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書籍・雑誌

高崎通浩『民族対立の世界地図―アジア/中東篇』中公新書ラクレ

 2002年3月発行の本である。10年以上前にテロ事件が頻発していたころ、少し興味をもって買ったものだと思う。しかしいろいろ取り紛れたのだろう、購入したことも忘れてしまって、こうして歳末の整理の最中に「発見」したのであった。
 中央ユーラシア、インド亜大陸、東南アジア、中国、クルド民族、パレスチナ、などの「民族問題」について概説的に述べている。ここで「民族」をグループ分けするとき、その根拠は従来から一般的にある言語・文化だけでなく、宗教、重要視する習慣・習俗、社会的階層なども含まれる。
とくに、アフガンのパシュトゥーン人の歴史と動き、中国のあまり報道されない少数民族の深刻な問題、いまや世界最大の国を持たない浮遊民族集団となってしまったクルド人問題、そして最近も新たな騒動が生じたイスラエル・パレスチナ問題、など簡潔ではあるが要領よく解説されている。
 国家間の「戦争」が甚大な災禍をもたらすことは誰でもわかっているが、実は「内戦」、「小規模紛争」、さらに「テロリズム」など、すなわちLow intensity warと呼ばれる戦いのほうが実は被害は大きい。戦争あるいは紛争の「責任者」がよくわからない場合が多く、容易に停止できなくなるのである。その原因の多くを占めるのが、この本であつかう民族問題である。
 民族問題の本質や真因は、簡単にわかるものではないが、必ず歴史的背景が深く関与している。そして、当事者にとっては限られた時間、限られた資源、さらに限られた能力で判断を迫られ、行動せざるを得ない。そのうえ関与してくる第三者が、常に善良で無私で妥当な振る舞いをしてくれるわけではない。典型的には、国連という存在がいかに現実に役に立たないものであるか、あてにできないものであるか、この本が述べる事例でもよくわかる。もちろん、だからと言って国連をなくす方がよいとまでは言えないが。
 個々の民族問題に対する評価としては、私はこの著者にすべて首肯するものではなく、賛同できない論点も少なからずある。しかし、傾聴に値することは多い。
 民族問題のような複雑な問題は、メディアに登場する「識者」が弁舌さわやかに話すほどには簡単ではない。そういうことが、この本からも伝わってくる。この本が書かれてから15年以上が経過して、この後ISなどの新しい問題も発生したけれど、述べられていることは現在も生きている。
 私たち自身も、こういった思わず目をそむけたくなる、逃げたり避けたくなるような事態に遭遇する可能性はある。呑気で無責任で浅薄なメディアの報道から、少しでも実のある情報を引きだすための基礎的な知識、すくなくともその素材を与えてくれることで、このような本は意味があるだろう。

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宮本正興・松田素二 編『新書アフリカ史』 講談社新書

 かなり以前に東京水道橋の書店街を散策したとき、なにげなく買っておいた本であったが、ふと細切れ空き時間の退屈凌ぎを兼ねて読み始めた。しかし、読み始めるとなかなか興味深い書であった。
 15世紀にはじまり18世紀から本格化した植民地時代より以前のアフリカについては、アフリカ大陸内に自らの書き言葉を持つ原住民が存在しなかつたために、残されたモノに頼って歴史をたどる考古学的方法と、アフリカ以外の史料に頼る方法の2つしか歴史をたどる手段がない。独自文化・独自文明の存在を引き続き解明していくことは、アフリカにとって重要である。かなり古くからアフリカ大陸内に、独自のそれなりに高度な文化・文明が存在したことはたしかなようである。また、はやくからアフリカの人々が、中東・南アジアの人々と独自の外交・通商を営んでいたことも、さらに解明が進められるであろう。ただ、これまでの研究の範囲からも、アフリカ大陸がその地理的条件のために、地域的に細かく分断され、言語も細分化されてその数が非常に多く、ユーラシア大陸よりはるかに多様性が存在した、むしろ多様性に富みすぎてまとまりを欠いたことが、現在に続くマイナスの所与条件となったようである。
 文字による記録、すなわち史料が少ないという意味では、南アジアのインドが似ているのかも知れない。インドも、言語の数が数百にのぼるほどに多すぎることが文字の記録の困難さにつながっているのではないだろうか。インドのように高度の文化・文明を古くより広く認知され、人口も経済力も大きく、他国への影響も大きかった国でさえ、文字に残る古い史料がほとんどないため、歴史的研究がきわめて困難であるようだ。
 アフリカの植民地時代以降はすでにわれわれもある程度情報を取り入れることができたが、この書が主張するように、これまでの情報は西欧先進国的価値観にきわめて偏った情報であったろう。読んでいると、とくにイギリスの巧みで狡猾な効率の良い統治方法に驚く。現地の伝統的統治システムをイギリスの植民地支配に支障のない範囲のみ切り出して、その頭領のみを確実・徹底的に掌握・制御するという方法は、かつての日本が台湾・朝鮮に対して試みた国民的同化政策と比較すると、抜きんでて冷徹・冷酷・過酷でありながら、被統治者から日本ほどには憎まれることもなかったようである。アフリカ大陸は大部分が植民地化されてしまい大変な被害を被ったが、そのこと自体がよくも悪しくも歴史的事実である。
 さきの大戦後を主とするアフリカ諸国の独立後の歴史は、きわめて厳しいものであった。しかしこの書にも述べられているように、植民地化した西欧諸国のみに原因と責任を押し付けても未来が開けるわけではない。「自己責任」を外部から主張することはいささか慎重を要するが、アフリカ諸国内部の当事者自身の認識としては、「自己責任」をしっかり自覚・意識して、自律的な意志・思考・計画・評価を貫徹して、他国からの支援を得るにしても自らの選択と決断で前進する以外に状況を改善する道はないだろう。
 また、ここでも「民主主義」の実現の難しさがよくわかる。議会をつくり、議員を選挙して、王権や首長権のような独裁的権力を廃止したとしても、それだけではまともな「民主主義」とはならない。選挙に立候補する側も、選挙を通じて為政者を選出する側も、真摯に学んで身につけなければならないことがあり、そこまで達するのは容易ではない。
 私にとっては、この書はこれまでほとんど知らなかった事実・史実を教える貴重なものであった。ただ読者の希望としては、日ごろなじみのない用語・人名・地名が多出することもあり、もっと多くのわかりやすい地図と、詳細な索引を添えて欲しかった。

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箭内昇『メガバンクの誤算』中公新書

 長期信用銀行に長年勤め、役員にまで登りつめたのち経営陣を批判して飛び出した著者が、内部を知り尽くした銀行業界の内幕・問題・課題を暴き出した書である。
 アメリカではいち早く1971年のニクソンショックを契機として、銀行界は「変動の時代」に突入して危機を迎え、ビジネスの形態が変わり、業態が変わり、そのなかで多くの銀行が破綻した。日本でも危機は静かに訪れてはいたが、大蔵省の護送船団方式に守られて変革を怠り、旧態依然のまま表立った破綻もなくバブルに突入した。かたやアメリカでは、かつてのようにすべての銀行を破綻から救うことはせず、延焼を防ぐという政策がとられ、それぞれの銀行が競争環境の中で生き残りのために積極的に新しいチャレンジを繰り返し、変革を推し進めた。しかし日本では、相変わらず預金と貸付のみの旧態依然としたビジネスで、ただバブルの景気高揚だけに乗っかって華々しく成長したかに見えていた。ところがバブル崩壊で一気に弱みが現れ、日本の銀行界は深刻な危機に陥った。1990年代の10年間だけで、アメリカと日本の銀行の企業競争力の格差は、数十年でも追いつけそうにないと思えるほどに拡大してしまったという。
 以上のような内容は、製造業に従事してきた私にとってほとんど知らなかったことであり、金融業界の特殊性を知らされてその実情に驚く。しかし、銀行ならでは、あるいは銀行だけの問題や危機とは考えられない深刻な事実も指摘されている。典型的には、経営に不正が絡む企業業績の悪化である。これこそ企業に致命的なダメージを与える。最近わが国の大手製造業に、このような大問題が多発してしまっている。著者が指摘する経営者のモラルこそは深刻で重大な問題であるが、決して銀行だけの問題ではない。
 15年も前の本だが、非常に刺激的で興味深く一気に読んだ。

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河上肇『貧乏物語』岩波文庫

 大正5年(1916)大阪朝日新聞に連載された経済学エッセーであるから、今からちょうど100年前の著作であり、ずいぶん古い本である。
 産業が発展して国としてはとても豊かになったはずの英国にさえ、①健康な生活を維持できないほどの貧乏に喘いでいる人々が多数いるという事実があり、②そのように貧乏な人々が発生する原因はなにか、そして③いかにすればその貧乏を根治することができるのか、この書が説くのは、この3つである。
 内容は非常に懇切丁寧に説きすすめられているが、ごく簡略化してまとめれば、貧乏な人々が発生する原因は、金持ちが奢侈をするため、製造者が必要な製品を製造するかわりに本当は必要でもない奢侈品ばかりを製造し、貧乏人に必要な物資を生産する余地がなくなり必需品の供給が欠乏することによる、とする。だから富裕な人々が奢侈を停止して、製造者が万人に必要な製品を製造するようになれば、貧乏の問題はなくなる、とする。
 この「奢侈」「贅沢」は「必要」の反対であるけれども、この区別が一般に考えられているものとはいささか異なる、というのがこの本の重要な論点のひとつである。われわれ自身の肉体的生活、知的生活、そして道徳的生活の向上発展を図り、さらに利他的に他のひとびとの肉体的生活、知的生活、そして道徳的生活の向上発展を図るような目的で費やされる場合は、大きな費用をかけても決して「奢侈」「贅沢」にはならない、という。そういった観点から逆に、意味のない消費はたとえ金持ちがさほど大金を費やさない場合でも「奢侈」「贅沢」である。金持ちでない人が高価な食事をする、あるいは高級な品物を所有するという場合にも、もしさきほどの意味がたしかにあるばあいには「奢侈」「贅沢」とはならない、というのである。
 説かれている内容のポイントについては、ほとんど納得できる。ただ、少なくとも現代の実感からみて、生産者が利益を求めて奢侈品の製造に傾注するがために万人に必要な製品の製造が抑制される、という説明は説得性に欠ける。生産者が利益を求めるなら、総需要が大きいことが重要で、単純化すればより大きな市場を期待できる製品を製造するのが正攻法である。つまり企業としては、単価に総量を掛け算した総需要が大きいものをターゲットにするのが通常である。たとえば衣服の生産を例にとると、単価は高くても数量が見込めない高級ブランドの衣服より、ユニクロのように多少単価は低くても大量の顧客数を見込めるような衣服を扱うことが、利益の最大化を達成できると考えることが一般的である。
 さらに、私企業は利益を追求しようとして、社会にかならずしも有益でない、むしろ有害な商品でさえどんどん製造・供給する、と著者はいうが、現実はそうでもない。少し大きな企業ともなると、従業員もそれなりの多数となるが、そうなるとその従業員たちが生産する製品が多少なりとも顧客やユーザーに喜んでもらえる、有益と思ってもらえるようでなければ、従業員に意欲をもって懸命に働いてもらうことはできず、結局事業はうまくいかないのである。
 なぜ貧困が発生するのか、という問いに対しても、近年さまざまな説が登場してきている。ジョン・ケネス・ガルブレイス『The nature of Poverty 』では、1950-60年ころのインドの貧困の様子を長期間にわたって著者が現地観察した結果から、かなりの範囲で人々が自らの貧困に自発的に慣れ親しんでしまう強い傾向がある、と説く。ガルブレイスはアメリカの学者のなかでもとりわけリベラルな人であり、単に偏見と片付けられない。デビッド・S. ランデス 『強国論―富と覇権(パワー)の世界史』では、経済活動を国別に考察した著者は、その国民のもつ生活文化が経済活動の成果に大きく関与しているとする。たとえばイスラム教の国では、製造業や生産活動を宗教活動にくらべて軽視しがちで、そのため全体として経済的生産性が大きく低下している、と指摘する。この事実は、私自身もシンガポールに赴任中に体験したことでもある。
 そういったいくつかの頷きがたい点や問題点があるが、河上肇のこの本は、全体としてはとても良い本だと思う。社会主義者、マルクス主義者と聞いていた河上肇だが、この本から感じるのは、よくある浮ついた軽薄な左翼ではなく、実に慎重で思慮深く、どちらかといえば保守的な性向をベースに着実な論理展開がなされていて、その点からも好感がもてる。たしかに、若い人たちに推奨できる一冊である。

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呉座勇一『応仁の乱』中公新書

 歴史学者が著した専門的知識に基づく概説書であり、決して平易ではないはずだが書店で人気が極めて高く、数少ない「専門書」系のベストセラーとして評判の高い本である。「応仁の乱」は高校の教科書にも現れるが、名前だけ憶えていても、その内容となると私もほとんど知らなかったので、この機会に読んでみることにした。
 応仁の乱は応仁元年(1467)にはじまり10年以上にわたって、京と畿内近国、さらには越前・備前など周辺諸国にまで広がった、長期間かつ大規模な戦乱であった。
 応仁の乱の始まりは、守護でありさらに管領家でもある畠山家の内紛に、大守護大名ではあるが管領家よりは家格の劣る山名宗全が、畠山家内紛の一方の当事者畠山義就(よしひろ)を抱え込んで足利幕府政権を実質的に乗っ取ろうとしたことであった。山名は、将軍義政の親政打破を目論んだが、そこに至るまでには、さらに20年ほど遡る将軍義教の個性の強い政治があった。乱が始まると、山名は細川勝元と対抗するが、山名と細川の対立は、終始決定的に強いものではなかった。乱で細川方についた将軍義政だが、彼の優柔不断と大局観の欠如、さらに大名たちへの統率力の限界もあり、はじまった当初は京のなかのみの短期間かつ小規模で終息すると思われた戦争が、だらだらとなかなか終息せずに延々と続いた。山名も細川も自分の周囲に多くの大名・土豪を引き連れ、それら取巻きたちがそれぞれ勝手に動いたという側面もあった。終盤では山名宗全も細川勝元もともに病死したが、戦いはそれぞれの一族や追随者たちに引き継がれて継続した。しかし、双方ともに総じて戦意は低く消極的なのに、終わることのできない戦乱となった。当事者たちが当初想定していたのに反して延々と長引いたのは、近代の第一次世界大戦に似ている。
 なにより。戦争の当事者たちが何のために莫大な金・時間・人的資源のコストを払って意味の判然としない戦争を続けるのか、マクロにはわからなくなっている。
 この大きな戦乱の前後で、当然ながら権力構造も社会も大きく変わった。応仁の乱の前は、複数の国を統べるような大名たちがほとんど在京して、将軍の周辺にいて大名同士の交流もあり、多数の家臣たちや従者たちを引き連れて在京することで、京も繁栄した。しかし応仁の乱の後は、ほとんどの大名たちが国に帰り、在京するのは家臣のみとなっていく。大名たちは領国とより深く向き合うようになり、反面で将軍権力は地方にはおよばず、幕府は畿内政権の性格を強めていく。足利将軍権力は、権力を伸長はできないまでもそれなりに努力を重ねて強かに存続したようだ。私たちはなんとなく、応仁の乱で足利将軍権力がほとんど崩壊してそれが戦国時代を導いたと思っていたが、諸大名が国に帰ってそれぞれの領域支配を確立するようになったことが、戦国時代を導いた要因としてもっと意味がありそうだ。
 いつの時代でも、またどの戦争でもそうだろうが、戦争そのものが大きなインパクトをもたらすこともあって戦争そのものに注目しがちだが、戦争の前も後もしっかり見通さないと戦争そのものの歴史的位置付けができない、といういわば当たり前のことを改めて考えた次第であった。

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渡辺一郎『伊能忠敬の歩いた日本』ちくま新書(2)

日本全国地図創成の大事業
 事業を離れた忠敬は、上方から幕府に招聘されて天文方として江戸に勤務していた高橋至時(よしとき)に出会い、やがて上総から江戸に移り住んで天文学。暦学を師事した。
 忠敬は、天文学への興味から地球の寸法を計測することを考え始めた。そのためには十分な距離を隔てた地点で緯度を正確に測定することが必要である。このために江戸から蝦夷地まで距離を実測して緯度の差を計測することを考えつき、考えただけでなく驚異的な実行力で成し遂げた。この時点では目的は地図の制作ではなかった。

Photo しかしこの最初の計測事業で、江戸から蝦夷東海岸にわたる、かつて存在しなかった高い精度の沿海地域の地図ができた。これが幕府の関心を惹き、以後地方ごとの測量事業が成功例の積み重ねとして継続・拡大された。最初の測量の旅は全く自費であり、100両(約1,200~1,500万円)を費やしたという。事業に成功して金に困らなかった忠敬ならではの事業の始まりであった。
 伊能忠敬による日本地図測量事業は、21年間にわたり計10回実施された。回を重ねるごとに幕府からの支援も拡大し、測量部隊も大きくなっていった。とくに第4回のあと将軍家斉が直覧におよび、以後は天下の事業となった。事業が大きくなり幕府が肩入れするようになると、さまざまなところから賂や誘惑がしのびよる。忠敬がそれらに陥らず、着実に事業だけに専念できたのは、単に彼が清廉だからのみでなく、金に頓着せずに済ませたことが大きいと思う。
 伊能忠敬が残した地図は、江戸時代が終わるまでは幕府の専有物として原則秘伝の扱いであった。明治に入ると、帝国陸軍が制作する地図の元図として使用され、やがて出版されたが、忠敬の制作からすでに50年以上が経過していた。日本地図として伊能図が全面的に改訂されたのは、伊能忠敬がつくってから100年以上経った昭和4年(1929)であった。
 長期にわたり体力的にも精神的にも激務であったはずの測量事業を、第二の人生として成し遂げた伊能忠敬は、まさに偉人であるが、人並み優れた行動力と実行力を支えた大きな要素のひとつは、隠居までに事業で蓄えた財力であったと思う。100年先をみとおした卓越した洞察力とともに、この基盤としての金の要因にも注目すべきだろう。

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渡辺一郎『伊能忠敬の歩いた日本』ちくま新書1999

伊能忠敬の前半生―成功した事業家
 わが国で最初に本格的な地図を、日本全国にわたって測量し作成した先駆者として、私も伊能忠敬の名前は知っていた。しかしその人物や仕事の詳細については、ほとんど知るところがなかった。このたび偶然この書を知り、読んでみたのであった。
 この本のお陰で、伊能忠敬という人物がどういう存在であったのか、その仕事・業績がどういうものであったのか、わたしにとっては、はじめてはっきりしたイメージを得ることができた。
Photo
 まず伊能忠敬というひとが偉大であったその基盤は、49歳まで営々と誠実かつ懸命に働いて、十分な財力を蓄えたことであった。伊能忠敬は、延享2年(1745)上総国、現在千葉県の外房九十九里浜の小関村に名主小関家の三男として生まれた。いくつかの偶然ともいうべきめぐり合わせで、17歳のとき、生家からは少し離れた佐原の酒造家伊能三郎右衛門家に婿入りすることになった。伊能三郎右衛門家では、たまたま当主か亡くなって、21歳で子持ちの未亡人の年下の婿となったのであった。婿入りしたときの伊能三郎右衛門家は、赤字に転落していたわけではなかったものの、当主をなくして苦境にあった。有能な実業家として忠敬は事業に邁進。拡大し、酒造のみならず運送業、薪問屋、貸家、農業、米商、金融業と現代の総合商社のように多角的に事業を展開して、一大豪農商となった。32年間働き、49歳で隠居するまでに3万両以上の財座を積み上げたという。現在の貨幣価値に換算すれば30~40億円くらいに相当する。

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木村尚三郎『歴史の発見』中公新書

 ちょうど半世紀前1968年発刊のフランス中世史家による新書である。材料としては西欧史をもちいるが、論ずることは歴史学の基本的な考え方、つまり歴史哲学というべき内容である。
 「歴史的思考」とは何かについて、まず「現代社会とはなにか」を過去の社会を考察することで析出させるのが歴史であり、その過去の社会すなわち現代とは異なる異質な社会への思考実験としての問いかけこそが歴史学であるとする。史料に基づいて過去を再構成するのだが、当然その営為はそれを行う歴史家が抱く問題意識に規定される。
 現代につながる「近代」をまず定義する。近代とは個の論理、すなわち私の論理が確立する時代である。そこでは法律体系として、国家と個人の間の権利義務関係を規定する「公法」と、国民相互間の横の権利義務関係を規定する「私法」とが明確に分離される。そこでは「私的所有権」が確立している。
 時代区分の基軸は「地縁的組織集団」である。統一的権力を内在する地縁的組織集団ができて、それが領域的強制力を確立したのがヨーロッパでは11世紀ころであり、それ以前を「先史時代」とする。
 農村共同体ができ、地縁的農業組織集団が確立し、それを封建領主が率いるのが11~13世紀である。地縁的農業組織集団が地縁的工業組織集団にとって代わられ、それをベースに近代市民社会が構成されるようになるのがヨーロッパでは20世紀ころである。この間の過渡期たる14~19世紀は、封建社会が崩壊してゆき絶対主義が現れ、市民革命が続き、マルクス主義も出てくる。このような歴史の流れをマクロなウィジョンとして提示する。
 興味深いエピソードとしては、イギリスは歴史的にみると、未成熟な農業経済社会から一挙に地縁的工業組織集団へ脱皮したという特異性をもち、そのため社会の特徴として、私的所有権を含む「個の論理」や市民社会の理念が希薄で、公法と私法も未分離な部分を残し、たとえば成文法としての憲法を未だに持たないこと、などを指摘している。
 以上の諸点は、わたしにとっても理解しやすいものであるが、さすがに半世紀前の論考だけに、現在ではあてはまらないところもある。たとえば、この本が著された当時は資本主義陣営と社会主義陣営とが対立して冷戦構造をなしていた。さらに冷戦構造は安定期に入り、資本主義下でも経済活動に広範囲に国家の行政指導が入り込み、私的所有権ですら一定程度国家権力に組み込まれ、資本主義と社会主義とが接近する傾向があった。たとえば西側ではフランスでは広範囲に国家行政が経済活動に介入し、そのことが時代の趨勢をリードしているような印象すら存在した。わが国の1950年代の戦後復興なども、典型的な国家主導であった。しかし1989年を画期としてマルクス主義陣営が崩壊し、現在は新自由主義という言葉さえ出るほど経済は政治・行政から距離を置くようになっている。そのような時代遅れの点もあげられるが、不易の真理を多々学べる良書である。
 私は最近になってささやかながら日本史に取り組んでいる者だが、広く歴史的についての基礎的な論考として、非常に啓発的で興味深い読書であった。

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呉善花『韓国併合への道』文春文庫

他人事でない自立できない国家の悲劇
 このたび、「韓国併合」について、ふたつの新書を読んだ。ひとつは海野福寿『韓国兵併合』岩波新書、1995であり、もうひとつがこの呉善花『韓国併合への道』文春文庫、2000である。
 この本の最大の特徴は、著者が韓国人であり、朝鮮の長い歴史の積み重ねに基づく朝鮮半島の人々の政治感覚と政治風土について解説があることである。私の場合は、この種の記述に触れるのが初めてであり、もちろんこの本だけですべてを理解したように思ってはいけないのだろう。それでも、とりあえずはひとりの韓国知識人の歴史の見かたとして貴重である。
 呉善花氏は、韓国併合の結果を導いた最大の要因は、日本の問題以前に、当時の朝鮮側の政府や人々の側に問題があったとする。有史以来中国を宗主とする華夷秩序体制の下で真の独立した国家運営を求めもせず、したがって経験せず、19世紀末の西欧列強の進出に対して中国・ロシア・日本などの近隣の強国に強く依存する他に生き残る術を見いだせない国であったことが、結果として日本の韓国併合を結果した。
 この書を読むと、翻ってわが国の今後が深く憂慮される。憲法9条さえ堅持すれば平和独立が維持できるなどという空論は論外としても、いつまでもアメリカの傘の下でいいのかという素朴な憂いが擡げてくる。日本単独で平和を維持するのも現実味がないが、一定度の自立を実力として保持しない限り、わが国の自立・独立はありえないだろう。
 歴史に関する著作は、たとえ同じ史料に基づいていても、その解釈やそれによる歴史像が大きく隔たることがある。著者の思考のバックグラウンドがそれぞれ違うのだから当然である。多様な人々の著作を読んでみないといけないと思うととともに、深刻な問題がけっして他人事ではない、と思い至ったのであった。

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海野福寿『韓国併合』岩波新書

 著者の海野氏は自ら外交史の専門家ではない、という。なのになぜ外交史を軸とするこのような書を記すに到ったのかについて、1993年平壌で開催された「日本の戦後処理に関するピョンヤン国際討論会」に参加し、「従軍慰安婦問題」や「強制連行問題」を議論したところ、北朝鮮側の主張は「従軍慰安婦問題」「強制連行問題」などの個々の問題以前に「日本の朝鮮支配全体の責任」を問うものであった、という。日本の植民地支配そのものが正当性・道義性を欠いていたから、「従軍慰安婦問題」や「強制連行問題」をひきおこしたというのである。
 海野氏は、これを問題提起として「にわか勉強」で研究の末「韓国併合は形式的適法性を有していたが、正当でもなく道義性もない」という結論に達したとする。
 この書は、明治5年(1872)のわが国明治新政府使節の朝鮮派遣、続いて発生した江華島事件からはじまる。それに続く日本と朝鮮の間のやり取りについて、不平等条約、壬午軍乱、甲申政変、日清戦争、大韓帝国成立、日露戦争、大韓帝国の保護国化、朝鮮内の義兵闘争、そして韓国併合にいたる国際政治過程について、主に外交を軸に説いている。
 海野氏は、明治初期の江華島事件から韓国併合まで、40年間一貫して日本は朝鮮の植民地化を目指し、朝鮮を見下しながら、常に侵略の推進に邁進してきたとする。清国に対しては前近代の「華夷秩序」を背景に朝鮮の宗主国を主張はしても、朝鮮を服属させてはいなかったし、朝鮮の内政。外交に介入してはいなかった、と一定度擁護するが、日本の政治家については、たとえば韓国の併合に反対して保護国化を主張し朝鮮の教育普及・殖産興業をはかった伊藤博文でさえ「思いあがった、独立冨強の名分をふりかざす侵略主義者」とする。海野氏からみると、明治時代から日本人は朝鮮に対して終始一貫して稚拙で卑怯で卑屈で悪意に満ちた存在であったかのようである。人数がかなり多かったわりにたいした成果もなかった義兵蜂起など朝鮮側の民衆運動に対して、過大とも思える評価をしているのも特徴である。
 史実に対する評価の面では、以上のように首肯しかねるところが多々あるが、史料に基づく事実関係の部分については、得るところもある。
 いわゆる「自虐史観」とは、こういう考えなのだろうと理解した。

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