ハイファのバハーイー庭園 イスラエル⑪
少し時間が余ったこともあり、私たちは最後にハイファのバハーイー庭園を見学することにした。タクシー運転手にバハーイー庭園の最上部まで連れて言ってもらい、そこからは徒歩で庭園を降りて、ハイファ市街を歩いて船に戻る、ということになった。
バハーイー教は、「バハイ」とも呼ばれる新しい世界宗教である。神学的にはアブラハムに遡る一神教であるが、モーセ、イエス、ムハンマドらに加えて、アブラハムの宗教に含まれていないゾロアスター、釈迦などの世界の全ての大宗教の創始者も神の啓示者であるとして包含している。そして、バハーイー教の創始者バハーウッラーはそれらの最も新しい時代に生まれたひとりであるとされている。
1844年イランの商人であったセイエド・アリ・モハメッド(1819-1850)は、「神が現したもう者」の先駆者・準備する者と自覚し、アラビア語で「門」を意味する「バーブ」を名乗った。彼が開いたバーブ教は、実質的にはイスラム教から独立した宗教とみなされている。彼はイランのムスリムから激しい反発を受け、政府の弾圧を蒙り、1850年処刑された。しかし信徒たちは彼が予言した「神が現したもう者」を探し続けた。
イランの高級官僚の家に生れたミルザ・ホセイン・アリ(1817-1892)は、バーブ教の当初よりの信者であったが、1852年に政府に拘束されテヘランで獄中生活を送った。この獄中生活のなかで、彼は自分こそがバープが言っていた「神が現したもう者」であると自覚するに至り、9年後イラクのバグダッドに追放されたときにそれを宣言し、「神の栄光」を意味するバハーウッラーの称号を名乗った。これがバハーイー教の本格的な開始であった。
バハーウッラーの教えはほとんどのバハーイー教徒に受け入れられたが、バハーウッラー本人は政府によって最終的には当時の監獄の町であったアッコーの牢獄に移され、そこで絶命した。そのあとは彼の長男アブドル・バハーが継いで、指導者となった。
アブドル・バハー以後、世界的な宣教が精力的に推進され、いまでは世界189ヶ国と46の属領にひろがり、信者の総数は500~600万人とされる。キリスト教についで、世界的にもっとも普及した宗教だそうである。
この庭園は一般に無料公開されているが、教団指定のツアーに参加することが必要である。ツアーはヘブライ語、英語、イタリア語など説明する言語ごとに設定されていて、順番に実施される。私たちは時間的にタイトであったため、説明は理解できないが、こっそりヘブライ語のツアーに入り込ませていただいた。
庭園から港を臨むと、われわれが乗るクルーズ船がみえた。
エルサレムとハイファ・アッコーにきてみて、率直な感想は「イスラエルの人たちは意外に外国語、とくに英語がそんなに話せない」ということ。ヨーロッパの比較的小さな国、たとえばスカンジナビア諸国、スイス、ベルギーなどは、町で出合う人たちの大抵が英語を解する。イスラエルも大きな国ではないし、私が仕事で出合って人たちはトップクラスのインテリたちだったこともあって、とても英語に堪能な人たちだったこともあるのか、勝手にイスラエルの人たちはみんな英語がよくできるのだろう、と錯覚していた。
最近の国際情勢の緊迫、テロの増加など、中東のとくにイスラエルは危険が多そうで、今回の旅程でもいちばん緊張する場所だったが、幸いにして無事に過ぎたことは幸いであった。ヨルダンのペトラ遺蹟もそうだが、イスラエルの歴史も、途方もなく古くからの長い歴史を背負っているので、よくわからないながらも圧倒された。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など一神教の、恐るべきとも言えるエネルギーの息吹にも触れることができたように思った。とても印象の強い観光であった。
お気に召せばクリックください
最近のコメント