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時事

新型コロナウイルス肺炎騒動について私信

 お話しのように1月以来、新型コロナウイルス肺炎の話題で、格好の長持ちするネタとばかりに、どのメディアも毎日もちきりです。
 こういう国家的・国民的な危機においては、東日本大震災のときにやったように、政権与党vs野党などという対立は控えめに、多少の瑕疵は誇大評価・表現を控えてできるだけ最短に危機を乗り越えるための国民的協調・大同団結がいちばん大事だと思います。残念ながら野党の一部は与党への攻撃材料探しのみに躍起になり、一部のマスコミと多くのテレビはそれを囃し立てて危機感のみを必要以上に無責任に煽るという事態があります。
 政策を決めるのに専門家の意見を聴くことは必要ですが、専門家の言う通りにすればよいというものではありません。政治は広い視野からの高度な「常識的判断」が基本であり、専門家は「専門」の言葉とおりある限られた視点・視野からの狭いけれども深い洞察を与えるものであって、広い視野からの考察を与えるものではないからです。「専門家の見解を重視」というメディアが、その一方で報道ではなんども出ている専門家の見解を理解していない、あるいは無視するという場面も多々あります。
 今回のわが国の政府の判断と行動は、かつて経験したことのない事象でもあり、いくつかの失敗も後手になった部分もあったようだし、もろ手を挙げて賞賛するほどのものではないとは思いますが、大きな節目では間違わなかったし、大多数の日本人の基本的に生真面目な性格にも恵まれて、相対的には大過少なく経過していると思っています。
 いまさらながら、東日本大震災のときの民主党のような政権ではなかったことの幸いを実感しています。

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朝日新聞編集委員の「失言」

新型コロナ「痛快な存在かも」朝日新聞、編集委員の投稿謝罪
時事通信ウェブ版 2020年03月14日18時31分
(前略)朝日新聞社によると、大阪本社の小滝ちひろ編集委員は13日午後3時すぎ、自身のツイッターアカウントで「戦争でもないのに超大国の大統領が恐れおののく。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」などと投稿。上司から事情を聴かれた後、同日午後11時すぎにアカウントを削除した。
 同社は「著しく不適切で、感染した方や亡くなった方々のご遺族をはじめ、多くの皆さまに不快な思いをさせるものだ」と謝罪した。小滝氏は主に文化財や寺社などの取材を担当しており、「心からおわびします。深く反省しています」と話しているという。

 編集委員というのだから、新聞社の幹部のひとりである。その人物の「失言」と後始末なのだが、私には大きな違和感がある。
 「超大国の大統領」というのだから、おそらく韓国の文在寅大統領ではなく、アメリカのトランプ大統領のことを指すのだろう。その大統領が、新コロナウイルスに対して「恐れおののく」ことが「ある意味で痛快」とする。新聞社の幹部がこのように発言する、この意味するものはなにか。
 大きな権力を持つ者はすべて敵視する、という意味であれば、新聞としては不適切である。たとえばすべての権力は可及的速やかに崩壊して、無権力、無政府になるべき、などとアナキズムのような思想を持つこと自体は、個人としては自由である。しかし「新聞」が公共的利益を社会にもたらすこと、「新聞は社会の木鐸」であることを標榜するなら、個人の嗜好での発言や行動は不正であろう。
 あるいは当該の特定の権力者、たとえばトランプ大統領に問題がある、というのであれば、その問題を簡潔であれきちんと説明することが必要である。「社会の木鐸」として政治権力者の問題を指摘することは、メディアの本来の使命である。今回の発言は、新聞がよくやるような、対象者の発言の一部を切り取って誤解を与えるような場合とは真逆で、自らの説明・発言が決定的に不足しているのであり、言論人として致命的な怠慢であり誤りである。意図的な「印象操作」のひとつと、疑われても当然である。
 新聞はさまざまなところで「政治権力とたたかう」というが、このような態度で行動する限り、社会に害悪を与えることはあっても、社会に良い影響を与える、良い方向に導くことはとても覚束ない。
 「感染した方や亡くなった方々のご遺族をはじめ、多くの皆さまに不快な思いをさせる」として謝罪しているが、そんなこと以上にもっと本質的なところで大きな問題がある。些末な「失言」のような扱いだが、実はこの人物の、さらにはこの新聞社のもっと本質的な大きな問題が、はからずも露呈している。
正直なところこの記事も、私にとってさほど驚くようなものでもなかったが、それだけに病根は深いのだろう。

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伊藤詩織さんの裁判に対するメディアの態度への違和感

社説 伊藤詩織さんの裁判 性被害者を守れる社会に
              毎日新聞2019年12月27日 東京朝刊
  ジャーナリストの伊藤詩織さんが性暴力を受けたとして、元TBS記者の山口敬之氏を訴えた民事裁判で東京地裁は山口氏に賠償を命じた。 
 判決は、深酔い状態で意識のない伊藤さんに対し、山口氏が合意のないまま性行為に及んだと認定した。
 伊藤さんは準強姦(ごうかん)容疑で警視庁に告訴したが、東京地検は不起訴にした。検察審査会も不起訴を相当としたため、民事裁判を起こしていた。
 厳密な立証を求める刑事事件と異なり、民事裁判は当事者双方の主張を聞き、より信用性が高い方を採用する。判決は、伊藤さんの主張の方が信用できると判断した。山口氏は控訴の意向を示した。
 伊藤さんは山口氏に就職の相談をしていた。地位や関係性を利用した性行為は人権を踏みにじるものだ。
 2017年に伊藤さんは記者会見して被害を訴え、著書を出版した。性暴力を巡る社会の認識や司法の問題について見解を発信してきた。
 同時期、米国から広まった性被害告発の「#MeToo運動」は、日本にも波及した。性暴力に抗議する「フラワーデモ」も拡大している。
 伊藤さんの行動は、こうした動きを勇気づけた。判決も、伊藤さんの会見や著書を「性被害者を取り巻く法的、社会的状況を改善しようと公表した」と公益に資すると認めた。
 一方で、伊藤さんは被害を訴えた後、インターネット上や右派系雑誌で数々の中傷を浴びてきた。
 日本では性暴力について、被害者にも落ち度があるとの偏見が根強くある。社会の目や人間関係を気にして声を上げられず、心に深い傷を抱え込んで生きる被害者は多い。
 内閣府の調査では、女性の13人に1人は無理やり性交された経験があり、6割は誰にも相談しなかった。
 山口氏は判決後の会見で、別の性被害者が「本当の被害者は会見で笑ったりしない」と話していると述べた。被害者に沈黙を強いる発想だ。
 性被害者が守られる社会を築くには、相談しやすい環境の整備が欠かせない。何より社会の無理解をなくしていく必要がある。
 今回の件で山口氏には逮捕状が出たが、執行されなかった。伊藤さんはこの点を問題視している。山口氏は安倍政権と近い関係にあったとされる。経緯の検証も求められる。

 一見、人権尊重の立場からのもっともらしそうな記事に見えるが、冷静に眺めると、かなり強い偏見あるいは独りよがりに満ちた記事である。
 第一点目は、この新聞社のわが国の刑事訴訟に対する偏見あるいは軽視がある。この記事でもいう通り、東京地検に加えて検察審査会も立件しなかった案件である。日本が法治国家であるなら、本件の山口氏は無罪と認定が確定された人物である。それを、後日民事訴訟で「損害賠償」の判決が出たということだけで、しかも控訴があり確定していない案件なのに、まるで山口氏の準強姦が有罪であるかのような記述は、正当なメディアのものとしては、きわめて危うい、むしろ予断と偏見に満ちたものと判断せざるを得ない。わが国が中国や韓国などのように、法律を蔑ろにする国家だと言いたいのだろうか。もしそうなら、中国や韓国などの現実を、わが国の現実と公平に比較して、どのように評価しているのだろうか。
 第二点は、このメディアの予断と偏見がそれだけにとどまらず、「山口氏は安倍政権と近い関係にあったとされる。経緯の検証も求められる。」と、強引にこのメディアが一方的に忌み嫌う安倍政権への攻撃にこじつけていることである。「検証も求められる」根拠が、「あったとされる」という未確認で無責任なひとごとに過ぎないのである。なんでもかんでも安倍批判と、まるで一向に国民の支持を得ない一部の野党や、ヤスモノのテレビ・コメンテーターの疑惑捏造のような報道姿勢は、到底まともな報道機関とは考えられない。
 毎日新聞も、ここまで落ちぶれたか、とおもってしまうような記事である。

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韓国で起きた些細な事

 韓国の新聞の日本語電子版に下記のようなつまらない記事があった。
少女像に唾を吐いた日本人? 全員韓国人だった
中央日報日本語版 2019年07月07日09時32分
  京畿道安山(キョンギド・アンサン)で日本人と推定される男らが平和の少女像に唾を吐いたという通報を受け警察が捜査に入った結果、容疑者は全員韓国人であることがわかった。
  警察によると、安山常緑(サンロク)警察署は6日、侮辱容疑で20~30代の韓国人の男4人を刑事立件する方針だと明らかにした。
  これに先立ち6日午前0時8分ごろ、安山市常緑樹(サンロクス)駅広場で日本人と推定される男4人が少女像に唾を吐き、これを制止する市民と口論になっているという通報2件が警察に寄せられた。
  通報した市民は男らのうち1人が日本語を駆使したとし、彼らが日本人と推定されると主張した。
  警察は周辺の防犯カメラの映像を通じ事件発生から15時間ほど過ぎた同日午後2時55分ごろに2人の身柄を確保し、残り2人に対しても警察に出頭するよう通知した。
  男らは通報者の推定と違い全員韓国人であることが明らかになった。31歳の男は「酔った勢いで少女像に唾を吐き、この様子を動画で撮影した。日本語を話せたので制止する市民に日本語を使った」と陳述した。
  警察は男らが唾を吐いた対象が人ではなく造形物でも侮辱罪適用が可能とみている。彼らの行為が少女像管理主体、そして慰安婦に対する侮辱とみることができると判断するためだ。
  警察関係者は「過去少女像に『杭テロ』を行った日本極右活動家に対し名誉毀損容疑を適用して起訴したのと同じ概念」と説明した。

 これは私たち日本人から見ると、ごくつまらない事件であり、記事である。しかし韓国としては、等閑視できないはずのもののようである。
 ここで韓国警察から犯罪を指摘されている韓国人たちは、日本人に嫌疑をかけて日本を困らせようとしているが、あわせて同胞人であり従軍売春婦として日本に辱められた(ということになっている)彼等がいうところの被害者を、自ら著しく辱めている。韓国警察はその行為を犯罪に相当すると言っているが、従軍売春婦問題を執拗に必死になって訴える韓国としては、問題をそんなに矮小化してよいのか。
 この容疑者たちの韓国人は明らかに、日本あるいは日本人を叩くためには、従軍売春婦を辱めても良い、という判断をしているのである。これは、彼らは本音では「従軍売春婦問題」は存在しない、少なくともどうでも良い、という認識がある、ということを表している。そうでもなければ、同胞の被害者を自ら辱めるような行動をとれるはずがない。韓国あるいは、従軍売春婦問題を叫ぶ韓国人たちは、容疑者たちのこの事態こそを重大問題として認識するべきなのに、である。
 今回の事件からは、韓国ないし韓国人の本音は、従軍売春婦問題なるものは実在しない作り話であると知っていて、にもかかわらずなにか理由をつけて、日本に無理難題をふっかける、いわゆる「いちゃもんをつける」こと「だけ」を目的として行動している、ということを、図らずも露呈してしまったのである。一見どうでもよい些細なできごとのように見えるが、韓国人が本心では従軍売春婦問題なるものを虚偽であるとわかっていながら、日本を貶めるために意図的に声高に叫んでいる、という真実を思いがけず吐露してしまった出来事であり、実は従軍売春婦問題を訴える韓国人には深刻な、日本にとっては実に興味深い事件なのである。

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日大アメフト危険タックル騒動の報道をみて

 日大アメフト部の学生が関西学院大学とのオープン戦で、危険な反則タックルをしたことが発端となって、事件から3週間以上が経過した現在でも、テレビや新聞は毎日のように喧しく取り上げている。事件の内容そのものはさておき、議論になっている点とは異なる方向での雑感を簡単に記しておく。
 ひとことで言えば、フィードバック・ループのない権力の危うさ、ということである。
 日大のアメフト監督内田正人氏は、アメフトに限らず日本大学グループ全体の最高幹部で、誰も彼に逆らえないという。彼にしてみれば、これまでやってきたように彼なりにまじめに粛々とやっているのに、なぜ責められるのか理解できないのだろう。相手チームの選手をケガさせたり、自チームの選手をいじめて追い込んで犯罪的なプレーをさせても、彼にすれば「ごく些細なこと」なのだろう。これまで誰からも指摘されず、咎められもせず、昨年のように日本一になったら大いに称賛もされた。大学と付属高校全体の人事権を掌握していて、理事長を除いては彼になんの意見を言えないのだという。今回の事件への日本大学の対応としては、まっさきに理事長が出てきて、必要な対処を開始するとともに謝罪会見をするべきであった。
 今回の会見を見て、私は既視感があった。今年3月の女子レスリングの伊調馨選手にまつわるバワハラ事件のとき、突然テレビで発言した至学館大学長の谷岡郁子氏である。谷岡の発言からは、伊調馨選手やその監督栄和人氏に対するリスペクトが皆無で、ただ自分の権力がいかに絶大であるかのみを無意味に誇示していた。自分がリスペクトされた経験がまったく無いため、他人をリスペクトすることができないらしい。この谷岡という人物は、なんの修行も蓄積もないまま30歳過ぎで祖父と父親の威光のみで学長となり、なにを言ってもなにをしても許される異常な環境で老女になる現在まで過ごしてきた。問題の本質的なことが理解できないだけでなく、その過ちを指摘してくれるヒトが傍にいないのである。
 いささか感想の性質は違うものの、やはり印象深かったのが、日大アメフト監督・コーチの記者会見のとき司会を勤めた、新聞記者出身で広報担当の米倉久邦という老人であった。この人物は、かつて新聞社で論説委員まで勤めたというから、ジャーナリストとしてはそれなりに一流と思われていたのだろう。しかし広報担当者として謝罪の記者会見を仕切る立場としては、最悪のふるまいであった。広報のスキルがない、態度が悪いなど、その通りとしか言えない非難に晒されているが、私が思ったのはそれ以上に、ジャーナリストとして「正義の味方」よろしく舌鋒するどく社説を記したりする人物が、組織に属して自ら行動すると、正義か否かに一切関係なく、所属組織の権力者を擁護する行動に一心不乱かつ脈絡なしに遮二無二突走る、ということである。ジャーナリストの「正義感」などこの程度のものに過ぎない、ということをみごとに証明してくれたのであった。
 スポーツという本来明るく心を躍らせるようなものであるべき話題で、とんでもなく醜い人たちを見てしまった。

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建前と本音の乖離と危機

 最近になって「日本の製造業の落日」として報道されるような事件があいついで発生している。2017年10月ある代表的な鉄鋼メーカーで、鉄鋼材料の検査が製造現場で社内規準、つまり社内ルールを違反していたことが発覚した。続いて同様な事態が、複数の化学材料メーカーでも露呈した。これらは、製造段階の規準が工学的必要水準に比べて十分に余裕をもって厳しいものとしていたことが問題の発端であった。これらの規準を厳密に順守しなくとも、実用上はほとんど問題が発生しないことを、製造当事者たちが知っていた、少なくともそのように思っていたために、結果として杜撰な対応となった。そうなった背景には、製造業側の立場としては、ユーザーから求められる厳しいコスト削減の圧力があった。正しい対処としては、コスト削減に対して、品質にかかわらない検査規準を見直すことを製造側がユーザーに説明・提案し承認を得て検査規準を改定することから始めるべきであった。
 そしてつい最近、とうとう現実に大問題を発生しかねない製造過程でのルール違反が発生した。新幹線の車体を支える基幹的な部品の強度が、製造過程での規準が守られずに、ついに強度不足となった。メーカーの製造現場で、ラインのリーダーが正しく製造規準を伝達・指示していなかった、というのである。
 後者の問題は、一見前者の問題と関係が少なそうに見えるが、根本でつながる問題である。一般に機械の設計において、十分な安全率を織り込んだ設計をするので、製造において、感覚的に不必要に思えるほどの余裕を規準に与えることがある。新製品の場合は、とくに「余裕」が大きめになりがちである。製品を作りこんでいくと、その余裕分の実態がより明確になることも多い。製造当事者は、「本音」では「規準値は余裕をとりすぎだ」と思い込んで、規準値を「建前」とみなしてしまったのだろう。しかし、品質を維持するための規準をルールとした以上、それを遵守しないことは根本的に問題なのである。
 製造側は、規準が必要以上であり、ユーザーのコスト削減などの要請に応えるために合理的に製造ルールを見直すことが必要なのであれば、ユーザーと折衝してルール改定を着実に実施して、製造ルールが常に「建前」でなく「本音」として遵守すべきもの、遵守できるものとしておくことが必要である。
 しかし一度メーカーとユーザーとで取り決めたルールを改定することは、実際には容易ではないことが多い。ユーザー側の担当者の立場とすれば、万万が一のリスクをあえて被りたくないとの気持ちもあろう。一方で長期にわたって供給を受けるユーザーの立場としては、メーカーに対してコスト低減を求めたいのも実情である。こうして事態の推移の谷間に取り残された「実際の必要以上の規準値」が「本音と建前」の乖離を暗黙のうちに広げ、上記のような問題や事件を引き起こしていたのである。
 以上の「日本の製造業の落日」と報道されている問題にかかわって、私は別の問題を連想した。「憲法改正問題」である。「日本国憲法」のさしあたっての大きな問題は、第9条のとくに第2項である。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  この第2項は、ごく素直に読んで自衛隊は憲法違反と理解すべきものである。しかし歴代の政府は、自衛隊は日本の国防のために必要であると判断したうえで、憲法の条文をさまざまな理由付けのもとにきわめてテクニカルに「解釈」することで「自衛隊は違憲ではない」と説明してきた。これも「建前」と「本音」の深刻な乖離である。そのため、自衛隊の行動にさまざまな制約をともない、現実の軍事的脅威にたいしてまともな対応ができないのではないか、という素朴な懸念が多くの国民に共有されるようになってきた。しかし、実際に憲法を改変するとなると、なかなか議論も行動も進まない。憲法についても、「建前」と「本音」の深刻な乖離に実は厳しく直面しながら、多数の国民は危機感の欠如、長い時間の惰性、そして怠慢もあって、「建前」と「本音」を一致させるというごく当たり前のことができないでいるのである。
 規準やルールは、納得して約束したことは、誠実に正確に遵守することが正常な行動の基本であり原点である。裏返して言えば、誠実に正確に遵守できるように規準やルールをつくらなければならない。メーカーはユーザーと真剣に向き合って検査規準を妥当に改正して、それをしっかり誠実に遵守しなければならないし、日本国民は現在の日本をとりまく環境を真剣に考えて自衛隊の存在を必要とするなら、妥当な憲法改正をしなければならないのである。

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「民主主義」と「信頼できる相手」と「外交」

 韓国政府は、一昨年日本と締結したいわゆる慰安婦にかんする日韓合意についてタスクフォースを結成して検証したという結果を、日本政府に提示してきた。
 これについて朝日新聞社説は、合意は尊重されるべきだとする一方で、以下のように述べる。

(社説)日韓合意 順守こそ賢明な外交だ  2017.12.28 朝日新聞電子版
(前略)
 文政権はこの報告(韓国外交省の作業部会による日韓合意の検証結果)を踏まえた形で、政府見解を来年にまとめるという。いまの日韓関係を支 える、この合意の意義を尊重する賢明な判断を求めたい。
(中略)
 一方、日本政府の努力も欠かせない。政府間の合意があるといっても、歴史問題をめぐる理解が国民の胸の内に浸透していくには時間がかかる。
 合意に基づいて設けられた韓国の財団は元慰安婦への現金支給を進め、7割以上が受け入れを表明した。関係者は「全員がいろんな思いがある中、苦悩しつつ決断した」と話す。
 さらに日本政府にできることを考え、行動する姿勢が両国関係の発展に資する。
 この合意を、真に後戻りしない日韓関係の土台に育て上げるには、双方が建設的な言動をとり続けるしか道はない。

 韓国のメディアである中央日報は、検証結果なるものの内容を記述したあと、以下のように述べる。

<慰安婦TF発表>韓日慰安婦合意に「非公開内容」あった…安倍首相、海外碑の処置も要求
2017.12.27 中央日報電子版
(前略)
  申ガク秀(シン・ガクス)元駐日大使は「非公開にすることにした内容を公開し、全体的に不完全だとか問題がある合意だと整理されたため、日本としては韓国政府が従来の合意を履行する考えがあるのかについて疑いがさらに強まる」とし「政府が対日政策を樹立するうえで選択肢が大きく制約される可能性がある」と懸念を表した。

 朝日新聞は、韓国の外交関係者でさえ指摘している外交当事者間の守秘義務違反への懸念にまったく触れず、その一方で今回の韓国の勝手で一方的な振る舞いに対して、日本側にも責任と義務があると主張している。そもそもこの日韓間に横たわる理不尽な問題を、ねつ造記事の長期間にわたる執拗な繰り返し報道によって招来した張本こそが朝日新聞であるにかかわらず、このような無責任な他人事の発言である。 

 読売新聞に以下のように報道される河野外務大臣の発言は、しごく当然である。

河野外相「非公表前提を公表、いかがなものか」 2017.12.28 読売新聞電子版
 河野外相は27日、日韓合意の検証結果を韓国外交省の作業部会が発表したことについて「韓国政府が既に実施に移されている合意を変更しようとするのであれば、日韓関係がマネージ(管理)不能となり、断じて受け入れられない」とする談話を発表した。
 合意について談話は、「正当な交渉過程を経てなされたものであり、合意に至る過程に問題があったとは考えられない」と強調した上で、「両政府間の合意であるとともに、国際社会からも高く評価されたものだ」として、着実な実施を強く要求した。
 河野氏は同日、訪問先のオマーンで記者団に、「非公表を前提としているものが一方的に公表されたというのはいかがなものか」と不快感を示した。日本政府は26日、韓国政府から外交ルートで内容の事前説明を受けた際、遺憾の意を伝えた。外務省幹部は「信義則違反で、外交交渉が成り立たなくなる」と憤りをあらわにした。

 以上のような日韓の報道のあと、次のような「やっばり」というべき韓国の報道があった。

文大統領が声明「日韓合意の手続きに重大欠陥」  2017.12.28 中央日報電子版
 【ソウル=岡部雄二郎】韓国大統領府は28日午前、日韓両政府が2015年末に交わした、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した合意について、文在寅ムンジェイン大統領の声明を発表した。
 韓国外交省作業部会が27日に公表した検証結果を踏まえ、合意に至る手続きなどに「重大な欠陥があった」と指摘。「この合意で慰安婦問題は解決されないという点を改めてはっきりと申し上げる」とし、日本側に何らかの対応を求める考えを示した。
 日本政府は合意の見直しには一切応じない方針だ。声明は、「再交渉」や「破棄」などには触れていないが、文政権が今後、これらを主張すれば日韓関係が緊張するのは必至だ。文氏は声明で、「何よりも被害の当事者と国民が排除された政治的合意だったという点で、非常に痛恨だ」と述べた。
 外交省作業部会は27日、合意に至る協議が秘密交渉で進められ、被害者の理解を得られていない、などとする検証結果を公表した。

 一般に、日本と韓国とはともに民主主義にもとづく国家であり、価値観を共有する隣国であり、友好善隣関係を一層推進すべきである、と言われる。友好善隣関係を一層推進すべきということには、なんら反対すべき点はない。しかし、「民主主義」の実質・内容、そして「価値観を共有する」については、われわれ日本からみて深刻な疑問と懸念がある。
 現代世界では、とくにアメリカが主導して「民主主義」を重要な判断基準とし、たとえば中東諸国に対して厳しく対処する傾向がある。しかし数年前の「アラブの春」騒動でも判明したとおり、選挙を導入して実施したりする形式的な改革だけで「民主主義国家」が創出できるわけではない。
  韓国は、さきの大戦後の李承晩政権、日韓基本条約を締結した朴正煕政権などを経て、1987年盧泰愚大統領が民主化宣言をした。たしかに議会も大統領も選挙によって選出するシステムはできた。ところがさきの大戦以後、下野した元大統領はいずれも新政権によって厳しく糾弾され、投獄されたり激しく攻撃されたりすることが一貫して続いている。自分たちが選出した指導者を、熱狂をもって排撃することが国民的習性となってしまっている。国民に一貫性が欠如しているのか、気まぐれなのか、それともまともな指導者に欠如しているのか、外からは真相がわからないが、要するに望ましい民主主義が未だに成熟していない、端的に言えば典型的な衆愚政治に陥っていることは間違いないだろう。
 日本も、さきの大戦直後には占領軍総指揮官マッカーサーに「12歳の子供程度の国民」と揶揄されたり、つい最近にもあの「民主党」に政権を預けてしまったり、といささか心もとない部分はあるのかも知れない。それでもすでに百数十年前に国際問題として不平等条約を経験し、国家としての約束・信頼関係たるもののなにかを艱難辛苦を伴いつつ理解し体得してきた。少なくともこのたびのような事象に関する限り、韓国のレベルとは雲泥の差であろう。
 上に引いた文在寅大統領の発言「何よりも被害の当事者と国民が排除された政治的合意だったという点で、非常に痛恨だ」との、民主主義国家では信じられない言葉が、あろうことか韓国を代表すべき大統領の口から発せられたのである。文在寅大統領は、韓国国家を代表して、ほんの2年前の自分の国たる韓国が、信用できない間違った国家だと公言したのである。そんなことをヌケヌケと口走る文在寅大統領と韓国を、日本はじめ他国はどうしたら信用することができるのだろうか。
 現状のような韓国は、国家として到底信頼をおくことはできないことが明確である。いくら「反共産主義」、「反非民主主義」で同じ側にある、と言ってみても、信用できない相手との協力関係はほとんど意味を持たない。
 河野外相がいうとおり、日本はごく妥当な対応に徹したらよい。

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信頼できない隣国と、わが国の将来

安倍氏にひと泡吹かせた1枚の写真
2017年11月08日 中央日報/中央日報日本語版
  ドナルド・トランプ米国大統領が7日午後、青瓦台(チョンワデ、大統領府)で開かれた国賓晩さんで、慰安婦被害女性の李容洙(イ・ヨンス)さん(90)と抱擁を交わした。
  この日、青瓦台関係者は李容洙さんを晩さんに招いたことについて、韓国メディアの京郷新聞を通じて「トランプ大統領が日本に行って韓国にも来られるのに、慰安婦問題と韓日歴史問題を韓国の大統領としては扱わざるを得なかった」とし「トランプ大統領がこの問題に対してバランスの取れた見解を持ってほしいという意味ではないか」と説明した。

「独島エビ、話題になるとは全く」韓国外務次官が答弁
2017年11月10日 朝日新聞電子版
 韓国政府が7日に主催したトランプ米大統領の歓迎夕食会に日韓が領有権を主張する竹島の名前を冠した「独島(トクト)エビ」を提供し、元慰安婦の女性を招待した問題で、韓国の林聖男(イムソンナム)第1外務次官は10日、「儀典関連の部署が検討して決める。その過程で、このようなメニューが話題になるとは全く予想できなかった」と語った。国会答弁で述べた。

 私は引退したひとりの老人であり、いまや政治や社会を動かすことなどとてもできない。朝日新聞や毎日新聞、あるいは民進党から派生・拡散した議員たちのように、「国民の意志を代弁する」などという根拠のないなたわごとを言うつもりもない。ただ、市井の一老人の感想を記すのみである。
 韓国のこのたびの外交上のこの上もない無礼、国家間の約束の一方的な破棄を現す行動については、この背景に中国の指示があった、あるいは上に引用した朝日新聞の擁護記事のように儀典裏方の独走によるミスに過ぎない、などとさまざまな説明がある。
 それらのいちいちに対しては、私はほとんど関心がない。ひとつだけはっきり言えることは今回のことで、韓国という国が、日本人に韓国を一層念を入れて嫌悪させることにだけは大成功したであろう、ということである。
 感情の問題を排除して理性的に考えるならば、韓国は信頼を置ける相手ではない、という一点に尽きる。暴走する北朝鮮に対して日米韓で協力して対処するというのが国際政治としての建前であり、それを直ちに否定することもないが、わが国の本音としては、韓国を信用できないことを大前提としてすべてに取り組む必要がある。
 北朝鮮が米国と戦って負けようが、中国が北朝鮮を潰そうが、あるいは北朝鮮が核兵器を確立して生き残って日本を一層脅迫することになろうが、いずれの結果も日本にとっては、現状の延長上ではない、ということをしっかり認識しなければならない。いずれの結果となろうが、日本には、現在よりもはるかに厳しく自立が求められるだろう。
 日本人が、現在の日常生活・社会生活を極端に転落させずに生き残るためには、憲法・軍事・防衛など、これまで野党や朝日新聞などのメディアが必死になってタブーとして封印してきたことがらを、国民的に真剣に議論してやるべきことを進めなければならないだろう。残された時間は、多くない。

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民進党出身議員たちの醜態

 10月の衆議院選挙で急遽設立された「希望の党」が、大量の候補者を擁立しながら当初の期待を裏切って、全立候補者の2割ほどしか当選できなかった。この厳しい結果を受けて、希望の党の両院議員懇談会が開催された。そこでは非公開のなかで、専ら小池百合子代表への非難・糾弾に終始したという。実際に当選した議員の大部分は民進党出身の議員たちであり、小池氏を非難している議員たちも民進党出身の議員たちであったという。
 しかしながら、希望の党が民進党に合流あるいは連携を言い出したわけではない。民進党の前原代表が小池氏に申し入れたのである。民進党の低迷と「希望のなさ」から、なんとしても当選したいがために、藁にもすがるようにひとえに「小池人気」に便乗したのである。にもかかわらず、結果が悪かったことを小池氏ひとりのせいにして自ら反省しない、できないというのは、見ていてこの上なく見苦しく、グロテスクでさえある。
 民進党の議員たちが総じて人気がなく選挙で勝てないのは、彼らの能力が足りず、したがって魅力がないことが要因である。大量の民進党議員たちが合流したのちの、希望の党の選挙公約・政権構想があれほど貧しかったことを、小池氏のみの責任にはできない。政権奪取を謳いながら、新政府の首班指名の候補すら提示できない、という事実を彼ら自身どう考えているのだろうか。要するに、ただ何とかして当選したいだけで、政権を運用するためのなんの考えも展望もない。
 テレビの画面で画像と音声で生々しく放送されていたが、民進党から希望の党に移って立候補し、小選挙区で落選し希望の党で比例復活した山井和則という議員は、選挙活動の最中に蓮舫氏の応援演説を得たとき「憲法改正なんて反対だ。希望の党なんてやってられない。選挙が済んだら民進党に帰らせてもらいたい。」と蓮舫氏に訴えていた。この男は政党というもの、選挙の基本的なルールというものをまったく理解していないのだろうか、あるいは政党や有権者を愚弄しているのだろうか。そもそも「踏み絵」に甘んじたことに「一点の曇りもない」と思っているのか。いずれにしても政治をまともに実行することを蔑ろにして、なりふり構わず議員になりたいだけ、あるいは社会人としてあるまじき全く信用がおけない人物であることが鮮明である。
 希望の党のなかにさえ、ごく僅かかも知れないか、松原仁氏という相対的にはまともな議員も居るには居る。彼は、小池氏に希望の党代表辞任を求めるのではなく、一緒に党の再出発を目指すべきだと発言していた。これこそ立派でもなんでもなく、ごく自然な普通のまともな考えである。小池氏はむしろ、東京都知事として東京都民からこそ厳しく責任を追及されるべきである。
 今回のような騒動は、もとの民主党、そのあとの民進党という存在が、いかに稚拙で無能で烏合の衆にすぎない連中であったかを、改めて露呈した。こんな人たちが3.5年もの間わが国の政権を握っていたのである。思い出すだけでも、気持ちが暗くなる。有権者も深く反省しなければならない。

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2017年衆議院選挙と「希望の党」騒動

 台風の雨風のなかで衆議院選挙の投開票が行われたが、選挙結果はほとんど無風の与党圧勝に終わった。今回の選挙の最大のトピックスは、やはり「希望の党」である。
 昨年夏の東京都知事選挙で小池百合子氏が大差で圧勝したのが、すべての始まりであった。悪評のなかで辞任した舛添要一前都知事が残した懸案を相次いで「リセット」し、都議会で一部議員から嫌われていた自民党都議会議員の重鎮内田茂氏を引退に追い込み、多くの国民が嫌っている森喜朗氏と東京オリンピックの件で激しく対立してみせ、やはり敵の多い石原慎太郎氏を引きずり出して築地市場移転問題で糾弾するという「政治ショー」を相次いで演じた。自民党を悪者にしたい朝日新聞・毎日新聞系のメディアは、この「小池人気」にすぐ飛びつき、懸命に拡散し応援した。
 小池氏が「問題提起」した築地市場移転問題では、結局出口戦略に困って「ひとまず豊洲に移転するが、築地を活かす」という、冷静に考えれば矛盾する、あるいは極めて無駄の多い、取ってつけたような劣悪な弥縫案を提案した。ところが「小池人気」に酔った東京都民はこの提案の致命的な質の悪さに気付かず「都民ファースト」なる小池会派を支持して都議会選挙で大勝させ、自民党の歴史的惨敗をもたらした。まさに「小池フィーバー」というべき現象が巻き起こった。朝日新聞・毎日新聞系のメディアは、最高潮に熱狂し欣喜雀躍していた。
 そこに安倍首相から、衆議院解散・選挙の日程が入った。選挙公示日が近づいたなか、小池氏は衆議院議員選挙に向けて、新政党「希望の党」の結成と独自候補者擁立を宣言した。なんとか「安倍首相打倒」を実現したい朝日新聞・毎日新聞系のメディアは、これにも飛びついて「小池フィーバー」を毎日喧伝した。
 そこに民進党の新代表に就任したばかりの前原誠司氏が、驚くべき行動に出た。衆議院選挙に民進党としては候補者を一切立てず、民進党の衆議院議員候補は全員希望の党から出馬する、と宣言したのであった。この決断は、前原氏の独断であった。さらに驚いたことに、民進党の議員たちは、全員がこの前原提案を受け入れたのである。
 民進党の衆議院議員たちは、全員が機嫌よく「希望の党」の党員として無事に立候補できて、人気がなくて冴えない「民進党」としてよりも、勢いのある新政党で、もっと良い条件で選挙を戦えると思いこんだ。そこへ小池氏から「政策の方向性が同じでない人は、排除する」と宣言されて、民進党は大混乱に陥った。小池氏は、希望の党の候補者公認の条件として、憲法改正を否定しない、現実的な防衛政策に反対しない、などの注文をつけ、「誓約書」として提出させた。これをメディアは「踏み絵」と報道した。小池氏の方針が「意外にも」保守的であることに気付いた左翼系メディアは、急速に小池氏と希望の党を警戒し始めた。
 民進党の衆議院議員たちは、行き場を失い混乱し動揺した。結局過半数が「踏み絵」に甘んじて希望の党から出馬する道を選択した一方で、一部の民進党衆議院議員たちは、「踏み絵」を拒んで無所属で立候補する道を選んだ。そしてついこの前の民進党代表選挙に立候補して前原氏に敗れた枝野幸男氏が「立憲民主党」という「リベラルの受け皿」となる新党を、まさに衆議院選挙公示直前に創設した。最初は枝野氏ただひとりの新党であったが、民進党を出て無所属で立候補しようとしていた議員も相次いで加わり、あっという間に数十人の規模になった。この動きは、「筋を通した」潔い行動と受け取られ、左翼政党を応援したいメディアも懸命に支援し、結局予想以上に成功をおさめ、50議席ほどながら野党第一党に上り詰めた。
 一方、「安保法案反対」のプラカードを掲げて国会議場内で暴れたり、あるいはシールズなどの「市民運動」に加担して叫んでおきながら、小池氏の「踏み絵」に屈服した議員たちのいる希望の党は、急速に勢いが衰えていった。選挙結果として、もっとあとに結成された立憲民主党にさえも、議席数で及ばなかった。
 希望の党の敗因として、メディアは小池氏の「排除」という強い言葉が災いであったとし、それに応えて小池氏もその言葉を悔やむと発言している。私は、この見解には賛同しない。政党という存在は、かつて前原氏も言ったように「当選のための互助会」であってはならないのは当然であり、政策の方向性が一致できない者が集まるのでは、失敗に終わった民主党・民進党の二の舞に終わるだけである。「排除」は、政党として必要な要素である。むしろ希望の党が反省すべきは、なんの具体性・説得性もない空疎な政権構想・選挙公約の内容にある。選挙公示にあたって小池氏が発表した希望の党の政権構想・選挙公約は、ほんの30分もあれば誰にでも作文できるような、思い付きや、あるいは他の政党や政治家から耳障りのよい言葉を適当にピックアッブして、なんの趣向も工夫もなく継ぎ接ぎ・コピペしただけの、これほどヒトの心に響かないものはない、という代物であった。おそらく小池氏は、東京都議会選挙の前に苦し紛れに放った「ひとまず豊洲に移転するが、築地を活かす」が、予想以上に都民に安易に好意的に受け入れられたので、安心し、慢心し、油断したのではないだろうか。それまでにも「ワイズスペンディング」など、空虚な言葉遊びの好きな人ではあった。敗北の原因を単に言葉遣いの問題に矮小化するようでは、小池氏にも希望の党にも未来はない。正攻法で堂々とまともな政策構想を出せなかったこと、その能力を欠いていたことをしっかり認め、そこを反省しなくてはならない。
 民進党議員たちが、ここまで追い詰められ翻弄されたことについては、第一に前原誠司氏に責任がある。彼は、民進党が左翼議員を抱えてこのままでは政党としてまともな運営ができないと考えたからこそ今回の行動に走ったのかも知れないが、それにしても民進党のメンバーたちにとっては、この上なく迷惑なことであった。あれだけ多くの「同志」の運命を左右することを断行するにしては、あまりに拙速で、考えが甘い、見通しが甘い、脇が甘いと言わざるをえない。彼なりには一生懸命努力しているつもりだろうが、リーダーにはもっとも不適格な人物である。
 小池氏と前原氏に共通する性向がある。ふたりともしばしばインタビューなどで「仲間とよく話し合って」と発言している。二人とも、このような発言は、実はその場しのぎのはぐらかしに過ぎない。二人とも、肝心なことをしっかりしかるべき仲間と議論した形跡がない。肝心なことほど、拙速に思い付きの独断で決めてしまう性格らしい。もちろん結果がいちばん大事であって、結果が素晴らしければ「英断」ともてはやされるが、結果が悪ければ単なる短慮、愚行となる。
 今後の東京都知事小池氏も多難であろう。どうやら築地の女将さんたちも、築地市場移転問題について、小池氏がまったく頼りにならないことに気付き始めたようである。こんなことなら舛添要一氏の方がはるかにマシだった、とも思い始めかねない。
 最後に息抜きに下手な替え歌をひとつ(「どんぐりコロコロ」のメロディーで)。

   踏み絵にヒヨッた議員さん 小池にはまってサア大変 やっぱりバッジが恋しいと
   泣いてはマエハラ困らせる~

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