小谷賢『インテリジェンスの世界史』岩波現代全書
インテリジェンスの研究者として、講演会やメディアにも出ている少壮の学者が2015年末に発刊した本である。
インテリジェンスintelligenceは、諜報espionage活動の中核的要素であるが、この書では人間が身を呈して敵中に潜入して情報入手を図ることは含まれず、専ら通信傍受signal intelligentによる情報入手について述べられている。これは傍受に加えて、暗号解読と、さらに外国語翻訳が業務内容になる。
インテリジェンスのための通信傍受の近代的専門的組織としては、1914年第一次世界大戦開戦時に、イギリスに「40号室」という暗号解読組織が物理学者ヘンリー・ユーイングによって設置されたのが嚆矢である。1917年1月イギリスはツインマーマン電報事件で、ドイツがメキシコに対して大戦参加の見返りにアメリカ領土を割譲する提案をしていることを傍受し、それをアメリカに伝えたことがそれまで中立方針を貫いていたアメリカの参戦を導き、ドイツの敗戦につながったことで、通信傍受の重要性が注目されるようになった。アメリカも、1919年には専門組織を設置した。
1923年には、日本もポーランドから専門家を招聘して、ソ連の暗号解読のための組織を陸軍参謀本部に設置した。
第二時世界大戦において、1941年イギリスが日本を傍受して、当面日本軍が南進しないと知り得たことは戦術上大いに貢献し、また1942年アメリカ海軍が日本海軍の作戦暗号を解読したことがミッドウェー海戦の勝利をもたらすなど、通信傍受の利益が大きいことを経験したが、それでもまだイギリスとアメリカは相互に疑心暗鬼があり、通信傍受で本格的に共同・協力することはなかった。
しかし第二次世界大戦が終結するころ、1942年にはソ連が英米に対して秘密情報収集活動を本格的に進めていることを察知し、英米は終戦を待たずしてソ連を仮想敵国と見做すようになった。これが英米間の情報活動の連携重視に向かい、1946年UKUSAユーキューサ協定として米英連携体制が成立した。つまり通信傍受での米英連携の目的は、ソ連の実情を共同して探ることが最優先であった。
1947年9月アメリカでは、NSC国家安全保障会議とCIA中央情報庁が新設され、1948年にはNSCの下に、米通信情報委員会が設置された。しかし、アメリカ国内でさえ陸軍・海軍・国務省などの間に競合・対立・相互不信があって、通信傍受で得た機密情報の集権化・共有化はなかなか達成できなかった。1958年NSA国家安全保障庁ができて、ようやくアメリカでは通信傍受活動の統合が達成された。
1945年カナダのソ連暗号担当官のソ連亡命事件があり、カナダは1949年アメリカとCANUSA協定を締結した。同様なスパイ事件などが各国に発生し、やがてイギリス・アメリカの協定にカナダに加えて、オーストラリア・ニュージーランドが加わり、Five Eyesと呼ばれる体制ができた。それでもあくまで傍受活動の中核はイギリスとアメリカであり、5カ国の情報の共有に意味があった。UKUSAは、傍受施設の設置を目的に、ノルウェー・デンマーク・アイルランド・西ドイツ・オーストリア・イタリア・ギリシア・パキスタン・フィリピン・韓国・日本を友好国に加えたが、情報の共有は含まなかった。
1961年以降、ソ連暗号解読チーム「ヴェルナ」の活動で、1940年代に遡るアメリカ内の数百人にのぼるソ連スパイが暴き出された。こうして英米のリーダーたちはソ連との対決を決意するに至ったが、ソ連の暗号解読に20年を費すこともあり、迅速というわけにはいかなかった。
1956年スエズ危機が勃発し、いち早く情報を得たイギリスはアメリカに知らせずに独自にイスラエルと軍事行動を開始し、アメリカの不信を買うとともに、アメリカは中東での情報活動の重要性に気づくこととなった。1960年には、アメリカが世界初の電波傍受用人工衛星「グラブ」を打ち上げた。
1962年キューバ危機が発生したが、人的スパイ活動ではソ連が優勢であったのに対して、米英は傍受・偵察で対抗し、その有効性と限界を理解した。NSAは通信傍受で危機の兆候は把握できたが、作戦内容の把握には時間がかかり過ぎた。以後アメリカは、電波収集艦にも注力する。
このころから、アメリカNSAは情報傍受能力でイギリスGCHQ英国政府通信本部に圧倒するようになり、イギリスのアメリカ依存がはっきりしてきた。
1961年J.F.ケネディが大統領に就任するころには、アメリカのベトナム関与が拡大し、やがてベトナム戦争が泥沼化した。アメリカの北ベトナムに対する情報収集能力は、最初は不十分であったが、1967年のテト攻勢のころにはアメリカ軍に大きく貢献するようになっていた。ベトナム終戦のころ、イギリスGCHQは、北ベトナムの背後にいたソ連の動きをとらえ、その情報がアメリカのキッシンジャー和平工作に貢献した。
こうした国際的安全保障のための外国対象の情報収集活動に加えて、1960年代からNSA・FBI・CIAは、「ミナレット計画」として、アメリカ国内の反戦運動などの通信傍受による情報収集にも注力するようになった。当然ながら、この活動は国内の議会で問題視され、何度も紛糾した。
ベトナム戦争を経て、NSAは9万人を超える巨大組織になり、宇宙空間から深海までにおよぶ広範囲の通信傍受をするようになっていた。アメリカの情報収集能力がイギリスを圧倒し、それは米英間の軋轢をも生じる要因にもなった。
議会や立法府の監視や牽制を受けながらも、静止衛星を含む広範囲の情報収集は、世界中からあらゆる会話データなどを収集し、解釈・分析を度外視して検索コードのみ付加して無差別に大量メモリーに蓄積するようになった。現在のBig Dataの先駆けといえる。IBMなどの民間との共同プロジェクトで、暗号解析や暗号標準規格などの開発も進められた。
1970年代に入ると、苦労して米英の協力体制UKUSAを作り上げた第一世代のリーダーたちが引退あるいは死亡し、デタントの世界情勢とあいまって、またもUKUSA諸国間に軋轢が生じてきた。アメリカはニクソン・キッシンジャーを中心に米ソ関係の緊張緩和を進めようとし、イギリスはヒース首相のもと、ヨーロッパとソ連との関係安定化をアメリカに関わらず進めようとした。しかし、1973年シリア・エジプト連合軍が突如イスラエルに侵攻して第四次中東戦争が勃発し、またヒース首相が退陣したことで、UKUSAの関係修復が進んだ。
その一方で、アメリカの暗号専門家がソ連に亡命する事件や、アメリカのベトナム戦争にかんする機密情報が漏洩した「ペンタゴン・ペーパーズ事件」などが発生し、自国民への傍受は制限された。
1983年大韓航空機撃墜事件は、米ソ対立を決定的なものとし、またアメリカ国内では「スパイの年」と呼ばれるほどにソ連のスパイが摘発された。
1980年代からは、暗号技術の高度化・低価格化と収集データの増加から、NSAは集めたデータの20%しか処理できなくなった。
1990年代は、冷戦終結により「平和の配当」が提唱され、米NSA、英GCHQともに予算削減・人員整理の波に襲われた。情報機関は、外交・安全保障から経済・犯罪捜査へターゲットをシフトせざるを得なかった。
1990年8月イラク軍の突然のクウェート侵攻から湾岸戦争が勃発した。米NSA、英GCHQともにイラクの侵攻の兆候は事前に把握していたが、ともに真剣には問題視していなかった。湾岸戦争においても、米NSA・英GCHQともに軍の作戦遂行には役に立たず、もっぱら政治的目標にかんして貢献できた。その一方で、「平和の配当」政策から通信傍受関係の予算と人員は四分の一程度にまで削減されていた。また技術的にも①暗号技術の発展・高度化と、そのUKUSA独占の不可能化、②光ファイバー網普及による傍聴の困難化、③インターネットによる情報通信の複雑化と情報量の爆発的増加、などの技術進歩による新たな問題が加わった。
通信傍受の運用にかんしては、1992年、ダイアナ妃と愛人J.ギルビーとの携帯電話膨張事件たる「スクイッジー・ゲート事件」、UKUSAが欧州諸国をカバーする商業用通信傍受プログラム「エシュロン」(国際的産業スパイ事件に利用)など、人権や秘密保護の観点から正統性が疑義される事案が増加してきた。
しかしそれらの逆風も2001年の9.11同時多発テロ事件で、潮流が一変した。米英ともに「テロリズムとの闘い」という大義名分が成立して、インテリジェンス関連予算が激増した。同時に、主にソ連・ロシアだけといったそれまでの対象範囲が、世界中に広範囲に拡散したテロの脅威が対象と大きく拡大した。
2013年6月スノーデン事件が発生し、NSAが世界中のネットワーク・データを無断で無差別に収集していたことが公知となり、NSAの機密情報がスノーデンの亡命によりロシアに渡ったことと併せて、米英のインテリジェンスにとって大きな痛手となった。それでも、アメリカに比較してイギリスは伝統的に自国インテリジェンスに対して国民からの信頼は厚いという特徴がある。
インテリジェンスについては、国家安全保障と個人のプライバシー、情報公開とのバランスと、通信傍受の費用対効果の評価が継続する問題となっている。
概ね以上のような内容であるが、なかなか実態が把握しがたいインテリジェンスの実情にかんして、米英の協力機構たるUKUSAを軸に、かなりわかりやすく整理して解説されている。わが国でも、このような大問題に今後いかにして対処していくべきか、いまや喫緊の課題である。
インテリジェンス、諜報などの行動は、常に人権や倫理とせめぎ合う、とてもデリケートな葛藤をともなう。その一方で、一部のメディアや論壇のように「正義感」から全面否定しても、現実には我々の生存や安全保障が厳しく脅かされるという厳しいジレンマがあり、単細胞的に拒否することが本当の「正義」とはならない。たとえば、スノーデンは「正義感」からロシアに亡命したというが、それまでの機密データをロシアに提供したことが「正義」とは到底考えられない。もちろんインテリジェンスに関わる人材は、それなりの高度な人権意識、倫理観、正義感が求められ、あわせて強い愛国心が必要である。さらにこれらの当事者たちが、正当に扱われ、評価されねばならない。われわれ国民は、この 問題に真剣に取り組まなければならない。
いろいろなことを考えさせる意味でも、時宜を得た優れた書であると思う。
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