2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
フォト
無料ブログはココログ

書籍・雑誌

矢崎源九郎『日本の外来語』岩波新書

日本語の豊かさを育てる意識と努力の必要性
 1964年刊行の新書である。言語学者が、日本語のなかの外来語について、日本人と日本語のために丁寧かつ気さくに書いてくれたエッセーという感じの新書である。
 日本語には、1960年代にすでに1万以上の外来語があり、その半数くらいは知っておかないと知的生活には多少とも支障があるという。外来語の大部分は英語由来であり、その英語も、そのもとはフランス語をはじめとする英語以外のことばからの借用となっている。イギリスは1066年のノルマン朝発足から300年くらいの間に猛烈な勢いでフランス語を取り入れた。日本は戦国時代ころから、ポルトガル、スペイン、中国から多くの語彙を得た。そして明治維新以降には英語、フランス語、ドイツ語を大量に取り入れた。歴史的な経緯は、いずれの国でも外来語に大きな影響を与えている。
 現在私たちの周辺に定着している耳慣れた外来語も、そのもとを遡ってたどれば、興味ある事実に行き当たることが書かれている。たとえば、テニスのボレーと、バレーボールのバレーとが、実は同じ言葉のイギリス式とアメリカ式の発音から由来していることなどはおもしろい。
 著者がいうとおり、日本にない発音を持つ原語を日本語として取り入れる場合も多く、その場合日本語に馴染みやすい発音に変形されてしまうのも当然の成り行きであり、どこまでもとの外国語に近いものとできるか、日本語として馴染みやすいものとなり得るか、は簡単な問題ではないだろう。著者が説明してくれる具体例は、それぞれ興味深いものばかりだが、外来語の「不自然さ」には、それぞれにもっともらしい要因があって、簡単に割り切れない難しいものばかりである。
 この書が記された時代から半世紀以上が経ち、近年ではやはり英語が圧倒的に多いのは変わらないが、コンピューターや情報工学にかんする簡略語、たとえばリゾ=resolutionやAI=人工知能など、ごく短い略語が大量に溢れてきている。外来語はこれからも一層大きな勢いで入ってくるのは間違いないだろう。著者のいうとおり、流行に乗っていったん普及するものの、すぐに廃るようなものでなく、日本語を豊かにするものを育てるように、私たち一般人が意識して、継続して努力することが大切であろう。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

広尾克子『カニという道楽─ズワイガニと日本人の物語』西日本出版社

 「かに」を求めてかにの産地に宿泊までして出かけ、その美味に満喫して帰ってくる。これは、たしかに他の食材に普遍的にみられるようなことではない。著者はこれを「カニのグルメツーリズム」、略して「カニツーリズム」と名付けて調査・検討し、この本を記した。
 著者は、長年旅行会社で活躍したキャリアウーマンであり、勇退後このカニツーリズムを探求しようと大学院博士課程に入学して、数年間学問的に研究してきた。
 海洋生物、漁業などを研究対象とする民俗生物学・生態人類学の学者である秋道智彌が「カニと日本人の関係をこれほど掘り下げた本はかつてない。」と推薦文を記しているが、それは著者のそういう背景による。
 ジャーナリスティックな、カニとそれにかかわる人々の動きの観点からの解説は当然として、旅行の専門家としてカニツーリズムのこれまでの経緯について詳しい調査と考察があるだけでなく、生物学的観点から、食物学的観点からなど実に多面的かつ長期的視野から論考している。カニに関わる人々の経営学的観点からの考察も、いわゆるジャーナリストでは到底到達できない水準のもので、民間企業の幹部経験者ならではのものといえる。また、ジャーナリストではない学者の視点として「なぜそうなるのか」を詳しく論考し、かつ議論の分かれるところは慎重に両論併記するなど、片寄の回避・公平性の担保も配慮されている。
 なにより、カニという食材と食文化が、たんにブランドや流行に左右されることなく、純粋にカニの美味を愛する多くの人々の欲求を、愚直に満たす方向で普及・発展してきたことが、よくわかる。
 旅行の元専門家でありかつ社会学者であるだけでなく、なにより心からカニを愛するグルメで酒好きたる著者の、パッションとエネルギーの迸りが伝わってきて、高度で内容豊富なだけでなく、とてもおもしろい本である。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ブルクハルト『世界史的諸考察』(7)

世界史における幸不幸について
 ここでは、歴史の結果にたいする人々の評価についての論考である。歴史に対する人々の評価の妥当性は判断しにくいが、いくらか大きな時代の継続を見渡せば、判断の妥当性はわかる。
 歴史への私たちがする評価には、いくつかの性癖がある。興味あるように思われるものを幸福としてそれに味方し、倦怠を感じるものは不幸として反対する。すなわち私たちは遠い時代の望ましいもの(そんなものがあったとして)を私たちの想像力の楽しみとすりかえる。人は自分の趣味で判断することもある。あたかも誰にとってもまさに貴重なものであるような要素があれば、それが強力であったような時代や民族を幸福とする。また、人は安全性で幸福を判断しがちでもある。しかし安全性こそは、他の点では永遠の輝きで周囲を照らし人類の歴史において終末の日まで高い地位を占めるであろうと思われる多くの時代でさえ、実は気遣わしいまでに欠落していたものである。
 そして最後に共通する傾向として、人々の「利己主義」による判断をあげるのである。私たちの本質となんらかの類似性をもつ時代をとりあえず幸福と考え、私たちの現在の生存と比較的快適な状態であることの要因のように思える過去の力や人間を賞賛すべきものとする傾向がある。自分の現在の時代をこれまでの歴史的経過の充実した結実とみて、実際の過去の歴史がただ多くの過ぎゆく波のひとつだとは考えない。しかしすべてのものはひとつひとつ私たちをもふくめて、ただ自分自身のためばかりでなく全過去と全未来のために存在するのであり、そのような偉大な全体に対しては、民族や時代や個人が抱く幸福や快適に対する要求は、きわめて従属的な意味にすぎなくなるのである。そして幸福な状態があったとして、その状態にとどまることができると考えるのは、実は大いなる過ちである。留まることは停滞であり死への道である。さらに積極的な感覚としての幸福の表象が偽りで、幸福とは苦痛のないことに過ぎず、せいぜい成長の微かな感情と結びついているに過ぎない。外から見る印象として、長い間同じ姿を保ち、可もなく不可もなくその運命に満足しているような民族も存在するが、それはたいてい専制政治の結果である。専制下の最初の世代はきわめて不幸を自覚するが、後の世代はすでにその前提の下に成長し、ついには変えられないことを変えることを欲しないまま体制を神聖化し、おそらくは最高の幸福としてそれを讃えるようになる。
 すべての成功した暴力行為も悪であり、不幸であり、少なくとも危険な実例である。しかしたとえ暴力が権力を築いたとしても、やがて時とともに人類は不屈の努力で単なる力を秩序と法制に変えるべく前進するのである。人類は暴力状態を治癒する能力を持ち、癒すのである。私たちが認識できる歴史的展望を直ちに世界史の摂理と理解することには、十分心しなければならない。また、暴力によって時ならずして奪い去られた真実の個人の生活は、どれもただ取り返しがつかぬものと断じて差し支えない。
 貴重な芸術については、不幸にも歴史から姿を消してしまった、つまり失ってしまった作品が、その事態が、後の新しい優れた芸術作品を誕生させるチャンスを与えたのかも知れない。[完]

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ブルクハルト『世界史的諸考察』(6)

個人と普遍(歴史的な偉大さ)
 歴史の進展は、偉大な人物に負う側面と範囲が厳然としてある。ブルクハルトは、「世界史的運動が単なる死滅した生の形式や反省的な饒舌から周期的に断続的に自由になるために、偉人達の存在が私たちの生活には必要だ」(261ページ)という。そして「思索する人間にとっては、これまで過ぎた全世界史を前にして、どのような偉大さに対しても精神を開いておくことが、高度の精神的幸福の数少ない確かな条件のひとつだ」とする。
 まず美術家、詩人、哲学者についてである。これらの存在価値は、①時代や世界の内的実質に直観をもたらすこと、②それを不朽の叡智として後世に伝承すること、にある。美術や詩の偉大さには、3つの階層がある。第一級の真の偉大さの外周に、第二級の偉大さとして第一級を伝承し様式化として固定することで第一級を指し示す。さらにその外周に第三級として外面化を行い偉人が何にどのように偉大であったかを表現するのである。
 神話の創始者や宗教の創始者も、名前を知り得ないものも多いが、かけがえのない偉人である。
 そしてようやく、歴史上の偉人たちについて述べられる。チンギス・ハン、カエサル、クロムウエル、アレクサンドロス大王、カール大帝、ピョートル大帝、フリードリヒ大王、法王グレゴリウス1世などが取りあげられ、それぞれに解説がある。
 偉大さの本質として、まず「何が解決すべき問題か」を的確に把握し、「どうすれば解決できるか」を知り、「いつまでにできるのか」を見積もれることが必要である。そして課題を達成するために、情勢をわがものとする強靭な意志力、心の強さが求められる。さらに「心の偉大さ」ともいうべき資質がある。例としてナポレオンの言葉が引用されている。「私はここ(ルイ16世の椅子)に座りながら、人の薦めることのできる善いことは、すべてやるというようなことはしないように、十分気をつける必要があることを、まもなく悟るようになった。そんなことをすれば、世間の人々の考えはさらに私を上回ってしまうだろうからである。」そして、今やナポレオンは、フランスを、後見を要するもの、または病めるものとしてではなく、手に入れた獲物として取り扱うのである。
 偉大な人物は、多くの場合戦争と、その結果として後に残る影響の内容に大きく関与する。例として、古代ギリシアの二人の人物、ペルシアとの戦いに勝ったがギリシア・アテナイからも距離を置き、アテナイから陶片追放されてペルシアに自死したテミストクレス、そしてアテナイのデマゴーグでスパルタに寝返りペロポネソス戦争でのアテナイの敗北をもたらしたアルキビアデスである。
 個人の偉大さは、①その全生活の最高の表現として現れるか、あるいは②在来の状態を変革する死を賭した戦いとして現れるかのいずれかである、とする。偉大さの使命は、それが個人的なものを超えた意志、つまりその出発点に応じて神の意志とか、国民または全体の意志とか、一時代の意志とかに名付けられるひとつの意志を実行することにある。そのとき、無限に多数の人々の力と力量とが集中しているひとりの人間が必要となる。つまりその偉大な個人は、国家が本来欲したに違いなかったものを知りそれを実行する。しかし国家がこれを正しくもあり偉大でもあると認めるのは後の事である(253ページ)。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ブルクハルト『世界史的諸考察』(5)

歴史的危機
 歴史を進める基本的な力たる国家・宗教・文化が、相互に関連をもって歴史を動かすのは、漸進的・永続的な運動であり、ある種の平衡点の近辺を前後してゆらぐような性質のものであるが、現実の歴史はこれらの諸力の他に、突然加速度的に急激かつ甚大な変化をもたらす要素、敢えて危機と呼ぶようなものがある。
 危機の典型が戦争である。ヘラクレイトス「戦いは万物の父」というが、国民の力は戦争をして勝敗を決したときのみ知ることができる。ただ戦争の暴力行為は、たとえ成功したものであっても少なくとも醜聞(スキャンダル)に過ぎず、高く評価すべきではない。戦争はできうる限り正しい名誉ある戦争であるべきで、防衛の戦争であるべきである。
 古代ローマ帝国は、さまざまな反乱が起こったが、いずれも帝国そのものを崩壊させるだけの力にはならず、強権を持つ者が交代はしたが、帝国は存続した。これが崩壊させられたのは異民族たるゲルマン人の移動による侵略が発生したときであった。ここで新しい物質的力の流入と融合が余儀なくされた。イスラム教の侵略も、聖戦の戦死者に天国を、勝利者に世界支配を約束する狂信に対抗するには、ササン朝やビザンティン帝国は根本的な変革なしには抗し得なかった。
 宗教改革の場合は、僧侶階級の改革と教会財産の適度な縮小で回避できたかもしれない。はじめは新しい教会などという積極的な理想や理念はなかったのである。
 1789年のフランス革命は、暴力行為を回避することははるかに困難であった。知識階級にはめざす具体的な夢としての目標があり、大衆には積年の憎悪と復讐心があった。
 人間のなかには、周期的に大きな変化への衝動があり、危機の前提条件はごく短時間に大衆に感染して爆発するのである。第一次十字軍(1095年)やドイツ農民戦争(1524年)が挙げられる。このような危機には、一定の相貌がある。最初に抗議に亢奮した群衆の発生があり、ついでそれに加えて直接は関係しない原因を含む強大な追い風がある。そして従来となにかちがったものを得たいと願うすべてのひとびとの合流がある。この盲目的な結集、予期しない同盟者こそが大変革の実力となるのである。
 危機のはじまりの理念的側面については、貧窮している人ではなく、向上に努める人が貢献する。彼らが始まろうとする危機に理念的な輝きを与えるのである。そうしてできた絢爛たる希望の茶番劇が、つぎに国民の全階層に伝わる。希望に満ちた幻想の時期がくる。
 このような危機のはじまりに対して、その最初の段階で評価するのは非常にむずかしい。事を決するのは、計画ではなく燃料の大きさなのである。そして物的反対によって燃え上がる。本物でないかまたは不十分な危機は、最初の喧騒が大きくとも、たちまち衰える。
 ブルクハルトは、ペロポネソス戦争、フランス革命を例にとりあげ、革命の進む中で、情熱の冷却、反動、恐怖政治、俗悪者の台頭、政治的専制への移行、など予期せぬ者の出現や予期せぬ方向の発生などが述べられる。たとえば、フランス革命では、自由があまりに悪しき人の手にあるのを見た人々が、自由を欲しなくなって専制を望んだ。しかし専制は本来無保証で恣意的であり、既存の大きな力の相続者として外部への武断的政策をとらずにはいられなかったのである。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ブルクハルト『世界史的諸考察』(4)

国家・宗教・文化の相互間の6つの規制関係(下)
⑷文化によって規制される国家
 多くの場合、国家はその草創期には宗教と密接に関わり、文化に対しては規制した。わずかな例外として、古代フェニキアがある。この都市国家では、国王とならんで古い世襲の統治能力ある氏族が支配し、神権からも階級制度からも自由な政治が行われた。ここでは文化は商売の取引のように大衆の機嫌を取り利益や仕事を与えることで成立し繁栄した。穏やかな統治手段しかないのに高度な愛国心が現れ、享楽への欲望は大きかったが文弱に陥らず、文化に大きな功績を残した。
 古代ギリシアでは、とくに植民地において当初から商工業や自由な哲学が盛んな文化による支配であり、それが民主制を生んだ。新たに流入した住民と幸福な混合隊をなして圧政なく生活は豊かに発展した。ブルクハルトは、古代ギリシアを高く評価する。しかし民主主義は扇動政治家の支配を招き堕落し、僭主制に陥りがちである。その点では、貴族制の方が優れる、とする。
 ローマ帝国は、都市国家として完成を達成し、民と文化を救った。これを継いだゲルマン・ロマン国家は、粗雑な素人細工の国家であり、野蛮な間に合わせに過ぎず、侵略の衝撃と興奮が去るとただちに没落した。その喪失した要素を教会が全体として相続し、権力は分断され荒廃した権力の断片となった。この混乱の中からピピンはフランク王国を救い出し、やがてそれはカール大帝とともに世界帝国となったが、強力な蛮族があまりにも多数存在して、弱い統治は権力を教会と分かたねばならなかった。封建制のはじまりである。
 このようななかでは、国家の優越でなく、むしろ国家の弱体化が文化の阻害と停滞をもたらした。分断された権力のそれぞれの断片は、それぞれの部分の文化の強い影響下にあり、その部分文化が規定的役割を担った。そんななかで個人の人格は、自由に意志を発現させ得た。
 やがて次第に中央集権国家が成長し、それは本質的に文化を支配し規制した。しかし18世紀になると、哲人たちが社会契約説(ルソー)を説き、主権在民の理想が現れ、一方では営利と交易の世代がはじまり、重商主義が行われた。イギリスは、産業革命で大規模工業を起こし、信用制度を構築し、インド・ポリネシアに進出した。産業は、国内的には国家が援助しても活動を制限せず、外国に対してはできるだけ強力であることを望んだ。
フランスでは革命が起こった。フランス革命の理念は、政治的にも社会的にも大きな影響を与えた。下層からみると国家のどんな特権も認められないと思え、国家形式の絶えざる変化を求めるようになった。しかし同時に国家には崇高なプログラムの遂行のためにより大きな強制力をも求める。個人として奔放な自由を求めつつも、普遍の下に強力に拘束されることを願うのである。結局、国家権力の統一と国家の版図拡大が崇拝されるようになった。

⑸国家によって規制される宗教
 国家によって規制される宗教としては、まず両古典宗教があげられる。
 ギリシア・ローマにおいては、僧侶も神学者も存在せず、人々はすべて俗世界にいた。宗教を国家に奉仕させようとはしても、宗教をあてにはしなかった。
 古代のキリスト教徒は、ローマという統一国家の民であり、なんとしても新しい社会を築き、唯一の教説を正統派のものとして、信仰共同体を階級組織として形成した。そのすべてのことが地上的行動であった。すでに迫害を受けつつも国家的宗教の性格をもっていたのである。その結果、コンスタンティヌス帝の下に事情が一変するや、急速に国家を吸収した。しかし地上的な権力との接触は、宗教に強い反作用として国家主義の感染をもたらした。教会は、権力と財力の権化となり、力を蓄えたが、その力こそがそれ自体悪であった。
 近代の民主主義的産業的精神は、キリスト教会に対して敵対的となり、対抗して教会は組織化と対策を必要とした。教会は俗世の支配権を喪失することを予見し、ピウス9世の『誤謬表』を発表した。国家の側では、教会の完全な分離はむしろ心配の種になりかねず、望まなかった。結局、ヨーロッパの大国家はいずれも許容している宗教に関しては、そのすべてに間接的な支援と保証を与えた。これは新宗教の発生を困難にした。
 ロシアでは、ギリシア正教を国家機関化して政治手段にした。

⑹文化によって規制される宗教
 宗教は、国民や時代が持つ文化の影響を受けて変化する。文化から宗教批判も発生する。キリスト教は、ギリシア人、ローマ人、ゲルマン人、ケルト人など、新しい国民を受け入れるにしたがって、時代時代にまったく別の宗教となった。キリスト教初期の使徒の時代は文化との接触は少なく、主の再来の期待が軸となり信徒は団結し、清貧に甘んじた。異教の皇帝の時代には、彼岸と最後の審判がキーワードとなり、その一方でギリシアや近東の文化が入り込み、そのままでは崩壊の可能性すらあったものの、むしろ異教徒皇帝による迫害こそがキリスト教の存続をもたらした。キリスト教皇帝時代には、教会自身が権力者となり、近東的教義観である三位一体が主流となった。布教において、教義そのものに関心が薄い民衆のために、儀式はより重視されるようになり、複雑化した。ビザンティン帝国では、国民を屈服させ、破門は教説や外的規制だけで断行され、道徳は軽視された。さらにスラヴの迷信や吸血鬼の信仰などが入ってきて異教徒的内容と協調的にすら陥った。
 宗教改革の後は、キリスト教は文化と新しい関係を築いていく。文化は、研究と哲学という形態でキリスト教に対して、その人間的な発生と制限を指摘する。道徳は、できる限り宗教から離れようとして、良き行いのためのキリスト教は失敗した。人々の関心はもっぱら現世に向かうようになり、キリスト教の教義よりも自分の生活を大切にしようとする。
 美術や文芸は宗教の強力な支援者であるが、宗教は芸術によって制約を受ける側面もある。文芸の言葉や美術表現による可視化は、強力なインパクトをもたらす半面でなにがしか神聖さを損なうものである。そして芸術は宗教がなくても、それ自体として自立して存続できるものであることを忘れてはならない。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ブルクハルト『世界史的諸考察』(3)

国家・宗教・文化の相互間の6つの規制関係(上)
 歴史は決して体系的ではなく、もっとも非科学的であるけれども、多くの知るに値するものを提供する。まず国家・宗教・文化の相互間の6つの規制関係を考察する。
⑴国家によって規制される文化
 国家は、その力を介して文化にさまざまな規制を加えてきた。古代エジプトは、沿海の交通を遮断して階層間の交流を絶ち、上流階級の文化の独占を達成して専制政治を確保した。古代フェニキアでは、都市国家として通商を重視し、職業は生まれに依らず、農耕や商業にも敬意をはらう一方で、国家は民が市民であることを求め、市民として都市国家に奉仕することを要請した。
 ギリシアでは名誉と教養を輝かせ、芸術と科学が栄えた。これはローマに受け継がれ、世界帝国が完成した。ローマ帝国は、納税のみは厳しく要請したが、文化に対しては放任主義であり、世界文化としてヘレニズムを愛好した。
 中世の封建制度は、国家の分割と小国化をもたらしたが、その結果それぞれの国の文化が国家以上に浮上するという明るい側面もあった。逆にルイ14世のフランスでは、国家があらゆる文化に対して強制力を発動し、西欧的というよりモンゴル的な悪しき体制となった。
 国家は、基本的には文化にも宗教にも対立的な方向に向かう傾向があり、教養ある人々を迫害すると迫害されていない人々まで自由を厭いだして、国民の精神は自由を喪失し政治的権力を好意的に迎え入れるようにさえなってしまう。こうして自発的なものは死滅するおそれがある。反対に、強制がいっさいない自由に発展する文化は望ましいように見えるが、実は国民はなによりも強い権力、大きなものに属したいという性向があり、本質的に悪である国家権力の手中に陥り勝ちであるという面もある。強力な中央集権には、自発的な権力の制限は期待できず、強い国家権力は継続しやすいという事実がある。

⑵宗教によって規制される文化
 宗教は形而上学的要求の表現であり、文化は精神的物質的要求に応ずる存在だが、宗教は文化の母としての自負を持っている。そして宗教は、基本的には国家も文化もまったく自分に奉仕させようとするものである。その極みが神権国家で、そこでは宗教が国家と一体化して文化を完全に飲み込んでしまう。古代エジプトやイスラム教国が実例である。ブルクハルトは、イスラム教を悪魔的な宗教専制として批難する。
 ギリシア・ローマ帝国は、多神教の寛容さで文化の発展をもたらした。芸術も当時は青春時代ともいうべき溌溂さをもって宗教に奉仕し、宗教は礼拝などの儀式でも芸術を高めた。しかしビザンティンは、やがて文化を抑圧するようになった。カルヴァン派やピューリタン派も同様な傾向があった。
 芸術のなかでも詩は早くから宗教と距離を置くようになり、中立的で抒情的な美を磨いた。造形芸術は、引き続き長期にわたって宗教に奉仕しながら発展をつづけた。

⑶宗教によって規制される国家
 宗教は社会を共同させる主要な紐帯として、また道徳的状態の監視者として、国家に貢献した。国家と宗教との絡み合いは僧侶の政治権力参加をもたらし、権力の二重化だけでなく、一切の個人的なものが抑圧され、神聖冒涜の名のもとに残忍な刑罰をもたらし、それ以上の発展が不可能となるような聖の化石化も生じた。しかし反面では、個人的なものが束縛されるほどに強力な権力は、真に偉大なものを起こし目的を達成し、多くの知恵を獲得することがあり、国民も誇りを見出すことができたこともあった。古代エジプトがその例だが、それでも専制政治のために宗教が悪用されていること、その結果は過酷な抑圧であることは露呈してくる。
 イスラム教国家の場合は、国家様式も法形式も完全にイスラム教が決めるため、国家はすべて似通ったものとなり、国家は天上にも地上にもなんら保証を持たない過酷なものとなる。ブルクハルトは、イスラム教とその国家を評価しない。
 ギリシア・ローマ世界では、国家と文化が宗教を規定し、国家宗教と文化宗教があり、神々は国家の神々、文化の神々だが、国家がただちに神の国ではなかった。したがってキリスト教が入ってきたときすべては一変した。しかしそれを継いだビザンティン帝国では、キリスト教が文化も国家をも規制し、あらゆる政治や戦争に宗教が混入するようになった。ビザンティン帝国では、イスラム教のように宗教は政治と一体化し国家を支えながら、宗教としての精神的原動力は衰退していった。1453年オスマン帝国に陥落したのちもギリシア正教は存続したが、それは宗教の生命力の証明か、あるいは宗教としてはすでに死滅していたという証拠か。
 ローマ皇帝権力は、カール大帝(カロリング朝皇帝)・オットー大帝(ザクセン王、神聖ローマ皇帝)・ハインリヒ3世(神聖ローマ皇帝)など世俗権力の救済を得つつも、結果としては世俗権力を従えてより強力となっていった。世俗権力の諸国家が内部事情で分裂しても、ローマ教会は統一とカソリック精神を保持し続け、強大な現世の王国となった。
 ドイツ、スイス、スウェーデンでは、宗教改革において、政府が当初から改宗し組織化したことで、プロテスタント諸教会は最初から国家教会となった。のちにオランダ、イギリスでもキリスト教国教会となった。しかし、すべての人が平等な権利をもつという説が次第に成長した結果、それ以来は国家と宗教の分離が大きな問題となった。ドイツやスイスでは、すでに新教と旧教を同権としなければならないようになった。時代の変化が国家に変化を求める一方、宗教概念は同一のままでありたいから、これからは宗教の側からもよろこんで国家と距離をおくようになるであろう。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ブルクハルト『世界史的諸考察』二玄社 (2)

歴史の3つの力
 歴史を動かすのは、国家・宗教・文化の3つの力である。
⑴国家
 国家とは「政治的要求の表現」であって、その成立には2つの要因がある。
①力の体系化こそが国家のはじまりであり、暴力(ちから)の存在がそもそものはじまりである。
②国家に組み込まれるものに対する混成過程(融合)が必要で、必然的に極度の強制過程をともなう。
 したがって契約(ルソー)、国民、国民性などは、すべてあとから生成される要素であり、本質ではない。暴力が「支配力」に変ずるときこそが国民の政治的統合のはじまりであり、国家のはじまりなのである。この国家生成のときは、征服欲よりも必然性が主要なものであり、王朝も国民もまったく同じ方向を向いて動くのである。
 こうして国家権力が生成すると、国家権力において個人には否定される利己主義が堂々と肯定される。国家権力は、本質的に「悪」であることを忘れてはならない。国家権力は、弱小国は他国が簒奪する前に獲るべき、などと悪の行為に言い訳を与える。ヘーゲルが説くような、世界史的目的を推進する、などというのは事実でない。実際に、大多数の人々は先進国が未開国を征服することを、文化の主権として容認してしまうのである。
 国家は、その国民の個人に対しては利己を排除する。代わりに国家が国民にもたらす最高のものは、愛国心であり、国民としての義務感である。
 本質的に国家に倫理を求めるべきではなく、国家は正義そのものではあり得ない。しかし国家は正義の盾であるべきである。
⑵宗教
 宗教は、人間性の永遠にして不滅の形而上学的要求の表現である。人間の欠陥を超感性的な力によって補足する試みのすべてであり、人間が自分自身では与えることができないものを全体として代表する。
 宗教の起点は怖れと依拠であり、正常な人間の創作である。怖れは、もとは無限に広がっていたが、宗教は恐れの無限性に限定を与え、縮小し、定義を与えることで、人間に大きな貢献をした。宗教は、まず少数の瞑想できる民に受け入れられて教養となり、そののち労働に忙しくじゅうぶん瞑想できない民にそれぞれの受取り方で伝搬した。いつの時代でも人間は形而上学的要求をもつから、いったん所持した宗教は固守しようとした。ラゾォは宗教を3つに分類している。
①東洋の汎神論(インドなど)と西洋の多神論(ギリシア・ローマ)
②ユダヤの一神教とその後継たるイスラム教(ペルシャの二神教も)
③初めから世界宗教として成立した三位一体のキリスト教
 国民宗教と世界宗教という分け方もできる。国民宗教は、国語の聖典を持ち国家の文化・歴史に密着し、改宗を認めない。しかし他の宗教から要素を適宜導入することはある。世界宗教は、イスラム教とその他に分かれる。イスラム教は、まず戦争がありその勝利によって拡大したのが基本であった。イスラム教以外の世界宗教は、聖典を各国語に翻訳して社会的な普及手段を備え、階級の廃止や貧困・奴隷の廃止など社会的困難に対抗することで広がった。世界宗教は、国家の枠を超えて拡大したので、世界に危機をもたらす要因でもあった。
 宗教は、国家など大きな暴力には屈服し没落し消滅することもあった。バラモン教を支持するインドでは、仏教が滅ぼされたし、キリスト教を支持するに至ったコンスタンティヌス帝のローマ帝国では、ギリシア・ローマの多神教が滅ぼされた。それを防ぐために、宗教は国家にすり寄ることも多々あった。
⑶文化
 文化は、狭義の物質的精神的要求に応ずる人間の活動であり、自発的に起こり、一般の承認や強制的な承認を要求しない精神の総体である。固定しがちな国家と宗教に対して、絶えず変形や分解を促す重要な要因である。文化は形態としては広義の社会として現れ、成長しまた衰退する。そして国民や個人の中に、文化の成果は無意識に蓄積されるのである。
 文化の構成要素としては、まず言語がある。言語を学ぶことは文化を理解する王道である。
 もっとも非凡な文化として芸術がある。芸術は科学より一層謎に満ち、断片のみとして残ったとしても生き続けるのみならず、人間の強い復元欲求によって後代に大きな影響を与える。建築、絵画・彫刻などの造形芸術、音楽、詩などの多様な様式がある。ブルクハルトは、ヨーロッパ以外の文化に対しては、アメリカをも含めて軽蔑する傾向があるようだ。
 シヨーペンハウアとアリストテレスがいうごとく、詩は、人間の本質を認識するにおいて歴史に勝る。詩は、人間の本質の認識や時代的・国民的なものの開示において、歴史になにより純粋で美しい確実な源泉を与えている。詩は最古の歴史であり、神話の原形式であり、倫理の器である。詩は、賛美歌などで宗教を荘厳し、抒情詩として人間を直接表現する。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

ブルクハルト『世界史的諸考察』(1)

「主要現象」としての国家、宗教、文化
 26年も前のこと、私はある先輩から奨められてヤーコブ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』を読んだ。このたびは歴史論で高名な著作として、ふたたびブルクハルトを、つまりこの本をよむことになった。
 ブルクハルトは、この本の冒頭で当時歴史学会に多大な影響力をもっていたヘーゲルの歴史哲学、すなわち歴史が自由の概念を自己実現させることを究極の目標として整然と歩む、とする考え方に真っ向から反対し、歴史はその起源も究極の到達点もともに明らかにはし得ず、注目するある時点での事象を情念論をもふくめて真摯に先入観なく分析することこそが歴史の探求である、と主張した。ヘーゲルの通時的、時間的縦断面からの考察を否定して、共時的、時間的横断面の多面的考察を説くのである。過去は、現在を結果するためのものではなく、現在への精神的連続体であり、現在の精神的地平を再構成するための貴重な財産である、とする。
 そして考察の軸として、歴史を形成する「主要現象」として3つの力、すなわち①国家、②宗教、③文化を取りあげる。このうち国家と宗教は、その成立条件たる国家権力や教義に対する一般的承認を人々に要求するため、固定的、権力的存在であるのに対して、文化は人々が自発的に心に響いてくるものを納得することで成り立ち、流動的かつ自由な存在であり、まさに自由であることこそを条件として成り立ち発展するものである。ブルクハルトは、この3つの主要現象にそれぞれ重要性を認めつつも、自由を前提とする文化が歴史にどのように関わっていくかをもっとも注視している。私はこれを読んで、政治のとくに権謀術数ともいわれるきわめてドロドロしたマッキァベリの思考と行動を追った、いわゆる「文化論」とはまったく違う印象の『イタリア・ルネサンスの文化』という著作に、ブルクハルトが何故「文化」という名詞を敢えて挿入したのかが、はじめて理解できた。
 ブルクハルトは「歴史における三つの力について」で3つの主要現象について個別に定義して考察したあと、「六つの規制関係の考察」で3つの主要現象の相互間の歴史における緊張関係を分析し、さらにそれだけでない別の歴史推進要因として、革命や戦争を意味する「歴史的危機」を論ずる。さらに「個人と普遍」で、歴史を実際に推し進めるに大きな寄与をする歴史的な偉人について述べる。最後に「世界史における幸不幸について」と題して、歴史に対する私たち後世の人間がおこなう評価について論じる。ここでは人間が虚心に真実を求めて客観的に歴史を冷徹に観察することの難しさが説かれている。ここでのブルクハルトの指摘は、現代の「民主主義」における困難を予言している要素が多々あると思う。複数個所で、ブルクハルトは民主主義の欠点として、弛緩と腐敗から国家が弱体化しやすいことを指摘しており、これは時代が違うとの言い訳だけでは捨て置けない警句だと思う。
 約150年前の、わが国の明治維新ころの論考であり、当然時代背景も大きく異なるなかでの論考で、取り上げられる史実も私には知識がないことも多く、さらにブルクハルト流の含みの多い、ときに婉曲的な表現の難しさもあって、すべて理解できたとは言いかねる内容であるが、歴史を見つめるにおいて一切の先入観を排除して、真摯に歴史事象に向き合おうとした真の教養人の貴重な論考として、私たちが学ぶべきことは多い。
 いつものように、以下に私が理解した範囲でダイジェストを記す。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

村上重良『国家神道』岩波新書

著者の信条による片寄りが気になる
 1970年に発刊され、のちに何度も再版されたかなり有名な新書だというので、半世紀も前の本だが、読んでみることにした。
 日本の宗教のひとつである神道について、古代以来の歴史的変遷を追った解説がされている。アニミズムにはじまり、古墳時代ころ神社が建設されるようになって原始神道ができ、仏教・儒教・陰陽道の渡来によって習合して神社神道の原形ができ、奈良時代ころから宮中祭祀が入ってきて皇室神道ができ、中世には神仏習合の教義が整った。南北朝ころに神道を中心とした習合神道として伊勢神道が現れ、中世末には吉田神道が成立し以後近世を通じて神社の大半を支配するに至った。近世期には、神儒習合神道ができ、民間神道が普及して都市にも農村にも神社が民衆に融け込んだ。幕末には、国学が出て習合神道系のさまざまな教派神道が発生した。明治維新に入ると、新政府は皇室神道と神社神道を結合して「国家神道」を成立させたとする。
 神道のはじまりから幕末、さらには明治初期までの流れについてはわかり易い優れた解説だと思ったが、明治憲法施行以降、明治期後半以降の流れについては、急にわかりにくくなる。「祭祀と宗教の分離」、「政府の神道への肩入れによるひとびとの宗教への無関心傾向の発生」、などの説明がよくわからない。
 著者は、明治政府が天皇崇拝普及のための手段として「国家神道」を無理やりつくりあげ、そのために国民が宗教に無関心になったとする。近世には仏教が広く普及していたが、徳川幕府崩壊で仏教が衰退したともいう。しかしわが国の場合、それよりはるか以前の織田信長の時代に一向一揆や叡山焼き討ちなどを通じて、かなりの水準で仏教の宗教勢力はダメージを受けており、近世期にはすでに寺院は政権の末端支配機構の一部として掌握・組織され、多くの場合民衆は自らの選択ではなく政権の都合で宗門人別帳に檀家登録されるなど、宗教的な主体性はなくなり、宗教的関心は大きく削がれていた。半面では宮座や農耕祈願などで、現世利益の側面では神社への信仰は広く浸透・普及していた。幕末に急激に仏教の勢力が相対的に衰退したのでも、明治以降に急激に神社信仰が普及したわけでもない。
 明治時代以降政府は、天皇の権威向上と維持のために神道を利用しようとしたのは事実だが、浄土真宗の島地黙雷などの活躍もあり、結果的には著者がいうほどキリスト教や仏教などの他宗教に対する差別や圧力が大きかったわけではないし、神道の強制などの事実もないと理解している。
 著者は、神道の教義の「孤立性・脆弱性」、神道の宗教としての「未熟さ」などをなんども主張するが、その内容や理由はよくわからない。その一方で、外来のキリスト教などの「発達した成熟さ、高度さ」などを繰り返し主張する。著者が記述するとおり、神道も時代を経るにつれて他の宗教の影響も受け、内部の宗教者の努力もあって、それなりに教義の内容なども充実してきた側面があったように思う。そもそも宗教の「孤立性・脆弱性」、「未熟さ」などの水準を、異なる宗教の間で比較する、あるいは評価することが、説得性をもって容易にできそうには思えないし、この書で議論する必要もないと思う。
 著者の信念・信条によるためか、「国家神道」をひたすら批難し攻撃するが、神道という宗教活動そのものが、ひたすら攻撃を受けるべき排斥されるべきものとの理由は、あまり説得性がない。

人気ブログランキングへお気に召せばクリックください

より以前の記事一覧