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経済・政治・国際

ルチル・シャルマ『ブレイクアウト・ネーションズ』

  双日総研エコノミスト吉崎達彦氏のブログ記事で、ルチル・シャルマ『ブレイクアウト・ネーションズ』ハヤカワ文庫、2015.4.20 を知り、早速購入、通読した。吉崎氏のおっしゃる通り、これはとても興味深い書であった。

 著者は新興国を対象とする投資ファンドの専門家で、15年以上も年間の半分以上を新興国に過ごして、徹底して現地の様子を直接見分して考え抜くという方針を貫いてきた人物である。机上の議論ではなく、徹底した現地主義・現場主義の臨場感から、ビジネスの複雑さ、ビジネスに関わる要因の多様さ、などを肌身で感じ、ビジネスが単純な解答のない世界であることを骨身に滲みて熟知していることがわかる。

  この著者のような地に這いつくばったような実践的で泥臭い議論からみると、先頃一躍話題となった「ピケティの格差の議論」などは、それなりに傾聽する価値はあるとは思うものの、人間の経済活動のごく一部のみに限定した小さな議論であることをひしひしと感じる。つまりピケティの議論は、やはり「分配のみの議論」に過ぎないことを改めて思うのである。もちろん分配という問題もとても大切ではあるが、それだけの議論では、そもそも分配の対象となる富の獲得・蓄積ができないのである。

  この書を読みながらふと思い出したのが、四半世紀以前に読んだJ.K.ガルブレイス、スタニスラフ・メンシコフ『資本主義、共産主義、そして共存』ダイヤモンド社、1989 であった。社会主義を至高と信じつつも資本主義の動向に真摯に関心をもち続けたソ連のリベラル派経済学者と、自由主義・資本主義アメリカの代表的なリベラル派経済学者との紳士的で融和的な対談だが、静かで穏やかな対話からは、不思議に社会主義と資本主義の超えがたい溝が感じられた。東欧経済、社会主義経済の陥落からすでに四半世紀以上が経過し、今では社会主義・資本主義などという枠組みで議論することもほとんどなくなってしまった。一方で、それぞれの新興国で主流となっているそれぞれの経済も、そのころの資本主義と社会主義との溝以上に、大きく異なる性質と傾向をもっているようだ。

  ルチル・シャルマは、とくに新興国において、経済に対する政治のあり方、経済政策、政治状況の寄与がきわめて大きいとする。そして、グローバル化した現代の経済状況は、最近の10年間で大きく変わったともいう。現場経験にもとづく彼の議論には、とても説得性がある。

  もうひとつ、15年ほど以前に読んだ デビッド.S.ランデス『強国論』三笠書房、1999 を思い出す。ランデスは、経済のパフォーマンスを決める決定的要因は、人種、民族などの生物的あるいは言語的属性にはなく、その国家がもつ「文化」、すなわち経済的行動を規定する文化傾向である、とする。つまり文化として経済活動に向いている国家と、そうでない国家がある、とする。たとえば、キリスト教とくにプロテスタントをベースに勤勉を文化とする西欧国家は経済活動に成功しやすいが、イスラム教の文化を尊重しすぎる国家郡はほとんど経済成長できない、などというものである。この議論は、ある意味あまりに単純に思えるが、その反面現実の世界を見ると、意外に鋭い説得性もある。たとえば、中国についで人口が多くさまざまなポテンシャルに恵まれていると思われるインドが、中国についで今後急速に台頭し経済大国になる、と10年以上以前から言われ続けてきた。しかしランデスの分析では、インドの宗教・カースト制度にもとづく経済文化が、もの作りを軽蔑するなど強い偏りがあることから、経済成長が容易でない、としている。これは私のわずかな国際ビジネス・貿易関連でのインドとのつきあいからも、首肯できる事実である。また、大部分のイスラム教徒の生産現場での勤務態度をみても、経済活動への適性の問題は、誰の眼にも明らかに思える。

  ルチル・シャルマに言わせれば、経済はそんなに単純ではなく、経済のパフォーマンスは、政治情勢や国際情勢によって大きく変化するものであり、ランデスのいう「経済に関わる文化」はその情勢の一部をなすに過ぎない、ということかも知れない。たしかに、教育熱心でモラールが高いなど、ランデスや私自身の自らの経験から高いポテンシャルを認めるベトナムは、ルチル・シャルマが指摘する経済政策上の失敗によって、最近は苦境に陥っているようだ。

  私が今回ルチル・シャルマの書を読んだあと、漠然と想定し納得しうるイメージは、国家の根深い背景としては、やはりランデスのいうような経済文化があって、国家レベルでの経済活動の可能性はかなり規定されていると思う。しかしルチル・シャルマがいうように、政治情勢によっては経済活動が大きく影響を受けるし、それによって成功・失敗がもたらされることも事実である。ただ、ルチル・シャルマが重視する政治情勢という要因は、彼もいうとおり10年間も安定することは稀であるため、結果としてマクロ経済は予測が非常に困難であり、また結果として変動が大きい。このルチル・シャルマの書でさえ、3年前の2012年の刊行物であり、それから現在までの間に、すでにかなりの範囲で様子が変わってしまっていることを改めて思う。

  国家的なレベルの経済パフォーマンスを考えるときは、ランデスのいう「国民的な経済文化」を通奏低音のような規定要因として考慮しつつ、最近・現在のその国の政治状況をできるだけ詳しく見つめた上で考える、ということが正攻法なのだろう。

  現場主義の生々しい事実にもとづいた迫力ある叙述であり、その内容はかなり重いのだが、そのわりに読み進めやすいのは、著者のプレゼンテーション能力だけでなく、「変化が大きい政治状況」という本質的・本源的な「軽さ」がひとつの原因だろう。ランデスの主張からは、かなり宿命論的になってしまって希望がないが、シャルマの主張からは、いつでもだれでも未来が期待できるように感じられる。ともかく、印象の深い書であった。

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リヒテンシュタイン展 京都市立美術館 (3)

 「バロック・サロン」という一室は、リヒテンシュタイン家のウィーンでの宮殿「夏の離宮」を飾ったバロック様式の絵画や工芸品を集めて展示するコーナーである。宮殿内でのリヒテンシュタイン家のバロック宮殿での暮らしぶりの一端を垣間見ることができる。Photo_3
  16世紀以来、中央ヨーロッパの貴族たちがあつめた「クンストカンマー」と呼ばれるコレクションには、ヨーロッパのみならず、中国や日本から収集してきた華麗で技巧を凝らしたさまざまな工芸品がある。美的な嗜好だけでなく、当時の工芸技術の最先端を知ることができる。リヒテンシュタイン家ではじめて本格的に美術工芸品の蒐集をはじめたと伝えられるカール1世(在位1608~1627) のとき、主君であったハプスブルク家の皇帝ルドルフ2世が注文して造らせた品として「貴石象嵌のチェスト」(1620頃) がある。さまざまな種類の色彩豊富な貴石を組み合わせて、景観や草花などを描出する象嵌という手法で装飾した貴重品を収納する箱である。贅沢の極みともいうべき豪華絢爛さである。

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