Re:スタートライン 1963-1970/2023展(4)
境界の超越 宮脇愛子
宮脇愛子「作品12」(1962)が展示されている。
宮脇愛子(みやわき あいこ、昭和4年 1929~平成26年 2014)は、熱海の資産家の一人娘として生まれ、幼少期より病弱であったという。さきの大戦直後の昭和21年(1946)小田原高等女学校(現在の神奈川県立小田原高等学校)卒業後、日本女子大学文学部史学科へ入学した。このころから東京大学西洋史学科の学生だった宮脇俊三との交際が始まり、在学中に俊三と結婚した。
昭和28年(1953)文化学院美術科に学び、夫の実姉で画家の神谷信子を介して知り合った画家の阿部展也(阿部芳文)や齋藤義重に師事した。昭和32年(1957)米国へ短期留学して絵を学び、昭和34年(1959)東京で初個展を開催した。そして今度はヨーロッパに渡り、瀧口修造の助言によりミラノに落ち着き、1961年に同地で個展を開催した。私生活では昭和40年(1965)に、宮脇俊三と離婚している。
パリ、ニューヨーク滞在を経て昭和41年(1966)帰国し、銀座で開催した個展で2番目の夫となる建築家の磯崎新と知り合った。昭和47年(1972)磯崎と再婚したが、すでに宮脇姓で彫刻家として成功していたため、再婚後も宮脇姓で活動を続けた。
1960年代後半には、主に真鍮のパイプを使った彫刻作品を制作した。積み重ねたパイプの後ろから来る光によって、真鍮に含まれる銅の色が反映する微妙な効果が生み出されるような作品である。その後ワイヤを使って流れるような曲線を表現した「うつろい」の世界を生み出した。このように、宮脇は彫刻家が本業ともいえるアーティストであった。マン・レイ、北杜夫(前夫宮脇俊三の友人でもある)らとも親交があった。
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