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散策

和歌山市の桜散策 (6)

和歌山城紅葉渓庭園・二の丸庭園など
 天守閣をゆっくり見学したあと、こんどは新裏坂を下り、護国神社に来る。
この神社は国内の他の護国神社と同様に、戊辰戦争以来の国家的戦役での戦没者を弔うために和歌山でも明治13年(1880)から実施されてきた招魂祭を契機とし、昭和12年(1937)木造流れ造り44㎡の御社殿および木造平家一棟114㎡の社務所がささやかに創建されたのが嚆矢であった。昭和14年(1939)内務省令により全国一斉に招魂社は護国神社と改稱され、内務大臣指定神社となった。のち火災で全焼したこともあったが、現在の社殿は平成4年に再建されたものである。
 残念ながら、私たちが来たころにはすでに夕刻で閉館となっていて、境内に入ることができなかった。
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 天守閣の下を右回りにまわって歩き、砂の丸広場の横を経て紅葉渓庭園(もみじだにていえん)にいたる。これは正式には「和歌山城西之丸庭園」というが、庭園内には紅葉が繁茂して国の名勝に指定されていることから、紅葉渓庭園の通称でしたしまれている。
ここは、江戸時代の初期、紀州藩初代藩主徳川頼宣が和歌山城北西隅の西之丸に隠居所の御殿と共に造営した池泉回遊式庭園である。虎伏山麓の斜面からの湧水を利用した2段の池と瀧を設け、さらに内堀の一部をもうひとつの池として庭園に取り込むことで広がりをもたせており、内堀の畔に池亭「鳶魚閣」を配している。江戸時代初期築造の大名庭園として日本屈指の名園と評されていた。明治維新後は長らく荒廃していたが、文化庁主導で1970年代より大規模な発掘調査と復元整備が開始され、昭和60年(1985)国の名勝指定を経て、平成18年(2006) 西の丸庭園と二の丸庭園をつなぐ御橋廊下が復元されて、現在に至っている。

Photo_2 さらに歩くと、二の丸庭園に来る。ここも大勢の花見客が、満開の桜の下ででにぎわっていた。
 二の丸は二の丸御殿があったところで、城主の日常生活の場であった。実際に初代頼宣と第14代茂承以外の藩主は、二の丸御殿に住んでいた。ここの二の丸御殿は江戸城本丸御殿を模していたため、表・中奥・大奥に分かれていた。大奥があるのは、江戸城・和歌山城・名古屋城のみであったという。表は紀州藩の藩庁、中奥は藩主が執務を行う通常時の生活空間、大奥は藩主の正室や側室たちの居所として使用された。二の丸御殿の表・中奥に相当する場所が現在は二の丸広場として開放されている。
 和歌山城を出て、復路は駅までを歩いた。メインストリートの「けやき大通り」を東に歩くだけだから、道に迷う心配はない。この大通りは、歩道がとても広くて、散策にとてもやさしい快適な道となっている。途中たこやき屋さんに立ち寄り、たこやきとビールを楽しんだ。たこやき屋を出たころには、長くなった春の夕もさすがに暮れかけて、けやき大通りの直線の道路の信号機の列が、まるでデコレーションのためのイルミネーションのようにぎっしり並んで見えて、規則的に赤・黄・青と点滅を繰り返すのがおもしろかった。もしかしたらけやき大通りの交通信号の配置の平均間隔は少し短いのかも知れない。
 帰路の電車に乗ったころには春の日もすっかり暮れて、車窓から見事な明るい満月をゆったり眺めることができた。絶好の春の快晴のなか、和歌山の桜花に浸った、最後に名月のおまけまでついた、とても充実した一日であった。

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和歌山市の桜散策 (5)

和歌山城天守閣
 表坂を上りきると緩やかで広くゆったりした坂道を経て、天守閣に到着する。いまでは本丸御殿は残っておらず、途中に「本丸御殿跡」との説明板がある。

Photo この城の歴史は、天正年間(1580年代)に紀州征伐に戦功があった豊臣秀吉の弟秀長に対して、秀吉が紀州と和泉の2か国を加増し、この地に築城を命じたことにはじまる。それまでは「若山」と呼ばれていたこの地を「和歌山」と表記したのは、このときにはじまると言われている。時代が下り、関ヶ原合戦ののち、東軍に属した浅野幸長が軍功により37万6千石を与えられて紀州藩主となり入城した。そして元和2年(1619)徳川家康の十男である頼宣が55万5千石で入城し、南海の鎮としての御三家・紀州徳川家が成立した。当時和歌山は、他の御三家の拠点である水戸や尾張に比べるとずいぶん田舎に見えて、当初頼宣は落胆し嘆息して入府したと伝える。しかし付家老安藤氏などに激励され支えられて、以後代々の城主が城の増築・修築を重ね、大天守と小天守を連結した連立式の天守閣を確立し、姫路城、松山城と並ぶ日本三大連立式平山城を完成するなど、有数の名城となった。
 江戸時代に入ってから何度も火災などに見舞われ、修築・改築を繰り返した。現在残っている城域は、かつての最大域の約四分の一に過ぎないという。
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 明治4年(1871)明治維新政府の廃城令により廃城となり、多くの建造物が解体もしくは移築されてしまった。二の丸御殿は明治18年(1885)に大阪城へ移築され、昭和6年(1931)より大阪市迎賓館(紀州御殿)として使用され、さらに戦後は米軍施設として使用されたが昭和22年(1947)失火で焼失してしまった。ここ和歌山城については、明治34年(1901)年、本丸・二の丸のあった一帯が、和歌山公園として一般開放されるようになった。しかしさきの大戦で、和歌山大空襲により、天守などの指定建造物11棟すべてを焼失した。
 戦後復興としては、昭和32年(1957)岡口門とそれに続く土塀が国の重要文化財に指定され、翌昭和33年(1958)東京工業大学・藤岡通夫名誉教授の指導で天守閣などが鉄筋コンクリート造で再建された。昭和58年(1983)、明治期末に老朽化・崩壊した大手門と一之橋が復元された。
 天守閣は先述のように大天守と小天守の連立構造となっていて、さらに建物としては、乾櫓、二の門櫓、楠門、台所などを菱形の回廊で連結した天守曲輪を構成している。中は博物館的な展示室になっていて、なかなか見応えがある。

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和歌山市の桜散策 (4)

和歌山城一の橋・大手門
Photo JR和歌山駅を降り立ち、昼食を摂るレストランを探した。駅構内の観光案内所で聴いたお薦めの店は、残念ながらいずれも予約でいっぱいとの由であった。同じ和歌山で、電車で10分もかからないとはいえ、中心の市街地とお寺と医科大学の町とでは、ずいぶん混雑の様子が違うことをあらためて認識した。
 昼食後、和歌山城が駅から1.3kmとのことなので、貸自転車がないか探してみた。ふたたび駅で尋ねてみると、なんと地下街の一隅に貸自転車の業者があるという。行ってみると、今日はすでに全車貸し出し済だそうだ。やはり県庁所在地は観光客間でも競争が激しいということか。
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 とりあえずお城までの往路は路線バスで行くことにした。駅の正面から「けやき大通り」を西に一直線で、「公園前」のバス停で下車すると、そこは和歌山城一の橋・大手門の真ん前であった。
 お堀にかかる一の橋をわたり、大手門をくぐると、眼前に庭園が拡がり、大勢の花見客が集まっている。紀三井寺とは違って、この混雑の雰囲気は京都・大阪に近いといえる。

Photo_3 表坂という石段を登って、天守閣をめざす。ここ和歌山城は、たとえば姫路城とか、彦根城とかと比較すると、お城のなかの道・通路が広々とゆったりしている。江戸時代からこのような道であったのか否かは直ちには不明だが、なんとなく御三家にふさわしい豊かさ、余裕を感じさせる快適な道が続く。戦争のための城なら、狭くて曲がりくねった道も防御のために必要かも知れないので、この城は戦争のためというより平和時の政治センターとしてつくったということかもしれない。天守閣は、標高49メートルの虎伏山(とらふすやま)の頂上にあるので、かなり上ることになる。道の途中からは南東方向に「岡口門」が見えて、南方向の城域内にはわが国では珍しい城内動物園がみえる。

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和歌山市の桜散策 (3)

紀三井寺本堂と多宝塔
 新仏殿から北の方向に本殿がある。江戸時代の宝暦9年(1759)建立された、入母屋造本瓦葺きの建物で、細部には禅宗様式が見られるという。観音堂とも称されている。
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 この本堂のすぐ前には桜の開花宣言の目安となるソメイヨシノの標本木(和歌山地方気象台季節観測用)がある。桜の開花宣言は標本木の花が5、6輪咲いたときと定義されている。紀三井寺の桜は早咲きの桜として知られていて、近畿地方に一足早い春の訪れを知らせてくれるのだそうだが、今年に限っては近畿の他の多くの地域と大差がなかったのではないだろうか。
Photo_2 本堂のすぐ南西に隣接して、多宝塔がある。勧進縁起によれば、室町時代の文安6年(1449)ころの建立と推定されている。四天柱内の内陣に五智如来坐像を安置している。
 各種の絵様、彫刻、須弥壇から室町時代中期の様式をしめしているとされる。周囲の桜花が青空と多宝塔の朱色に映えて、とても美しい。
 帰りは、来た道とはちがう裏門に出る道を下った。この裏道は石段ではなく長い曲がりくねった坂となっていて、障害のある人などは車でかなり高い場所まで登ることができるようになっている。裏門は、楼門よりかなり駅に近づく場所にあって、私たちは幸いにして30分に1本の電車に待ち時間なく乗り込むことができた。
 こうして午後になって、今度は和歌山城に向かった。

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和歌山市の桜散策 (2)

紀三井寺新仏殿と大千手十一面観世音菩薩
 楼門を入ると、眼前に231段の長い急な石段がそびえる。

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 この石段の途中に「紀三井寺の三井水」と記された説明板があり、その隣に湧き水がある。この「清浄水」と、ここから南に100メートルほどの山腹にある「揚柳水」、そして北へ400メートルほどの場所にある「吉祥水」の3つを「紀三井寺の三井水」と言うそうである。この名草山の古道に沿って湧水し、古来尊く貴重なものとされてきたと伝えられ、「紀三井寺」の名前の由来とされている。
Photo_2 石段を登りきると境内の中心部に至り、まず「大千手十一面観世音菩薩」を安置する新仏殿がある。五輪塔に擬した鉄筋コンクリート造の3階建てで、平成14年(2002)に竣工した真新しい建物である。
 このなかに安置されている「大千手十一面観世音菩薩」は、木造の仏像としては最大のものだそうで、高さが12メートルという。仏師松本明慶の作で、京都の工房で制作した寄木造の像を現地で組み上げている。耐震性を確保するため、木造内部に鉄製の心棒を立て、枠木で像を固定する構造としている。この木像は平成19年(2007)完成した。まさに金ぴかの仏像で、私たちがありがたく拝む多くの仏像とは雰囲気が違うが、本来は仏教でも金色に輝く仏像を愛でていたのである。
 新仏殿の3階の回廊からは、和歌山の市街を見下ろすことができる。遠くにマリーナシティ、住友金属和歌山製鉄所、淡路島までも見える。すぐ前には和歌山県立医科大学の新しい建物が見えている。JR紀三井寺駅は、紀三井寺参拝の拠点だが、同時に日常生活では県立医科大学の学舎と付属病院の拠点なのだろう。
 眼下には、咲き誇った桜花を見下ろす。もう今年も四分の一が過ぎ去ったのだ。

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和歌山市の桜散策 (1)

 大阪府に住んでいる私は、実は隣の和歌山県を訪れることがあまりない。訪れる機会としては、串本の本州最南端や、友が島へ行く途中や、白浜温泉などがあったが、和歌山市への訪問はおそらく初めてであった。このたびの最大の目標は桜花見物である。 

庭のパン屋さんと紀三井寺楼門
 JR和歌山駅から各駅停車に乗り換えて紀三井寺駅に着くと、ごく小さな駅だが、トイレはとても新しくきれいなのに感動した。京都や大阪の桜の名所は、たいていどこも大勢の人だかりでごった返すのだが、ここは紀三井寺が近畿でも有数の桜の名所であるわりには、人だかりが多くない点で快適そうだ。駅のすぐちかくに「庭のパン屋さん」という名のちいさなパン屋さんがあった。焼き立てパンだというので、しばし立ち寄った。
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 名前のとおり、庭に石の窯があり、そのまわりにテーブルと椅子がいくつかあって、そこで焼き立てパンを食すことができる。コーヒーもあって、寛げるようになっている。同じ場所に、手製のレーザー・クラフトを売るコーナーもある。ともかく人が多すぎないので、ゆったりした感じで落ち着けるのが心地良い。
 パン屋さんを出てすぐの場所にも、ドライ・フルーツとジャムのお店がある。地元がミカンなど柑橘類の産地だから、当然このようなお店も多いのだろう。
 そこから10分ほど南に歩くと、紀三井寺の正門にあたる楼門があった。

Photo_2 紀三井寺は、正式名を紀三井山金剛宝寺護国院と言う。真言宗系の独立寺院として救世観音宗総本山を名乗り、この山内に6寺、末寺を14もち、それらを包括している。宝亀元年(770)、唐から来た僧 為光が日本各地を行脚していたとき、ここの名草山山頂から一筋の光が発せられているのを見た。光の元をたどって山に登った為光は、そこで金色の千手観音を感得した。為光は自ら十一面観音像を彫刻し、その金色千手観音像を草堂を造って安置した。こうして千手観音を秘仏として納めたのが紀三井寺の始まりであると伝承されている。
 楼門は、室町時代の永正6年(1509)に建立されたもので、後になんどか加修されて、桃山時代の様式を残しているとされる。三間一戸、入母屋造、本瓦葺である。金剛力士像を安置している。門の朱色が満開の桜花に映えて、ほのぼのと美しい。

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2018年 近場の花見 (下)

Jt 少し歩いて、JT研究所の構内の通り抜けを観ることにした。例年なら4月上旬の1週間を一般市民に対して開放してくれるのだが、今年は1週間ほど開花が早い。会社なので、年度末をまたがるような予定変更は難しくて、まだ開放していないかも知れない、などと心配しながらJT研究所に行ってみた。幸いにして、例年とちがって3月下旬なのに開放してくれていた。ここの桜も見事である。家族連れで来ていた少年は、小学校に入学する前なのだろうか、私立小学校の制服らしいものを着て、桜花の前で母親らしい女性からなんども写真を撮られていた。本当の入学式のころには、今年の場合は桜はすでに散ってしまっていそうだから、事前に入学の記念写真を撮っているのだろう。Photo
 翌29日には、高校の同窓生とともに、旧茨木川あとの桜通の桜の下で、ささやかな宴会を催した。同窓生たちも、すでに1割余が他界している。こうしてみなで集まって季節の変わり目を桜花見物で寿ぐことも、いつまでできるのだろうか。この日もわずかにPM2.5の霞はあったようだが、引き続き絶好の快晴であった。他愛のない話で、どんなことを語ったのかほとんど覚えていないけれど、たのしいひとときであったことだけは間違いなく覚えている。
 4月2日になって、さすがに桜もかなり散ってしまっただろうと思いつつ、カメラなど持たずに手ぶらのランニング姿で、軽いジョギングを兼ねて摂津峡公園を訪ねてみた。この日も飛び切りの快晴だったからである。驚いたことにそこは桜花の満開の盛りであった。
 今年は、思いのほか贅沢な花見三昧を過ごすことができた。こんなに素晴らしい快晴が続いた花見シーズンは、私はおそらく初めての経験であった。

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2018年 近場の花見 (上)

 今年の花見シーズンは、突然始まった。1月、2月は例年以上に厳しい寒さがあり、3月に入ると急に寒さが緩和し、そのあと暖かい日と寒の戻りがなんどか目まぐるしく繰り返し、3月の下旬には急に開花情報が飛び交うようになった。1
 3月28日、例年の感覚からもう少し先だろうと高をくくっていたが、絶好の快晴であり、すでに開花が進んでいるとのことで、家人と自宅近くを散策することにした。
 芥川桜堤公園に行ってみると、桜はすっかり満開に近づいている。よく見るとまだごく一部つぼみも残っているので、7~8分の開花なのだろう。3_2
 平日ながら、かなりたくさんの人出があり、春休みの子供たちが芥川の河川敷公園のなかで、あるいは堤防の斜面で遊んでいる。子供たちにとっては、見事に咲き誇る桜はすぐに飽きて、春の暖かい陽射しのなかで川の水と戯れたり、堤防の斜面を滑り台にして上ったり下りたりすることに熱中している。春は一般に天候が不安定なことが多く、桜の盛りと快晴が一致することもそんなに多くない。でも今年は雲一つない典型的な快晴の下で桜花が輝いている。
 堤防の桜並木の真下で、しばらく座り込んで目の前に垂れ下がる桜の枝の桜花を楽しんだ。暖かい。ほんの1週間ほど前の寒さが嘘のようだ。

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間人「かに旅行」と城崎温泉散策

 今年も晩冬の楽しみのひとつである「かに旅行」に出かけた。この冬は例年以上に寒かったが、2月初旬の厳しい寒波のあと中旬から寒さが緩和し、2月終わりには小春日和が重なったりした。京都からJR山陰線で福知山に向かう車中からみる景色は、早春の気配を告げる明るい陽射しと青空と、山にかかる残雪との対比が美しい。京都丹後鉄道で福知山から網野に向かう路線では、景観の所々に根雪が増えてきた。Photo
 網野駅から宿の車にピックアップしてもらって、行きつけの間人海岸に面した宿に向かう。途中、宿のご主人から近況を聞くと、やはりこの冬は寒さが厳しく、いつになく雪が多かったという。列車の運転中止も頻発し、道路の雪かきも大変だったそうだ。交通手段が長く停止すると、地域の生活物資の供給にも支障が出るだろう。この日も気温は内陸部の福知山より確実に低く、雪もたしかに多いと感じた。
 いつものように、宿につくと温泉につかり、そのあと「かに三昧」のディナーとなる。いつもながら明らかに食べ過ぎるのだが、かには不思議に胃にもたれたりしない。実際このたびも、食後すぐは食べすぎ感が強かったものの、一晩寝た翌朝は、多彩なメニューの朝食を完食した。

Photo_2 翌朝は「春の嵐」という表現がまさにぴったりの強風が吹き荒れ、宿の窓から見る海の波頭が白く大きくなっていた。風の「ゴーッ」と響く音もすさまじい。この地では、秋の台風はさほどではないが、発達性温帯低気圧による「春の嵐」は実に恐ろしいという。
 さて、宿をでて京都丹後鉄道の網野駅に着いてからがひと波乱であった。宿から駅までの車でも、強風のためか交通量は少なかったが、車中でもあり風は海岸ほどには強く感じなかった。しかし駅に着いて聞くと、列車は強風のため運転が止まっていて、1時間以上待たざるを得ないという。しかたなく、最寄りのコンビニまで歩いて行ってコーヒーを飲んだりしつつ、列車の再開を待つこととなった。
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 こうしてかなり遅れて、昼過ぎになってようやく城崎温泉に着いた。たしかこの時期に、太師山への城崎温泉ロープウエイの途中駅にある温泉寺の本堂で「十一面観音菩薩」の御開帳があると思って城崎温泉観光案内所で聞いてみた。案内窓口に二人の若い女性がいて、親切に相談に乗ってくれたが、そのひとりは日本語がとても上手な白人外国人女性であった。ただ問題は、ここでも「春の嵐」の強風で、ロープウエイは休止中だという。やむを得ず到着が遅れたため予定より時間も少なくなっていたことでもあり、あとは温泉街の散策とショッピングで過ごすこととした。1年ぶりに見慣れた温泉街をぶらつくのも楽しい。
 これまでに何度か訪れた極楽寺に立ち寄ってみると、この境内の有名な石庭もすっかり雪で覆われていた。
 昨年も立ち寄っておいしい地酒を教えていただいた酒店に入って、利き酒を楽しんだ。今年は「但馬」という朝来市の「此の友酒造株式会社」の地酒を味わった。これがなかなか美味だったので、多少重くて嵩張るのも厭わず、一升瓶を購入して頑張って持ち帰った。この貴重な一升瓶は、3日を待たずに空になった。

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2017年の紅葉見物(2)

知恩院と円山公園

1 青蓮院を出てほんの少し下ると、知恩院の大きな境内である。ただ、今は大修復工事の最中で、御堂などの様子は平常時とはかなり異なっている。それでも、修理中の御影堂と経堂との間あたりのところに、見事に紅葉した楓があった。広大な境内のごく一部の一角だが、季節柄大勢の人だかりができている。Photo
 知恩院をさらに少し下ると、円山公園となる。ここも、全体からみると一部ではあるけれども、きれいな紅葉があった。ついこの前にこの同じ場所を、夕日の暑い日差しを避けながら歩いたことを思い出す。月日の経つのは、とても速い。

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