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散策

福知山散策 (7)

福知山のレストラン
 今回、福知山でふたつのレストランを楽しんだ。Cafe
 ひとつは、福知山城の真下の由良川近く「ゆらのガーデン」にある「Cafe お城の下で」というお店である。若者向けのライブハウス形式のレストランで、私たちが食事したときにはライブ演奏はなかったが、大型スクリーンでJUJUなどの演奏シーンを放映していた。
Italianbar-il-pazzini  もうひとつは「ITALIANBAR IL PAZZINI」というお店で、建物のすぐ外に大型のスポーツ・バイクを配置したり、室内は高い天井から緑色のガラス瓶を多数吊り下げて照明を飾ったり、なかなか手の込んだ内装の店であった。福知山にも、こうした若者好みのモダンで瀟洒なレストランができていて、楽しく食事ができるようになっている。

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福知山散策 (6)

広小路通りから御霊神社
Photo_20200313063001  由良川の堤防を降りて、広小路通りを西に歩く。
 この広小路通りは広い道路で、とくに歩道が広いのが特徴である。電線の地中化にも努力が続けられるなど景観に配慮されていて、たしかにきれいな大通りである。大阪などから来ると、道路の広さに対して人通りや車の通行があまりに少ないように感じてしまう。福知山市街のメインストリートで、市街の案内マップには「福知山城エリア」「駅前エリア」に並ぶ注目スポットとして「広小路エリア」と記されている。光秀の時代以前は、由良川が流れていた地域であり、光秀藪によって造成された城下町のセンターであった。このエリアのハイライトとして、この道路の真正面の突き当りに「御霊神社」がある。 2_20200313063101
 「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」は、元来は宇賀御霊大神を祀る稲荷社と、光秀を祀る菱屋町の常照寺とに分かれていた。宝永2年(1705)福知山城主であった朽木氏が、かつて当地を「福智山」と命名し福知山城を近世の城に改修するなどの実績と貢献をもつ明智光秀を顕彰し、合祀を許したことが始まりとされている。この神社には、明智光秀にまつわる多くの史料が所蔵されている。

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福知山散策 (5)

蛇ケ端御藪
Photo_20200311061501  福知山城を出て、太鼓橋を渡って由良川沿いの堤防に出る。眼前に一面の竹やぶが見える。これは「蛇ケ端御藪(じゃがはなおやぶ)」またの呼び名を「明智藪」という。光秀が福知山城を建造したころは、由良川は現在の福知山市街のまんなかを流れていて、頻繁に氾濫していたという。「蛇ケ端」という名も、いかにも荒れ狂う川にふさわしい。光秀は、城下町を大きくしてなんとかして栄えさせようと、第一に治水に注力した。結局、由良川の流れを一部付け替えて北西に流れを移し、そのための堤防を補強するために築いたのがこの藪である。当然、本来はもっと長くつくられていたが、そのごく一部が残存しているのである。
 明智光秀は、織田信長の命令に従って天正3年(1575)から天正7年(1579)まで、粉骨砕身して丹波国を平定した。そしてこの地に福知山城を建造して、初代の城主となった。城が完成してまもなく、光秀は娘婿の明智秀満を城代として統治を任せ、自身は織田信長の命令に従って戦争に明け暮れて、そして天正10年6月の「本能寺の変」に至った。その後は、慌ただしく山崎の合戦と死に至ってしまい、福知山城に落ち着いた時間はほとんどなかったようだ。

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福知山散策 (4)

福知山城 天守閣と「銅門番所
Photo_20200309061101  天守閣の中に入る。小さな天守閣なのでエレベータはなく、階段で4階までのぼる。各階に展示があり、「光秀最後の13日」という本能寺の変から摂津国山崎で落命するまでを取りあげたビデオ15分が繰り返し上映されている。果たしてこのときの光秀が、少壮の武士なのか、初老の武士なのか、興味は尽きないが知りようがない。
 天守閣から出て、入り口と反対側にまわると「銅門番所(あかがねもんばんしょ)」がある。もともとは二ノ丸の登城口にあったが、大正時代に天守台に移築され、天守閣が昭和61年(1986)に再建されたときに再び本丸跡に移された。
Photo_20200309061102  天守台から降りる道の途中に、石垣の一部を指して「石垣の転用石」との表示がある。石垣は幸いにして400年以上昔のままのものが残っていて、当時の主流であった「野面積(のづらつみ)」という積み方である。その石のなかに、寺院の五輪塔や宝筐院塔などの石材が流用されているのがわかる。

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福知山散策 (2)

福知山城「豊磐の井」
Photo_20200305060801  ゆらのガーデンから見上げる福知山城は、小高い丘の上に聳えるこじんまりしたお城である。戦国時代の戦争を前提とした城郭であり、天守閣と周囲の建物とは分離していている。かなり急な坂を登って天守閣の入り口に着く。
 そこには「豊磐の井(とよいわのい)」という名がつけられた井戸がある。この井戸は、明智光秀の時代から100年ほど下った17世紀後半の城主であった朽木稙昌(くつきたねまさ)が父朽木稙綱(くつきたねつな)の神号「豊磐稙綱彦命」に因んで名付けた名前であると伝える。直径2.5メートルのかなり大きな井戸だが、深さは50メートル以上もあり、城郭本丸内の井戸としては日本一深いという。この場所は海抜43メートルであり、海面より7メートル下まで届くことになる。近くを流れる由良川の川底より13メートル余り深い。この井戸は、江戸時代の朽木氏の造営であるが、井戸掘りの高度な技術が窺える。Photo_20200305060901
 井戸の近くに「天守閣鯱瓦」が置かれている。これは、平成3年(1991)全国の110名余りの鬼瓦制作職人が結成した「日本鬼師の会」が、福知山市と旧大江町との合併を記念して、福知山城の鯱を原寸大に復元したものである。平成18年(2006)大江山鬼瓦工房でのべ91名の鬼師が参加して完成した丹精をこめた作品である。伝統的鬼瓦技術の交流と継承・保存、そして瓦文化の普及を目指している。

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福知山散策 (1)

 福知山城を見たいと、京都府福知山市を訪れた。Photo_20200303061901
 JR山陰線福知山駅を降りる。福知山駅もすっかり大きな駅となっていて、駅の両側の出口にそれぞれ大きなロータリーがある。観光案内所で市街マップをもらい、あわせて市内のお薦め散策コースを教えていただいた。私よりも年長かも知れない所員の方から、懇切な説明を聴くことができた。今年のNHK大河ドラマが「麒麟がくる」という明智光秀を主人公としたものであるお陰で、ようやく少しは知られるようになったようだが、観光案内のブックレットにもほとんど取り上げられてこなかった福知山であり、貴重な情報源である。

明智光秀という人物
 福知山駅から15分ほど東に歩いて、福知山城に着く。福知山城の真下にある郷土資料館では、NHK大河ドラマに因んで、ドラマの出演者の紹介と、ドラマの背景を紹介する展示があった。正午を過ぎたので「ゆらのガーデン」という最寄りの飲食店エリアで昼食を摂り、お城に向かった。
Photo_20200303062001  明智光秀という人物について、生年、誕生の地、家系、経歴のいずれも、詳しいことはほとんど不明のようである。土岐氏の流れをくむ一族であり斉藤道三とも遠い親族にあたる、というかなり高位の系譜の説もあれば、たとえ土岐氏の流れであってもほとんど取るに足らない身分の低い家の出であるとも、あるいは名もない足軽の家の出であるという説もある。生まれた年次についても、永正13年(1516)から天文9年(1540)まで25年もの不確定な範囲があり、天文3年(1534)生まれの織田信長よりも年少か年長かですら不明だという。誕生の地についても、岐阜県可児市にあった明智荘という説、美濃国という説、近江国犬上郡という説、あるいは大垣近辺という説など、さまざまである。
 明智光秀は、ともかく斉藤道三、朝倉義景、足利義昭などに順次仕え、最後に信長の配下になった。何人もの主に仕えながら、それなりの地位を得るだけの才覚があったことだけは間違いないのだろう。

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北米東海岸クルーズ (38)

クルーズ船内の楽しみ-2 IFly
 この船には、もうひとつユニークなエンターテインメント施設がある。IFlyと名付けられた空中遊泳である。縦に設置した大型の円筒風洞の中に入り、下から強烈な風を送り込んで、なかのヒトを空中に浮遊させるというものである。スカイダイビングを、一定の場所でシミュレーションするような装置といえる。Ifly
 これに参加するには、耳栓で風圧から鼓膜を護り、ゴーグルで眼を護り、宇宙服のようなツナギの専用服に身を包む。そして指導員から基本的な技術と注意事項を教えられる。大まかには、両手・両足を自然に広げて、大の字になり、身体の力を抜いて下からの風圧を受ける。そうすれば、身体は全体としては水平に弓ぞりになり、安定に浮遊することができる。
いよいよ順番にひとりひとり遊泳を試みる段取りになる。
 私たちのメンバーには、以前のクルーズで経験して今回は2回目の人もいたが、私と家内とはまったくの初めてであり、つい緊張したが、指導員が私の身体を適宜支えてくれるので、短時間の間なら空中に浮かぶことができた。指導員から、もっと力を抜いてリラックスしろ、と指示を受けた。たしかにリラックスできている短い間のみは、比較的安定していられた。いずれにしても、正味はほんの10秒間も遊泳状態にならなかったが、興味深い経験となった。
Ifly_20200207064301  この船には、もうひとつユニークなエンターテインメント施設がある。IFlyと名付けられた空中遊泳である。縦に設置した大型の円筒風洞の中に入り、下から強烈な風を送り込んで、なかのヒトを空中に浮遊させるというものである。スカイダイビングを、一定の場所でシミュレーションするような装置といえる。
 これに参加するには、耳栓で風圧から鼓膜を護り、ゴーグルで眼を護り、宇宙服のようなツナギの専用服に身を包む。そして指導員から基本的な技術と注意事項を教えられる。大まかには、両手・両足を自然に広げて、大の字になり、身体の力を抜いて下からの風圧を受ける。そうすれば、身体は全体としては水平に弓ぞりになり、安定に浮遊することができる。
 いよいよ順番にひとりひとり遊泳を試みる段取りになる。
 私たちのメンバーには、以前のクルーズで経験して今回は2回目の人もいたが、私と家内とはまったくの初めてであり、つい緊張したが、指導員が私の身体を適宜支えてくれるので、短時間の間なら空中に浮かぶことができた。指導員から、もっと力を抜いてリラックスしろ、と指示を受けた。たしかにリラックスできている短い間のみは、比較的安定していられた。いずれにしても、正味はほんの10秒間も遊泳状態にならなかったが、興味深い経験となった。


北米東海岸クルーズを終えて
 今回のクルーズ客には、私たち6人以外には日本人がいなかったように思う。それだけに、ある意味のびのびと旅することができた。
訪問先は、港がある比較的小さな町が多いが、これが私にはうれしいのである。今回訪問した、ポートランド、ハリファックス、セント・ジョンなどは、自分で企画したら訪問先に取り入れようと思いつくことすらもなかっただろう。観光地ズレしていない小さな町は、そこで生活する人々の日常の生活の雰囲気を感じることができ、現地のひとびとと雑談できると、ひとびとの素の部分にほんの少しでも触れた様に思えるときがある。
 ボストンは、かつて仕事で何度か訪れたが、訪問先の建物の中と、仕事で関係ある人々との夕食の会話など、ごく一部の範囲しか触れることがなかった。ゆっくり街を歩いてみて、アメリカの歴史を、サミュエル・モリソンの本で読んだことが、ところどころで思い起こされて楽しかった。
 こうして紀行をささやかにでもまとめてみると、あんなに短時間の訪問に過ぎなかったのに、印象は充分大きく心に残っていることがある。百聞は一見に如かず、とはこういうことなのだろうと、勝手に納得した [完]。

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北米東海岸クルーズ (37)

クルーズ船内の楽しみ-1
 クルーズ船内の日常は、いつものクルーズのように至れり尽くせりともいうべきものだが、今回はとくにAnthem of the Seasというクァンタム級と呼ばれる17万トンの大型船であったので、この船ならではのノーススターNorth Starと風力浮遊IFlyを記しておく。

ノーススター
 この船の船首近くの甲板上には、ノーススターNorth Starという可動式の展望施設がある。10人程度の観客を乗せたカプセルが、船体の上から2~30メートルさらに上に持ち上げ、海面から90メートルほどの高さから船上とその周囲を見下ろすことができる。Photo_20200205212301
 私たちは、今回のクルーズ旅行中、このノーススターに2回乗ることができた。
 1回目は、船がニューアーク港を出発した翌日、どこにも寄港せずに航海のみの日であった。ノーススターは、機能的には船の中心線から大きくそれたところまでカプセルを移動して、クルーズ船の船体を横から眺めることもできるそうだが、この日はあいにく風が強いなどの問題で、左右には±20度ていどの移動にとどまった。
 2回目は、バーハーバーに着岸し、バーハーバーの市街を散策して帰船した夕刻であった。
 この日も、諸般の事情でノーススターの視界は、ほぼ船の真上からに限られ、また残念ながら雲が多くて、バーハーバーの美しい日没をノーススターから眺める、という目論見は果たせなかった。

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北米東海岸クルーズ (36)

ニューヨークちょっとだけ-5  グランドセントラル駅

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 ブロードウェイを少し南下し42丁目通りを東に歩いて、グランドセントラル駅に来た。大きな地下コンコースがある重厚で美しい駅だ。それにしても大きな建物である。Photo_20200203060801
 高名なオイスター・バーもあったが、年齢のせいなのかクルーズ船の毎晩のディナーの連続で、いささか食べ疲れを感じていて、今回はパスした。
 グランドセントラル駅の1階フロアの一角に、グランドセントラル・マーケットという日常生活用の市場がある。休日の夕方だが、かなりの来客で混雑していた。

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北米東海岸クルーズ (35)

ニューヨークちょっとだけ-4 タイムズスクエア
Photo_20200201062801  ニューヨークのこの季節は、もっと涼しいのではないのか、とホテルの従業員に聞いてみたが、それは年による、との回答であった。日本の札幌とあまり違わない緯度だし、めったに訪れない私でさえ冬の寒さは経験したことがあるし、少しは涼しいことを期待していたが、この日は25℃を超えていたようだ。汗もかいたし、喉も乾いた。そういえばニューヨークの街は、日本よりトイレに困る。それやこれやでタイムズスクエアに向かう途中に、コーヒーショップに入り、喉の渇きをとめた。カウンターで料金を支払うと紙コップをくれて、自分でコーヒー焙煎器を操作して入れる。日本のコンビニと同様なシステムだ。渇いていたので、コーヒーは美味かった。
Photo_20200201062802  5番街の大通りから7番アベニューにシフトして、ゆっくり南下する。景観は、高級商店街からミュージカル、映画などの施設がひしめく歓楽街に、雰囲気ががらりと変わっていく。
 かつて製造業で働いていたころ、何度かこのあたり、あるいは少しはずれて、ブロードウェイ・ミュージカルあるいはオフ・ブロードウェイ・ミュージカルを楽しんだこともあったが、いずれも関係先や駐在員の人たちに車で連れて行ってもらうばかりだったので、こうしてミュージカルを実際に観るでもなくタイムズスクエアを散策するのは、はじめての経験である。

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