フーバーの著作からウクライナ戦争と日本を考える
ハーバート・フーバー『裏切られた自由』を読んで、私は大きな衝撃を受けた。私たちが教えられてきた近現代史に間違いがあることも大きな問題だが、現在の世界情勢を考えると、目の前にもっと切実な懸念がある。いちばん具体的なのは2年以上続くウクライナ戦争である。そしてそれは日本にとって、決して他人ごとではない。
フーバーの考え方
著書でフーバーが主張していることを簡単にまとめる。
(1)もっとも重要なのは国民の自由であり、その前提のもとに民主主義の政治を行うことである。共産主義・社会主義は、必然的に独裁体制をともなうので、間違っている。
(2)自国に直接関係しない戦争・紛争には関わってはならない、という原則、は自国にとっても相手国にとっても重要である。
(3)相手国が戦争に直面しているなら、その国の行動はその国の判断・行動に任せ、戦争が終わってから、その国が望む支援に努めるべきである。
(4)それぞれの国がどのような方針でどのような政治体制を選ぶかは、その国の意志によるべきであり、相手の国に自国の政治信条(自由、民主主義など)を押し付けてはならない。
フーバーは、第二次世界大戦直前にヨーロッパ諸国を歴訪して、ヒトラーのドイツの猛威に脅かされるベルギーなどヨーロッパのいくつかの国々の首脳に面談した。そこでアメリカから軍事支援が欲しいわけではない、自分たちの国にも独自の考えがあり、アメリカの政治方法・政治文化をそのまま取り入れることも望まない、しかしもし戦争になったら終戦後に復興支援をして欲しい、アメリカは自由で開かれた大国として悠然と構えていて欲しい、と要望された。
しかしドイツの脅威に怯えたチャーチルは、アメリカの参戦を熱望するとともに、ヒトラーに対抗するためにソビエトのスターリンに接近した。なぜか容共的で共産主義シンパともとれるルーズベルトは、ヨーロッパに積極的に介入し、チャーチルとともにスターリンに接近し、日本に真珠湾攻撃を起こさせてアメリカを参戦させ、大戦末期になってソ連に対日参戦を働きかけた。
このようなチャーチルとルーズベルトの行動、とくにルーズベルトのヨーロッパ介入とスターリンへの接近に対して、フーバーは厳しく非難している。
第二次世界大戦とその後の冷戦において、フーバーの考えは、戦争の拡大と戦後の共産主義国の拡大を回避するうえで、きわめて妥当で合理的なものであったと思われる。
第二次世界大戦におけるルーズベルト大統領について
ルーズベルトは意外にも、ソビエトのスターリンに対して異常なほど好意的で依存してさえいた。その要因を考える。
(1)ニューディールをはじめ、経済に政府が介入する計画経済を重視する考えを持ち、アメリカでも保守派から「共産主義的」と非難されることさえあったように、反社会主義、反共産主義の意思はなく、ある程度共産主義を許容する傾向があったようだ。
(2)その傾向とも関連して、身近にアルジャー・ヒス、ディーン・アチソンなど多くの共産主義者を抱えていた。
(3)当時は、ソ連が建国してまだ10年余り(東日本大震災から現在まで程度)だったので、共産主義の深刻な問題、数々の裏切り、その悪辣さをまだよく理解していなかったのではないだろうか。
(4)戦争が始まってしまうと、勝つことこそが最大の目標と義務になって、利用できるものは最大限利用することが当たり前になってしまった。対日戦争の勝利のために、建国後まだ日の浅いソ連の指導者スターリンを、都合よく利用できると楽観したと推測する。
(5)もとから積極的であったかどうかはともかく、イギリス・フランスなどヨーロッパの国々の首脳から頼まれると、なんらかの支援をせざるを得ないと考えたようだ。
自由・民主主義の他国への要請
第二次世界大戦終戦後、アメリカがまもなく始めたVoice of Americaなどの情報戦のアプローチは、冷戦の始まりが明確になると強化され、1989年の冷戦の終焉(ソビエトの崩壊)まで、軍事力を行使しないで共産主義国家を攻撃する有力な手段であった。アメリカは、このアプローチの成功を受けて、相手国に、アメリカの自由の重視、民主主義の政治体制を宣伝し教え込み、その実現を求める傾向があった。この傾向は、1989年のソビエト崩壊のあと、ますます強くなり、アフリカなどの新興国をはじめ、ソビエト体制が崩壊した後のロシアや、アフガニスタンに適用しようとしたが、いずれも失敗している。
ウクライナ戦争にどう対処すべきか
現在、私たちの目の前に大きな脅威が立ちはだかっている。これまでの経緯としては
・バイデン政権は、ウクライナ戦争に対して、武器供与という手段でウクライナを支援している。理不尽なロシアの侵略行為という国家の悪にたいする正義の行動と考えられる。そしてヨーロッパ諸国も日本も、このバイデンの考えに同意している。
・しかしこれは、フーバーの考える方針とは食い違っている。ウクライナはヨーロッパではあるが、アメリカからは遠く、アメリカが直接侵略されたわけではない。
・バイデンは、これまではロシアとの直接戦争に突入することを慎重に回避しようと、ウクライナに提供した武器の使用に対して、大きな制限を加えてきたが、戦争の当事者たるウクライナにすれば、このままでは戦争に勝利できる見込みが立たず、バイデンの要請を遵守するにも限度があるだろう。
・しかし最近になって、北朝鮮の参戦などウクライナ戦争がより激化し、複雑化し、さらにバイデンの政権も終わりに近づいて、ウクライナに対する武器使用範囲の制限も緩和の傾向にある。
さて、これらがルーズベルトの時代と大きく異なるのは、現在では共産主義国家を母体とする現在のロシアの非正義・悪辣さがよくわかっている。また、バイデンは、ルーズベルトよりはるかに反共産主義、反社会主義の意志が明確である。しかしロシアが核の脅しなどを持ち出してきて、この局地的戦争がロシアとアメリカの全面戦争になる可能性も否定できなくなっている。
これからどうなりそうかを考えると
・アメリカの大統領がバイデンからトランプに代わることとなった。トランプは、ウクライナへの武器供与に否定的で、ウクライナとロシアに対して停戦を呼びかけると言っている。その表明には、ウクライナのみならず、多くの西側諸国が違和感と反感で困惑している。しかしこのトランプの方針は基本的にはフーバーの意見により近いと言える。
・しかし、その場合大きな確率で、不当に侵略されたウクライナが、ロシアに大きな譲歩(領土割譲)を強いられる見込みである。プーチンの残虐な暴力が、結局は成果を獲得するという結果を導くのだ。
日本の立場から考えた場合
・日本は、法文的には憲法九条で軍事力保持まで否定し、防衛のための交戦さえ明確には保証されていない。防衛の軍事力は大きくアメリカに依存している(つもりである)。
・日本がもしウクライナのように、他国から侵略を受けたとき、どのようにして国土を防衛するのかは、われわれ国民にとって深刻で重大な問題である。
・フーバーの考えによれば、地理的に日本はアメリカから遠く離れていて、アメリカが介入すべきでない、すなわち日本を軍事的に支援すべきでない、ということになる。日本は、まずは自分で(自国の力で)防衛を実行すべきである、ということになる。
・十分な防衛力を保持しない日本は、軍事的に強大な国から蹂躙されたら、ほぼ無抵抗に降伏して、ひれ伏さざるを得ないことになる可能性が高いが、独立主権国家としてそれがほんとうに正しいのか。
・日米安全保障条約はあるものの、当然ながら直接的な世界大戦への拡大を回避したいアメリカが、日本が自力で十分に戦えないとき、どこまで日本の防衛に関与してくれるのか。
・そもそも現時点では、他国から侵略を受けたとき、自国の防衛のために(自衛隊はともかく)日本人が自ら戦う意志と覚悟があるのか。
このような深刻な問題が迫ってきている状況下で、私たちは憲法改正ができないのを傍観し、被団協のノーベル平和賞を喜んでいて良いのだろうか。マスコミも野党も学者先生も評論家も芸人も、毎日朝から晩までさまざまな「疑惑問題」や「政治とカネ」ばかりを、ほとんど同じことを繰り返し報道している。それで視聴率や支持率を支えるわれわれ視聴者や国民にも大いに問題があろう。
フーバーの時代と現在とでは、状況や条件が異なる、という指摘も可能性もあるかも知れない。それならそれで政府も国民も、そういうことも併せて真剣に考えて、対処方法と手段を具体化しなければならないであろう。
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