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映画・テレビ

映画『フェンス』

 2016年アメリカで公開された映画で、デンゼル・ワシントンが監督・主演した作品である。原作は、舞台劇の『Fences』をもとに制作されたもので、原作は1983年オーガスト・ウィルソンの戯曲だという。
  舞台のはじまりは1950年代のピッツバーグ。主人公トロイは若いころは非行も多く逮捕歴もあったが、愛妻ローズに出会って改心し、今は実直にごみ収集作業員として働いている。一緒にごみ収集をするボノは、長年の白人の親友である。
  今は改心して、毎週の週給を妻に手渡すことだけを目標にして生きるトロイは、堅実な生活・生き方をかたくなに尊重し、ミュージシャンを夢見て正業につかず、久しぶりに帰って来て金を貸してくれとねだる息子ガブリエルにも、またスポーツの才能を認められ、大学のフットボールチームからスカウトされているもう一人の息子コリーにも一切耳を貸さず、ただ「音楽や学校などいらない、早く働け、日銭を稼げ」の一点張りである。
  トロイは、不良生活をやめたあと、野球をやって非凡な才能を発揮したが、すでに年齢的にプロ野球選手にはなれなかった。それをトロイは、黒人差別のせいだと考えていた。黒人の息子たちに、甘い将来は絶対にないとかたくなに信じ込んでいた。
  トロイは、どういうわけか家の周囲にフェンスを作ろうとし、フットボールを練習したいコリーにその手伝いを厳しく命じた。
  運転免許もなく文字すら読めないトロイだが、精勤が認められ、昇進してごみ収集車の運転手に配置転換となった。ピッツバーグで最初の黒人運転手であった。しかし親友のボノは、トロイが地元のバーで働くアルベルタと浮気していることを知る。ボノは、トロイの家庭の維持のため、トロイに浮気をやめるようにアドバイスするが、トロイは聴かない。やがてアルベルタの妊娠と出産、さらに出産時にアルベルタが死ぬという事件が起こる。怒り狂った妻ローズは、それでも生れた子に罪はない、と赤子を育てる覚悟を決める。
  10年ほどたったある日、トロイの葬儀が行われた。葬儀に立ち会うため訪問した息子コリーは海兵隊員になっていた。もうひとりのミュージシャンを目指していた息子ガブリエルは服役中だったが葬儀のための臨時出所で帰っていた。彼らは、かわいい少女に成長した、ローズが育てた義妹に出会う。
  ストーリーにはそこはかとない不条理が漂い、画面構成には演劇の影響が明らかに感じられる。人種差別問題がひとつの大きな軸だが、単純に人種差別反対を訴えるものではない。私たちの世代が若いころに流行した、カフカやカミュの世界に印象が似ているようにも思う。フェンスは、そこに生きる人たちの心の壁、差別の壁、個人の内面の相剋する多面性の相互間の壁、などさまざまな不条理の象徴なのだろうか。
 トロイを演じるデンゼル・ワシントン、ローズを演じるヴィオラ・デイヴィスをはじめ、キャストはいずれも表情豊かで説得力があり、迫力がある。出演者はわずか数人だが、ストーリーのひろがりは大きい。たしかに優れた表現芸術だろう。2時間ほどの上映時間があっと言う間に過ぎた。

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映画『海賊と呼ばれた男』

  2016年末に公開された映画で、映画『永遠のゼロ』を制作したグループが再結集してつくった作品だという。
  戦前、小舟に乗って漁船用の軽油を海上で売りまくった田岡鐵造は、さきの大戦敗戦後、日本中の大部分が下を向いて絶望しているなか、日本の復興のためにきっと石油が重要になる、それを販売することに命をかける、と宣言する。とはいえ、売るための石油そのものがなく、止むを得ずGHQの要請に応えてラジオの修理などを手がけて会社の存続を図る。GHQから指令が出て、陸軍が秘匿していた石油を掘り出して販売することを認められたが、その石油はすっかり変質したとても質のわるい代物だった。それでも苦労して商品化し、ようやく石油の事業を再開することができた。
  しかしアメリカ資本は日本の石油単独事業を認可せず、アメリカ資本の傘下での石油業でないと認めない、石油を供給しない、という。田岡は自前のタンカーを購入し、苦労の末に独自の石油輸入ルートとして、イランからの原油購入の道筋をつける。
  戦前の起業からはじまる日本の民族系石油会社の伝記で、出光石油の出光佐三をモデルにした実話をベースにした百田尚樹の小説の映画化である。
  主役は岡田准一で、とうとう離婚した妻に綾瀬はるか、他にも近藤雅臣、吉岡秀隆、染谷将太、鈴木亮平、ピエール瀧、堤真一、國村隼、小林薫など、豪華俳優陣が脇を固める。
  会社の人間関係・同志愛、政府・業界やアメリカとの葛藤、家族愛など、要素は多い。つまりは成功物語だが、妻との離婚など苦悩もあらわされたドラマになっていて、やはり感動する。

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映画『この世界の片隅に』

  好評のアニメーション作品である。NHK朝ドラで一躍注目を浴びた若手女優の「のん」が主役の声優をつとめたことでも話題になった。
  広島で生れたすずは、絵を描くことが好きな他は、ぼんやりのんびりした少女であった。子供のときある橋のうえで人さらいにさらわれるが、そのとき一緒にさらわれたのが後に夫になる少年であったらしい。
  戦争が近づいたある日、すずは軍港があった呉に嫁いでいく。すずが知らない間に、すずを見初めた男がいて、そこへ嫁ぐのであった。呉での新婚生活がはじまるが、出戻りの義姉がいたりして、苦労も多い毎日であった。それでも気に病まない性格にも救われ、夫の家族に溶けこんで行く。そんなごく平凡で穏やかな生活を、徐々に戦争がむしばんでいく。
  私も戦後生まれであり、このすずの時代の生活の実態は知らない。しかし描かれた当時の人びとの日常生活は、とても丁寧に普通の平凡な生活を描いているようで、自然で説得力がある。登場人物は、ひとりも傑出したり、悪者だったり、とりたててなにかの運動をしたりする人はいない。いずれもごくありふれた普通の生活を地味に生きる人たちばかりである。それが、描かれた世界の現実感と説得性をもたらしている。
  とりたてて反戦を訴えるわけではないが、作品全体から戦争の悲しさや理不尽さが伝わってくる。のんの天然さを現すような声も、この映画にぴったりである。静かで淡々とした物語であり、しんみり観るものを引きこむ作品である。

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映画『インフェルノ』

  すでに好評を博した『ダ・ヴィンチ・コード』および『天使と悪魔』の続編であるという。ただ、残念ながら私はそれらを観ていない。
  バートランド・ゾブリストという大富豪でもある遺伝学者が、世界を滅亡させ得る非常に強力な感染型ウィルスを用いて、世界の人口を半分に減らそうという計画をたてた。「過激な方策を以ってしない限り地球の人口爆発に歯止めをかける事はできない」と信じ込んで、彼なりに人類の未来のために決断した、というのである。この企みを実行しようとするグループと、それをなんとか阻止しようとするグループとが、イタリアのフィレンツェとトルコのイスタンブールを舞台に壮絶な戦いを演じる。そしてゾブリストの計画の秘密は、ボッティチェリの絵画「地獄の見取り図(Map of Hell)」に隠されている。
  主人公はハーバード大学で宗教象徴学を専門とする教授ロバート・ラングドンである。彼は、フィレンツェの病院の一室で目を覚ます。彼は傷を負い、世界が灼熱地獄になる悪夢にうなされていた。担当医のシエナ・ブルックスは、彼が頭部に銃撃を受けた負傷が原因で記憶喪失に陥っているのだと告げる。ここへ女殺し屋ヴァエンサが現れ、ロバートはシェナとともに逃走し、事件解明の長い旅がはじまる。
  誰が敵で誰が味方か、ストーリーの展開とともにどんでん返しが繰り返され、登場人物も多く、非常に複雑でこんがらがったストーリーが展開する。
  息をつくひまもないスピード感溢れるサスペンスで、2時間ほどの鑑賞時間が短く感じられる。ストーリーは、さすがに現実離れの感が免れないが、退屈しない、おもしろい内容である。
  主演のトム・ハンクスはもちろん、謎の女医シェナを演じるフェリシティ・ジョーンズも、とても魅力的である。

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映画『素晴らしきかな、人生』

  2016年の作品で、ウィル・スミス主演作品である。
  ニューヨークの広告代理店を共同創業者でもある友人3人とともに経営し、大成功を納めていたハワードは、最愛の6歳の娘を難病で失ってからは、仕事にも人生にも意欲を喪失し、会社経営も危機を招いていた。ハワードは、親友である共同経営者3人の話にも、耳を貸さなくなっていた。そんな事態に危機感をもった共同経営者の3人は、偶然見つけた無名俳優3人を雇って、愛・死・時間の3つの「神」を演じてもらい、ハワードに働きかけようとした。その結果、共同経営者の目的とおり会社の株を有力出資者に売却することは達成したが、ハワードにも、共同創業者3人にも新たな転機が訪れた。
  仕事に人に真摯であるとは、誠実であるとは、家族とは、家族やパートナーへの、あるいは子供への愛とは、そして人生とは、そんな問いについての物語である。
  主人公ハワードを演じるウィル・スミス、共同創業者の友人を演じるエドワード・ノートン、ケイト・ウィンスレット、マイケル・ペーニヤの自然な演技がとても良い。ケイト・ウィンスレットは、タイタニックのときの若さ溢れる美貌を過ぎて、すっかり円熟した落ち着いた女優になっていた。ハワードの妻を演じるナオミ・ハリスは、成熟した知的な美貌を発揮している。愛・死の「神」を劇中で演じるキーラ・ナイトレイと老女優ヘレン・ミレンもとても良い味である。1時間半程度の比較的短い映画だが、十分満足できる、見応えある作品であった。

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映画『ラ・ラ・ランド』

  2016年のハリウッドの話題を席捲した大ヒット映画である。映画に疎い私でさえ、タイトル名だけはしっかり頭に入っていた。
  時代背景は不可思議である。登場する風景や自動車などは1950年代を感じさせるが、一方で現代ITの典型たるスマートフォンが登場して、そこはかとなくシュールな印象を漂わせる。主演のエマ・ストーンは、現代的というよりはとても古風な容貌である。ストーリーは冬・春・夏・秋・5年後の冬、と5部構成となっていて、ストーリーの内容そのものは、昔からあったような映画女優とジャズ演奏家の夢多く、苦悩多く、儚く、しかし着実でもある恋愛物語である。
  女優の卵も、ジャズ演奏家も、ともに自分の夢や構想を大切にして譲らず、しかし挫折し妥協もし、それでも懸命に生きている。しかしその一方で恋には齟齬を生じ、結局は結ばれない。とても破天荒で現実離れしている雰囲気のなかで、語られる事実はまことに現実的でもある。誰もが大女優になるわけではないし、音楽家として成功できるわけでもないし、愛する人と結ばれるわけでもない。それでも、それらさまざまな要素が絡み合う現実に対しては、誰でも共感できる要素があり範囲がある。そういう意味で、さまざまな面でふわふわした、夢見心地のようでありながら冷徹な現実をも現しているこの映画に、それぞれが感銘をうけることができるのだろう。
  大変な好評を得たことも、たくさんの賞を獲得したことも、しっかり納得できる良い映画だと思う。

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映画『ドライビング Miss デイジー』 

  エティハド航空国際便の機内エンターテイメントで、映画『ドライビング Miss デイジー』を観た。1989年のハリウッド映画で、アカデミー賞作品賞他4部門で受賞した名作だという。
  さきの大戦直後のアメリカ南部アトランタを舞台に、モーガン・フリーマン演じる黒人運転手ホークと、富裕なユダヤ系老婦人デイジーとの心の交流を描くドラマである。
 貧しい境遇のなかまじめで熱心な教師として働いてきたデイジーは、息子の事業の成功でいまは富裕になったものの、決して成り金的なふるまいをしたくない。老いても自分でキャデラックを運転しようとするが、運転をあやまって隣家の垣根に突っ込んでしまう。見かねた息子は、母の反対を押し切って黒人運転手ホークを雇った。最初はホークを受け入れなかったデイジーだが、ホークの正直でまじめな人柄を徐々に認めるようになる。
 やがてデイジーのもうひとりの従僕であった家政婦のアイデラが急死して、デイジーはますますホークに頼るようになる。ホークは、デイジーにとって、信頼のおける面倒みのよい従者であった。
 あるときKKKによってユダヤ教徒が集まるシナゴーグが爆破されるという事件がおこり、黒人とともに迫害を受けるユダヤ人として、デイジーはマーチン・ルーサー・キング牧師の講演を聞きに行こうと息子を誘うが、息子は事業上の付き合いを考えて講演会同行を断った。デイジーにとって、ホークは息子以上に信頼する親しい友人となっていった。
 ある日、デイジーは認知症の症状を現す。やがて老人ホームに介護つきで入所したデイジーを、すでに引退した老いたホークが訪ねる。息子を追いやり、ホークとふたりだけで談笑するデイジー、この場面で映画は終わる。
 なによりホークを演じたモーガン・フリーマンの控えめでいぶし銀の演技が光る。デイジーを演ずるジェシカ・タンディも素晴らしい。彼女はこのとき80歳で、史上最高年齢でアカデミー主演女優賞を獲得したそうだが、老人のひとりとして私は、セリフを記憶し、身体を動かして素晴らしい演技ができる、ということに敬意を感じる。
 心がやすまり温まるヒューマン・ドラマは、いつの時代も良い。
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映画『博士と彼女のセオリー』

  2014年制作のイギリス映画『博士と彼女のセオリー』を観た。宇宙物理学者で「ビッグ・バン」で世界的に高名なスティーヴン・ホーキングの半世記を映画化した作品である。
  ケンブリッジ大学で物理学を学ぶ大学院生であったスティーヴンは、同じ大学の文学部大学院に学ぶジェーンと出会い恋におちる。しかしまもなくスティーヴンは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、余命2年を宣告される。周囲が反対するなか、ジェーンはスティーヴンとともに生きることを決意し、二人は結婚する。身体の運動機能や発話機能がどんどん失われていくなか、スティーヴンはブラック・ホールやビッグ・バンに関する新しい理論や仮説を提案し、世界的に注目されるようになる。やがて二人の子供にも恵まれ、大変な苦労ながらも順調に見えた二人の生活であったが、過大な負荷に加えて子供をきちんとした環境で育てることがむずかしいなど、ジェーンのストレスは限界となる。そんななか、ジェーンの母の提案がきっかけで知り合った教会聖歌隊リーダーであるジョナサン・ジョーンズがホーキング家に出入りするようになる。そして、いろいろ想定外のできごとが発生して、ついに二人は離婚し、ジェーンはジョナサンと、そしてスティーヴンは看護士の女性と再婚する。
 ストーリーの主役は、やはりホーキング博士の妻ジェーンである。将来が見通せない絶望のなかでスティーヴンとともに生きることを選択し、命懸けで懸命にスティーヴンに尽くすが、生身の人間として主張すべきは主張し、自分の意志で行動し、徹底して自分の生き方を貫く強靱な人物である。結婚も、スティーヴンの命と引き換えに声を失う咽頭切開手術も、離婚も、いずれも常に決断はゆるぎない。彼女の決断力・行動力・忍耐力・実行力は、なみたいていのものではない。
  スティーヴンも、厳しい病気に見舞われ過酷な生活を強いられるが、ジェーンという優れた伴侶と多くの良い友人に恵まれ、ある意味とても幸運な人生である。ジェーンと出合えなかったとしたら、現在に至る70歳を超える寿命も、学問上の業績も、子供のいる家庭も、いずれも到底達成できなかっただろう。
  スティーヴンは学者として並外れた活躍をしたし、ジェーンも並外れた努力をして、ふたりで協力して大きな実績を残した。それでも現実の人生はきれいごとだけでは済まない、もっとドロドロした、生身の人間らしい部分が必ずある。この映画はそういう側面も真摯に描くことで、観るものにとってはむしろ清々しいリアリティを与えている。
  私はこの映画に垣間見える、科学や学問の長い伝統を誇るイギリスの大学や学会とそれを支える文化にも興味を惹かれた。
  映画として、なによりもスティーヴンを演じるエディ・レッドメインと、ジェーンを演じるフェリシティ・ジョーンズのすばらしい演技に魅了される。ひとつには、エディ・レッドメインはケンブリッジ大学美術史専攻の卒業生、フェリシティ・ジョーンズはオックスフォード大学卒業生であり、この映画の舞台であるケンブリッジ大学のような独特なアカデミックな舞台背景に自然にとけ込めるということもあるだろう。
 鑑賞のひとときは、実に密度の濃い2時間であって、想い出に残る良い映画であった。

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米映画「セッション」

  レンタルDVDで米映画「セッション」を鑑賞した。2014年度のアカデミー賞において、助演男優賞・作品賞・録音賞の3部門を獲得した評価の高い作品である。
  アメリカの音楽部門でトップクラスのシェイファー音楽学校に通う19歳の少年アンドリューが主人公である。彼は大学でフレッチャー教授に見いだされて、フレッチャーのスタジオ・バンドに特別に招かれる。ここからフレッチャーの常軌を逸するまでの過酷なスパルタ教育に放り込まれる。フレッチャーを見返そうとドラムの練習に命懸けで取り組み、恋人とも別れて専念して必至に練習するが、フレッチャーの理不尽な仕打ちについにフレッチャーに掴みかかり、退学処分を受ける。このとき、父の計らいでフレッチャーに対する法的対抗措置をしたことで、フレッチャーも音楽学校教授を退職させられる。そうした後に、偶然の再会があって、結局フレッチャーのバンドで演奏する機会を得るが、ここでフレッチャーの復讐から不当な屈辱を受ける。しかしアンドリューは一方的に自分の演奏にバンドを引き込み、神がかりの演奏をやってのける。
  芸術家の普通の成功物語ではなく、登場人物の欲望・感情・対立・愛憎などが濃厚に織込まれ、とても密度の濃い画面を構成している。私は芸術方面の教育や師弟関係についてはまったく知るところがないが、どんな分野にしても一流になる過程では、ときに常軌を逸するまでの過酷な教育や訓練などがあっても不思議はない、という程度の理解しかできない。そういう常識的な知識や倫理の範囲を超えるなかに、この映画の緊張感と魅力がある。とくに助演男優賞を獲得したJ・K・シモンズは、ブロードウエイのベテラン・ミュージカル俳優というだけあって、音楽の素養も十分で、なにより驚くべき迫力の演技である。主役アンドリューを演ずるマイルズ・テラーも、役作りのためにドラムを懸命に練習し、手のまめが潰れて出血する映画のシーンは、ほんとうの傷口であるという。
  きれいごとではない、現実にありそうな、しかし想像をはるかに超える壮絶な迫力あるシーンが続く、1時間46分がごく短く感じられる、緊張したひとときであった。
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映画『マネー・ショート』

  経済評論家がおもしろい映画だと推奨するので、久しぶりに映画『マネー・ショート』を鑑賞した。自宅にちかい近郊都市のシネマ・コンプレックスだったが、1日に夕方から2回のみのマイナーな上映スケジュールで、それでも広い観客席にほんの10人弱のごく寂しい客入りである。
  これは2008年9月に実際に発生した金融危機、いわゆるリーマン・ショックを描いた作品である。この淵源は1970年代の住宅ローンの証券化にはじまる。住宅価格が安定している限り、住宅ローン返済が滞ると担保の住宅を貸し手が取り上げ売却して回収できるので、住宅ローンは投資対象として信用性が高く、それを証券化した金融商品は格付けがきわめて高い安心できるものであった。折からの好景気もあって、こうした一見うまみがあるかに見える金融商品は爆発的に売れて普及し、社会の上層から下層まで、多様で多数の人々がこれを購入した。人気商品であったがために、この証券はどんどん売り払われ、やがて対象となる優良な住宅ローンは払底し、徐々に信用性が実は低い「サブプライムローン」と呼ばれる住宅ローンを織りまぜて商品化した証券が多数派を占めるようになった。それらは住宅価格が低落すると、貸し手は抵当の住宅を取り上げてもローン債権が回収できなくなった。住宅ローン証券の利益の源泉は住宅ローンの貸し手が稼げることであって、それが実現されるためには住宅の価格が上昇し続けることが必要である。その必要条件が失われてきたのである。その一方で、内容がどうであれこうして証券化によってカネがまわると景気が一層よくなる、いや加熱する。月日がたち、この証券を担保するはずの根本の住宅ローンが、じつはまったく信用のない、実質のないもので占められるようになった。
  しかし多くの人々は、金融関係従事者も含めて、その事実を知らない、いや無関心、いやいや関心をもちたくなかった。そしてついに化けの皮がはがれる日が到来して信用が一気に下落し、金融危機に陥った。これがサププライムローン危機、あるいはリーマン・ショックと呼ばれたものであった。
  このあやしい仕組みの証券の信用不安に、いち早く気づいた3組のひとたちがこの映画の主人公である。いまは小さな投資会社を経営する元精神科医、ドイツ銀行の銀行員と彼と組んだ大手投資銀行子会社の小グループ、個人投資家として零細に稼いできた2人の若者と大手銀行の元辣腕銀行員で今は有機農業経営者、と3つのグループの人たちは、データを詳細に分析し、住宅ローン市場の現場を地道に歩いて取材し、また投資銀行関係者や信用格付け会社に執拗に取材したりして、住宅ローン証券の危うさを知り、その暴落を確信するにいたる。そして近日中に価値が下落することを見込んで、大規模な空売りを仕掛ける。こうして3つのグループの人たちは、まったく相互に無関係・独立に、住宅ローン証券の「空売り」という一世一代の賭けに投じた。
  彼らの見込みとおり、住宅ローン証券の価値は下落をはじめるが、信用格付けはなかなか下落せず、大量の住宅ローン証券を抱え込んだ大手投資銀行も危機を隠ぺいして表に出さない。そうして時間が経過すると、空売りをしかけた3つのグループには、それぞれ「保険金」負担が嵩んでいく。こうして3つのグループがそれぞれ破産の危機に瀕する。しかしついに金融危機は到来し、3つのグループは大きな利益をせしめた。しかしそれは、多数の一般市民の甚大な被害をともなうもので、その成功は達成感をともなう歓喜の勝利ではあり得なかった。
  3つのチャレンジ・グループそれぞれに個性ある人物・性格を設定し、ユーモアと風刺を取り混ぜ、なかなかおもしろい作品となっている。なにより、金融のデリヴァティヴ商品がいかに形成され、普及し、蔓延するか、そのメカニズムが明快に説明される。経済評論家が推奨するのもうなずける。
 いま現在、中国でこれと同じような事象が発生しているのである。中国経済から影響を受けるわが国や諸外国にとって、事態は決してひとごとではない。
  これを鑑賞して、金融はなかなかむずかしいものだと改めて思った。金融デリヴァティヴ商品は、たしかにカネのめぐりを促進して景気を改善する大きなメリットをもつ。それぞれ個人が利益を追求する、追求したいのも、当然のことであり、簡単に否定できない。経済に有益な側面もたしかにあるが、その反面でネズミ講のように膨張するとかならず破綻する、という不安定性、賭博性をともなう。映画では、これを政府が法的に取り締まるべきだと主張しているようだが、現実にはどこで線引きしてどのように取り締まることが妥当か、判断はむずかしいだろう。
  2時間余りのなかに、簡潔にリーマン・ショックの本質を説明する、という一点だけでも、非常におもしろく、勉強になる映画ではあった。
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