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散策

2021年の高槻摂津峡の桜

 今年は全国的に桜の開花が、少し早めであるらしい。例年は4月の第一週くらいに行く高槻摂津峡の桜公園を、今年は3月最後の土曜日に訪れた。Photo_20210327055701
 3月は3日に、肌寒いなかを淀の河津桜を堪能したが、それから3週間余りでとても春らしく暖かくなった。ただ春の常として、晴天は続かず、桜の鑑賞に適した日がさほど多いわけでもない。幸いに3日の淀も絶好の快晴であったし、今日の摂津峡も雲がほとんどないような快晴であった。少し風があったが、気温は20℃に漸近していた。
Photo_20210327055801  自宅から芥川に沿って川岸の道を北上する。「あくあピア」付近の川岸の桜も、5分から7分咲きというところか、十分楽しめる開花を見せている。平常時には、この広場はバーベキューの本場で、かなり遠くまでバーベキューの匂いが伝わる名所のような場所だが、昨年からはコロナ騒動でバーベキューが全面禁止となり、今日はとても良い天気にも関わらず、静かに散策して花を楽しむ人たちがごく少数いるのみである。
 芥川は最近浚渫と河岸工事が行われ、整備された。春の光を浴びて川面は輝き、遠景には桜公園の桜が見え、はやくも春爛漫の雰囲気が漂う。Cimg7868
 ようやく摂津峡の桜公園に着く。平日でもあり、またコロナ騒動もあってか、今回は例年になくとても空いている感じである。桜は、5分から7分くらいで、かなり強い風が吹いても、花びらは散らない。掲示板に、バーベキュー禁止と大きなムシロやシートでの大勢の飲食を禁じる、とある。やはりコロナ対策の一環のようだ。
 ベンチにひと休みしつつ、桜を下から鑑賞する。青空を背景にした桜の花びらは、やわらかな優しい色彩がとても美しい。やはり桜花は、晴天の青空を背景にするときが一番きれいだ。
Photo_20210327055901  石段を登って、今度は丘の上から公園の桜を見下ろす。いつもは、滑り台に大勢のこどもたちが集まって、長い列をつくって、大いにはしゃいでいたが、今日はごく少数のこどもだけで、静かであり、少し寂しくもある。まあ、長い年月の間には、こうしたいささか窮屈な花見というのもあるのだろう。
 高台から見下ろす桜花公園の桜は、毎年ながら春の到来をあらためて感じる。今年もすでに冬を過ぎた。来年ここに来るときには、私たちの周辺は、どんな状況になっているのだろうか。

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淀の河津さくら

 京都淀の河津桜を鑑賞しようと、早春の快晴の日、まだ少し肌寒いなかを、家人と淀に出かけた。
1_20210312060101  河津桜は、オオシマザクラとカンヒザクラの雑種に、さらにカンヒザクラが自然交雑した種である。樹高は亜高木、樹形は傘状で、4cmから5cmの大輪の特徴的な少し濃い紫紅の花を咲かせる。その色調から一見どこでも見る八重桜のようにも見えるが、よく見ると花はそれぞれに分離していて、八重桜のようにかたまってはいない。開花はソメイヨシノなどに比べて早く、通常2月から3月上旬で、稀に早い年には12月に開花することもあるという。花期が1ヶ月と長いことも大きな特徴である。静岡県河津町に原木があることからこの名がある。昭和30年(1955)静岡県賀茂郡河津町の河津川の河岸の雑草の中に、1mほどの原木が偶然発見されて、庭先に植え替えられたことが由来であるという。だから桜の種類としては、かなり新しい。
2_20210312060201  京都市伏見区の淀には、平成14年(2002)静岡から2本の苗木を取り寄せて植樹したのが最初だそうだ。現在では淀の町として300本、そのうち200本が淀緑地の水路沿い1.1kmの遊歩道に咲き誇っている。
 京阪電車淀駅は、通常は日本中央競馬会京都競馬場の駅として知られるが、このシーズンの昼間は、花見客が多いそうだ。今年はコロナ騒動で人出が例年より大幅に減ってしまっているというが、それでも下車した人々は、かなりの比率で花見に行く。私たちはここの花見は初めてで、駅の観光案内所でマップをもらえるものと勝手に期待していたのだが、観光案内所はどうやら無く、改札に駅員さんも見つからない。一瞬困惑したが、行きあわせた御婦人の二人連れが同じ河津桜を観に行くというので、ついて言った。3
 駅を降り立って、東側に出て線路沿いに南西方向に800メートルほど歩くと、東西に流れる淀水路に突き当たる。そこが河津桜遊歩道の西詰で、ここから川沿いに1.5キロほど河津桜の並木が続いている。
 今年は例年より少し早いと聞いていたが、たしかに満開に近いようで、みごとに景観となっている。結婚式の記念撮影の先撮りなのか、結婚式風の晴れ着をまとって写真を撮っているカップルが何組かいた。
 水路の北側の歩道を東に歩く。その間、ほとんど途切れなく河津桜の並木が続く。植樹して10年余りでもあり、樹高は2~3メートルほどで高くなく、桜木としてはかわいい感じだが、こうして満開に近い桜木が続くと、なかなか豪華である。しばらく桜の並木の下をくぐって進む。通路が狭いので、混雑しているともいえる。
5  遊歩道の中ほどで橋に出会い、ここで水路の南側に移ると、土手に少しせりあがった藤棚の下にベンチが並ぶ休憩所がある。しばらくベンチに腰掛けて、持参したおにぎりを食する。ここから水路と桜は見下ろせることになる。眼下には、桜の下でなにかの商業写真だろう、カメラマンが撮影している和服のモデルさんが見える。化粧や美貌、みごとな着こなしもあるが、なによりすっきり伸びた背筋がプロたることを感じさせている。6
 さらに東に歩くと、少し桜木の密度が減り、またまだ芽吹いてはいるがつぼみの木、あるいはすでに花が散ったあとの葉桜の木などがある。木によって、あるいは日差しの加減か、理由はよくわからないが、開花のステージに多少バラつきがあるのも自然なのか。
4  桜木が間隔をあけて植えられているところでは、全体として小型だが、若々しく端正な河津桜を見ることができた。説明のとおりの笠の樹形で、真っ青な快晴の空を背景に、実に美しい開花である。
 東詰めまで行くと、そこは京都競馬場の南西端に隣接していて、宇治川河岸に続く小路がある。しばし水路を離れて、宇治川右岸に登ってみた。宇治川岸に、自転車を倒して寛ぐひとりのバイク乘りの老人がいて、少し雑談した。この地の人だというその人から、河津桜の由来や例年の賑わいなどを聞くことができた。例年この時期は、中国人観光客でずいぶん混雑するのだという。今年はコロナ騒動で外国人がいないので、例外的に空いているのだと。
 ここから競馬場の西側を行く京阪淀駅への近道があることを教えていただいたが、せっかくの開花であり、また絶好の快晴であり、来た道を折り返して、もういちどゆっくり桜を愛でることにした。雲一つない絶好の青空のもと、ひとあし早い桜を満喫した。

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倉敷散策 (6)

本栄寺と阿智神社
 美観地区の北側裏には鶴形山があり、その山麓に本栄寺と阿智神社とがある。Photo_20210201060601  
 本栄寺は、現在修復工事中の井上家住宅のすぐ北側に上ったところにある日蓮宗寺院である。本堂は260年ほど前の宝暦14年(1764)に建てられたと伝える。本堂からさらに少し石段を登ったところに「清正堂」というお堂がある。これは加藤清正を祀るお堂だという。加藤清正が熱心な日蓮宗徒であったことは知らなかったが、時代から考えると不思議ではない。
 境内に、大きな黄色い果実がたくさん転がっている。これは花梨の実だそうだ。
 このお寺は、最近では屏風祭やジャズストリートの会場として使用されることで、近隣では有名となっているという。
Photo_20210201060501  本栄寺をいったん降りて、井上家の工事現場から少し東に行くと、阿智神社の入口として「米寿段」がある。米寿にちなんだ88段の石段である。家人とも相談したが、なんとか登れるだろうと判断して、登った。 
 これを登り終えると、今度は「還暦段」という61段の石段がある。まあ米寿段よりは少ないので、と思ってまた登っていく。その終点には「厄除段」33段があった。まだか、と思ったがせっかくここまで来たので、がんばって登った。さらに短い石段があって、随身門に着き、とうとう拝殿に到着した。まず長い石段からはじめて、段々と段数を減らす、というのは設計戦略として優れている、と感心した。Photo_20210201060701
 『日本書記』によれば、倭漢直(やまとのあやのあたい)の祖阿智使主(あちのおみ)の一族が渡来し、その一族の一部がこの地に定住したことが伝えられているという。彼らにより、大陸文化と日本固有の信仰とが融合して神仙蓬莱様式となり、このお社が築かれたとされている。
 江戸時代に天領として繁栄したこの地で、阿智神社は崇敬を集め、神仏習合から妙見宮として多くの寄進を集めていた。明治維新の神仏分離で現在の社号となり、昭和17年に県社に指定された。創建以来現在に至るまで、倉敷の鎮守神としてひとびとの崇敬を受け続けているという。
Photo_20210201060801  境内の西端にある絵馬殿は、倉敷の市街を見下ろす展望台となっている。ちょうど冬の早い黄昏で、絶好の快晴のなか穏やかで美しい夕陽と、それが照らし出す市街の景観の輝きを、日没までしばし楽しんだ。(了)

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倉敷散策 (5)

大原美術館
 ようやく大原美術館に入場した。16年ぶりの再訪だが、そのときどんなものを鑑賞したのか、すっかり忘れてしまっている。Photo_20210129060201
 倉敷紡績の経営者であった大橋孫三郎が、同年代の画家であった児島虎次郎の才能を愛し、支援して明治41年(1908)から児島をヨーロッパに留学させた。児島はその期待に応えてベルギー・ゲント大学美術アカデミーを主席で卒業した。児島は帰国ののちも、大橋の支援により2度にわたってヨーロッパに留学し、当時のヨーロッパ美術作品を日本の人々になんとか直接見せたいと考えるようになった。児島は大橋に、すぐれた西欧絵画の購入を提案し、その考えに賛同した大橋は、児島をヨーロッパに派遣して、すぐれた美術作品を購入せしめた。こうしてわが国では最初の西欧絵画のコレクションが大橋のもとに形成された。児島は、西欧以外にも、エジプト・中東・中国などの美術品をも買い集めた。
 しかし児島が47歳の若さで昭和4年(1929)死ぬと、その翌年大橋は、それらのコレクションと児島の作品を展示するために、大橋美術館を創設した。当時これは、西欧近代美術作品を直接展示する美術館として画期的なものであり、わが国には先例がないものであった。
Photo_20210129060301  第二次世界大戦ののち、大橋孫三郎を継いだ長男大橋總一郎は、「美術館は生きて成長していくもの」との信念で、前衛的な作品や、日本の新しい美術運動による美術・工芸品、すなわち濱田庄司、河井寛次郎、宗像志功などの作品にまで蒐集の範囲を拡大し、それにともなって展示場も増設した。
 展示作品を眺めると、私たちが少年期・青年期に学校の教科書で観たような有名な作品も多々あり、コレクションの幅広さ、先見の明にあらためて感銘をうける。
 今回は、エル・グレコ「受胎告知」を観た。このテーマは、世界中の画家たちがさまざまに描き、エル・グレコだけてもいくつもの作品があるそうだ。この作品は有名で、私もなんども本の写真ではみているが、実物はやはりインパクトがある。実物はさほど大きな絵ではないが、投影法的な技法でなく、光と色と質感だけでみごとに表現された立体感に、感銘を受ける。やはり絵は、直接観ないとわからない、とあらためて思った。

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倉敷散策 (4)

昼食と旧市街の路地
Photo_20210127055501  旅館くらしきのすぐそばには、火の見櫓があり、その下には小さな滝がつくられている。このちいさな滝は、脇のボタンを押すとしばし流水が流れる仕掛けになっている。
 この付近は、かつての旧市街のままの狭い路地が行き交っていて、伝統的市街地の風情が楽しめる。江戸時代の陣屋町の通りのまま、少しずつ曲がっていて、また食い違って繋がっている。当時の治安のため、敢えて見通しを悪くした設計である。現在の市街の法律規制では、4.5メートル以下の狭い路地はつくれないので、これらはこのまま維持しないと再建はできないとのことである。
 昼過ぎとなったので、「桜草」という和食レストランに立ち寄った。ガイドブックにも掲載されていたし、ガイドさんも薦めたのである。寒い天候のためか、正月あとの日曜日なのに客は少ないようだ。通された部屋は、まずまずきれいで、快適であった。

Photo_20210127055601

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倉敷散策 (3)

美観地区の周辺
 倉敷美観地区の人出は多くない。折しも成人式のタイミングと重なるのか、晴れ着姿の若い女性は多い。Photo_20210125151701
 倉敷川沿いに少し行くと、大原美術館がある。来る前にインターネットで、コロナ騒動のため入場制限があり、いったん美術館にきて入場整理券をもらうことになっている、ということなので、まず初めに立ち寄って整理券をもらっておくつもりであった。果たして行ってみると、今日は幸いにさほど混雑していないのですぐ入場できる、と。ただ、絶好の好天で、寒さもなんとかしのげるレベルなので、真昼の陽射しの良いうちに市街を散策したいと思い、午後に来ますと答えた。それなら予約してください、とのことで予約の整理券をもらって、後刻入場することにした。
Photo_20210125151801  観光案内所で聴いた通り、「倉敷館」という美観地区観光案内所に立ち寄ろうとしたところ、その入口すぐ前で観光ガイドさんから売り込みがあり、説得されて半時間程度の短い観光ガイドを受けることにした。16年前にきたときは、さほど時間もなくあまり歩き回っていなかったので、役に立った。
 倉敷川沿いの遊歩道の北西側にも、古い町並みが続き路地が行き交っている。「大原家住宅」から倉敷川沿い遊歩道を離れて北方向に歩くと、「児島虎次郎記念館」の建設現場がある。かつて中国銀行倉敷支店があった場所で、これまでアイビースクエア内にあって、私たちも16年前に訪れたのだが、2022年4月からここで新築開館となるそうだ。Photo_20210125151901
「旅館くらしき」という老舗旅館がある。これは江戸時代から続く土蔵などをベースに伝統的な雰囲気を配慮して建設された、昭和32年(1957)創業のかなり有名な旅館で、司馬遼太郎や宗像志功など、さまざまな有名人が宿泊した宿だそうだ。全室がわずか8室のみの高級旅館である。

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倉敷散策 (2)

倉敷市とデニム
 倉敷駅に降り立つと、いつものように観光案内所に立ち寄り、お薦めの散策ルートの紹介とマップをいただいた。この地には、16年前の真夏に観光にきたことがあるが、そのときにはまだこんな立派な観光案内所はなかったと思う。Photo_20210121060101
 駅から10分あまり南に歩くと、倉敷美観地区の入口にさしかかる。
 美観地区に立ち入ると、最初に目についたのが「倉敷デニム総本店」という少しユニークなお店である。ショーウインドーにデニムでつくった鎧が展示されている。倉敷のデニム製品は、いまではひとつの名物・特産物の扱いのようで、美観地区の奥の方、白壁通りの近くや、旧市街の東方などに、さまざまなデニム製品の製造販売店舗がある。さらにデニムに便乗して「デニム・ソフトクリーム」「デニム・チョコレート」なども販売されている。私たち老人には、デニムのブルーはあまりおいしそうに見えないように思うが、子供たちがよろこんで頬張っている。
Photo_20210121060201  その近くに「倉敷物語館」がある。これは倉敷の江戸時代の長屋門や土蔵などの建物を移設・修築したものらしいが、伝統的な佇まいのなかで、この地の歴史紹介の展示、さまざまな会合の場所としての多目的ホール・会議室の提供などを行う公設の施設である。
 この地は、戦国時代ころまでは高梁川の河口の浅瀬であったが、継続的に干拓が進められ、かつて島嶼であった児島が陸続きとなり、近世はじめには農耕と商業の倉敷村になった。この美観地区付近は幕領として倉敷代官所が置かれ、商業・流通の中心地となった。明治維新の廃藩置県で倉敷県県庁所在地となり、まもなく明治8年に岡山県に編入されて倉敷町となり、昭和3年市制を施行して岡山県下で2番目の市として倉敷市が誕生した。倉敷市は周辺の市町村を統合・拡大し、昭和42年(1967)玉島市・児島市も編入合併してほぼ現在の倉敷市となった。人口は47万人、有名な観光都市であり、かつ総額3兆円にのぼる工業製品の製造業の都市でもある。

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倉敷散策 (1)

 コロナ騒動のなか、窮屈な正月を迎えたが、関西地域にもまもなく非常事態宣言が出るとの報道もあり、そのまえに控えめな散策をしたいと、折しも寒波到来のなか、久しぶりに倉敷を散策することにした。数年に一度の厳しい寒波だというので、半分は諦めかけたのだが、10日の日曜日はめったにないような極上の快晴となった。

川崎医科大学とその周辺
 JR山陽線の車窓から見る景色は、特段の景勝ではなくても、冬の快晴の澄み切った空気に輝き、どこでもがとてもきれいに見える。もちろん電車の外は気温が低くてとても寒いのだろうが、こうして電車内で車窓の内側にいれば、暖房のお陰で居ながらにして美しい景観を快適に楽しむことができる。Photo_20210119055401
 倉敷から乗り換えて、少し経つと中庄駅に差し掛かる。私はかつて技術者として製造業に働いたが、その初期の仕事に大病院の医療事務システムの開発があり、そのとき頻繁に出張し、さらに現地の据え付け・立ち上げに何週間か滞在したのが川崎医科大学附属病院であった。当時は大学が創設されてまだ3年目、付属病院は開院直後であった。とうぜん建物は真っ新で、コンクリートのにおいがのこるすべてがきれいな病院であった。それから半世紀が経ち、おそらく一部で建物の老朽化すら始まっているだろうが、それより目を見張るのがJR中庄駅とその周辺の景観の変化である。当時はまだ国鉄中庄駅の、ごく小さな古い建屋がポツンとあって、病院が開院したため通院の患者さんなどが急増し、最初に変化したのが駅員の増員、乗車券自動販売機の増設、そして駅前の自転車置き場の設置だったように覚えている。当時の駅舎は田んぼのなかにあったが、いまはほとんど住宅地に変わっている。岡山市内で評判の大病院が創設した新しい大学とその病院ということもあり、この地区にとっては社会的・経済的にインパクトの大きい新病院の誕生だったのだろう。

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間人かに旅行(下)

城崎温泉散策
 翌朝は、やはりカニをベースとした朝食からはじまった。前日夜にたらふくカニを食べて、空腹感もないのだが、丁寧に調理された彩り豊かな朝食は、これまたとても美味しかった。
Photo_20201225062601  この日は朝から好天に恵まれ、青空から透明感溢れる優しい冬の陽射しが降り注ぎ、とても快適な一日となった。京都丹後鉄道で網野から豊岡に向かう。車窓からは、昨日までの雪を被った田畑や家々を眺める。まさに「絵に描いたような」雪化粧の美しい景色なのだが、現実にそこに住んで生活する人々にとっては、雪はとても厄介なことだろう。雪が積もると、道路の移動・輸送の機能は著しく低下する。道の脇や家屋・店舗の廻りを雪かきする人たちをなんども見かけたが、大変な労力だろう。眺めるだけの我々旅行者は、美しい雪景色を愛でるのみですむのだが、それでも以前おなじこの地を訪れたときに、鉄道が積雪で停止して、何本もの列車が運休となり、駅で長時間再開通を待ったこともあった。
 豊岡から20分ほどJR線に乗ると、城崎温泉駅に着く。ここも何度も訪れているが、こんなに天気のよいのは、おそらく初めての経験である。Photo_20201225062701
 今回は、GoToトラベル・キャンペーンのお陰で、宿で大幅割引をもらったうえに、GoToトラベル地域共通クーポン券というのをいただいた。結構な金額だが、宿泊日とその翌日の2日間のみが有効期間なのである。急にカネを使おうと思っても、すぐにアイデアは出ず、なんとかこの地元に還元すべく頭をひねりながらの散策となった。
 いつものように観光案内所に立ち寄り、散策マップをもらって歩きはじめた。駅前通りの商店街を過ぎて地蔵の湯で左折し、旅館や外湯の立ち並ぶ通りを過ぎると、温泉神社への参道となる。
 山門をくぐるとき、突然頭上から雪の塊が落下してきて、危うく直撃を受けそうになった。屋根の上に降り積もった雪が、晴れて陽射しを受けて溶け出し、こうして次々に落下してくる。私たちの日常では経験できないことである。
Photo_20201225062801  続いて極楽禅寺にも立ち寄った。その道の途中には、最近新設されたと思われるお洒落でモダンなカフェができていた。伝統ある温泉街だが、時代を積み重ねるとともにこうした洋風のお店もますます増えてくるのだろう。ちょうど若いカップルが入っていった。
極楽禅寺は庭園の美しい寺院だが、この日ばかりは庭の全面が真っ白一色の雪に覆われていた。お寺の山門の前の多数のお地蔵様が立ち並ぶ小さな山のようなところも、この日は全面的に雪に覆われて、仏像のお顔がよくわからない。Photo_20201225062802
 極楽寺からもと来た道を帰るとき、やはりかなり新しいお土産店のコンプレックスがあり、少し見て回った。ここのお店の様式も、伝統的な純和風ではなく、大きなガラスや現代的照明を多用した明るいお洒落な雰囲気の施設となっている。
昼食をとろうと、シックな雰囲気のすし屋に立ち寄った。正面のファサードは地味だったが、なかは最近改装したのか新しく明るいきれいな店内であった。昭和17年創業で、まだ若そうなご主人は三代目だという。かつてはこの城崎温泉街にも多数のすし店があったそうだが、現在は3軒ほどになってしまったと話されていた。握りずしランチをいただいたが、海鮮なネタもシャリも美味で、添えられていたうどんも身体が温まりそうでおいしくいただいた。
 腹ごしらえもしっかりできたところで、念願の外湯に入った。なんどか同じ湯屋に来ているが、いつも温泉には大満足だ。漬かっているときは暑く感じずに自然に時間が経ち、出てくると身体の芯まで温まっていることを感じる。
Photo_20201225062901  着替えをしているとき、偶然この湯屋の従業員らしい人と地元のなじみの客らしい人との雑談が耳に入った。ひとりは、今回の政府の年末年始期間のGoToトラベル・キャンペーン中止宣言に対して強く憤慨していた。GoToトラベル・キャンペーンのお陰で、ようやっと来客が部分的にも復活して、いよいよこれからというときに、突然中止なんてとても受け入れられない、と。もうひとりが、多分日本中で同じ気持ちの人たちが多いだろうから、政府も宣言を至急取り消すのではないか、と。予約取り消しの電話対応には、ずいぶん困惑したとも。GoToトラベル・キャンペーン停止の混乱は、やはり関係者には大きな問題らしい。Photo_20201225063001
 外湯を出て、毎回訪れている地酒販売店に立ち寄り、いつものようにご主人が推奨する地酒を購入した。今回の酒は、イギリス人が日本に渡来して杜氏となり開発した純米酒である。フィリップ・ハーパー氏はバーミンガムに生まれオックスフォード大学英文学専攻を卒業した人で、日本に興味を持ち、英語の教師として過ごすうちに日本酒に出会い、やがて日本の酒造会社で働きながら醸造の実践を学んだという。日本人女性と結婚し、杜氏の資格を得て、いまではみずから開発した日本酒を製造している。今回買ったのは「純米酒ひやおろし『玉川』」という「生詰め酒」で、新酒を65℃で低温殺菌したものを、通常は出荷前にもう一度加熱して瓶詰するところを、最初の低温処理のみで出すものだという。店のご主人がとても薦めてくれるので、一升瓶を購入して提げて帰宅したが、果たしてほんとうに美味な酒であった。
 酒、入湯料、昼食の寿司ランチ、そして若干のお土産と、GoToトラベル・キャンペーンの地域共通クーポンは、無事順調に現地で消化できた。冬至に近い早い日没のころには、帰路の列車に乗りこんでいた。

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間人かに旅行(上)

間人の宿とかに料理
 12月中旬に、北丹後へカニ旅行に出かけた。GoToトラベル・キャンペーンがあるので、今シーズンは年内に行ってみることにしたのだ。今年は2月に同じ宿にカニを食しにいったので、10か月ぶりということになる。今回は家人と、久しぶりに長女も一緒である。
 京都経由で福知山に向かったのだが、大雪のため綾部近くの線路に樹木が倒れ込んだとのことで、しばし運休となり、予定を変えて園部駅で途中下車して、少し早めの昼食をとることにした。天気予報では、この冬一番の大雪がこの日の朝から、翌日の午前中にわたって来襲しそうだとのことであった。Photo_20201223060701
 園部駅の周辺はいたって閑散としていて、飲食店も少ないうえに、まだ午前11時になっていなかったので、食堂の選択肢はなかった。折よく偶然開店していた一軒の食堂に入って、ランチ定食をいただいた。早朝のNHK-BSで「こころ旅」という全国散策の番組があり、地方の訪問先の通過点で道端の食堂に立ち寄っている情景が放送されているが、今回は私たち自身がその当事者になったような気分であった。さいわい店のご主人も、従業員の方たちも、とても気さくで親切な方ばかりで、1時間も過ごさなかったが日常とはちがう風景、気候、空気感のなか、気持ちの良いひとときを過ごすことができた。
 ふたたび山陰線の列車に乗って、福知山に到着したときは、すでに午後になっていた。
 福知山には今年2月に訪れて、福知山城や明智光秀が造営したと伝える由良川岸の「蛇ケ端御藪(じゃがはなおやぶ)」などを訪れたが、今回は地面に雪が積もっていて散策には不都合なので、屋内施設である駅前の私立図書館に立ち寄った。新しい最新設備の立派な図書館で、明るく快適な環境のなか、ひとときを寛いだ。
Photo_20201223060702  福知山から、京都丹後鉄道で網野に向かった。車窓からみる景色は、列車の進行につれてますます雪が深くなっていく。少し内陸の福知山と日本海に面した宮津や天橋立では、かなり積雪の量がちがう。
 網野駅から送迎バスで宿に向かう。バスの運転をしていただいたご主人の話では、今年はここ2~3年ではもっとも積雪が早く、雪も深いとのことであった。折しもコロナウイルス肺炎の蔓延で、当初計画されていたGoToトラベル・キャンペーンが年末年始休暇期間に取りやめとなり、その期間の予約取消でかなり混乱したとの由である。私個人の見通しとしては、コロナウイルス感染拡大とGoToトラベル・キャンペーンとはほとんど関係がないと思うが、メディアに煽られた世論なるものが強く中止を叫ぶようになり、政府もやむを得ず中止したのだろう。


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 早速温泉に漬かって、待望のかに料理を満喫した。かにの刺身から始まって、焼きガニ、かに味噌、かに鍋が続き、かに雑炊で締める。さらにかに茶碗蒸し、アワビ飯、カニ汁が付く。途中から満腹感を感じながらも、不思議にコース最後まで食欲が追いかける。かに料理は、食べ飽きにくい、食べ過ぎても胃にもたれないのが特徴のようだ。新鮮なカニは、自然の心地よい甘味があって、ほんとうに美味である。

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