映画「FAKE」森達也監督2016
DVD版で森達也監督の映画「FAKE」を観た。
中途失聴とされる聴覚障害がありながら『鬼武者』のゲーム音楽や「交響曲第1番《HIROSHIMA》」などを作曲し、「現代のベートーベン」などともてはやされた自称作曲家たる佐村河内守の、ゴーストライター事件以後のドキュメンタリー的な映画である。
監督の森達也は「この映画を見たら、ゴーストライター事件での佐村河内守のイメージが、180度転換するかも知れない」などと言っていたことを思い出す。
果たして長い映画を見ての率直な印象は、当時報道されていた内容は、おそらく全面的に事実だったのだろう、というもので、いささか空しいものであった。
映画のなかで、佐村河内は、終始一貫して「自分はほんとうに耳が聞こえなかったのに、新垣隆をはじめマスコミから、それが虚偽であると喧伝されて、いくら事情を説明しても信じてもらえない。絶望を禁じ得ない。」と言い続けている。佐村河内がどの程度の難聴なのかは、ほんとうのところは当事者以外には知る由もないが、普通の人々の関心はそこではない。
それよりも彼自身が楽器の演奏ができないこと、楽譜が読めないこと、したがって普通の意味での作曲の能力が欠落していたことは、この映画の内容からもますます明確である。その一方で、楽譜に落とせるような楽曲を実現したのが新垣隆であることは明白であり、これでは誰が判断しても、到底佐村河内の作曲とは認められない。彼の「虚偽」とされるところ、信用されないところは、そんな状況下で無謀にも「自分が作曲者だ」と主張するところにある。
映画のなかのインタビューに答える佐村河内の様子も、普通にみていて、いかにもうさんくさい。映画の最後の部分で、どういうわけか、短い反復の多い楽曲を、さも佐村河内が創ったかのように流しているが、肝心の佐村河内がキーボードをたたく場面がほとんどなく、録音機能をもつシンセサイザーの前にただ座っているだけの、意味の無いシーンである。森は「ドキュメンタリーは自分の主観を出すもの」などと言い訳しているようだが、お粗末な出来栄えとなっている。
森の映画は、ずいぶん前に「A」というタイトルのオウム真理教の信徒たちを撮った作品を観たことがあるが、やはり長たらしいだけの、意味のわからない映画であった。彼の映画は、もともと彼に同情的な観衆にのみ訴えることができるのかも知れないが、これでは普通の観衆は理解も共感もできないだろう。
2時間余りのずいぶん長い映画であったが、退屈なだけでなんの感銘も感動もなかった。

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