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時事

安倍首相退任にともなう次期総裁選をめぐって

 安倍首相が、持病の悪化で8年近く勤めた内閣総理大臣を辞職する宣言をしたため、次の自民党総裁、つまり首相が誰になるのか、メディアはそれだけでほとんど持ちきりになってしまっている。
 安倍首相は辞任を表明したと同じ会見で、コロナ対策の一環として感染者、より正確にはPCR陽性者の扱いについて変更することを告げた。これはこれまで第2類(実際には一部第1類に準ずる)の区分となっていたのを第5類に変更して、医療機関の余分な負担を緩和する、というもので、それなりに重要なことであるが、こちらの方への関心は低いようだ。「コロナ騒動」なるものは、メディアが中心となって人々を必要以上に脅えさせているが、そのメディアも本心では「コロナ騒動」を、さほど重要と考えていないのかも知れない。
 ともかく次期自民党総裁候補には、石破茂氏、岸田文雄氏、菅義偉氏の3人が名乗りをあげた。
 石破茂氏は政策について、「納得と共感の政治」をスローガンとして、①東京一極集中を是正するため、専任の担当閣僚を設置し、地域分散を妨げる要因の検証と対策を講じる、②持続可能で安心できる社会保障制度をつくるため「幸せ実現国民会議」をつくる、③自然災害や感染症などの対処のため「防災省」をつくる、④経済格差の是正のため、政策を総動員する、などが挙げられている。
 岸田文雄氏は政策について、「公正でやさしい政治」をスローガンとして、①子供の貧困や所得格差にともなう教育格差の問題に取り組む、②成長戦略の検討に本格的に取り組む、③戦後日本が大事にしてきた基本的な価値観を共有する国々と協力しながら、環境・エネルギー・保険・核軍縮など平和について旗を振り議論をリードしルール作りを先導する、④国民の協力を得られるリーダーを目指す、などがあげられている。
 菅義偉氏については、基本的に安倍首相の路線の継承という認識である。
 石破・岸田両氏の「政策」については、それぞれそれなりに「ゴール」は示そうとしているが、「どうやって」という具体的な行動の中味の部分があまりに貧弱である。かつて田中角栄は「日本列島改造論」を掲げ、比較的最近でも小泉純一郎は「郵政改革」を掲げ、いずれも「どのように」をかなり具体的に提示していたので、その内容の是非はともかく、政策には迫力があった。「こんな世の中にしたい」と考えることは必要だし良いことだが、それは普通の民衆でもできる。政治家とくに首相をめざす人には、具体的な「実現への道筋」を提示してほしい。厳しく言えば、安倍首相長期政権の8年近くの長い間、具体的な代案を真剣に考えていなかったのか、と思う。
 とくに石破氏のように、問題に対して行動計画が未定のままに専任の新しい組織や人事を割り当てるなどというのは、まったく本末転倒で、新しい無駄の創生になる可能性が大きく、賛同しかねる。地方創生担当大臣を経験して、他にもいろいろ思慮深そうな石破氏には、私も期待していたが、あまりに抽象的で内容の乏しいことに失望した。
 このたびの首相交代は、病気による任期途中のものだから、菅氏が政策を継承するというのは、至極妥当である。これを大きく変更するのであれば、早急に解散総選挙で民意の負託を得る必要が当然あるだろう。
 現在わが国には、政権をきちんと担当できる野党が育っておらず、政権与党にも弛緩が発生する可能性を常にはらんでいる。今回の総裁選をみて、与党内でさえ次の総裁を狙う候補が、いざというときに具体的なプランを提示できない、その意味で大いに怠慢であった、という事実をみたように思う。

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コロナ・パンデミック騒動と対応政策

 2020年は、思いもかけずコロナ・パンデミック騒動の歳となった。年明け早々中国武漢の遠方の「ひとごと」として発生を知り、やがて横浜港着岸の大型クルーズ船での集団感染で身近な問題となった。2月から日本国内にも感染がひろがりはじめ、3月から日常生活のさまざまなところに支障が生じるようになり、4月にはパンデミックがピークを迎えた。その後は穏やかに感染拡大が終息へ向かうかのような気配も感じられるが、まだ予断を許さない「ウイズ コロナ」の生活が続いている。
 これまでの推移について、政治対応の面から簡単に振り返っておく。
 私のような老人の短くもない人生で、このようなパンデミック騒動は初体験である。現在生存している人々にとって、とくにわが国の人々にとって、ほんとうに未経験の事象であった。世界的にも新型コロナウイルスというものについては、蓄積された知識が乏しく、わからないことだらけの問題であった。
 これに対する日本政府の対応であるが、一言でいうと大失敗でも大成功でもない。未体験の事件へのはじめての対応なので、行届かない点も多々あったし、問題もあったが、原因不明のままの要因も含めたうえで、結果は世界的にみてまずまず上出来であった。
 政府はまず横浜港に寄港していたクルーズ船内での集団感染に対して水際対策を図ったが、結果的にはうまくゆかず、国内への感染を抑止できなかった。これは中国武漢のウィルスだとされている。3月には、大学卒業生のヨーロッパ旅行などによるヨーロッパ型のウィルス感染が加わった。検査によって検出された感染者数のピークは4月中旬であった。そしてその感染者検出数の急増に対して、政府は4月7日から16日にかけて緊急事態宣言を発令し、段階的に範囲を拡大して、経済活動をはじめとする国民の行動に対して広範囲に自粛という形で制限を加えた。そして5月7日から25日にかけて段階的に自粛規制を緩和・停止した。
 自粛という形ながら、これによる国民の経済活動と日常活動への影響は甚大で、生産・教育・レジャー・医療など広範囲にわたってひとびとの行動が一変した。当然、仕事ができなくなり、収入が絶たれて困窮する人々が多数発生し、学校教育も大きく制約を受けた。
 政府は、緊急事態宣言の必要性・目的を「医療崩壊の防止」と説明した。そしてその範囲では成功した。問題は副作用として大きく経済が落ち込み、生活に困る人々が多数発生したことである。学校教育も滞った。
 緊急事態宣言の発令が遅すぎた、そもそも必要がなかった、実は効果がなかった、などのさまざまに批判も出ている。しかし、国民のすべてが初体験であり、世界的にも良くわかっていない新型コロナウイルスという未知の敵を相手にする闘いであり、ここまでの流れにかんしてはやむを得ない範囲であり、結果的にはとても上首尾とは言えないとしても、まずまずマシなものであったと評価する。
 ただ、これから第二波、第三波が襲ってくる可能性は否定できず、これまでの経緯と知見をきっちり整理・検証して、失敗した点は改め、成功した点は補強を図らねばならないことは言うまでもない。
 結果的には世界の中で、感染者数も死亡者数も目立って少ないという事実がある。これも冷静にみると、東アジア・東南アジアや一部オセアニアは日本とおなじ傾向にあるので、日本だけの特徴ではなさそうである。山中伸弥先生がいう「ファクターX」は、日本だけのことではないのである。
 PCR検査などで検知できる感染は、罹患してから1週間程度の時間的経過を必要とするので、今回の日本の場合ほんとうの感染のピークは3月下旬であり、緊急事態宣言は実はすでに感染がピークアウトした大分後であったという指摘は説得力がある。緊急事態宣言は、国民生活や経済活動に対する影響が非常に大きいので、第二波以降に対してどのように判断しアクションすべきか、難しい問題だが真摯に科学的に検討を加える必要がある。
 ただ、明らかに失敗というか不具合であった問題もある。マスクの払底への対策として国民全員を対象として配布した布製マスクや、一人あたり10万円の特別定額給付金は、対策として必ずしもわるくはなかったと思うが、国民に届くまでの時間がかかり過ぎた。これは明らかに行政の能力の問題である。ここで私が懸念するのは、役所の役人が怠慢であったがために大きく遅延した、というのであれば、叱責するなり懲罰するなりで済むけれども、実は大変な労力を投入して懸命に努力したうえで遅延した、という事態なら、それは深刻な問題である。公務員の仕事は、全体として効率の改善や合理化が大きく遅れているというようなことがないのか、今回の経験から真摯に検討・対策していただきたい。

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新型コロナウイルス肺炎騒動について私信

 お話しのように1月以来、新型コロナウイルス肺炎の話題で、格好の長持ちするネタとばかりに、どのメディアも毎日もちきりです。
 こういう国家的・国民的な危機においては、東日本大震災のときにやったように、政権与党vs野党などという対立は控えめに、多少の瑕疵は誇大評価・表現を控えてできるだけ最短に危機を乗り越えるための国民的協調・大同団結がいちばん大事だと思います。残念ながら野党の一部は与党への攻撃材料探しのみに躍起になり、一部のマスコミと多くのテレビはそれを囃し立てて危機感のみを必要以上に無責任に煽るという事態があります。
 政策を決めるのに専門家の意見を聴くことは必要ですが、専門家の言う通りにすればよいというものではありません。政治は広い視野からの高度な「常識的判断」が基本であり、専門家は「専門」の言葉とおりある限られた視点・視野からの狭いけれども深い洞察を与えるものであって、広い視野からの考察を与えるものではないからです。「専門家の見解を重視」というメディアが、その一方で報道ではなんども出ている専門家の見解を理解していない、あるいは無視するという場面も多々あります。
 今回のわが国の政府の判断と行動は、かつて経験したことのない事象でもあり、いくつかの失敗も後手になった部分もあったようだし、もろ手を挙げて賞賛するほどのものではないとは思いますが、大きな節目では間違わなかったし、大多数の日本人の基本的に生真面目な性格にも恵まれて、相対的には大過少なく経過していると思っています。
 いまさらながら、東日本大震災のときの民主党のような政権ではなかったことの幸いを実感しています。

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朝日新聞編集委員の「失言」

新型コロナ「痛快な存在かも」朝日新聞、編集委員の投稿謝罪
時事通信ウェブ版 2020年03月14日18時31分
(前略)朝日新聞社によると、大阪本社の小滝ちひろ編集委員は13日午後3時すぎ、自身のツイッターアカウントで「戦争でもないのに超大国の大統領が恐れおののく。新コロナウイルスは、ある意味で痛快な存在かもしれない」などと投稿。上司から事情を聴かれた後、同日午後11時すぎにアカウントを削除した。
 同社は「著しく不適切で、感染した方や亡くなった方々のご遺族をはじめ、多くの皆さまに不快な思いをさせるものだ」と謝罪した。小滝氏は主に文化財や寺社などの取材を担当しており、「心からおわびします。深く反省しています」と話しているという。

 編集委員というのだから、新聞社の幹部のひとりである。その人物の「失言」と後始末なのだが、私には大きな違和感がある。
 「超大国の大統領」というのだから、おそらく韓国の文在寅大統領ではなく、アメリカのトランプ大統領のことを指すのだろう。その大統領が、新コロナウイルスに対して「恐れおののく」ことが「ある意味で痛快」とする。新聞社の幹部がこのように発言する、この意味するものはなにか。
 大きな権力を持つ者はすべて敵視する、という意味であれば、新聞としては不適切である。たとえばすべての権力は可及的速やかに崩壊して、無権力、無政府になるべき、などとアナキズムのような思想を持つこと自体は、個人としては自由である。しかし「新聞」が公共的利益を社会にもたらすこと、「新聞は社会の木鐸」であることを標榜するなら、個人の嗜好での発言や行動は不正であろう。
 あるいは当該の特定の権力者、たとえばトランプ大統領に問題がある、というのであれば、その問題を簡潔であれきちんと説明することが必要である。「社会の木鐸」として政治権力者の問題を指摘することは、メディアの本来の使命である。今回の発言は、新聞がよくやるような、対象者の発言の一部を切り取って誤解を与えるような場合とは真逆で、自らの説明・発言が決定的に不足しているのであり、言論人として致命的な怠慢であり誤りである。意図的な「印象操作」のひとつと、疑われても当然である。
 新聞はさまざまなところで「政治権力とたたかう」というが、このような態度で行動する限り、社会に害悪を与えることはあっても、社会に良い影響を与える、良い方向に導くことはとても覚束ない。
 「感染した方や亡くなった方々のご遺族をはじめ、多くの皆さまに不快な思いをさせる」として謝罪しているが、そんなこと以上にもっと本質的なところで大きな問題がある。些末な「失言」のような扱いだが、実はこの人物の、さらにはこの新聞社のもっと本質的な大きな問題が、はからずも露呈している。
正直なところこの記事も、私にとってさほど驚くようなものでもなかったが、それだけに病根は深いのだろう。

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伊藤詩織さんの裁判に対するメディアの態度への違和感

社説 伊藤詩織さんの裁判 性被害者を守れる社会に
              毎日新聞2019年12月27日 東京朝刊
  ジャーナリストの伊藤詩織さんが性暴力を受けたとして、元TBS記者の山口敬之氏を訴えた民事裁判で東京地裁は山口氏に賠償を命じた。 
 判決は、深酔い状態で意識のない伊藤さんに対し、山口氏が合意のないまま性行為に及んだと認定した。
 伊藤さんは準強姦(ごうかん)容疑で警視庁に告訴したが、東京地検は不起訴にした。検察審査会も不起訴を相当としたため、民事裁判を起こしていた。
 厳密な立証を求める刑事事件と異なり、民事裁判は当事者双方の主張を聞き、より信用性が高い方を採用する。判決は、伊藤さんの主張の方が信用できると判断した。山口氏は控訴の意向を示した。
 伊藤さんは山口氏に就職の相談をしていた。地位や関係性を利用した性行為は人権を踏みにじるものだ。
 2017年に伊藤さんは記者会見して被害を訴え、著書を出版した。性暴力を巡る社会の認識や司法の問題について見解を発信してきた。
 同時期、米国から広まった性被害告発の「#MeToo運動」は、日本にも波及した。性暴力に抗議する「フラワーデモ」も拡大している。
 伊藤さんの行動は、こうした動きを勇気づけた。判決も、伊藤さんの会見や著書を「性被害者を取り巻く法的、社会的状況を改善しようと公表した」と公益に資すると認めた。
 一方で、伊藤さんは被害を訴えた後、インターネット上や右派系雑誌で数々の中傷を浴びてきた。
 日本では性暴力について、被害者にも落ち度があるとの偏見が根強くある。社会の目や人間関係を気にして声を上げられず、心に深い傷を抱え込んで生きる被害者は多い。
 内閣府の調査では、女性の13人に1人は無理やり性交された経験があり、6割は誰にも相談しなかった。
 山口氏は判決後の会見で、別の性被害者が「本当の被害者は会見で笑ったりしない」と話していると述べた。被害者に沈黙を強いる発想だ。
 性被害者が守られる社会を築くには、相談しやすい環境の整備が欠かせない。何より社会の無理解をなくしていく必要がある。
 今回の件で山口氏には逮捕状が出たが、執行されなかった。伊藤さんはこの点を問題視している。山口氏は安倍政権と近い関係にあったとされる。経緯の検証も求められる。

 一見、人権尊重の立場からのもっともらしそうな記事に見えるが、冷静に眺めると、かなり強い偏見あるいは独りよがりに満ちた記事である。
 第一点目は、この新聞社のわが国の刑事訴訟に対する偏見あるいは軽視がある。この記事でもいう通り、東京地検に加えて検察審査会も立件しなかった案件である。日本が法治国家であるなら、本件の山口氏は無罪と認定が確定された人物である。それを、後日民事訴訟で「損害賠償」の判決が出たということだけで、しかも控訴があり確定していない案件なのに、まるで山口氏の準強姦が有罪であるかのような記述は、正当なメディアのものとしては、きわめて危うい、むしろ予断と偏見に満ちたものと判断せざるを得ない。わが国が中国や韓国などのように、法律を蔑ろにする国家だと言いたいのだろうか。もしそうなら、中国や韓国などの現実を、わが国の現実と公平に比較して、どのように評価しているのだろうか。
 第二点は、このメディアの予断と偏見がそれだけにとどまらず、「山口氏は安倍政権と近い関係にあったとされる。経緯の検証も求められる。」と、強引にこのメディアが一方的に忌み嫌う安倍政権への攻撃にこじつけていることである。「検証も求められる」根拠が、「あったとされる」という未確認で無責任なひとごとに過ぎないのである。なんでもかんでも安倍批判と、まるで一向に国民の支持を得ない一部の野党や、ヤスモノのテレビ・コメンテーターの疑惑捏造のような報道姿勢は、到底まともな報道機関とは考えられない。
 毎日新聞も、ここまで落ちぶれたか、とおもってしまうような記事である。

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韓国で起きた些細な事

 韓国の新聞の日本語電子版に下記のようなつまらない記事があった。
少女像に唾を吐いた日本人? 全員韓国人だった
中央日報日本語版 2019年07月07日09時32分
  京畿道安山(キョンギド・アンサン)で日本人と推定される男らが平和の少女像に唾を吐いたという通報を受け警察が捜査に入った結果、容疑者は全員韓国人であることがわかった。
  警察によると、安山常緑(サンロク)警察署は6日、侮辱容疑で20~30代の韓国人の男4人を刑事立件する方針だと明らかにした。
  これに先立ち6日午前0時8分ごろ、安山市常緑樹(サンロクス)駅広場で日本人と推定される男4人が少女像に唾を吐き、これを制止する市民と口論になっているという通報2件が警察に寄せられた。
  通報した市民は男らのうち1人が日本語を駆使したとし、彼らが日本人と推定されると主張した。
  警察は周辺の防犯カメラの映像を通じ事件発生から15時間ほど過ぎた同日午後2時55分ごろに2人の身柄を確保し、残り2人に対しても警察に出頭するよう通知した。
  男らは通報者の推定と違い全員韓国人であることが明らかになった。31歳の男は「酔った勢いで少女像に唾を吐き、この様子を動画で撮影した。日本語を話せたので制止する市民に日本語を使った」と陳述した。
  警察は男らが唾を吐いた対象が人ではなく造形物でも侮辱罪適用が可能とみている。彼らの行為が少女像管理主体、そして慰安婦に対する侮辱とみることができると判断するためだ。
  警察関係者は「過去少女像に『杭テロ』を行った日本極右活動家に対し名誉毀損容疑を適用して起訴したのと同じ概念」と説明した。

 これは私たち日本人から見ると、ごくつまらない事件であり、記事である。しかし韓国としては、等閑視できないはずのもののようである。
 ここで韓国警察から犯罪を指摘されている韓国人たちは、日本人に嫌疑をかけて日本を困らせようとしているが、あわせて同胞人であり従軍売春婦として日本に辱められた(ということになっている)彼等がいうところの被害者を、自ら著しく辱めている。韓国警察はその行為を犯罪に相当すると言っているが、従軍売春婦問題を執拗に必死になって訴える韓国としては、問題をそんなに矮小化してよいのか。
 この容疑者たちの韓国人は明らかに、日本あるいは日本人を叩くためには、従軍売春婦を辱めても良い、という判断をしているのである。これは、彼らは本音では「従軍売春婦問題」は存在しない、少なくともどうでも良い、という認識がある、ということを表している。そうでもなければ、同胞の被害者を自ら辱めるような行動をとれるはずがない。韓国あるいは、従軍売春婦問題を叫ぶ韓国人たちは、容疑者たちのこの事態こそを重大問題として認識するべきなのに、である。
 今回の事件からは、韓国ないし韓国人の本音は、従軍売春婦問題なるものは実在しない作り話であると知っていて、にもかかわらずなにか理由をつけて、日本に無理難題をふっかける、いわゆる「いちゃもんをつける」こと「だけ」を目的として行動している、ということを、図らずも露呈してしまったのである。一見どうでもよい些細なできごとのように見えるが、韓国人が本心では従軍売春婦問題なるものを虚偽であるとわかっていながら、日本を貶めるために意図的に声高に叫んでいる、という真実を思いがけず吐露してしまった出来事であり、実は従軍売春婦問題を訴える韓国人には深刻な、日本にとっては実に興味深い事件なのである。

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日大アメフト危険タックル騒動の報道をみて

 日大アメフト部の学生が関西学院大学とのオープン戦で、危険な反則タックルをしたことが発端となって、事件から3週間以上が経過した現在でも、テレビや新聞は毎日のように喧しく取り上げている。事件の内容そのものはさておき、議論になっている点とは異なる方向での雑感を簡単に記しておく。
 ひとことで言えば、フィードバック・ループのない権力の危うさ、ということである。
 日大のアメフト監督内田正人氏は、アメフトに限らず日本大学グループ全体の最高幹部で、誰も彼に逆らえないという。彼にしてみれば、これまでやってきたように彼なりにまじめに粛々とやっているのに、なぜ責められるのか理解できないのだろう。相手チームの選手をケガさせたり、自チームの選手をいじめて追い込んで犯罪的なプレーをさせても、彼にすれば「ごく些細なこと」なのだろう。これまで誰からも指摘されず、咎められもせず、昨年のように日本一になったら大いに称賛もされた。大学と付属高校全体の人事権を掌握していて、理事長を除いては彼になんの意見を言えないのだという。今回の事件への日本大学の対応としては、まっさきに理事長が出てきて、必要な対処を開始するとともに謝罪会見をするべきであった。
 今回の会見を見て、私は既視感があった。今年3月の女子レスリングの伊調馨選手にまつわるバワハラ事件のとき、突然テレビで発言した至学館大学長の谷岡郁子氏である。谷岡の発言からは、伊調馨選手やその監督栄和人氏に対するリスペクトが皆無で、ただ自分の権力がいかに絶大であるかのみを無意味に誇示していた。自分がリスペクトされた経験がまったく無いため、他人をリスペクトすることができないらしい。この谷岡という人物は、なんの修行も蓄積もないまま30歳過ぎで祖父と父親の威光のみで学長となり、なにを言ってもなにをしても許される異常な環境で老女になる現在まで過ごしてきた。問題の本質的なことが理解できないだけでなく、その過ちを指摘してくれるヒトが傍にいないのである。
 いささか感想の性質は違うものの、やはり印象深かったのが、日大アメフト監督・コーチの記者会見のとき司会を勤めた、新聞記者出身で広報担当の米倉久邦という老人であった。この人物は、かつて新聞社で論説委員まで勤めたというから、ジャーナリストとしてはそれなりに一流と思われていたのだろう。しかし広報担当者として謝罪の記者会見を仕切る立場としては、最悪のふるまいであった。広報のスキルがない、態度が悪いなど、その通りとしか言えない非難に晒されているが、私が思ったのはそれ以上に、ジャーナリストとして「正義の味方」よろしく舌鋒するどく社説を記したりする人物が、組織に属して自ら行動すると、正義か否かに一切関係なく、所属組織の権力者を擁護する行動に一心不乱かつ脈絡なしに遮二無二突走る、ということである。ジャーナリストの「正義感」などこの程度のものに過ぎない、ということをみごとに証明してくれたのであった。
 スポーツという本来明るく心を躍らせるようなものであるべき話題で、とんでもなく醜い人たちを見てしまった。

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建前と本音の乖離と危機

 最近になって「日本の製造業の落日」として報道されるような事件があいついで発生している。2017年10月ある代表的な鉄鋼メーカーで、鉄鋼材料の検査が製造現場で社内規準、つまり社内ルールを違反していたことが発覚した。続いて同様な事態が、複数の化学材料メーカーでも露呈した。これらは、製造段階の規準が工学的必要水準に比べて十分に余裕をもって厳しいものとしていたことが問題の発端であった。これらの規準を厳密に順守しなくとも、実用上はほとんど問題が発生しないことを、製造当事者たちが知っていた、少なくともそのように思っていたために、結果として杜撰な対応となった。そうなった背景には、製造業側の立場としては、ユーザーから求められる厳しいコスト削減の圧力があった。正しい対処としては、コスト削減に対して、品質にかかわらない検査規準を見直すことを製造側がユーザーに説明・提案し承認を得て検査規準を改定することから始めるべきであった。
 そしてつい最近、とうとう現実に大問題を発生しかねない製造過程でのルール違反が発生した。新幹線の車体を支える基幹的な部品の強度が、製造過程での規準が守られずに、ついに強度不足となった。メーカーの製造現場で、ラインのリーダーが正しく製造規準を伝達・指示していなかった、というのである。
 後者の問題は、一見前者の問題と関係が少なそうに見えるが、根本でつながる問題である。一般に機械の設計において、十分な安全率を織り込んだ設計をするので、製造において、感覚的に不必要に思えるほどの余裕を規準に与えることがある。新製品の場合は、とくに「余裕」が大きめになりがちである。製品を作りこんでいくと、その余裕分の実態がより明確になることも多い。製造当事者は、「本音」では「規準値は余裕をとりすぎだ」と思い込んで、規準値を「建前」とみなしてしまったのだろう。しかし、品質を維持するための規準をルールとした以上、それを遵守しないことは根本的に問題なのである。
 製造側は、規準が必要以上であり、ユーザーのコスト削減などの要請に応えるために合理的に製造ルールを見直すことが必要なのであれば、ユーザーと折衝してルール改定を着実に実施して、製造ルールが常に「建前」でなく「本音」として遵守すべきもの、遵守できるものとしておくことが必要である。
 しかし一度メーカーとユーザーとで取り決めたルールを改定することは、実際には容易ではないことが多い。ユーザー側の担当者の立場とすれば、万万が一のリスクをあえて被りたくないとの気持ちもあろう。一方で長期にわたって供給を受けるユーザーの立場としては、メーカーに対してコスト低減を求めたいのも実情である。こうして事態の推移の谷間に取り残された「実際の必要以上の規準値」が「本音と建前」の乖離を暗黙のうちに広げ、上記のような問題や事件を引き起こしていたのである。
 以上の「日本の製造業の落日」と報道されている問題にかかわって、私は別の問題を連想した。「憲法改正問題」である。「日本国憲法」のさしあたっての大きな問題は、第9条のとくに第2項である。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

  この第2項は、ごく素直に読んで自衛隊は憲法違反と理解すべきものである。しかし歴代の政府は、自衛隊は日本の国防のために必要であると判断したうえで、憲法の条文をさまざまな理由付けのもとにきわめてテクニカルに「解釈」することで「自衛隊は違憲ではない」と説明してきた。これも「建前」と「本音」の深刻な乖離である。そのため、自衛隊の行動にさまざまな制約をともない、現実の軍事的脅威にたいしてまともな対応ができないのではないか、という素朴な懸念が多くの国民に共有されるようになってきた。しかし、実際に憲法を改変するとなると、なかなか議論も行動も進まない。憲法についても、「建前」と「本音」の深刻な乖離に実は厳しく直面しながら、多数の国民は危機感の欠如、長い時間の惰性、そして怠慢もあって、「建前」と「本音」を一致させるというごく当たり前のことができないでいるのである。
 規準やルールは、納得して約束したことは、誠実に正確に遵守することが正常な行動の基本であり原点である。裏返して言えば、誠実に正確に遵守できるように規準やルールをつくらなければならない。メーカーはユーザーと真剣に向き合って検査規準を妥当に改正して、それをしっかり誠実に遵守しなければならないし、日本国民は現在の日本をとりまく環境を真剣に考えて自衛隊の存在を必要とするなら、妥当な憲法改正をしなければならないのである。

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「民主主義」と「信頼できる相手」と「外交」

 韓国政府は、一昨年日本と締結したいわゆる慰安婦にかんする日韓合意についてタスクフォースを結成して検証したという結果を、日本政府に提示してきた。
 これについて朝日新聞社説は、合意は尊重されるべきだとする一方で、以下のように述べる。

(社説)日韓合意 順守こそ賢明な外交だ  2017.12.28 朝日新聞電子版
(前略)
 文政権はこの報告(韓国外交省の作業部会による日韓合意の検証結果)を踏まえた形で、政府見解を来年にまとめるという。いまの日韓関係を支 える、この合意の意義を尊重する賢明な判断を求めたい。
(中略)
 一方、日本政府の努力も欠かせない。政府間の合意があるといっても、歴史問題をめぐる理解が国民の胸の内に浸透していくには時間がかかる。
 合意に基づいて設けられた韓国の財団は元慰安婦への現金支給を進め、7割以上が受け入れを表明した。関係者は「全員がいろんな思いがある中、苦悩しつつ決断した」と話す。
 さらに日本政府にできることを考え、行動する姿勢が両国関係の発展に資する。
 この合意を、真に後戻りしない日韓関係の土台に育て上げるには、双方が建設的な言動をとり続けるしか道はない。

 韓国のメディアである中央日報は、検証結果なるものの内容を記述したあと、以下のように述べる。

<慰安婦TF発表>韓日慰安婦合意に「非公開内容」あった…安倍首相、海外碑の処置も要求
2017.12.27 中央日報電子版
(前略)
  申ガク秀(シン・ガクス)元駐日大使は「非公開にすることにした内容を公開し、全体的に不完全だとか問題がある合意だと整理されたため、日本としては韓国政府が従来の合意を履行する考えがあるのかについて疑いがさらに強まる」とし「政府が対日政策を樹立するうえで選択肢が大きく制約される可能性がある」と懸念を表した。

 朝日新聞は、韓国の外交関係者でさえ指摘している外交当事者間の守秘義務違反への懸念にまったく触れず、その一方で今回の韓国の勝手で一方的な振る舞いに対して、日本側にも責任と義務があると主張している。そもそもこの日韓間に横たわる理不尽な問題を、ねつ造記事の長期間にわたる執拗な繰り返し報道によって招来した張本こそが朝日新聞であるにかかわらず、このような無責任な他人事の発言である。 

 読売新聞に以下のように報道される河野外務大臣の発言は、しごく当然である。

河野外相「非公表前提を公表、いかがなものか」 2017.12.28 読売新聞電子版
 河野外相は27日、日韓合意の検証結果を韓国外交省の作業部会が発表したことについて「韓国政府が既に実施に移されている合意を変更しようとするのであれば、日韓関係がマネージ(管理)不能となり、断じて受け入れられない」とする談話を発表した。
 合意について談話は、「正当な交渉過程を経てなされたものであり、合意に至る過程に問題があったとは考えられない」と強調した上で、「両政府間の合意であるとともに、国際社会からも高く評価されたものだ」として、着実な実施を強く要求した。
 河野氏は同日、訪問先のオマーンで記者団に、「非公表を前提としているものが一方的に公表されたというのはいかがなものか」と不快感を示した。日本政府は26日、韓国政府から外交ルートで内容の事前説明を受けた際、遺憾の意を伝えた。外務省幹部は「信義則違反で、外交交渉が成り立たなくなる」と憤りをあらわにした。

 以上のような日韓の報道のあと、次のような「やっばり」というべき韓国の報道があった。

文大統領が声明「日韓合意の手続きに重大欠陥」  2017.12.28 中央日報電子版
 【ソウル=岡部雄二郎】韓国大統領府は28日午前、日韓両政府が2015年末に交わした、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した合意について、文在寅ムンジェイン大統領の声明を発表した。
 韓国外交省作業部会が27日に公表した検証結果を踏まえ、合意に至る手続きなどに「重大な欠陥があった」と指摘。「この合意で慰安婦問題は解決されないという点を改めてはっきりと申し上げる」とし、日本側に何らかの対応を求める考えを示した。
 日本政府は合意の見直しには一切応じない方針だ。声明は、「再交渉」や「破棄」などには触れていないが、文政権が今後、これらを主張すれば日韓関係が緊張するのは必至だ。文氏は声明で、「何よりも被害の当事者と国民が排除された政治的合意だったという点で、非常に痛恨だ」と述べた。
 外交省作業部会は27日、合意に至る協議が秘密交渉で進められ、被害者の理解を得られていない、などとする検証結果を公表した。

 一般に、日本と韓国とはともに民主主義にもとづく国家であり、価値観を共有する隣国であり、友好善隣関係を一層推進すべきである、と言われる。友好善隣関係を一層推進すべきということには、なんら反対すべき点はない。しかし、「民主主義」の実質・内容、そして「価値観を共有する」については、われわれ日本からみて深刻な疑問と懸念がある。
 現代世界では、とくにアメリカが主導して「民主主義」を重要な判断基準とし、たとえば中東諸国に対して厳しく対処する傾向がある。しかし数年前の「アラブの春」騒動でも判明したとおり、選挙を導入して実施したりする形式的な改革だけで「民主主義国家」が創出できるわけではない。
  韓国は、さきの大戦後の李承晩政権、日韓基本条約を締結した朴正煕政権などを経て、1987年盧泰愚大統領が民主化宣言をした。たしかに議会も大統領も選挙によって選出するシステムはできた。ところがさきの大戦以後、下野した元大統領はいずれも新政権によって厳しく糾弾され、投獄されたり激しく攻撃されたりすることが一貫して続いている。自分たちが選出した指導者を、熱狂をもって排撃することが国民的習性となってしまっている。国民に一貫性が欠如しているのか、気まぐれなのか、それともまともな指導者に欠如しているのか、外からは真相がわからないが、要するに望ましい民主主義が未だに成熟していない、端的に言えば典型的な衆愚政治に陥っていることは間違いないだろう。
 日本も、さきの大戦直後には占領軍総指揮官マッカーサーに「12歳の子供程度の国民」と揶揄されたり、つい最近にもあの「民主党」に政権を預けてしまったり、といささか心もとない部分はあるのかも知れない。それでもすでに百数十年前に国際問題として不平等条約を経験し、国家としての約束・信頼関係たるもののなにかを艱難辛苦を伴いつつ理解し体得してきた。少なくともこのたびのような事象に関する限り、韓国のレベルとは雲泥の差であろう。
 上に引いた文在寅大統領の発言「何よりも被害の当事者と国民が排除された政治的合意だったという点で、非常に痛恨だ」との、民主主義国家では信じられない言葉が、あろうことか韓国を代表すべき大統領の口から発せられたのである。文在寅大統領は、韓国国家を代表して、ほんの2年前の自分の国たる韓国が、信用できない間違った国家だと公言したのである。そんなことをヌケヌケと口走る文在寅大統領と韓国を、日本はじめ他国はどうしたら信用することができるのだろうか。
 現状のような韓国は、国家として到底信頼をおくことはできないことが明確である。いくら「反共産主義」、「反非民主主義」で同じ側にある、と言ってみても、信用できない相手との協力関係はほとんど意味を持たない。
 河野外相がいうとおり、日本はごく妥当な対応に徹したらよい。

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信頼できない隣国と、わが国の将来

安倍氏にひと泡吹かせた1枚の写真
2017年11月08日 中央日報/中央日報日本語版
  ドナルド・トランプ米国大統領が7日午後、青瓦台(チョンワデ、大統領府)で開かれた国賓晩さんで、慰安婦被害女性の李容洙(イ・ヨンス)さん(90)と抱擁を交わした。
  この日、青瓦台関係者は李容洙さんを晩さんに招いたことについて、韓国メディアの京郷新聞を通じて「トランプ大統領が日本に行って韓国にも来られるのに、慰安婦問題と韓日歴史問題を韓国の大統領としては扱わざるを得なかった」とし「トランプ大統領がこの問題に対してバランスの取れた見解を持ってほしいという意味ではないか」と説明した。

「独島エビ、話題になるとは全く」韓国外務次官が答弁
2017年11月10日 朝日新聞電子版
 韓国政府が7日に主催したトランプ米大統領の歓迎夕食会に日韓が領有権を主張する竹島の名前を冠した「独島(トクト)エビ」を提供し、元慰安婦の女性を招待した問題で、韓国の林聖男(イムソンナム)第1外務次官は10日、「儀典関連の部署が検討して決める。その過程で、このようなメニューが話題になるとは全く予想できなかった」と語った。国会答弁で述べた。

 私は引退したひとりの老人であり、いまや政治や社会を動かすことなどとてもできない。朝日新聞や毎日新聞、あるいは民進党から派生・拡散した議員たちのように、「国民の意志を代弁する」などという根拠のないなたわごとを言うつもりもない。ただ、市井の一老人の感想を記すのみである。
 韓国のこのたびの外交上のこの上もない無礼、国家間の約束の一方的な破棄を現す行動については、この背景に中国の指示があった、あるいは上に引用した朝日新聞の擁護記事のように儀典裏方の独走によるミスに過ぎない、などとさまざまな説明がある。
 それらのいちいちに対しては、私はほとんど関心がない。ひとつだけはっきり言えることは今回のことで、韓国という国が、日本人に韓国を一層念を入れて嫌悪させることにだけは大成功したであろう、ということである。
 感情の問題を排除して理性的に考えるならば、韓国は信頼を置ける相手ではない、という一点に尽きる。暴走する北朝鮮に対して日米韓で協力して対処するというのが国際政治としての建前であり、それを直ちに否定することもないが、わが国の本音としては、韓国を信用できないことを大前提としてすべてに取り組む必要がある。
 北朝鮮が米国と戦って負けようが、中国が北朝鮮を潰そうが、あるいは北朝鮮が核兵器を確立して生き残って日本を一層脅迫することになろうが、いずれの結果も日本にとっては、現状の延長上ではない、ということをしっかり認識しなければならない。いずれの結果となろうが、日本には、現在よりもはるかに厳しく自立が求められるだろう。
 日本人が、現在の日常生活・社会生活を極端に転落させずに生き残るためには、憲法・軍事・防衛など、これまで野党や朝日新聞などのメディアが必死になってタブーとして封印してきたことがらを、国民的に真剣に議論してやるべきことを進めなければならないだろう。残された時間は、多くない。

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