの彼らの長男小米朝を元関ジャニ∞の内博貴、米朝の師匠であった四代目桂米團治を桂ざこば、絹子の母を三林京子、が演じている。Photo_20200209061901
 中国関東州大連に生まれ、幼少期に姫路に帰って育った米朝は、青年期に作家であり寄席文化の愛好家・研究家であった正岡容(いるる)と出会い、落語に深く魅せられるようになった。正岡から、衰退した大阪落語を再興せよ、と励まされ、大学を中退して、正岡と親しかった四代目桂米團治に師事して、米朝は落語を修行した。師匠の米團治は「落語家は米も何も作るわけでない、世間の御余りで生きている。芸人になった以上、食い詰めることは覚悟の前でなければならない。」と教えられた。
 米朝よりわずか1年の年少であった桑田絹子は、大店の跡取り娘であったが、芸能界に憧れてOSKに入団、戦前は舞台の脇にその他大勢のダンサーとして出演していたが、戦後は独自の歌劇団を率いて、活発に活動していた。
 この二人は、マツダ・ランプ主催の宴会で知り合い、意気投合して33歳ころ結婚に至る。当時としては、晩婚のほうだろう。以後絹子は、まだ無名であった米朝の最大の支援者となる。従来の落語家らしくなく、文学を深く学んで独自の芸風を培った米朝は、やがてそれまでの中高年層のみならず、若年層にまで人気を博する落語家として成長した。弟子も増え、その強烈な個性に振り回される米朝一家であったが、ひとりも破門を出さず、枝雀、ざこば、月亭可朝、桂吉朝など、多彩で有能な落語家を多数輩出した。そして平成7年(1995)落語会で二人目の「人間国宝」を綬章した。
 なんといっても妻絹子を演じる真琴つばさの演技がひかる。宝塚のトップスターだけあって、声量豊かで明瞭なセリフは心地よく、立ち居振る舞いも安心感がある。三林京子の堂々たる演技も良い。筧の米朝は熱演だが、少し関西弁に違和感を残す。演技でもストーリーでも、ざこばの米朝に対する深い尊敬が現れている。
 桂米朝は、私たちも何度か正月の大阪サンケイホールに「米朝独演会」を聴きに行ったことを思い出す。端正で知的な雰囲気の米朝は、たしかに落語家としては一風変わった印象の人であった。こうして米朝さんの伝記を垣間見ることができたのは、私にとってもしっかり感銘があった。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

NEVER COMPLETE 小畑健展

 大阪梅田大丸に、漫画家小畑健の個展を観た。
 私はマンガをほとんど読まないために、こんなに高名な小畑健すら、これまで知らなかった。
 展示全般にもっともインパクトが大きいのは、この漫画家の絵を描く能力の高さである。私は絵画も漫画も門外漢であり、偉そうに批評できる立場にないことを前提だが、この私でさえ小畑健が絵を描く力が卓越していることははっきりわかる。
 団塊世代の私が学生であったころ、とても下手、あるいはザツで汚い絵を売り物にする漫画家も何人かいて、その汚い粗雑な画風が当時のアナキーな風潮・雰囲気にむしろ適合したかのような時期があった。詩的な表現で売ったつげ義春も、作品としては魅力的だったが、絵が上手というわけではなかった。しかし半世紀以上が過ぎ去って、いまでは小畑健のような、一分のスキもないような完璧な絵で漫画を描く時代になったことを改めて観て、感動を覚えた。時間が経って、時代が変わった。漫画、恐るべし。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

「寿 初春大歌舞伎」大阪松竹座

 今年の初春大歌舞伎を、家人とともに大阪松竹座で観た。午前の部で、11時開演、3時半終演である。Photo_20200117063401
 最初の演目は「お秀・清七 九十九折」である。原作は明治10年生まれの歌舞伎脚本家大森痴雪というから、明治・大正期の作品のようである。作品の背景は幕末の混乱期で、諸家御用達を勤める大店である木谷屋が、勤皇派に金を貸したことで武家から厳しく咎められるところを、木谷屋の主人に大恩を感じる腕利きの手代清七が罪を一身に背負って失踪した。その清七が5年後に木谷屋に帰ってみると、許嫁の木谷屋跡取娘お秀には、武家の姻戚から養子が来ており、主人から300両の手切れ金を受け取ることになった。落胆した清七は、偶然お秀とうり二つの芸者雛勇と出会い、雛勇の家に数日間滞在して泥酔するが、そこへ雛勇の男たる力蔵が現れ、清七の金を狙う、というお話し。最後は清七が力蔵と雛勇の二人を切り殺してしまう。清七を幸四郎、力蔵を愛之助、そしてお秀を壱太郎がそれぞれ演じている。金に翻弄される人間を描くが、やりきりない、救いのない物語である。
 ふたつ目の演目は、「大津絵道成寺 愛之助五変化」である。河竹黙阿弥の作で、大津絵の題材になる藤娘・鷹匠・座頭・船頭・鬼がつぎつぎに現れて、その5人の人物をひとりの役者が早変わりで演じ、常磐津で舞踏するものである。最初の口上では、新春の祝詞に加えて、今年2020年のトピックとして東京オリンピックが登場し、続いてスポンサーによる地元産業の広告宣伝口上が入り、お正月らしい華やかな雰囲気を醸し出している。愛之助もいまや看板を背負う歌舞伎役者となり、踊りも達者である。
 最後は、「艶容女舞衣 酒屋」である。元禄時代に実際にあった茜屋半七と島の内の遊女美濃屋三勝の心中事件を題材に、竹本三郎兵衛・豊竹応律が浄瑠璃として合作した作品で、安永元年(1772)大坂豊竹座で初演されたという。大坂で酒屋を営む茜屋半兵衛の息子半七は、お園という妻がありながらも家に寄り付かず、女舞の芸人三勝との間にお通という子どもまでもうけるが、三勝をめぐって名うての悪人今市善右衛門と諍い殺害してしまう。そんな半七だが、女房お園は半七を一途に愛する。お園を扇雀が、半七とお園の父宗岸を鴈次郎が、そして三勝は藤十郎の予定であったが体調不良で扇雀がお園と二役で演じていた。お園が半七を思って苦悶するシーンが山場なのだが、今回は謡の声がいささか不明瞭でよく聞き分けられず、私には場面がよく理解できなかった。
 率直な印象としては、ふたつ目の大津絵道成寺はお正月らしい華やかな舞台であったが、九十九折と艶容女舞衣酒屋は、いささか物語が暗くて、お正月の演目としてはふさわしくないように思った。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

京都南座顔見世興行 (下)

昼の部
 昼の部は、すべて一幕ものであったが、それぞれの舞台上演時間は長く、全体で途中休憩時間を含めてのべ5時間半の長丁場であった。
 最初の演目は、近松門左衛門作「輝虎配膳」である。越後の長尾輝虎は、仇敵甲斐武田家に仕える軍師山本勘助をなんとかして引き抜きたいと一策を案じ、勘助の妹唐衣が輝虎の家老直江山城守の妻となっているのを利用して、唐衣から勘助の母越路を呼び出し、手厚くもてなして息子勘助を自分の部下にしようと企てる。嫁たる勘助の妻お勝とともに来訪した老女越路は、輝虎の計略を察して、直江山城守が差し出す由緒ある衣も、主君長尾輝虎自らが給仕する配膳も冷たく拒否する。激怒した輝虎が越路に切りかかるのを、勘助の妻お勝が琴を奏でて諫め、ついに輝虎は越路を斬殺することを諦める、というお話しである。Photo_20191212065101
 実在の長尾景虎を輝虎に、直江兼続を直江山城守に、とそれぞれ名前を少しずつ変えてある。事件は、もちろん架空の作り話である。越路のきっぱりとした武士の女の立ち居振る舞い、激怒した輝虎が何枚もの白衣を脱いで片肌になる仕草、刀を振りかざす輝虎の前に琴を奏でつつ立ふさぐお勝の動作、などが見ものとなっている。輝虎を愛之助が、越路を秀太郎が、直江山城守を隼人が、それぞれ演じる。愛之助もいよいよ歌舞伎の中心的俳優になってきたという感じがする。
 二つめは、常磐津連中による「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」である。江戸時代の天明期に作られた作品で、豊臣秀吉を真柴久吉、石川五右衛門を浪速の次郎作と、それぞれ名前を変えて登場させている。お互いの素性を知らない同志の駕籠かき二人が、禿芸妓を駕籠に載せ、街道端でひと休みの間にそれぞれの体験を披露しあう、という舞踊劇である。舞台のはじめの方で、このたび中村梅丸から初代中村莟玉(かんぎょく)となった披露の挨拶があった。満7歳のとき中村梅玉に弟子入りし、師匠に認められて10歳から梅丸を名乗り、このたび23歳にして梅玉の養子となり初代中村莟玉を名乗ることになったのである。「莟」とは、未だ花びらを含み込んでいるつぼみの状態を表わす名詞で、つぼみ、あるいは花蕊(はなしべ)のことを意味する。女形として、若さもあって可憐で美しい有望株である。
 三つめは、「金閣寺」である。江戸時代中期の歌舞伎・浄瑠璃作者中邑阿契らが合作して、宝暦7年(1757)大阪・豊竹座で人形浄瑠璃として初演され、翌年歌舞伎化された伝統的な作品である。本名題は「祇園祭礼信仰記」という全5段の義太夫狂言で、「金閣寺」はその4段目である。文字通り金色に輝く豪華な装置が、大ゼリに乗って上下する仕掛けがひとつの特徴で、この大ゼリは江戸時代にも装置を工夫して実現していたらしい。時代は戦国時代末期、足利将軍家に対して謀反を企てた松永大膳は、将軍の生母慶寿院尼を誘拐して、金閣寺の上階に幽閉していた。松永大膳は、金閣寺の天井に龍の絵を描いてほしいという理由付けを用いて、画聖雪舟の孫娘たる美貌の画家雪姫をおびき出し、関係を迫った。しかし許嫁狩野之介直信をもつ雪姫ははっきりと断り、そのため桜の木に縛り付けられる。時は桜の散る花吹雪のなか、祖父の故事を思いだした雪姫が、涙と花びらで足でネズミを描くと、絵から飛び出したネズミが縄を食いちぎり、雪姫は脱出する。大膳のまわりには、他に真柴久吉(羽柴秀吉より)、佐藤正清(加藤清正より)などが入り込み、それらが結託して大膳の陰謀を滅ぼすというお話し。大膳を演じる鴈次郎は、このたびの顔見世でも大活躍で、悪役の首魁、慈悲深い殿様、そして滑稽な醜女まで、多彩な役柄を安心感ある充実した演技でこなしている。座ったきりでセリフもわずかだが、87歳の藤十郎が慶寿院尼として登場している。
Photo_20191212065201  最後は、仮名手本忠臣蔵から「祇園一力茶屋の場」である。前にも、同じ仁左衛門の大星由良助で観たが、今回は隼人(二代目中村錦之助の子、26歳)・橋之助(芝翫の子、23歳)・千之助(孝太郎の子、19歳)など、若手が多数出ている。
 私は、歌舞伎の鑑賞をしばしばするようになって未だ日が浅いので、あまり偉そうなことは言えないが、この歌舞伎の世界も徐々に世代交代が着実に進んでいることを感じる。
 昼の部の客席には、花街総覧として京の舞妓さんたちが花を添える。今回は、残念ながら人数は多くなかったけれど、それでも京都らしさと年末の季節感を感じることができた。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

 

京都南座顔見世興行 (上)

 今年も顔見世の時期になった。ほんとうに時の経つのは速い。南座が改修工事で長らく閉館し、ようやく再開したのが昨年の11月であった。それから早くも1年以上が経過したのである。せっかくの機会なので、夜と昼と、両方を2日にわたって観劇することとした。

2019


夜の部
 最初の演目は近松門左衛門の浄瑠璃作品から「堀川波の鼓」である。宝永4年(1707)の初演である。その前年に起きた、鳥取藩士が妻敵を討った実在の事件を脚色したものと伝えられている。『大経師昔暦』『鑓の権三重帷子』とともに、近松三大姦通物といわれる。Photo_20191210061501
 長らく江戸に勤務しなければならなかった武士小倉彦九郎は、久しぶりに帰ってみると、妻の不義密通のうわさが立っていた。彦九郎の妹までが不義者の係累として嫁ぎ先から離縁されるにおよび、妻おたねは進退窮まって夫の刀で果てる。実は酒乱のおたねは、鼓の師匠宮地源右衛門と深酒の過ちから密通していたのであった。
 彦九郎を片岡仁左衛門が、おたねを時蔵が、そして源右衛門を中村梅玉が、それぞれ演じる。いつの時代も酒は災いの元であった。しかし、おたねの心理と行動は、私たち現代人には少し理解しがたい面がある。
 二つめは、河竹黙阿弥の常磐津連中から「釣女」である。能狂言の「釣女」からとった舞踊劇で、明治34年(1901)初世市川猿之助(太郎冠者)、市川寿美蔵らにより初演された。大名と太郎冠者との男二人が、よい妻を得ようと恵比寿神社に参詣し、そのお告げによって両人は神がかりの釣竿でそれぞれ女を釣ることになる。大名には美しい上﨟が釣れたが、太郎冠者の糸には醜女がかかって閉口する、という単純なお話し。太郎冠者を愛之助が、大名を中村隼人が、そして美しい上臈を中村梅丸からこのたびと改名した中村莟玉(かんぎょく)が、それぞれ演じる。滑稽な風情と軽快で巧みな踊りがポイントで、愛之助の技巧が見事である。若々しく美しい莟玉も見ものである。これからの活躍が期待される。
 三つめは、やはり河竹黙阿弥の世話物歌舞伎「新皿屋舗月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」から「魚屋宗五郎」である。明治16年(1883)東京市村座で初演された。魚屋宗五郎は、妹を磯部主計之介に妾奉公に出して、その縁で主計之介からもらった資金で家計を立て直すことができた。ところがふとした事件からその妹が主人に殺されてしまう。宗五郎は酒乱ゆえに断っていた酒を飲み、酔いの勢いに任せて磯部の屋敷へ乗り込むが、家老浦戸十左衛門と主人磯部主計之介に説得されて、最後はまるく収まるというお話し。宗五郎を芝翫が、磯部主計之介を中村鴈次郎が、それぞれ演じる。この演目は、かつて松本白鸚が松本幸四郎時代に演じたのを観たことがある。芝翫の宗五郎は、白鸚の宗五郎よりも、良くも悪くも軽妙に見える。
 最後は、若手俳優4人、中村隼人・橋之助・千之助・莟玉による長唄囃子連中「越後獅子」である。隼人は独特の華があるし、莟玉は若々しく美しい。いずれもこれからの歌舞伎を担う有望な若手であろう。今後の精進と活躍を期待したい。

Photo_20191210061401

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

七月大歌舞伎 大阪松竹座

 大阪松竹座に七月大歌舞伎を家人と一緒に鑑賞した。午後の部で、3つの演目があった。
 最初の演目は「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)葛の葉」である。陰陽師の安倍保名と、彼に命を救われた白狐の悲恋物語である。ヒロイン葛の葉こと白狐を、中村時蔵が演ずる。60歳を越えているのに、端正でかつ白狐の跳ね回る演技をみごとにこなすのはさすがである。さらに、家の障子紙に、泣く子をあやしながら「恋しくば たづね来てみよ和泉なる 信田の森のうらみ葛の葉」という歌を大きく墨筆で書く場面は感動した。なかなかの達筆で前段まで書いたあと、泣く子を抱くために右手が使えず、今度は左手で裏返しに「信田のもりの」と書き、次は泣く子に阻まれて手が使えず、筆を口に咥えて「うらみ葛の葉」とみごとに書ききったのは素晴らしかった。一流の歌舞伎俳優は、書道の嗜みも必要なのだ。20197
 つぎは、「弥栄芝居賑」という題名で、芝居町道頓堀を背景に、幹部俳優たちが一同に並んで、「関西歌舞伎を愛する会」結成40周年を祝う舞踊を交えた舞台挨拶である。まだ関西では歌舞伎がさほど人気がなかった昭和54年(1979)に、「関西歌舞伎を育てる会」という会が澤村藤十郎を中心に結成され、それがやがて「関西歌舞伎を愛する会」に改称されて、今年で40周年になるのだそうだ。この日松竹座の2回ホールに、40年間の主要なポスターがならべて展示されていた。40年といっても、そのうち30年は平成なのだ。平成時代が意外に長く、かつあっという間だったことを改めて感じる。私は最近10年余りまでは歌舞伎をほとんど知らなかったので、澤村藤十郎という歌舞伎役者は、かすかに名前のみ聞いたことがある程度で、ほとんど知らない。ただ、現在の白鷗である市川染五郎はよく覚えている。口上の中心は片岡仁左衛門だが、まだ舞台2日目ということか、珍しくなんどか噛んでいたのがほほえましい。
 最後の演目は「上州土産百両首」である。実はこの作品は、アメリカの短編小説家オー・ヘンリーの「20年後」という作品を、川村花菱が歌舞伎用の戯曲として脚色したものだそうだ。幼馴染で掏摸(すり)の兄弟分であった正太郎と牙次郎が、たがいに足を洗ってまともな人生を歩み10年後に再会しようと約束する。そして10年たって再会した二人は、殺人の凶状持ちと岡っ引き見習いという立場であった。正太郎は、掏摸から足を洗って腕利きの板前になったものの、昔の掏摸仲間から強請られて、思いがけずその相手を殺してしまう。牙次郎は、なにをやってもドジばかりだが、心根の優しい正直な人柄で、正太郎を心から慕っていた。正太郎を中村芝翫が、牙次郎を尾上菊之助が演じる。菊之助の演技と容姿は、なかなか魅力的であった。
 仁左衛門の芝居がなかったのは少し寂しいが、歌舞伎界も次々に有望な若手が出てきていることが感じられて、楽しい鑑賞であった。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

新作歌舞伎「NARUTO」京都南座

 京都南座に、家人と一緒に、新作歌舞伎「NARUTO」を鑑賞した。
 ちょうど1年余り前に「ワンピース」という、やはり人気マンガを歌舞伎にした公演を観たが、なかなか良かったので今回も観ることとしたのであった。Photo_55
 落ちこぼれの若手忍者ナルトが、ライバルでかつ親友のサスケと、協力したり対決したりしながら、忍者の  里を侵略しようとする悪の忍者集団と必死に戦い、忍者としてまた人間として逞しく成長していく物語りである。
 私たちは原作のマンガ作品を知らないので、物語の進行内容そのものがなかなかわかりにくいという難点がある。名前も普通の演劇で使用されるような名前でなく、またマンガの画面に類似した特殊な衣装とメークで登場するそれぞれの配役の区別も容易ではないことがある。そういういくつかの困難があるにもかかわらず、若手の魅力あふれる歌舞伎俳優たちのエネルギッシュな演技は、観ていて飽きることが無く、たしかに楽しめる。
 主人公ナルトを坂東巳之助、ライバルでほとんど主人公とおなじ重要度をもつサスケを中村隼人、悪の首魁マダラを中村梅玉が、それぞれ演ずる。終盤のナルトとサスケの目まぐるしい殺陣のカラミは見応えがあり、とくに滝の下でびしょ濡れで水しぶきの中で取っ組み合う場面は、若手俳優ならではの大変な重労働の演技である。ヒール役のイタチを演ずる客演俳優市瀬秀和も、なかなか魅力的である。
 観客席は、平日なのにほぼ満員で、人気の高い演目だということがわかる。西欧人らしい客もかなりいる。イヤホンガイドには、英語版もあるらしく、歌舞伎のためにはとても良いことだと思う。
 初夏の一日、延べ5時間あまりをすっかり堪能した。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

松竹演劇「三婆」

 大阪松竹座で「三婆」を家人と一緒に鑑賞した。昭和36年(1961)有吉佐和子原作で、若いころにテレビドラマや舞台中継として、テレビを通じて何度か見たかすかな記憶があるが、話の内容はほとんど覚えていない。
Photo_49    一代で大きな金融業を立ち上げた社長が、突然妾宅で亡くなった。実は最近彼の金融事業はうまくゆかず、大きな借金を残しての急死であった。その社長の本妻と、唯一の肉親である妹、そして妾の3人の中高年女性があとに残された。
 長らく自宅に寄り付かず寂しい思いをさせられた本妻は、当然妾を快く思っていない。妹は長らく身体が弱かったこともあり、初老の現在にいたるまで独身だが、住処を兄の借金の抵当に取り上げられて、本妻宅に押しかけてくる。肉親の妹として妻に劣らぬ相続権が、自分にはあると信じている。妾も住処を失い、自分が経営することになっている料亭の建築が落成するまでのひと月だけ置いてほしいと、これまた本妻宅へ押しかけてくる。互いにいがみ合う立場の3人の初老の女たちが、問題だらけの奇妙な同居生活をはじめる。
 本妻宅には、妙齢の女中がいて、これももはや身寄りのない本妻の幼女になって財産を乗っ取ろうと狙っている。みんなほんとうのワルではないが、人並みの欲にとらわれた人たちである。このややこしい女性たちを脇から支えたり調整したりできる唯一の人物が、死んだ社長の側近であった専務の重助であった。
 波乱続きの同居は数年続き、ついに同居解消と合意したものの・・・
 ストーリーの本質は、人間は憎み合ったり、嫌ったりしても、しょせん一人きりでは生きられない、嫌うのも十分意識しているからであり、誰も本心ではひとりきりになりたいとは思っていない、というごくありきたりのものである。演劇としてのポイントは、3人の老女たちの達者な掛け合いである。もしへたな女優たちが演じたら、おもしろくもなんともない、味気ない演劇になるだろう。しかし幸いにして今回の舞台は、死んだ社長の本妻を大竹しのぶ、妹を渡辺えり、妾をキムラ緑子 という錚々たる練達ぞろいである。この舞台の見ものは、偏にこの3人のベテラン女優たちのあの手この手の名演であった。
 脇を固める重助役の佐藤B助、女中役の三倉茉奈も、とても良かった。なんの難しいところもなく、只管良い女優たちの演技を堪能し、満足できたひとときであった。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

2019年度の高槻ジャズストリート (2)

高槻ジャズストリート 2日目
 京都にでかけての帰途、阪急高槻市駅の高架下の会場で、2つのセッションだけ聴いた。Photo_48
 まずはヴァイオリニスト牧山純子の演奏である。キーボードとドラムが適宜参加しての演奏であった。この人の演奏は、昨年の高槻ジャズストリートでも聴いたが、そのときはビッグバンドとの共演で、野外会場で風が強く、衣装や髪のみでなく、楽譜が飛び去るハプニングもあったが、なかなか充実した演奏であったことを思い出す。
 平原綾香の「ジュピター」、牧山純子自身のヒット作「ミストラル」、数年来彼女が力を入れているスロベニア共和国との音楽交流から生まれた「スロベニア組曲」から「風」、そして昨年6月の高槻直下型地震をスロバキア滞在中に知り、その直後に作曲したという「心の光」を演奏した。思い入れを非常に強く感じさせる情熱的なパフォーマンスで、ヴァイオリンの特性を生かして熱烈に歌い上げるような、とても魅力的な演奏であった。牧山純子は、クラシックをベースにして、ジャズには珍しいヴァイオリンを用いてジャズとクラシックを融合して、新しい音楽を創ることをめざしているらしい。この人はルックスにも恵まれ、品性も良さそうで、音楽も容貌が優れるとやはり有利だと率直に感じる。最後は「サニーサイドアップ」という、ヴァイオリンなのに手拍子が似合うように意図して作曲した、というオリジナル曲で快活に締めくくった。
Super  続くセッションは、風間三姉妹SUPER!という名のグループで、よくはわからないが、かつて劇画コミックとテレビで一世を風靡した「スケバン刑事」の風間三姉妹からとった命名のようだ。ヴォ―カル宮藤晃妃、テナーサックス西村有香里、キーボード大野綾子である。これにドラム三夜陽一郎、ベース西川サトシが加わっている。関西弁でよくしゃべる宮藤のヴォ―カルが軸だが、歌いだすと音域も声量も豊かで、エネルギッシュで迫力たっぷりの演奏を聴かせてくれる。女性には重すぎるのではと心配させるテナーサックスを抱えて、迫力ある演奏をする西村有香里も素晴らしい。私もよく知っているようなポピュラーな曲目も交えて、重量感溢れる充実したセッションであった。
 今年は、他の事情のため聴いたセッションは少なかったが、全体としてアタリに恵まれて、私の個人的には、少数精鋭の印象で終えることができて幸いであった。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

より以前の記事一覧