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時事

信頼できない隣国と、わが国の将来

安倍氏にひと泡吹かせた1枚の写真
2017年11月08日 中央日報/中央日報日本語版
  ドナルド・トランプ米国大統領が7日午後、青瓦台(チョンワデ、大統領府)で開かれた国賓晩さんで、慰安婦被害女性の李容洙(イ・ヨンス)さん(90)と抱擁を交わした。
  この日、青瓦台関係者は李容洙さんを晩さんに招いたことについて、韓国メディアの京郷新聞を通じて「トランプ大統領が日本に行って韓国にも来られるのに、慰安婦問題と韓日歴史問題を韓国の大統領としては扱わざるを得なかった」とし「トランプ大統領がこの問題に対してバランスの取れた見解を持ってほしいという意味ではないか」と説明した。

「独島エビ、話題になるとは全く」韓国外務次官が答弁
2017年11月10日 朝日新聞電子版
 韓国政府が7日に主催したトランプ米大統領の歓迎夕食会に日韓が領有権を主張する竹島の名前を冠した「独島(トクト)エビ」を提供し、元慰安婦の女性を招待した問題で、韓国の林聖男(イムソンナム)第1外務次官は10日、「儀典関連の部署が検討して決める。その過程で、このようなメニューが話題になるとは全く予想できなかった」と語った。国会答弁で述べた。

 私は引退したひとりの老人であり、いまや政治や社会を動かすことなどとてもできない。朝日新聞や毎日新聞、あるいは民進党から派生・拡散した議員たちのように、「国民の意志を代弁する」などという根拠のないなたわごとを言うつもりもない。ただ、市井の一老人の感想を記すのみである。
 韓国のこのたびの外交上のこの上もない無礼、国家間の約束の一方的な破棄を現す行動については、この背景に中国の指示があった、あるいは上に引用した朝日新聞の擁護記事のように儀典裏方の独走によるミスに過ぎない、などとさまざまな説明がある。
 それらのいちいちに対しては、私はほとんど関心がない。ひとつだけはっきり言えることは今回のことで、韓国という国が、日本人に韓国を一層念を入れて嫌悪させることにだけは大成功したであろう、ということである。
 感情の問題を排除して理性的に考えるならば、韓国は信頼を置ける相手ではない、という一点に尽きる。暴走する北朝鮮に対して日米韓で協力して対処するというのが国際政治としての建前であり、それを直ちに否定することもないが、わが国の本音としては、韓国を信用できないことを大前提としてすべてに取り組む必要がある。
 北朝鮮が米国と戦って負けようが、中国が北朝鮮を潰そうが、あるいは北朝鮮が核兵器を確立して生き残って日本を一層脅迫することになろうが、いずれの結果も日本にとっては、現状の延長上ではない、ということをしっかり認識しなければならない。いずれの結果となろうが、日本には、現在よりもはるかに厳しく自立が求められるだろう。
 日本人が、現在の日常生活・社会生活を極端に転落させずに生き残るためには、憲法・軍事・防衛など、これまで野党や朝日新聞などのメディアが必死になってタブーとして封印してきたことがらを、国民的に真剣に議論してやるべきことを進めなければならないだろう。残された時間は、多くない。

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民進党出身議員たちの醜態

 10月の衆議院選挙で急遽設立された「希望の党」が、大量の候補者を擁立しながら当初の期待を裏切って、全立候補者の2割ほどしか当選できなかった。この厳しい結果を受けて、希望の党の両院議員懇談会が開催された。そこでは非公開のなかで、専ら小池百合子代表への非難・糾弾に終始したという。実際に当選した議員の大部分は民進党出身の議員たちであり、小池氏を非難している議員たちも民進党出身の議員たちであったという。
 しかしながら、希望の党が民進党に合流あるいは連携を言い出したわけではない。民進党の前原代表が小池氏に申し入れたのである。民進党の低迷と「希望のなさ」から、なんとしても当選したいがために、藁にもすがるようにひとえに「小池人気」に便乗したのである。にもかかわらず、結果が悪かったことを小池氏ひとりのせいにして自ら反省しない、できないというのは、見ていてこの上なく見苦しく、グロテスクでさえある。
 民進党の議員たちが総じて人気がなく選挙で勝てないのは、彼らの能力が足りず、したがって魅力がないことが要因である。大量の民進党議員たちが合流したのちの、希望の党の選挙公約・政権構想があれほど貧しかったことを、小池氏のみの責任にはできない。政権奪取を謳いながら、新政府の首班指名の候補すら提示できない、という事実を彼ら自身どう考えているのだろうか。要するに、ただ何とかして当選したいだけで、政権を運用するためのなんの考えも展望もない。
 テレビの画面で画像と音声で生々しく放送されていたが、民進党から希望の党に移って立候補し、小選挙区で落選し希望の党で比例復活した山井和則という議員は、選挙活動の最中に蓮舫氏の応援演説を得たとき「憲法改正なんて反対だ。希望の党なんてやってられない。選挙が済んだら民進党に帰らせてもらいたい。」と蓮舫氏に訴えていた。この男は政党というもの、選挙の基本的なルールというものをまったく理解していないのだろうか、あるいは政党や有権者を愚弄しているのだろうか。そもそも「踏み絵」に甘んじたことに「一点の曇りもない」と思っているのか。いずれにしても政治をまともに実行することを蔑ろにして、なりふり構わず議員になりたいだけ、あるいは社会人としてあるまじき全く信用がおけない人物であることが鮮明である。
 希望の党のなかにさえ、ごく僅かかも知れないか、松原仁氏という相対的にはまともな議員も居るには居る。彼は、小池氏に希望の党代表辞任を求めるのではなく、一緒に党の再出発を目指すべきだと発言していた。これこそ立派でもなんでもなく、ごく自然な普通のまともな考えである。小池氏はむしろ、東京都知事として東京都民からこそ厳しく責任を追及されるべきである。
 今回のような騒動は、もとの民主党、そのあとの民進党という存在が、いかに稚拙で無能で烏合の衆にすぎない連中であったかを、改めて露呈した。こんな人たちが3.5年もの間わが国の政権を握っていたのである。思い出すだけでも、気持ちが暗くなる。有権者も深く反省しなければならない。

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2017年衆議院選挙と「希望の党」騒動

 台風の雨風のなかで衆議院選挙の投開票が行われたが、選挙結果はほとんど無風の与党圧勝に終わった。今回の選挙の最大のトピックスは、やはり「希望の党」である。
 昨年夏の東京都知事選挙で小池百合子氏が大差で圧勝したのが、すべての始まりであった。悪評のなかで辞任した舛添要一前都知事が残した懸案を相次いで「リセット」し、都議会で一部議員から嫌われていた自民党都議会議員の重鎮内田茂氏を引退に追い込み、多くの国民が嫌っている森喜朗氏と東京オリンピックの件で激しく対立してみせ、やはり敵の多い石原慎太郎氏を引きずり出して築地市場移転問題で糾弾するという「政治ショー」を相次いで演じた。自民党を悪者にしたい朝日新聞・毎日新聞系のメディアは、この「小池人気」にすぐ飛びつき、懸命に拡散し応援した。
 小池氏が「問題提起」した築地市場移転問題では、結局出口戦略に困って「ひとまず豊洲に移転するが、築地を活かす」という、冷静に考えれば矛盾する、あるいは極めて無駄の多い、取ってつけたような劣悪な弥縫案を提案した。ところが「小池人気」に酔った東京都民はこの提案の致命的な質の悪さに気付かず「都民ファースト」なる小池会派を支持して都議会選挙で大勝させ、自民党の歴史的惨敗をもたらした。まさに「小池フィーバー」というべき現象が巻き起こった。朝日新聞・毎日新聞系のメディアは、最高潮に熱狂し欣喜雀躍していた。
 そこに安倍首相から、衆議院解散・選挙の日程が入った。選挙公示日が近づいたなか、小池氏は衆議院議員選挙に向けて、新政党「希望の党」の結成と独自候補者擁立を宣言した。なんとか「安倍首相打倒」を実現したい朝日新聞・毎日新聞系のメディアは、これにも飛びついて「小池フィーバー」を毎日喧伝した。
 そこに民進党の新代表に就任したばかりの前原誠司氏が、驚くべき行動に出た。衆議院選挙に民進党としては候補者を一切立てず、民進党の衆議院議員候補は全員希望の党から出馬する、と宣言したのであった。この決断は、前原氏の独断であった。さらに驚いたことに、民進党の議員たちは、全員がこの前原提案を受け入れたのである。
 民進党の衆議院議員たちは、全員が機嫌よく「希望の党」の党員として無事に立候補できて、人気がなくて冴えない「民進党」としてよりも、勢いのある新政党で、もっと良い条件で選挙を戦えると思いこんだ。そこへ小池氏から「政策の方向性が同じでない人は、排除する」と宣言されて、民進党は大混乱に陥った。小池氏は、希望の党の候補者公認の条件として、憲法改正を否定しない、現実的な防衛政策に反対しない、などの注文をつけ、「誓約書」として提出させた。これをメディアは「踏み絵」と報道した。小池氏の方針が「意外にも」保守的であることに気付いた左翼系メディアは、急速に小池氏と希望の党を警戒し始めた。
 民進党の衆議院議員たちは、行き場を失い混乱し動揺した。結局過半数が「踏み絵」に甘んじて希望の党から出馬する道を選択した一方で、一部の民進党衆議院議員たちは、「踏み絵」を拒んで無所属で立候補する道を選んだ。そしてついこの前の民進党代表選挙に立候補して前原氏に敗れた枝野幸男氏が「立憲民主党」という「リベラルの受け皿」となる新党を、まさに衆議院選挙公示直前に創設した。最初は枝野氏ただひとりの新党であったが、民進党を出て無所属で立候補しようとしていた議員も相次いで加わり、あっという間に数十人の規模になった。この動きは、「筋を通した」潔い行動と受け取られ、左翼政党を応援したいメディアも懸命に支援し、結局予想以上に成功をおさめ、50議席ほどながら野党第一党に上り詰めた。
 一方、「安保法案反対」のプラカードを掲げて国会議場内で暴れたり、あるいはシールズなどの「市民運動」に加担して叫んでおきながら、小池氏の「踏み絵」に屈服した議員たちのいる希望の党は、急速に勢いが衰えていった。選挙結果として、もっとあとに結成された立憲民主党にさえも、議席数で及ばなかった。
 希望の党の敗因として、メディアは小池氏の「排除」という強い言葉が災いであったとし、それに応えて小池氏もその言葉を悔やむと発言している。私は、この見解には賛同しない。政党という存在は、かつて前原氏も言ったように「当選のための互助会」であってはならないのは当然であり、政策の方向性が一致できない者が集まるのでは、失敗に終わった民主党・民進党の二の舞に終わるだけである。「排除」は、政党として必要な要素である。むしろ希望の党が反省すべきは、なんの具体性・説得性もない空疎な政権構想・選挙公約の内容にある。選挙公示にあたって小池氏が発表した希望の党の政権構想・選挙公約は、ほんの30分もあれば誰にでも作文できるような、思い付きや、あるいは他の政党や政治家から耳障りのよい言葉を適当にピックアッブして、なんの趣向も工夫もなく継ぎ接ぎ・コピペしただけの、これほどヒトの心に響かないものはない、という代物であった。おそらく小池氏は、東京都議会選挙の前に苦し紛れに放った「ひとまず豊洲に移転するが、築地を活かす」が、予想以上に都民に安易に好意的に受け入れられたので、安心し、慢心し、油断したのではないだろうか。それまでにも「ワイズスペンディング」など、空虚な言葉遊びの好きな人ではあった。敗北の原因を単に言葉遣いの問題に矮小化するようでは、小池氏にも希望の党にも未来はない。正攻法で堂々とまともな政策構想を出せなかったこと、その能力を欠いていたことをしっかり認め、そこを反省しなくてはならない。
 民進党議員たちが、ここまで追い詰められ翻弄されたことについては、第一に前原誠司氏に責任がある。彼は、民進党が左翼議員を抱えてこのままでは政党としてまともな運営ができないと考えたからこそ今回の行動に走ったのかも知れないが、それにしても民進党のメンバーたちにとっては、この上なく迷惑なことであった。あれだけ多くの「同志」の運命を左右することを断行するにしては、あまりに拙速で、考えが甘い、見通しが甘い、脇が甘いと言わざるをえない。彼なりには一生懸命努力しているつもりだろうが、リーダーにはもっとも不適格な人物である。
 小池氏と前原氏に共通する性向がある。ふたりともしばしばインタビューなどで「仲間とよく話し合って」と発言している。二人とも、このような発言は、実はその場しのぎのはぐらかしに過ぎない。二人とも、肝心なことをしっかりしかるべき仲間と議論した形跡がない。肝心なことほど、拙速に思い付きの独断で決めてしまう性格らしい。もちろん結果がいちばん大事であって、結果が素晴らしければ「英断」ともてはやされるが、結果が悪ければ単なる短慮、愚行となる。
 今後の東京都知事小池氏も多難であろう。どうやら築地の女将さんたちも、築地市場移転問題について、小池氏がまったく頼りにならないことに気付き始めたようである。こんなことなら舛添要一氏の方がはるかにマシだった、とも思い始めかねない。
 最後に息抜きに下手な替え歌をひとつ(「どんぐりコロコロ」のメロディーで)。

   踏み絵にヒヨッた議員さん 小池にはまってサア大変 やっぱりバッジが恋しいと
   泣いてはマエハラ困らせる~

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韓国大統領弾劾と韓国の今後

「勝った」弾劾賛成派の市民ら叫ぶ 朴大統領に罷免宣告
朝日新聞電子版 2017年3月10日14時21分
 「勝った。我々はやった」。韓国の憲法裁判所が10日午前11時20分すぎに朴槿恵(パククネ)大統領の罷免(ひめん)を宣告した瞬間、ソウル市鍾路(チョンノ)区にある裁判所近くでは、罷免に賛成する市民たちが立ち上がり、口々に叫んだ。涙を流す人やシャンパンを振りまく人もいた。
 賛成派の人々は午前9時前から(中略)仁寺洞(インサドン)近くで集会を開始。「弾劾を貫こう」「今日で決まりだ」などと叫びながら、路上に設置された画面で憲法裁判所による宣告の生中継を食い入るように見つめていた。
 反対派の市民は「これで民主主義国家か」「お話にならない決定だ」と憤った。反対派も午前9時前から、(中略)集結。大音量で愛国を呼びかける歌を流しながら、合間に「弾劾却下」「国会解散」などと絶叫していた。宣告後は「裁判所を粉みじんにしろ」という怒号も上がり、一部は裁判所に近づこうとして警官隊ともみ合いになった(後略)。

朴大統領を罷免、5月にも大統領選 韓国憲法裁
朝日新聞電子版 2017年3月10日13時38分
 (前略)与野党は大統領選に向けた準備を本格化させる。韓国の調査機関「リアルメーター」が6~8日に実施した次期大統領選に関する世論調査によると、進歩(革新)系で最大野党「共に民主党」の文在寅(ムンジェイン)前代表(64)が、支持率36・1%でトップを独走している。野党系の候補は慰安婦問題で日本側との再交渉を求めている(後略)。

 ひとことで言って、なんともひどい、せつない光景である。思わず、自分が韓国に生れなかった幸運を思う。
 朴槿恵は、ついこの前の2012年大統領選挙では得票率83.9%で圧勝し、翌2013年大統領就任時の支持率63%というように、国民の圧倒的な支持を得ていた人物である。それがいまでは多数の国民から忌み嫌われ、罷免決定直前の世論調査では朴氏弾劾への賛成世論は77%にも上り、弾劾判決がでると多数の国民がその弾劾に喝采をあげるという。この国民の意識や感情が、私には理解できない。
 韓国は国民投票で大統領を選出するのであり、国民は朴槿恵を大統領に選んだのである。その自分の意志と行動を、韓国国民たちはどのようにとらえているのだろうか。今回の韓国大統領弾劾では、かつて朴槿恵に投票した人たちの多数が、その弾劾を「喜んでいる」ことになる。かつて自分が推挙した人間が、いくら想定外の問題を引き起こして罷免せざるを得ないという事態になったとしても、その状況に対して「勝った。我々はやった」、「涙を流す人やシャンパンを振りまく人もいた」となるのは、民主主義国家の国民としてあまりにも無反省・無自覚・無責任ではないか。
 朴槿恵をはじめから支持しなかった人たちにしても、韓国のこのような現状に手放しで喜べる事態ではないと思う。朴槿恵を今でも支持している人たちにしても、「これで民主主義国家か」「お話にならない決定だ」と憤っているだけではなんの進歩もない。今回のような失態が発生したことに対して、それぞれが真剣に事実に向き合って、事態の深刻さをよく把握し、どうすべきか考えなければならないだろう。
 少し前にわが国でも、民主党政権から現政権に交代して、そのとき私はたしかに心底から安堵したが、決して単純に喜べる気持ではなかった。なぜあの劣悪な民主党を選挙という民主的手段で勝たせてしまったのか、自分が民主党に投票したのではなかったにしても、民主主義が非常に危うい側面をもつことを経験した以上、とても手放しで喜ぶことはできなかった。
 こんな状況を見ていると、韓国という国とその国民が政治的にきわめて未成熟であると思わざるを得ない。一部の「識者」やメディアは、韓国の「分裂」が問題で心配だというが、国民の「無反省・無自覚・無責任」はそれ以前の深刻な問題である。最近では、日韓合意という国家同士の約束の重みをほとんど理解せず、またも「従軍売春婦問題」を通じて反日的行動を活発化させているらしい。このような未来のない思想・感情・行動を続けているかぎり、韓国の未来への展望は到底開けそうにない。韓国人の個々人は生れる国を選べないので、私はその個々人に対しては特段の感情や意識はないが、国に対してはなんらの期待も信頼もできない。わが国政府としては、韓国に対して少し距離をおいて、期待せず、与えず、干渉せず、しばらく静観するのが妥当であろう。

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トランプ新大統領のアメリカ

 日本時間の1月21日未明午前2時、アメリカ合衆国に新大統領としてドナルド・トランプ氏が就任した。その模様がテレビを通じて報道され、わが国のメディアでもさまざまな議論が報道されている。
  「世論調査」によるとトランプ氏の支持率は40%程度と、前代未聞の低いものである、という。たしかに相対的には低いのだろう。それでも「世論調査」の数字そのものが疑わしいという事実は、大統領選挙を通じてわれわれが目の当たりにしてきたばかりである。アメリカのメディアによる世論調査では、大統領選挙の結果が判明するときまで、ついに一貫してヒラリー・クリントン候補優勢のままであった。新大統領就任式のすぐ前に行われたバラク・オバマ氏の「最後の記者会見」がやはり報道されていたが、オバマが去るにあたり涙を流して別れを惜しむ記者があり、オバマ氏からもまた記者たちに対して何度も感謝の言葉があった。美しい風景ではあるが、いかにこれまでオバマ=民主党政権とメディアの関係が親密であったかを如実に現すものでもある。アメリカにおいても、メディアの中立性・公平性などは期待できそうにないことは、大統領選挙中の「世論調査」で証明された。史上空前の低支持率とはいえ、少なくとも選挙において、多数派の支持を得たからこそトランプ氏が大統領に選出されたのである。そういう事実を重視しないで、あいもかわらず「かなり偏向している」と考えざるを得ないアメリカ・メディアの「世論調査」の数字や見解のみをとりあげて「大変だ」「変だ」と報道しているわが国のメディアについても、その浅はかさと視野の狭さを指摘したい。
 今回の大統領就任式では、「トランプを大統領として認めない」とする人たちのデモや、一部暴力沙汰までが報じられた。私はこうした行為は、民主主義国家の国民として断じて恥ずべきものであると思う。いかなる結果であろうが、自らも認めたきちんとした制度と方法に基づいて選挙を行い、その結果として選出された大統領である。結果が出てから、その当選者が気に食わないとして叫び、暴れるのは明らかに不当で愚かである。こんなことをしていると、たとえば中国など民主主義的な手続きを経ないで政治を行っている国から、民主主義もあんなにいいかげんで危ういものだと批難されかねない。私は少し前の日本の民主党政権に徹底して反対であったが、それでも選挙で民主党が勝利してしまったからには、あの鳩山由紀夫や菅直人の首相ですらやむを得ないものとして認めていた。合意したルールのうえでの結果はいかなる結果であれ認めて受け入れるということは、民主主義では必須である。
 関連して、このたびの就任式に、アメリカ民主党議員が60名余りも参加をボイコットした、という。なんとも情けない話である。アメリカ民主党も、この程度のものなのか。
  そして、新大統領トランプ氏の最初の演説である。この内容は、率直に言ってみすぼらしいものであった。「アメリカを偉大にする」と言えば言うほどアメリカを矮小化する結果となっている。まるで開発途上国のリーダーのような演説であった。
 ただ、このようなトランプ氏が過半数の支持を得て当選した、という厳然たる事実がある。それは、これまでアメリカが進めてきたアメリカの大国としてのリーダーシップ重視やポリティカル・コレクトネス、つまりきれいごとの主張が、多くのアメリカ国民にとって、うんざりするものとなってきた、ということであろう。政治には理念が在らねばならない、あることが望ましい、とは誰もが考えるが、国民の多数にとってその結果が自分たちにまったく響いてこない、という焦燥感・倦怠感が蔓延していたのであろう。アメリカの多数の人々が、そういう感覚になっている、という事実を、私たち外国人もよく認識してつきあう必要があるのだろう。
 そのうえで、わが国としてどうすべきなのか。トランプ氏の演説では、かなり極端な内向きの姿勢が表明されている。日本への防衛協力についても「タダ乘り論」的な発言もある。日本にとっては望ましくないけれども、他国の事情をとやかくいうこともできない。日本はこの際、とくに安全保障に関して、基本的なことから考え直してみる必要があるだろう。さきの大戦後70年以上、わが国はさいわいにして平和を継続することができた。その要因は何であったか。「平和憲法」とされる日本国憲法の第9条による非武装・不戦の誓いが貢献したのか、それとも日米安全保障条約によるアメリカの軍事力の傘が貢献したのか、日本国民がまじめに向き合って深く考えてみることが必要である。もし日米安全保障条約が平和の維持にとって、より大きな要因であると考えるなら、憲法を改正して自主的な防衛力をきちんと確保し、そのうえでアメリカなどとの連携を図っていくことが必要だろう。防衛大臣が「防衛費」を「軍事費」と言い間違えたとかで、貴重な議会の時間を消耗したり、自称大新聞が大々的に報道したり論じたりするようなピントが外れた安穏とした「言論」ばかりではすまされない事態が近づいているのではないか。
 私は政治的には保守派であると思っており、したがって予測しがたい事態、リスクについては最小化を図るべきだと考えるので、もし自分がアメリカ人だったとしたらトランプ氏には投票しないだろう、と思っていた。しかしアメリカの民意がトランプ氏を当選させたのであるから、われわれはトランプ大統領を前提に考えて行かざるをえない。日本人の多数が無意識のうちにアメリカの軍事力に依存していたのではなかったか、そういう基本的なことを再考するよい機会となるのではないだろうか。

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2016年度参議院選挙と民進党

新しい民主主義が始まったということを高く評価している
2016年07月11日 民進党ホームページより
岡田克也代表は、参院選の開票が進んだ10日深夜、党本部で記者会見し(中略)「いままで関心を持っていただけなかった若い人、赤ちゃんを連れたお母さんなどが熱心に(選挙に)参加していただいた。新しい民主主義が始まったということを高く評価している。これからもそういう形が広がることを期待したい」と述べた。(中略)
 民進党としての選挙結果については、「3年前と比べるとかなり回復途上」と述べ、民進党の考え方は「理解されたと思う。安倍総理は成長の果実分配。私たちはそうではなく、予算の配分そのものを変えるということだ」と述べた。(後略)

 7月10日投票日で、夜には与党の四連勝、野党とくに民進党の惨敗が明らかになった。ところが翌11日、民進党のホームページを開いてみて、私はいささか驚いた。岡田代表は、民進党が選挙に負けたとは思っていない、むしろ党勢は「回復途上」と前向きに捉えているかのようである。ホームページの画面も、何人かの当選者の笑顔の写真が並んでいる。もしほんとうに民進党も負けたのではないというのであれば、今回の選挙はまことに珍しい、与党も野党もみんな満足で八方丸くおさまる、まことにご同慶に堪えないめでたい選挙であったことになる。
 たしかに前回の17議席に比べると、今回は1人区32のうち「共産党との共闘の結果」11で当選を得て、議席も倍増近い32となっている。それにしても、もし政権を狙う政党なのであれば、今回の選挙は惨敗を喫したと言わざるを得ないにもかかわらず、民進党は、敗戦の言葉、敗戦の反省をまったく述べていない。かつてはある程度謙虚に反省の姿勢を見せていたと思うが、選挙の敗退における態度まで、「たしかな野党」を謳い、いかなるときも決して負けを認めない共産党に似てきたのかも知れない。こういう状況では、再び政権に返り咲くという可能性は、ほとんど皆無に近い。
  「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という。私自身の備忘録として、簡単に民進党の問題を列記しておくことにする。

(1)経済問題
 今回の選挙で、民進党は「アベノミクスは失敗した」と懸命に叫んでいた。「消費税を当初公約とおり10%に上げ得なかったのだから、失敗である」と言うのである。たしかにアベノミクスと呼ばれる現政権の経済政策は、十分な成功達成には至っていないのは事実である。それでも企業業績が回復し、ともなって税収も増加し、雇用も増加し、全体として民主党政権時代に比べて格段に良い兆しがあることは、多くの国民が認めている。翻って、民主党政権時代のあの暗黒時代の憂鬱な雰囲気は、思い出すだにおぞましい。民進党は、懸命に与党の経済政策を批判する一方で、まともな対案を出し得ないのである。福祉を手厚くして国民が安心できるようにすることで経済の循環を良くする、などと言うものの、具体的にどのように財源を調整してそれを達成する計画なのか、まったくプランがない。
 かつて民主党政権時代に、20兆円を「仕分け」などで捻出して福祉充実に充てる、などと吹聴したものの、そんな巨額の財政節減などとても実現できなかった。もっとも「なぜ1番でなければならないのか、2番でも良いのでは」というような、わが国の競争力を下げる努力だけはそれなりに「成果」を上げ、たとえばスーパー・コンピューターでは世界一の座からおりるなど、おかげで産業界はかなりのダメージを受けた。今の経済の成績が不十分な要因のかなりの部分は、民主党政権時代のツケでもある。

(2)安全保障
 今回の選挙のひとつの争点は「安保法案」の是非であった。民進党は、共産党・社民党、そして怪しげな学生運動のひとつSEALDs に便乗して、一緒になって「安保法案撤廃」を叫び続けた。共産党ならまだしも、ついこの前までの政権与党であった元民主党である民進党が、安保法案を「戦争法案」と呼ぶSEALDsに安易に同調したのには、さすがに驚いた。
まともな、実効的な安全保障政策なくして、どうして平和を維持し、国民を守り、主権を保持できるのか、これもしっかりした対案を示してほしいが、朝日新聞や毎日新聞などと一緒になって「アベ政権打倒」と喚くだけに終始していた。
 憲法改正論議についても、同様の体たらくである。岡田代表は「憲法改正の議論を、安倍首相政権のもとではやらない」というわけのわからない論理を叫んでいる。「憲法改正の議論」が必要なのか否かが本質であって、必要ならどんな政権下であっても、積極的に議論に参加しないのは、政治家として許しがたい怠慢である。憲法改正に反対というなら、その議論のなかでそのように主張すればよい。「議論しない」という理屈が稚拙かつ非合理で、到底理解できないのである。
 結局、私のみならず多くの国民が、とてもこんな政党にわが国を任せるわけにはいかない、と考えたのが、今回の選挙の結果である。

(3)内政・政治姿勢
 少し前に、「保育所落ちた、日本死ね」という、言語道断かつ無責任な汚い言葉を羅列した記事をインターネットに載せた女がいたのにすぐ飛びついて、この破廉恥な記事を盾にとって「政府追求」をしたつもりになっていたのが民進党であった。保育所の問題を国政の国会の場で取り上げること自体もいささか不自然である。本来、地方自治体で処理すべき問題であり、舛添前都知事などこそ、私益を貯える前に真剣に取り組むべきことであった。地方自治体ではどうしても限界がある、このような問題があるから国政レベルで対処して欲しい、という段階ではじめて国会で議論すべきことである。民進党の動きが異常であることは事実だが、自民党でさえ民進党に迫られ、メディアに批判されると、すぐ折れてしまって「早急に対処したい」ということになった。「民主主義」がレベルの低い国民=有権者に取り囲まれると、政党は得票を意識するがために、とうしても稚拙なポピュリズム的行動を優先してしまう、というのが、悲しい衆愚政治の現実である。それでも、それを後押ししている民進党の愚を指摘しておく。

(4)政党として、選挙戦術として
 民進党は、最近になって「ニセ維新」と揶揄された政治グループを吸収合併するにあたり、「ニセ維新」から迫られて党名を変更した。しかし、党名を変えたことで政党として生まれ変わったのか、それともただの看板の付け替えだけなのか、未だに明確な説明がない。そんな状態のままで、選挙で比例代表に参加する、というのは国民を愚弄していると言わざるを得ない。
 また、3年半余り以前まで政権与党であったのが、解散選挙で大敗して下野したのだったが、その下野に至った自らの政治行動についての真摯な反省がいまだに表明されていない。どんな政党にも失敗はあるので、失敗を反省して表明することは、理解を得て信頼性が上昇することはあっても、恥になったり、軽蔑されたりするものではない。しかし国民の付託を受けたことがある政党が、その付託を裏切ったことについて、反省が表明されなければ、それこそ信用を失う。自民党がかつて政権を失ったときは、正式なあるいは公式な反省の弁はやはり少なかったと思うが、テレビや新聞のさまざまな政治談義の機会に、それぞれの議員たち、元議員たちがそれなりの反省を表明していた。民主党あるいは民進党には、そのレベルの反省すらない。
 さらに選挙戦術として、共産党と選挙協力を実施した。これは、おそらく致命的な失敗であった。ついこのまえに、自民党も同じく共産党と組んで、大阪ダブル選挙でおおさか維新に見事に惨敗したのに、民進党はそれを見ていなかったのだろうか。共産党にとっては、いよいよ政党財政が苦しくなって、すべての選挙区で候補者を擁立する、という従来の路線を見直すことに迫られていた矢先であり、「選挙協力」という大義名分は、願ったりかなったりであったろうが、民進党にとっては致命的な大失敗であった。
 「民主主義」では、一般国民=有権者はそれぞれに「要望」はあるが、その具体的な実現方法についてはよくわからないことが多い。しかし政治家は実現方法=政策案がなければならない。民進党は「アベ政治を許さない」「アベ政権打倒」などと、朝日新聞や毎日新聞などと同様に叫ぶものの、実際の政治運営の具体案をもたない。アベノミクスもさほど詳しい政策説明とまではいかないものの、たとえば「三本の矢」という説明をしている。このレベルの政策説明すらないのが民進党である。「1%の富裕者より、99%の一般民衆を大切にする」などと叫んでも、それは一般国民レベルの「願望」としては成立しても、政治家の政策ではない。要するに政治家としての智恵がないのである。
  私は、当面は自民党の政権でよいと思っているが、同じ政党が長期間政権を握り続けると、必ず弛緩や腐敗がある、ということを懸念する。したがって私も、まともな、政権を任せうる野党が存在してほしいとは願う。そういう意味では、もはや民進党は崩壊しても仕方ないが、なんらかのしっかりした野党が育ってほしいし、また私も育てたいと思う。

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国民投票を実行した英国首相と離脱を煽ったロンドン市長

 英国のEU離脱劇は、思いがけない国民投票結果のみならず、継続して私に深い落胆を与えている。
 英国民に離脱を懸命に煽り成功し、ついに離脱をなし遂げたロンドン前市長ボリス・ジョンソンが保守党党首選挙、つまり次期首相選挙に出馬しないという。EU離脱を国民に訴えたのだから、政治家として離脱の道筋と離脱後の展望があってしかるべきであるし、政治家なのだから離脱が決定したらそれを自ら主導して当然である。それを首相選挙で勝ち目がなくなったとして立候補をとりやめるというのだ。政治家としてそんなことが許されるわけがない。ボリス・ジョンソンは、即刻政治家を辞めていただきたい。
 今回の結果を招いた国民投票の実施を決断したのは、現首相のキャメロンである。国民投票を決断する以上、その結果がどちらになっても、その原因たる国民投票を決めたという責任は免れない。ところがキャメロンは、離脱の手続きと離脱後については、後任者に任せるという。離脱後の運営について次の首相に委任する、というのは正論だろうが、EUに対する「離脱の正式通告」と協議開始までは、現首相の責任範囲である。それすらやらないなら、即刻首相の座を降りるべきである。政治家としてふさわしい態度ではないから、政治家も辞めなければならない。それにとどまらず「EU離脱の正式通告」が、次期首相が決まる9月初めでなく、来年以降になるという。これには開いた口がふさがらない気持である。
 私はすでに記したように、英国のEU離脱には反対であった。それでも、国民が正式手続きを経て離脱を決断した以上、英国に少しでも長くEUにいて欲しいとはまったく思わない。
 英国としては、いやキャメロンたちは、ネゴシエーションの好きな英国人として、少しでも有利な条件をEUから獲得する戦術として考えているのかも知れない。しかしかつて製造業の日本企業に働いた者として、取引相手の取引条件が決まらない、どうなるかわからないとき、そんな相手に真剣に商談などを掛け合うことはできない。時間を稼ぐことで、長期的な離脱条件を少しでも良くしようとする一方で、時間の経過に比例して、英国の海外からのさまざまな経済的取引は確実に漸減して、英国はじり貧に陥っていく。こんな状況が英国に良いはずがない。
 それ以上に、私は英国の政治がここまで落ちぶれたことに心底がっかりする。中学生時代や高校生時代に、歴史で「英国はフランスみたいに革命を経験することなく、着実に必要な政治変革を達成し、長期的にもっとも成功した国である」、「政治に対する感覚は優れ、信用度も高い」というイメージを植え付けられてきた。その英国の、私にとっての良い印象が儚くも惨めに崩れようしている。
 わが国も、わが国民も、今回の英国の事態を格好の反面教師として、よくよく考えて今後の道を進んでいかねばなるまい。

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英国のEU離脱について

  このたびの英国のEU離脱の可否についての国民投票の結果には、私も心底驚いた。
  私個人としては、英国の立場とは無関係に日本のエゴとして、英国のEU離脱に反対であった。英国が離脱すると、EUが危機に陥る可能性は高いし、それ以上に英国自身も、少なくとも経済的には大きなダメージを受ける。それは英国とEUにとどまらず、世界経済に波及して悪い影響をもたらすだろう。株価がどうこうと言うより、実体経済が長期にわたって落ち込む懸念が大きい。経済問題のみならず、国際的な安全保障にも影を落とす。
  英国の経済誌Financial Timesが、これまで長らく一貫して英国がEUに残留することの妥当性・必要性を説いていたのに、突然国民投票の1週間前になって「ブレグジットが決まれば、英国を穏便に離脱させろ」というタイトルで、もし英国が離脱するときにはEUは決して英国に制裁的な行動をとってはならない、と主張したのであった。私はその時点で「どうして今になってこんなことを主張し始めたのか? 英国のEU離脱勢力の勢いがそれほど強いと、Financial Timesは認識しているのか?」と懸念した。たしかに英国のお家芸とも言える多数・多種の世論調査で、EU離脱派が僅差で優勢とも報じられていた。それでも投票日の寸前になってEU残留派で国民から信頼の厚かったひとりの下院議員が国粋的な暴徒に殺害されるという悲劇が起こり、潮目が変わった、EU残留派が優勢となった、と報じられていた。投票日当日になっても、多くの報道では僅差ながらEU残留派が結局は勝利するだろう、とほとんどのメディアが報道していた。
  こうしてなんとなく一安心して職場に出かけた金曜日であったが、昼食時に見たインターネット・ニュースで「EU離脱派が僅差で優勢」という開票状況が報道された。これこそまさに青天の霹靂であった。そして午後2時前には、EU離脱派の勝利が確定した。
  報道によると、英国内が真っ二つに分断され、若年層・富裕層・高学歴層にはEU残留派が多く、高齢者層・貧困層・低学歴層にEU離脱派が多いという。国民投票という決定方式では、どうしても母数の多い方が有利となるのは当然ではあるが、それだけ多数の英国人たちが、現在のEUのあり方に対して大きな不満を持っていたことは現実なのだろう。
  この英国のEU離脱を受けて、日本の新聞では下記のような報道があった。

EU離脱 各国の極右政党、結果を歓迎
毎日新聞電子版 2016年6月25日 11時01分
英国が23日の国民投票で欧州連合(EU)離脱を決めたことを受けて、移民や債務などの問題を抱える加盟国は24日、EUの政策を批判したり、結束を訴えたりした。一方、各国の極右政党などはEUに「ノー」を突き付けた結果を歓迎している。
 EUの難民・移民対策に批判的なハンガリーのオルバン首相は24日、「英国は移民に関し自ら判断することを求めていた。EUは今回の経験から学び、人々の声に耳を傾けるべきだ」と主張した。
 オーストリアで移民規制を訴える自由党のシュトラッヘ党首も「国民投票の結果は民主主義の転換点となり、政治の中央集権主義と継続する移民の流入への反対を示した」と指摘。オランダの極右、自由党のウィルダース党首は「オランダのEU離脱に関する国民投票をなるべく早く行うべきだ」とロイター通信に述べた。
 独立運動が盛んなスペイン東部カタルーニャ自治州のプチデモン州政府首相も、「民主主義が勝利した。英国人が投票の権利を与えられたからだ」と言明。州独立の是非を問う住民投票の実施をスペイン政府に求めていく考えを改めて示した。
 財政危機でEUのユーロ圏諸国から金融支援を受けるギリシャは、投票結果をEU改革に結びつけようとしている。チプラス首相は「より民主的な欧州の未来図が必要だ」とEUの変革を要求。「財政緊縮策は(域内の)南北間の不平等を拡大した」と指摘した。
 一方、EUの前身・欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の原加盟国は、国内で反EU勢力が伸長しており、英国離脱の決定に危機感を募らせている。
 イタリアのレンツィ首相は短文投稿サイト「ツイッター」で「欧州をより思いやりがあり、正しいように変えなければならない。だが、欧州は私たちの家であり、未来だ」と強調した。ベルギーのミシェル首相は「EUは20世紀で最も美しい夢だった。我々の世代がこの厳しい状況を新たな展望につなげられると信じる」と指摘。英国を除いた会議を早急に開き、EUを立て直すべきだと訴えた。

  私は、このような報道に違和感をもつ。今回のEU離脱に投票した英国人たちは、基本的に高齢者層・貧困層・低学歴層が多いだろうものの、これだけ多数のひとたちが「極右」とは到底考えられない。朝日新聞や毎日新聞は、自分たちと意見のちがう人々を「極右」と十把一絡げにしたがる傾向がある。朝日新聞や毎日新聞から見れば、祝祭日には日章旗を掲げ、従軍慰安婦の強制連行を認めず、また民進党を支持せず少なくとも当面は自民党を支持する私なども「極右」と呼びたいのかも知れない。朝日新聞や毎日新聞の安易なレッテル貼りの性格は変わらない。
  私は今回の国民投票で、おそらくEU残留派がかろうじて勝利するだろう、それでも英国をほとんど真っ二つに分裂させてしまったことで英国はかなりのダメージを受けて、日本をはじめとする多くの外国からの投資もじわじわと減少してしまうだろう、と予想していた。こうしてEUからの離脱となってしまった以上、英国・EU双方のダメージと、それが世界経済に与える影響は、比較にならないくらいに大きくなってしまった。まさにリーマン・ショックなみの経済混乱すら懸念されると思う。今回の結果を見ると、わが国の政権が、先んじて「消費税の先送り」をたまたま決定していたことは、不幸中の幸いであった。
  今回の国民投票について、自分の国の視点から考えるならば、「経済共同体」などというものに対して、われわれは今後一層注意を払い、慎重でなければならない、ということだろう。欧州連合に1960年代末に遅れて参加した英国が、欧州連合がEUと改組拡充されて共通通貨ユーロを導入したとき、当時の英国のサッチャー首相は、賢明にも通貨統合には参加を断固拒否した。あのときわが国の朝日新聞をはじめとする多くのメディアは「サッチャーの固陋・頑迷」と盛んに攻撃したのを覚えている。2000年を過ぎたころから、鳩山由紀夫をはじめとする民主党などが中心となって「中国、韓国をはじめ、アジア・太平洋地域の信頼関係と協力体制を確立した東アジア共同体(仮称)」という構想を主張した。朝日新聞や毎日新聞など一部メディアもこれを懸命に後押ししようとしていた。しかし、こうしてかなりの成果をあげたEUでさえ、主要国の国民が嫌悪して離脱するのである。すでに70年以上の歴史をもつ国連も、わが国にとってどの程度メリットがあるのか。実は戦勝国でもない中国などが拒否権を握って、まともな安全保障対策すら実現できないのが実情である。むしろ従軍売春婦問題についての「クマラスワミ報告」や、根拠のない人権問題に関する日本への非難決議・非難声明など、大きなデメリットの存在すら明確になりつつある。
  できる限り互いに接近して、できる限り自国の国家主権を制限して、国際的共同体に統合することが、経済的繁栄と平和をもたらす、という夢想は、決して容易に実現できるものではない。われわれは「統合」や「国家共同体」などという危うい「理想」に、決して安易に入り込んではならない。
 最後にもうひとつ「国民投票」という手段の問題である。これこそ究極の民主主義である反面で、究極のポピュリズムでもある。英国は「連合王国」という自らの統合原理を、今回の国民投票で否定してしまった。わが国でも、少し前に大阪市で「大阪都構想」の住民投票があったが、やはり僅差の結果に、結局市民の間の決着はついていないようだ。今後はたとえば憲法改正の国民投票が想定される。国民投票という手段が、ほんとうに国民の正常な判断を反映するのかどうか、われわれは再考する必要がある。

言葉と民主主義

  あるテレビ番組で、フリーアナウンサー小島慶子氏と弁護士橋元徹氏の論戦があり、アメリカ大統領選挙候補を目指すドナルド・トランプ氏の「言葉」が話題となった。小島慶子氏は、どんな理由があれ民族対立・宗教偏見に関わるトランプ氏の言葉使いは決して許せないとするのに対して、橋元徹氏は、表面上の言葉や言い回しの善し悪しにとらわれてその発言内容の本質を見失うのは愚かであって、メディアが必ずしも取り上げないトランプ氏のほんとうの主張内容・問題提起に耳を傾けるべきである、としている。私は、論理的には橋元徹氏に賛成したいが、ただ言葉の問題は健全な民主主義のためにもっと重視すべきだと思う。橋元徹氏は、注意を引くために敢えて汚い言葉を使うこともひとつの戦術である、という。たしかにそういう側面や効能があるかもしれない。それでも私は、そのような言葉使いは嫌いである。
  すでに書いたが、私は「日本死ね」という匿名ブログの物言いが嫌いである。たとえその汚い言葉の刺激でこれまで話題に登っていなかった(正しくは怠慢なメディアが取り上げなかった)問題が取り上げられたとしても、そのような言葉の有効性を無反省に認める・許すことは、民主主義を「衆愚政治」に導くという理由から、拒否したい。
  政権を降りてからの民主党(現在の民進党)をはじめとする多くの野党たちの「レッテル貼り」戦術も同様である。政敵に対して、根拠が薄弱な、あるいは理由を正しく伝えようとする努力を欠いた安易なレッテル貼りは、訴えかける相手のみならず、自らをも「思考停止」に導いている。今日も駅前で街頭演説を聴く機会があったが、なんの説明もなくいきなり「アベ政治を許さない」、「戦争法案に反対しよう」などと叫んでいる。安倍首相の政治のどこが許せないのか、現政権がいつどのように「戦争法案」を主張したのか、あるいは「戦争法案」と解釈せざるを得ない理由は何なのか、ひとことの説明もなく、ただスローガンとして空虚なレッテルだけを叫んでいる。このような態度は、さきの大戦のころの「鬼畜米英」と同じであり、近年の一部のメディア・運動家や学者による従軍売春婦問題における「性奴隷」にも通じる大きな問題を含むものである。
 それに関連して、つい最近2012年大阪市長選挙のあとすぐころの「朝まで生テレビ」のU-Tubeが公開され、ふと覗いてみた。ここで香山リカ氏・薬師院仁志氏の橋元徹氏に対する「反論」「批判」が驚くほどお粗末であることに呆れた。もちろん知的レベルが橋元徹氏に遠く及ばないことはあるが、それ以前に「言葉」という一点のみでもひどいのである。テロップでは「橋元行政を鋭く批判」とあるが、まったく「鋭く」ない。内容のない空論を飽きずに繰り返すだけで、コミュニケーションができない。言語に対するセンスの以前に、ことばに対する真摯さが著しく不足しているようだ。
  「ワード・ポリティクス」という言葉があるとおり、政治を運営するうえで「言葉」はきわめて重要である。正確な意味をもつ言葉を用い、それを正しく伝えようとする態度を維持・継続しなければ、かならず政治の質が低下する。政治家だけでなく、われわれ多數の有権者も、できるかぎり「正しい言葉」「意味が明確な言葉」を追求して要求し、自らも使用することこそが、チャーチルが慨嘆した「最悪のシステムとしての民主主義」を少しでも改善するために実行できる最小限のことであり、義務であると思う。

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舛添要一東京都知事の醜態

  このところ、メディアの話題は舛添要一東京都知事の不正資金疑惑でもちきりである。いかにも変則的で道義的に問題が免れない資金操作である反面、専門家が登場してコメントするには法的責任がなかなか問い得ないという。それでもどうみても道義的・信義的には辞職こそが唯一の選択肢としか思えない。
  自分の政党に所属するわけでないとは言え、都知事選挙で応援にまわった自民党や公明党など現政権与党は、この舛添問題に対するはっきりした態度が問われる。しかしながら、舛添退陣あとの有力候補がなかなか見つからないとか、弱体化した舛添の方がなまじっか主体性のある新知事よりも御しやすい、などなど余計で姑息な政治的判断があり得るとのメディアの論調もある。
  私は、責任与党としては余計なことを慮るのではなく、きっぱりと舛添都知事の疑惑を追求すべきだと考える。政略的に、あるいは党利党略的に舛添問題を放置することこそ、自民党が信任を失う道である。まずは東京都議員の最大会派である自民党都議連が、しっかり舛添疑惑を追求しなければならない。そんなことができないで政権与党が存続する、と考えることは、有権者に対する明白な軽視・侮辱であることを、自民党はしっかり認識しなければならない。
  まあ政治においては、そういう判断しかないと思うが、私の個人的感慨としては、少し別の思い・感想がある。
  舛添要一という人物は、裕福な家庭に生まれたらしいが、父親の病気などで学生時代にはかなり金銭的にも苦労したという。しかし大学に入って以降は優秀さを示し、フランスにも渡航・滞在し、英語・フランス語に優れているという。国際政治学者として早くから期待され、若くして東京大学助教授にもなった。少なくとも知的素質としては並外れた能力があったはずである。そんな人物にして、このたびの醜態はとても腹立たしいあるいは嘆かわしい、という以上に、とてももったいないと思う。優れた頭脳と貴重な時間を、こんな姑息で些細な一時的利益のために無駄に費やしてしまったのである。
  私は、数十年間社会人生活をして、とても頭脳の秀でた人たちや、さほど頭脳に恵まれたわけでない人たちなど、さまざまな多数の人たちと遭遇してきた。さほど鋭い頭脳ではないと思っても、自分の仕事を愛し、没頭し、集中してすばらしい成果を挙げた人がいた。驚くほど冴えわたった頭脳をもちながら、仕事に没頭できないのか、結局人並み以上の成果を挙げ得なかった人もいた。舛添氏は素質に恵まれ学者としての処遇にも恵まれ、さらに前都知事の突然の失脚という幸運で思いがけず都知事に就任できたものの、結局のところ国際政治学者も政治家としての仕事も、実はさほど好きではなく没頭できなかったのかも知れない。実際、舛添氏は都知事として記憶に残るような成果はほとんどない。それにしても、法の隙間を探して些細な金儲けだけを企むような賤しいことだけにその能力を蕩盡してしまった、というのは、他人事ながら惜しいし、それ以上に呆れるのである。
  結局、頭脳の良さということは、大きなチャンスではあっても、それを生かす努力や常識や品性がなければ、なんの役にもたたないこともある、ということであろう。憤り以上に、悲しさや憐れみを感じるような寂しい事件だと思う。

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