映画「ブーニン」
角川シネマ有楽町で、カドカワ映画「ブーニン」を観た。たまたまこの日は、東京在住の友人と二人で、正午ころまで東京都心の両国から錦糸町近辺を、レンタサイクルを利用しながら歴史散策をしていたが、正午ころから雨が降り出し、屋外の散策が困難となって、途中で散策のスケジュールをギブアップした。
その友人が、スケジュールの変更・代替案として、この映画の鑑賞を提案してくれたので、鑑賞の機会を得たのであった。
ピアニスト スタニスラフ・スタニスラヴォヴィチ・ブーニンは、1966年、共産主義国家ソビエト連邦のモスクワに、両親もピアニストという音楽家の一家に生まれた。4歳のときから、母からピアノを学んだ。
1983年17歳で、国際コンクールに優勝した後、1985年19歳のとき、ショパン国際ピアノコンクールに優勝して世界的に有名となった。このコンクールについては、日本のNHKが詳細に取材していて、かなり詳しくそのときの様子が映画に示されている。
その翌1986年には、日本で初公演を行ったが、日本のクラシック演奏会では珍しいほどの大ブームを引き起こした。
しかし全体主義国家たるソ連は、彼の才能も国家管理して政治的に利用する立場であった。演奏活動は制限され、自由が不十分であった。その環境から逃れるため、ブーニンは1988年、当時の西ドイツに亡命した。ヨーロッパと、そして日本を中心に、演奏活動をした。レパートリーは、ショパン中心だが、バッハ、ベートーンなども演奏した。
2013年ころから、演奏による酷使もあってか、左手の麻痺や事故による骨折、さらに左足の大手術による左脚の短縮など、身体的にピアニストとして致命的な事態が発生した。脚の異常は全身のバランスを損ねて、身体全体で演奏するブーニンにとっては深刻な障害となった。左手が思うように動かせないことももちろん大きな苦痛となった。そんな事情で、約9年間表舞台から離れていた。
ブーニンの妻は日本人であり、ブーニン自身もある程度は日本語を理解し話すこともできる。ブーニンの危機からの脱出に、もっとも貢献して背中を押し続けたのは、妻であった。
まだまだ回復は不十分と言いつつも、2022年復帰公演を実現して、日本ツアーやリサイタルも再開した。
そんなブーニンの40年間の苦闘の半生を、実録のつなぎ合わせでドキュメンタリー的に制作された、NHKの協力を得た角川の制作による映画である。
演奏のシーンは10曲ほどあったが、すべて演奏の中断はなく、ブーニンの楽曲演奏をしっかり伝えるものであった。
私は、音楽とりわけクラシック音楽に特段の素養がなく、まったくの素人であるけれども、ブーニンの全知全霊全力をつぎ込む精緻でダイナミックな演奏には、とても感動した。楽曲は、作曲家の原作を基礎としつつも、音楽に組み上げるのは演奏家である、ということを具体的に理解できたと思った。
こんなにすばらしい映画作品なのだが、上映の機会はきわめて少ないようだ。私は、なんの知識も情報もなかったので、この映画を観ることができたのは、ひとえに友人のおかげであった。














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