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音楽

2017年度高槻ジャズストリート 第二日目

  二日目は、まず阪急高槻市駅コンコースの「中野・西脇・衛藤カルテット」から入った。ナット・キング・コールのナンバーを中心に、低音の迫力ある中野翠のヴォーカルをたっぷり聴いた。Photo_2
私は日常ではさほど音楽、とくにポップスやジャズを聴くわけではないが、たまにこうして生演奏で聴く機会があると、こんなに良い楽曲があったんだ、と発見する。ナット・キング・コールは私でも知ってはいるけれど、個々の楽曲は知らないものも多い。すでに知っていた「ルート66」、「スマイル」などだけでなく、他にも心に滲みる良い曲がたくさんあることを今年も再認識した。
次は国道171号線北大手交差点にある高槻市姉妹都市センターで「jaja」を聴いた。
Jaja   秋山幸夫のサックスを軸とするカルテットだが、今回はクラシックピアノの木村カエを加えて演奏している。楽曲はすべてオリジナルだという。13年ほど前にホリプロからメジャーデビューをして、そのあと絶賛されたり苦労したりということらしい。演奏はエネルギッシュできびきびしている。秋山のサックスは、切なく歌いあげる情緒的な表現が特徴で、プロらしく個性も魅力もある。十分楽しめた。Yamajiman
  そのあと、高槻第一中学校グランド会場に行って「ETHNIC MINORITY」を聴こうとした。ところが、段取りや準備の問題か、演奏開始が20分も遅れてしまった。それに加えて運悪く天候があやしくなり、風が強く吹き出して寒くなってきた。野外会場は少しつらくなり、早々に退散して高槻現代劇場に向かった。当初は高槻市立桃園小学校の野外会場に、元フライドプライドのShihoさんの演奏を聞きに行く予定であったが、寒さを避けて室内会場に切り換えたのである。予定外でもあり、たまたま座席がとれた現代劇場文化ホール2階展示室会場に入った。
ここではプログラムが変更されていて、公式ガイドブックに掲載されているミュージシャンではなく、代役としてYAMAJIMANの演奏が聴けた。ヴォーカルの山嶋真由美がリーダーをつとめる5人組である。
声量よりはしっとり表現するタイプのヴォーカルで、とくに最後の「この素晴らしい世界」がよかった。私もずっと前からルイ・アームストロングの歌を知ってはいたが、改めて感動した。
今年は、いろいろ他の雑事もあって、制限された時間のなか多少慌ただしく会場を歩き回ったが、思った以上におもしろく、楽しめた2日間となった。

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2017年度高槻ジャズストリート 第一日目

  今年も早くもジャズストリートの季節となった。朝晩は涼しいものの真昼はすっかり暖かくなり、今年ものんびり歩きまわることにした。
  まずは近場のJT医薬総合研究所会場に入って「シーラカンス・クラブ」というギター中心の小グループの演奏を聴く。なつかしの昭和メロディーという感じで、ペドロアンドカプリシャスやサザン・オールスターズなどを聴かせてくれた。
  次は幕間の15分で移動できる範囲として、芥川商店街の「Birth Act」という名のバーに入る。こうして、日頃縁のない商店街のバーや飲食店に入ってみるというのも、高槻ジャズストリートのひとつの楽しみである。ここではRe:VOXという名の4人グループのポップスを聴いた。説明によるとVoxというのは「物質」を意味し、グループ名は「物質に帰る」という意味だという。4人の演奏がよく合っていて大音量にもかかわらずうるさくない良い演奏だが、マイク・ミキシングがよくないのか、伴奏とくにドラムの音量が相対的に大きすぎて、ボーカルがほとんど聞こえないという難点があった。せっかくの演奏なのに、舞台装置側に問題がある。これは、肝心の店の印象にも影響してしまう。
  そこから少し歩いて、高槻市立桃園小学校グランドに行き、若手ミュージシャン「K」の演奏を聴いた。小学校グランドの全体を会場にした広い場所にかかわらず、会場はほとんど満員で、座席はもちろん立っていてもほとんど余裕がない。なかなか人気があるらしい。たしかに伸びのあるリリカルな声は、声だけでも魅力的である。トークもまずまず上手といえる。このセッションは、私も十分楽しめた。
  桃園小学校を出て、城北通商店街に行く。この付近は会場は沢山あるがどこも満員で入れない。たまたま少し余裕があった「こなもんBar IMPACT」いうバーに入る。ビルの3階にある小さなスペースで、演奏者もたった一人でがんばる「熹与詩天七」のギターの弾き語りによるブルースである。アメリカのなつかしのメロディーを、歌詞を日本語に訳してオリジナルで演奏している。プロとしては、テクニックはあるが演奏にもう少し色気がほしい、というところか。
  帰途を考えて、最後は市役所総合市民交流センターの会場で、PEPPERというジャズ・バンドを聴いた。ぺぇさんという名のボーカルと、服部則仁のサックスを軸とする7人グループである。とても音量豊かでエネルギーに満ちた迫力満点のステージであった。さすがにプロらしいところを感じさせてくれるベテランの演奏である。途中、親族の中学生らしい子供の演奏者も飛び入りして、楽しいステージとしていた。私も十分満足した。
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神田麻帆ピアノリサイタル

  兵庫県立美術館で「神田麻帆ピアノリサイタル」を鑑賞した。神田麻帆氏は、現在ウィーン国立音楽大学のポスト・グラデュエイト・コースに在学中で、夏休み帰省中だという。
  最初はブラームスの「6つの小品より 作品118-1」である。ごく短い作品だが、繊細で美しい曲である。続いてJ.S.バッハ「平均律ビアノ曲集 第2巻 ニ短調」で、これもさほど長くないバロックらしい精密できれいな曲であった。
  3つ目はベートーベンの「ピアノソナタ第7番 作品10-3」で、4楽章からなる少し長い作品である。ベートーベンは神経質な人で、生前何回も引っ越しをしたため、現在ウィーンのいたるところに「ベートーベンの家」として伝わる家があって観光名所となっているという。人気の高いベートーベンは、銅像も多数あるらしい。神田さんは、ウィーン国立音楽大学への通学路の途中にベートーベンの銅像がある、という。ベートーベンの楽曲の演奏がうまくいかないとき、そのベートーベンの銅像の前を通るのが少し億劫になる、というエピソードを話してくれた。語りかけるような曲、重厚な曲、少し激しい曲など、ヴァラエティがあり、美しい楽しい演奏であった。
  4つ目は、フランツ・リストの「スペイン狂詩曲」である。リストが「超絶技巧」で有名なことはこの分野に疎い私でさえ知っていた。それでもこうして演奏を目の当たりにすると、鍵盤を走り回る演奏者の両手とその指の激しい動きにあらためて驚く。ピアノを自分で演奏できない私には、こういう事実はCDを経由して聴くだけではわからない。神田さんも、優れた技巧をアピールしたかったのかも知れない。
  聴衆の盛大な拍手に応えて、最後にアンコールとして最初のブラームス「6つの小品より 作品118-1」のつづきの1曲を追加していただいた。
  今回は、藤田嗣治の絵を見に来たついでであったが、こうして新進気鋭のピアノ演奏者の音楽を直接鑑賞することができるのは、とてもありがたいことである。

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フェデリコ・モンポー

  移動中のクルマのなかで、まったく偶然にあるスペイン作曲家・ピアノ演奏家の作品に遭遇した。NHK-FMの録音・再放送番組で、チェロ演奏家 遠藤真理が推奨してくれたフェデリコ・モンポーのピアノ曲「橋(El pont)」をそれとなく聴いた。これが私の琴線に触れたようだ。静かで上品でゆったりしたその曲は、ほんとうに心に沁みた。
  帰宅してさっそくインターネットで検索し、調べた。残念ながら「橋(El pont)」を収録したCDは見つからなかった。それでもモンポーの「ピアノ曲全集」というCD 4枚組セットが見つかり、さっそく購入した。
  私は、音楽に特段の知識もたしなみもない。ほとんどの場合、本を読んだり、勉強したりするときに、ごく小さな音量でBGMとして流しっぱなしにして聞き流しているという、きわめて横着な音楽ファンなのである。そういう経験で気がついたのは、意識して鑑賞するときには音量が決して大きくなく、快い印象のチエンバロが、BGMとしてはむしろうるさく聴こえることである。そのような、鑑賞時とBGMのときとで、すっかり印象が異なることがあるのを、いくつか発見したりしている。
  私のBGMとしては、フェデリコ・モンポーのピアノ曲は、いたって心地よい。決して神経を刺激せず、快い鎮静の音楽なのである。
  横着で気ままな音楽ファンの端くれである私は、めったに積極的にクラシック音楽を真剣に鑑賞することがないけれども、ともかく聞くともなく聴いていると、こうして天恵のような幸運にめぐり合うこともある。こうして偶然出合った名曲に心から感動できるということは、このうえなく幸福なことである。
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2014年の高槻ジャズストリート

  今年も4月が過ぎ、つまり今年の三分の一が早くも過ぎ、5月のジャズストリートが開催される日程となった。午後1時から始まるのを考えて昼過ぎに自宅を出て、まず高槻芸術劇場の会場を目指した。ところが会場に到着してみると、午後1時開始のセッションは、会場が満員である。2時からの次のセッションを目指して、しばし会場前で待機した。
  午後1時30分過ぎから、会場の入り口扉付近に行列を作ってならぶ。狭い戸口に大勢の人だかりが詰まっている。ようやく午後1時45分過ぎに最初のセッションが終わり、観衆が扉から出てきた。しかしまだ大部分の人たちは会場に残ったままである。それでも、幸いになんとかひとつだけの座席を確保することができた。
  演者は、Fried Prideというデュオで、ギター横田明紀男、ヴォーカルShihoからなる、アメリカのコンコードレーベルからアルバム「Fried Pride」でデビューしたユニットである。一昨年くらいから、高槻ジャズストリートで話題になっていたデュオであり、一度聴いてみたいと思っていたのが、ようやく実現した次第であった。
  カーペンターズのClose to youでは、満員の聴衆と一緒に大きな合唱となり、大いに盛り上がった。エリック・カルメンが1975年発表したバラードAll by myselfは、なかなか良かった。「若いころは、誰も必要としなかった。恋愛も遊びのひとつだと思っていた。しかし年齢を重ねて、今では孤独が身に沁みる」という内容の歌で、Shihoの独特のハスキーヴォイスが冴えわたっていた。クルセダーズが1980年に発表したSoul shadowsも、とてもしっとりと心に響く歌である。私はSoul shadowsという題名は、国内で鈴木雅之がいるシャネルズが出した初期のアルバムのタイトルだと思っていたが、実はアメリカのクルセダーズが少し前にとても良い歌曲を創っていたのだ。ルイ・アームストロングなど何人かのジャズのヴォーカリストの名前をつぎつぎに挙げて、彼らの歌が、たとえ歌い手が死んでも、いつまでも我々の生きる世界に、空気の中に瀰漫して存在し続ける、というような、音楽の先輩への讃歌であるらしい。50分くらいのあっと言う間のセッションであったが、説得力のあるShihoのヴォーカルと、55歳になったという横田明紀男テクニカルな見事なギターで、とても快いひとときであった。
  そのあと別途出かけていた家内と落ち合って、すぐ近くの高槻城跡公園市民グラウンドの野外会場に行って、大山崎の市民バンド「オルケスタ山崎」のビッグバンドの演奏を聴き、少し歩いて市役所隣の桃園小学校グラウンドで、やはり野外ステージでThe Global Jazz Orchestra の演奏を聴いた。ここでは高槻市内の老舗や人気飲食店がテントで出店を構えていて、気軽においしい飲み物やスナックを買って食べることができる。
  最後はJR高槻駅近くの総合市民交流センターのイベントホールで、2つのセッションを楽しんだ。
  ひとつめは、里村稔カルテットで、サキソフォンの里村稔だけでなく、ピアノの安次嶺悟、ドラムの梶原大志郎、ベースの佐々木研太も、それぞれに良かった。よく音が合っていて、引きしまった良い演奏であった。
  最後は、瑞木優美カルテットである。セッションの最初はヴォーカルの瑞木優美が登場せず、フィリップ・ストレンジのピアノ、斉藤洋平のドラム、荒玉哲郎のベースの3人で、ピアノ・トリオとしてジャイアンツのテーマを演奏した。これがとても良かった。とくに、これまでにもこの高槻ジャズストリートでなんどか聴いているフィリップ・ストレンジのピアノが、迫力がありかつ繊細で丁寧で、心に響いた。瑞木優美がヴォーカルで加わったあとでも、私にはやはりピアノが印象に残っている。デューク・エリントンのCaravan は、なんとなく聴いた覚えがある曲だが、こうしてじっくり聴くと、とてもすばらしい曲であることを発見した。
  私はそもそも音楽全般に詳しくないし、日常でジャズを聞くことはほとんどない。それでもこうして高槻市の催しを機会としてジャズを歩いて聴いてまわると、私なりに新しい感動があるし楽しい発見がある。充実した、快い5月の一日であった。

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天使の歌声 ダイアナ・ロス

  真夏の外出から汗だくで帰宅して、何気なくスイッチを入れたFMラジオの番組が、たまたまダイアナ・ロスの特集であった。番組途中から聞くともなしに聴き始めたのだが、ついつい真剣に聞き入ってしまった。
  ダイアナ・ロは、今年68歳になる老大家だが、音楽にそんなに熱心ではない私にとってさえ、彼女の歌声にまつわる思い出はとても多い。高校生時代に、何気なく購入したモータウン・レーベルのLPレコードに、私はすっかり魅せられた。そこでは主要なモータウンの歌手が参加していたが、私にとっては、スティービー・ワンダー、テンプテーションズ、マービン・ゲイ、そしてこのダイアナ・ロスが非常に印象が強かった。
  シュープリームズでの伸びやかではりのあるアップテンポの歌声も実にすばらしいが、今回番組ではじめて聴いた、急逝したマイケル・ジャクソンを追悼したしっとりしたバラードの、涙が出るような優しい歌声は、ほんとうに心に沁みた。これこそ Angel Voice と言うべきものなのだろう。アップテンポで力強い美声以外に、こんなにも優しい万人を癒すような透明な歌声で、60歳を遥かに過ぎて歌うことができるというのは、ほんとうに驚きである。
  ダイアナ・ロス自身は、随分以前にビリー・ホリディの伝記映画の主演をつとめ、一方彼女自身の伝記的映画は、「ドリーム・:ガールズ」としてビヨンセが演じた。いずれも私にとっては、思い出を誘う印象深い名画であった。
  番組で次々に流れるダイアナ・ロスの名曲は、高校生時代、大学時代、若手の会社員時代、新婚時代、壮年の会社生活、などなど、その曲を聴いていたころをかなり鮮明に思い出させる。今になって振り返ると、こうして優良な歌声を自分史の目盛として刻めたことは、とても幸運であったと思える。
   今ではダイアナ・ロスを意図的に聴くこともめったにないのに、1時間のラジオ番組の途中から45分間くらいを、ろくに着替えもせず、顔や手も洗えず、まさに着の身着のままに、ついついラジオに聞き入って過ごした、思いがけず充実したひとときであった。

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「ふるくら・コンサート」 兵庫県立美術館

  兵庫県立美術館の土曜日の催し物として「ふるくら・コンサート~フルートとクラリネットによる対話」というタイトルで合奏演奏会が開催された。
  東山梓のクラリネット、北野麻里子のフルート、そして加藤あや子のピアノによる室内楽である。
  冒頭のメンデルスゾーン作曲「歌の翼による幻想曲」の軽快で美しい演奏からはじまった。続いて没後100年となるフランスのオペラ作曲家ジョール・マスネによる「タイスの瞑想曲」である。これは私にとっても、日頃テレビなどで何気なく聞き覚えのある曲である。
  そして3曲目はクロード・ドビュッシーの「小組曲」で、「小舟にて」、「行列」、メヌエット、バレエの4つのパートが続いて演奏された。この曲がつくられた19世紀末は、ちょうど絵画では印象派の活動が盛んであったころで、音楽においても、それまでの形式重視の傾向を脱して、自由にのびのびと作曲し演奏することが流行しだしたころであったという。「小組曲」は、元来は2台のピアノのための協奏曲であったが、ピアノが楽器の特性上クレッシェンドができないのに対して、フルートもクラリネットもクレッシェンドを得意とする楽器であることを活用して、フルートとクラリネットとの協奏曲に置き換えて演奏する、という説明があった。短い4つのパートが次々に演奏され、その曲想の変化を存分に楽しむことができた。ドビュッシーの曲は、いつもながらとても優しくて美しい。わが国で絶大な人気を誇るのも、納得できる。
  続いて「日本の四季メドレー」として、「ふるさと」、「花」、「夏の思い出」、「赤とんぼ」、「雪やこんこ」、そしてふたたび最後に「ふるさと」に戻る、よく知られたなつかしい童謡ばかりのメドレー演奏があった。私でもよく知り馴染んだ童謡ばかりであるのに、こうしてピアノの伴奏でフルートとクラリネットがみごとに掛け合って演奏すると、日本のメリハリのある季節の変化とそれにともなう景観の美しさ、そしてその爽やかな空気感がしっとりと感じられ、それぞれの曲が、こんなにも美しい曲であったのか、と改めて感銘を受けた。
  続いてフルートのソロとして「赤い靴」のハイテンポの軽快なアレンジを含む演奏、そして次がクラリネットのソロとして、「だんだん小さく」(A.シュライナー作曲)というおもしろい曲である。これは、機構的に5つの部分から構成されるクラリネットを、演奏を続けながら順次パーツを取り除いて、だんだんクラリネットの楽器の寸法が短くなっていく。途中からは、音階をつくるために、指を孔に入れつつ、その調整で音階をつくるという高度なテクニックが披露される。最後はほとんどリードだけの短い部品のみで、それでもある範囲の音階を音楽として演奏する。演奏者によると、この曲は曲芸的だが、かなりむずかしい曲でもある、という。たしかに余興的な演奏ではあるが、曲そのものはとても美しいもので、すっかり感動した。
  最後は、デュオ・コンチェルト(P.A.ジュナン作曲)、そしてアンコールに応えて、フランス6人組と呼ばれる作曲家のひとりダリウス・ミョーによる「ブラジレイヤ」(ブラジルの女) という、これもよく耳にする有名な曲で締めくくった。
  1時間10分ほどの演奏会であったが、どの曲も繊細で優しく、すっかり気分が癒されるようなひとときであった。

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金澤佳代子名曲コンサート 兵庫県立美術館

  ピアニスト金澤佳代子によるコンサートが、兵庫県立美術館で開催された。
  冒頭に演奏者から、聴衆に十分くつろいで楽しんでもらうために、敢えて演奏曲目を事前に確定せず、その場の雰囲気を反映しながら興に乗った曲を選んで演奏する、という説明があった。
  演奏される曲は、いずれも広く知られた有名な名曲ばかりである。ショパン「小犬のワルツ」、「幻想狂詩曲」、リスト「愛の夢」、「ラ・カンパネラ」、モーツアルト「トルコ行進曲」、ドビュッシー「月の光」、ベートーベン「月光」などを含め、10曲以上の名曲がつぎつぎに演奏された。当初の説明の趣旨から、それぞれの名曲のさわりの部分だけなのかと思ったけれど、いずれも想定した以上に十分な長さでしっかり演奏があり、それぞれの曲の世界に入っていくことができた。
  私は音楽についてさほど詳しいわけでなく、日常的には、ほかの仕事をやりながら、ごく小さな音量でバックグランド・ミュージックとしてさまざまなクラシック音楽を聞き流しているような横着者である。したがって、この日演奏された曲目は、すべて聴いたことがあるものの、じっくり聴くということはめったになかった。しかし、こうして直接この眼で演奏者を眺め、奏でられるピアノを見つめ、演奏される場で音楽を直接聴くという機会においては、当然ながらバックグランド・ミュージック的に聞き流す音楽とはまったくちがう深い感激と感動がある。
  丁寧に演奏されるピアノの音は、眼と耳と、あるいは鼻や口からも、全身の皮膚からも身体に沁み入り、頭に到達して頭脳の隅っこに堆積した沈着物をきれいに清掃してくれるような気持ちがする。
  1時間15分ほどのミニ・コンサートであったが、とても充実したひとときであった。

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福田真梨奈ピアノリサイタル

  兵庫県立美術館で「美術館の調べ」として、「福田真梨奈ピアノリサイタル」が開催された。すべての演奏に、演奏者から曲目についての丁寧な解説があり、とてもわかりやすく親しみやすい演奏会となっている。
  最初の曲は、ロバート・シューマンが、念願かなってやっとクララと結婚するその前夜に、クララに捧げた「献呈」という名の曲である。原曲はロマンチックな歌曲だったというが、それをフランツ・リストが華麗なピアノ曲に編曲したものである。
  ドビュッシーの「月の光」という曲が演奏された。太陽や月の光は、人間の心を癒す効果がある、と信じられていたという。月のやさしい光を静かに連想させる、美しいおちついた曲である。ドビュッシーが、わが国で人気が高いのも頷ける。
  ハイドンのソナタHob.XVI/32という曲は、静かな印象でスタートして、徐々に軽快な感じにシフトしていく快活な曲である。ハイドンは、表情がくるくる変わる陽気な人物だったという。
  バルトークの「組曲」は、演奏者の紹介では、和声が美しく、民族的な泥臭さやいささか野蛮に通じるほどの荒々しさが魅力であるとの紹介があった。けれど実際に演奏を聴いてみると、泥臭いというより、むしろ知的で思索的な印象が強い。たしかに激しく音量の大きいときがあるが、それでも決してうるさくならないのは、たしかに和声がしっかりしているのだろう。力強く、とても美しい曲だと思った。
  シューマンの「蝶々」は、ジャン・パウルという作家の小説「生意気盛り」の仮面舞踏会のシーンをイメージして作曲された曲目である、と紹介があった。配布されたプリントに、そのあらすじが掲載されていて、われわれ聴衆は、演奏を聴きながらシーンの説明をたどることができる。とくにフィナーレで、夜明けに星が少しずつ消えていくように、音がひとつずつ消えていく部分は、しっとりと美しい。おかげで、私も作曲者の意図がよくわかり、曲相の変化をより充実して楽しむことができた。
  クラシックの室内楽は、いずれの楽器でも演奏はそれぞれに美しいが、ピアノはさすがにごく小さな音量から、とても大きな音量まで、さらに高い音から低い音まで、非常に広範囲の音を出すことができることに、改めて感銘した。曲目は、アンコールを含めて全部で8曲あったが、丁寧で美しい演奏は、あっという間に終わってしまった。

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バーブラ・ストライザンド

 年末の特別番組として、FM放送で、バーブラ・ストライザンドの伝記的レビューを、3時間にわたって放送していた。私にとっては、なつかしい青春の思い出の歌手であり、思わず通して聴きいることとなった。
 私にとっては、バーブラ・ストライザンドと言えば、映画「追憶」やミュージカル「ハロードーリー」などが先ず浮かび、ユダヤ系の個性の強い上手な大歌手というイメージがある。ところが、こうしてごく幼い無名のときのレコーディングから、ゆるぎないトップスターとなって久しい最近の曲まで、編年体でまとめて聴いてみると、このまさに天才的という表現がふさわしい大歌手も、たゆまぬ努力の蓄積と、それを支える強い意思と思考で、たぐいまれなトップシンガーに成長してきたことがよくわかる。
 ニューヨークのブルックリンで、貧しいユダヤ系の家庭に生まれ、幼児のときに父と死に別れ、母親ひとりに育てられる。13歳のとき、自費でソノ・シートに録音したという歌は、後の彼女のリリカルで豊かな表現力にくらべると、当然粗削りで美しさは乏しいものの、彼女の歌に対する思い入れとエネルギーを感じさせる興味深いものである。ほんとうに懸命に歌っているのがよく伝わってくる。粗くてもともかく良く伸びる声は、まさに天性のものであろう。
 後に成長して、都会へ一人で出て、クラブシンガーなどをするようになるが、母親は、娘の歌手になりたいという夢をけっして認めようとしない。母親は、勉強のよくできる娘を、秘書のようなかたい職業につけたかったという。結果的にはこの唯一の親である母との葛藤が、彼女をより逞しく鍛えることになる。歌手として徐々に有名となり、かなりの成功をおさめた後も、なかなか母親がそれを認めようとしないというのは、なかなかおもしろい。
 クラブ歌手から、ミュージカル制作者に認められ、助演女優としてミュージカルに出る。ミュージカル「あなたには卸値で」でトニー賞助演女優賞を受賞する。これで今度はレコード会社から歌手の可能性を認められ、CBS から専属契約歌手として1960年代はじめにデビューすることとなる。このあとは、ほとんど順風満帆の活躍である。
 彼女の場合は、デビューして後かなり早くから、自分の方針や意思を強く主張したという。アルバムにも自分の気にいらないナンバーは入れず、自分の考えに合う曲だけを収録したという。このため商業的には何回か失敗もしている。それでも自分に確固たる自信があったのであろう。政治的にも民主党支持を鮮明に主張し、意見のはっきりした人であるらしい。こうした自己主張の激しさは、頻繁に周辺と摩擦を起こしたり、失敗を重ねたりするが、長期的には、1982年の「イエントル」、1985年の「追憶のブロードウエー」などのように、予想外の大成功を勝ち取ることとなる。
 彼女の歌の特徴は、天性の伸びやかで叙情的な声を、知的に最大限に利用しているところにある。さらに普通のエンタテイナーと違うのは、それを使って自分が主張したいこと、表現したい内容を、明確に自覚していることである。十分な名声を得てからの彼女の歌いぶりは、自分の意志で、自らの表現能力の可能性を最大限発揮し、演奏活動を楽しんでいるのがよくわかる。歌手にとって、表現媒体である声と、それを自由自在に使いこなせる「歌のうまさ」、「テクニック」は当然ながら重要であるが、彼女のような超一流歌手の特徴は、こうした自分の財産をどのように使うか、なにを表現するか、そのネタを豊富に持って、自分の意志で利用していることである。
 表現したい内容がまずあって、それを表現する手段としての声とテクニックがある、ということ、そしてこれらを自分の意思で行動に現してゆくこと、こうしたつまりは当たり前のことが実現でき、かつその結果としてのパフォーマンスが魅力に富んでいて、沢山の人々に認められるというのが、偉大な歌手である所以であろう。
 彼女はしかも、純粋の映画監督として映画「サウス・カロライナ」を制作している。彼女はこの作品では一曲も歌わず、これを訝った記者に対し、自分を勝手に歌手にカテゴライズするのは遺憾であると言ったという。私は必ずしも何でもできるディレッタントを尊敬しないが、自分の主張したいものを鮮明に持っていること、その発揮の機会を自分で切りひらいてゆくたくましい行動力には、大いに激励されるものがあり、拍手を送りたい。(1993.12.30)

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