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芸能・アイドル

NHK 山口百恵ファイナルコンサート再放送 

 1980年10月に行われた山口百恵のファイナルコンサートが、録画編集なしで全容が再放送された。40年余りぶりに改めてコンサートを観て、感じたことをメモしておく。
 まずこの山口百恵という歌手が、21歳とは到底思えないということである。存在感、成熟感、敢えていうなら良い意味で老成しているとも思える風貌と態度は、いま改めて見つめても驚異的である。14歳でデビューして8年間ほど芸能界で活動したらしいたのだが、この間にいかに驚くべき成長を成し遂げたのか、ということだろう。普通は21歳といえば、大学生としてやっと落ち着いてくるころで、まだまだ少年少女である。短いトークでも、この人の場合は自身の経験にもとづく自分の思考を、自分の言葉でごく手短に鋭く訴える力がある。
 肝心の歌であるが、率直に言って、声質そのものの美しさ、音域、テクニックなどの純粋にテクニカルな側面では、この人より優れている歌手がいる。しかし、歌がなんらかのメッセージを聴き手に伝えるべきものであり、それをつとめるヴォーカリストという観点からは、このひとはやはり超一流だと思う。歌詞と曲のかくありたいという本質を非常に的確に把握してかつ的確に表現している。かつて中央公論の記事で、作詞家の阿木曜子が、山口百恵の歌詞の理解力、さらにそれにもとづく表現力を絶賛していたが、私にもとてもよくわかる気がする。このひとが女優としてやはり一流だったのも、同じ理由だろう。単なる技術ではなく、思考と戦略の問題なのだろう。
 山口百恵が、阿木曜子・宇崎竜童コンビを大好きだったらしいことも、コンサートの構成から一目瞭然である。初期の他の作詞家・作曲家の作品が、多くはワンコーラスのメドレーで終わるのに対して、阿木曜子・宇崎竜童の作品は、ほぼ全部がフルコーラスである。阿木曜子も、良い歌い手との出会いを喜んだであろう。
 そしてこのときの山口百恵は、見た目も美しくなってはいたが、それ以上にひとつのピークを思わせる魅力に輝いている。ラストコンサートを自分のヴォーカリストとしてのピークに持ってくることを実現するのは、歌手冥利につきるだろう。
 山口百恵のデビューは、たまたま私自身が社会人としてデビューしたタイミングと一致していた。私は現役時代の彼女のファンというわけでもなかったが、それでも彼女の歌声を、それとなく聞きかじっていた。私個人にとって、彼女のヒット曲の歌詞とメロディーの断片的な記憶は、若いころの私自身の思い出のさまざまなシーンを連想させる。コンサートを聴いていると、新たな感動とともに、私の「セピア色」的なノスタルジーが連動する。2時間半もの長い収録だったはずだが、あっという間に時間が過ぎ去った。

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ゴッホ展―巡りゆく日本の夢―京都国立近代美術館(3)

南フランスでのジャポニズム時代(上)
Photo 約2年パリに滞在したのち、1888年2月ゴッホは南フランスのアルルに移った。ゴッホは、南フランスを「フランスにおける日本」と思い込んでいたという。ゴッホがアルルに到着したとき、思いがけず一面の雪景色に遭遇した。その風景が、ゴッホが浮世絵でイメージしていた日本の景色に重なって「まるでもう日本人の画家たちが描いた冬景色のようだった」と深く感動したという。そこで描いた作品が「雪景色」(1888)である。通常の西欧絵画に比べると地平線がかなり高く配置され、すなわちかなり上から見下ろしたような視角に相当する。右上から左下に斜めに画面を横切るラインも特徴であり、これも浮世絵によく採用される基本構成法だという。Photo_2
 ゴッホはパリ滞在中から、ピエール・ロティの異国趣味小説『お菊さん』を熱心に読んでいた。ゴッホは日本を直接見聞したことが無かったので、小説から日本の雰囲気を探ろうとしたのだろう。その小説のなかで、お菊さんという少女が、夾竹桃の花と一緒に登場することがあったらしい。そんなことから、ゴッホにとって夾竹桃は普通より重要な位置づけにあったのかも知れない。「夾竹桃と本のある静物」(1888)という作品がある。夾竹桃の花は、生命のみならず感情までもっているかのように感じる。

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