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美術

「今こそGUTAI」展(下)

Photo_20201231060901  16年前に作品群をまとめて眺めたときには、ふと頭の中にグループ・サウンズの音楽を思い出し、技量や才能はさておき、自分の感性と感覚を信じてともかく突き進もう、というイメージで見たことを記憶している。このたびは少しちがって、具体の抽象美術が、欧米の抽象美術とかなり違うものだと感じられることに気づいた。良い意味で余計な影響を受けず、日本的なオリジナリティが感じられる。その要因について、作品を眺めながら考えてみた。すくなくとも一つの要因は、具体の抽象美術では、細かな部分への執着・注力という特徴があるのではないか、と思う。
 田中敦子の電球と電気配線の集合のような絵にしても、山崎つる子の多様な色彩の絵にしても、嶋本昭三の丹念な絵にしても、いずれも抽象的な造形が細やかに精緻に描かれている。写真でなく実物を目の前にすると、気ままに描き込んだというより、かなりの意志と意図と情熱をもって懸命に描いたということが観る者に伝わってくる。「神は細部に宿る」というコトバを、ふと思いだした。芸術家の頭の中に、かなりの思考、躊躇と果断、悩みと解決などが錯綜して、それらのひとつの結果として画面ができた、という創作の過程の一端が感じられる。Photo_20201231061001
 私は、オートマティズムという作風は、芸術家の真摯な思考過程を反映しないと思って、あまり好まないが、白髪一雄のフット・ペインティングなるものをあらためてまとめて眺めると、画家が単純に偶発性のみで創作するのではなく、それなりの意志表現として創作しているような気もしてきて、今回はじめて白髪一雄の作品を部分的であれ共感でき理解できたような気がした。
Photo_20201231061002  吉原治良の「黒地に赤い丸」、あるいは元永定正の「N.Y.No1」などは、大胆に簡素化した構成で、その表現方法としては西欧の抽象絵画に似ていそうなものだが、不思議に西欧近代美術あるいは西欧現代美術の模倣という感じが無い。簡単な構成のなかに、高度に思考して設計された意思とそれを表現するための精緻さを明確に読み取ることができる。これもひとつの「細部」といってよいだろう。Photo_20201231061101
 具体の作品は、さまざまな美術展のなかの一部の展示作品としてときどき間歇的・断片的に眺めてきたように思うが、こうして改めてまとめてじっくり鑑賞すると、当初想定していたよりも安心して入り込める感じがした。

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「今こそGUTAI」展 (上)

 Photo_20201229060201 兵庫県立美術館で「今こそGUTAI─県美の具体コレクション」と題した特別展が開催された。今年は兵庫県立美術館開館50周年記念の年だが、あいにくコロナ騒動のためにさまざまな予定が延期や変更となった。この時期は、当初の年間計画ではフランスのスーラージュ美術館と提携して「スーラージュと森田龍子」展を開催するところを、具体コレクション展に変更したのであった。
 コロナ騒動の影響は入場制限をもたらし、完全予約制となったお陰で、混雑に悩まされることもなくなったが、入場希望日と入場時刻を事前に決めて申し込む必要があるので、鑑賞に出かける身としては、いささか窮屈ではある。Photo_20201229060301
 私はこの同じ美術館で、16年前にやはり具体グループの作品展を鑑賞した。兵庫県芦屋市に在住した吉原治良が昭和29年(1954)に立ち上げた芸術運動で、「現代の美術が厳しい現代を生き抜いて行く人びとの最も解放された自由の場であり、自由の場における創造こそ人類の進展に寄与し得ることであると深く信じる」とのメッセージを「具体」の活動理念として提唱したこと、16人ではじまった活動が、1960年ころから若手も多数参加して拡大し、1970年の大阪万博でピークを迎え、その2年後の1972年リーダー吉原治良の急逝で解散したこと、などはすでに知っていた。
Photo_20201229060001  具体の活動期間は私自身の小学校入学直前から大学卒業ころ、すなわち私の少年期・青年期にぴったり一致していて、当時のわが国の時代的雰囲気を共有しているので、この展示会の受け取り方も、今の若い人たちとは当然かなりちがうのだろう。当時は世の中全体がとても貧しくて自分の手にはほとんど何もなく、しかし高度成長時代で経済も生活も日々良くなっていく方向性は身をもって感じることができ、夢や希望は無限に広がっていた。そんな時代の活力・エネルギーのようなものを、あらためて感じるのである。

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John P.Carlin "Dawn of the Code War"(35)

第7章 The Guardians of Peace
7.1. SONY PicturesへのCyberattack
 2014年11月に発生した北朝鮮によるカリフォルニア・ハリウッドのSONY Picturesに対するサイバー攻撃は、意外なものであり、結果としてはアメリカのCyberattack全般への対抗の仕方を確立する契機となった。このころまでに、アメリカ政府がイラン、中国、ロシアなどからさまざまなCyberattackを経験して、対処の仕方にようやく習熟してきたという背景もあった。
 2014年11月21日、SONY Picturesの2人の会長Amy PascalとMichael Lyntonは唐突に「SONY Picturesから甚大なダメージを蒙ったので賠償金を請求する。応じなければ爆破する」という電子メールを受け取ったのであった。差出人は「平和の守護者Guardians of Peace: GOP」を名乗っていた。そして翌日には、SONY Pictures全社のネットワークがフリーズしていた。コンピューターの画面には、不気味な赤い髑髏が表示され「すでに機密情報を獲得している。言うことを聞かなければ、すべてを世界中の公衆の面前に晒すことになる」と書かれていた。ただ、どのくらいの金額を要求しているのか、なぜSONY Picturesがターゲットにされたのか、などは不明のままであった。SONY Picturesは全従業員にコンピューターをオフラインにさせ、電話もタブレットも社内のネットワークから分離した。混乱はあったが、パニックにはならなかった。報道陣に対しては、これは1日のことであり、ITの問題だ、と説明した。
 しかし事態は悪化していた。3分の2のサーバーは破壊され、ほとんどのコンピューターは止まり、莫大な量のデータが明らかに盗まれていた。従業員に不安が走った。29日には「これから100TBにものぼる奪ったデータをオンラインに公表する」というメールが届いた。流出した情報には、従業員やその家族の個人情報、従業員の相互間の電子メール、会社役員の報酬の情報、授業員の査定内容・給与、それまで未公開であったソニー映画のコピーやその他の情報が含まれていた。

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「見えてくる光景」アーティゾン美術館(下)

第二部「アートをさぐる」 
Photo_20201123063601  アンリ・マティス「石膏のある静物」(1927)は、思いがけない色彩の導入と、二次元と三次元の間を自由に行き来する驚きから、意表をつかれる楽しさがある。
 ピエール=オーギュスト・ルノワール「水浴の女」(1907)は、これまで何度か観ているが、こうして他の画家の作品とならべて鑑賞すると、絵画の技量も卓越しているが、それ以上に自分の絵の世界観、表現の方針を明確に持って、確固として堅持していることがあらためて理解できるように思った。
 百武兼行「臥裸婦」(1881)は、明治維新から日の未だ浅い時期に、これだけの裸婦像を堂々と描いているのに感動した。百武兼行は、明治初期に岩倉遣欧使節にも同行したわが国の海外通の草分けで、日本人最初のオックスフォード大学留学生でもあり外交官でもあったというが、絵画の技量もなかなかのものであった。Photo_20201123063602
 パブロ・ピカソ「女の顔」(1923)は、この絵なのか、それとも似通った彼の他の絵なのか記憶が判然としないが、見たことがあるような気がする。眺めていると人間の顔のパーツが、実際にはどのような形状を成していてそれが見る角度、光線の当り具合、さらには見たときの自分の感情の具合によって、果たしてどのように見えるのだろうか、と思案してしまう、そんな風に誘導されるように感じる。そんな風に考え始めると、ピカソが描く女の顔のパーツはそんなに奇異なものでもなく、不思議にリアリティーを感じてしまうのである。そのような事実から遡って考えると、ビカソは実は描く対象をとても精緻に見つめて表現していたのかも知れない。 Photo_20201123064401
Photo_20201123064001  安井曾太郎「水浴裸婦」(1914)は、上手な絵だと思うが、このままではどうしてもヨーロッパ絵画の模倣にしか見えない。
 古賀春江「素朴な月夜」(1929)は、時期的にサルバトール・ダリの模倣ではないのだろうと推測するが、ダリが卓越した描写能力でようやく観る者に感動を与えている、ということを思って比較すると、なんとなく未熟に見えてしまう。
 メアリー・カサット「娘に読み聞かせるオーガスタ」(1910)は、この展示コーナーの副題「Happiness」にふさわしい暖かい絵である。
 青木繁「わだつみのいろこの宮」(1907)は、とても魅力的な絵であることはまちがいないが、コーナー・タイトルのHappinessというよりは、青年の願望・理想であると思う

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「見えてくる光景」アーティゾン美術館(上)

 かつて「ブリヂストン美術館」として存在していて、私も過去半世紀ほどに何度か訪れた美術館が、このたび全面改修して「アーティゾン美術館 Artizon Musuem」として新しく誕生した。私は関西に住んでいることもあってそれを知らなかったが、東京在住の友人に教えてもらって、全面改装後としては初めて訪れたのであった。入場券は事前にネットで入場日時を指定して購入し、購入時にネットを経由して送付されるQRコードを提示して予約した時間帯に入場する。したがって想定外の混雑などの問題はない。Photo_20201121053701
 訪れてみると、新装しただけあってとてもきれいな会場で、きわめて快適である。
 今回のテーマは「見えてくる光景」というもので、第一部「アートをひろげる」では74点の作品を用いて、世界の美術作品を横に水平的に展示して、これまでの進展の道程をたどる。第二部「アートをさぐる」では132点もの作品を用いて、それぞれのアートの本質的な要素を、縦にくし刺しで迫る、というプランである。
 私の鑑賞能力のキャパシティを超える大量の作品に接したので、私としては緊張を維持することができず、ここでは眺めてみて印象の深かったものだけについて感想を簡単に記しておく。


第一部「アートをひろげる」
Photo_20201121053702  ここで展示されている作品は、私もかつて観たことがあるものが多い。
 ヴァシリー・カンディンスキー「自らが輝く」(1924)は、画家が意図的に画面に焦点を配置しない・導入しないのが要点なのかな、とふと思った。でもともかくそこはかとなく心地よい絵である。
 コンスタンティン・ブランクーシの金属の塑像「ポガニー嬢」(1925)は、この作家独特のいつもの形状だが、なんとも悲しい絶望的な気持ちになる。これも作品の力と言ってしまえばその通りなのだろう。 21951
 ジヤクソン・ポロック「ナンバー2,1951」は、ポロックが開発したオートマティズムの作品だが、私はやはりこのような作者の意図が直接反映されない手法は好まない。
 そうじて、このセクションに登場する日本の画家の作品は、なんとなく貧相に思えた。まだある範囲まで外国の模倣の印象がぬぐえないように思えたのである。

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池大雅展 京都文化博物館(下)

Photo_20201115060401  やはり高士を描いたものに「山亭小酌之図」がある。こんもりと茂った緑の山中に庵があり、高士が集って山の超俗性と景色の美しさを愛でている。静的な絵だが、景色の美しさが主要なテーマなのだろう。
 「三酸図」は、文人画の定型的なテーマである。大きな甕を取り囲んだ三人の高士たち、僧の仏印、道士の黄庭堅、そして儒者の蘇軾が、それぞれに甕のなかの酢を舐めている。個性的な表情ながら、皆がとても酸っぱいことを感じている。思想や信条がそれぞれ異なっても、感覚には共通性がある、という寓意だという。
 池大雅は、竹の片端を細かく削いで刷毛状にした竹筆という筆を用いて絵を描くこともあった。また紙縒り(こより)で描いた作品として「伯牙弾琴図」という絵がある。伯牙という人物は、春秋時代の琴の名手であったが、自分の琴の音色を本当に理解できるのは鐘子期だけである、と心に思っていた。ところが鐘子期が先に亡くなり、琴を聞かせる相手がなくなってしまったとして、自ら琴を壊し、以後再び弾くことがなかったと伝えられている。そのため伯牙を描く絵は、伯牙の不機嫌な表情を描くものが多いのだそうだが、この池大雅の絵は、ごくご機嫌な表情の伯牙が登場している。よく見ると、たしかに筆とは違うタッチである。この他にも、「指頭画」といって、爪と指先に墨を付けて描くこともしたという。 Photo_20201115060501
 高士ではないが、やはり世俗的な気配を超えた自由の理想郷として描かれたのが「柳下童子図屏風」である。樹木を水面に映す穏やかな川にかかった橋の上に、二人の童子が川面に見入っている。川の水中から、魚かなにかを漁ろうとしているのだろう。無心で邪気のないおだやかな表情である。ここでも背景の樹木の描写はとても丁寧で緻密である。
Photo_20201115060601  どの作品もよく見るととても丁寧に緻密に描かれているが、そのなかにそこはかとないユーモアが感じられ、独特の余裕というかゆったりとした雰囲気が感じられる。
 池大雅は、さまざまな山野を駆け巡ったあと、30歳ころに祇園の茶屋の娘であった町(まち)と結婚した。この妻とは相性がよく、町も世俗から離れたがる夫をよく支えたらしい。茶屋の常連客だった柳沢淇園に絵を学んでいた町は、やがて夫と一緒に絵を描くようになり、夫婦ともに風雅を好んで自由に生きたという。町の雅号「玉瀾」は、柳沢淇園の別号である「玉桂」から一字とって授けられたものであった。夫婦ともに、文人として和歌にも励んだ。
 池大雅は、現在の円山公園の場所に住み、弟子には大坂の木村兼葭堂などもいた。池大雅は、54歳で亡くなったが、彼の死後弟子たちが集まって、住居跡に「大雅堂」を建造して、彼の遺品と遺作を保管した。しかし明治初期に円山公園が造成されるときに取り壊され、所蔵品は池大雅記念館へ、そして平成期に多くがこの京都文化博物館に寄贈されたという。
 池大雅に直接会って、その風貌をよく知るという月峰が描いた「池大雅肖像」が展示されている。知的で頑固そうな、少し怖い風貌だが、交友ネットワークはずいぶん広かったらしい。


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 これまで名前だけは知っていたが、作品を観る機会がほとんどなかったので、今回の展示会は私には印象深いものであった。

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池大雅展 京都文化博物館(上)

 今年は残暑が厳しくてしかも長く、秋分に近づいてようやく最高気温が30℃を下回るようになった。そしてコロナ騒動で長らく京都が閑散としていたことを思い出しつつ、京都文化博物館に池大雅展を鑑賞した。新京極商店街と寺町通は、コロナ騒動の一段落と秋の4連休を迎えて、ようやく京都市街らしい賑わいを取り戻したように見えて、少し嬉しかった。Photo_20201114060101
 さてコロナ感染予防とて、京都文化博物館では展示会場に入る前には、マスク着用と体温のチェックを受ける。来場者は少なくはないが、どちらかと言えば地味な催しでもあり混雑して観にくい、などということはない。
 池大雅は、享保8年(1723)京都銀座役人の下役の子として京都に生まれた。すでに3歳で書をはじめ、その時の作品が、書いた内容そのままの「金山」(享保10年1725)と題して展示されている。さすがに書の優劣を問うほどのものではないと思うが、筆力がしっかりしていることはよくわかる。7歳のとき黄檗山万福寺で書を披露したところ、中国人を含む僧たちから「神童」と賞賛され、そのときの賛辞が「杲堂之偈」(享保14年1729)として展示されている。その神童ぶりが大和郡山藩の柳沢淇園に見いだされ、その薦めで文人画を習うことになった。
Photo_20201114060401  「慶子老舞踏図」という作品がある。これは舞踏の名人中村富十郎を描いたもので、すでに80歳にして洒脱かつ軽妙な踊りを見せる中村富十郎の雰囲気を見事に描き出している。
 池大雅は、中国の高士、すなわち知識階級に属しながら政治の世界を俗として仕官せず,民間に隠れて高潔に生きる人々に憧れ、在野の文人になることを目指した。董其昌の「万巻の書を読み万里の路を行く」の実践を励み、20歳代には仲間とともに全国各地の山岳を歩きまわった。富士山にも登頂した。後年、「万里の路を歩きまわることは実行したが、万巻の書は読めていない」と述懐していたという。
 中国から題材を得た典型的なものとして「寒山拾得図」がある。懸命に読書に打ち込んでいるのか、背を向けて熱中している寒山と、なんともにこやかにまん丸顔の拾得とが、円形をモチーフとして軽快に描かれている。
 「高士訪隠図屏風」は、草深い寓居に友人の高士が右手の川の橋を渡って来訪する場面を描いている。かなり古い絵なので色彩は鮮明とは言えず、瞥見しただけでは印象が薄いが、解説を読んでじっくり眺めていると、細部にまで実に緻密に丁寧に描かれていることが段々わかってくる。
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ミナ ペルホネン/皆川明 つづく 展 兵庫県立美術館(下)

 生活環境に適合するような服装を創作しようとすると、材料たる生地そのものから創作することが必要となる。そして生地を飾る刺繍やプリントのデザインも、日常の視線に耐え、時間の経過に耐え、時間とともに蓄積される人生の記憶に向き合い寄り添えるような、優しく包容力のあるデザインが求められる。こうして皆川明は「タンバリン」「たば」「ユキノヒ」などをはじめとする実に多数のモチーフを生地のデザインとして創作した。Photo_20200905084501
 生地の製造は、皆川明が納得する素材を日本国のみならず、世界各国から探し出し、求め、信頼のおける確かな工房・工場で製造する。製造には、惜しみなく人手と手間が傾注される。丹念に製造された貴重な生地は、精一杯無駄を省いて効率よく採用できるように、型紙は精一杯の工夫を凝らす。
 このように丹念に制作された作品なのだから、当然ミナ ペルホネンの製品は高価であろう。”the memory of clothes”というコーナーには、ユーザーから借りた15点の服が展示され、それぞれにその服の長期間にわたるユーザーの記憶・思い出が表明されている。ユーザーとともに貴重な時間を過ごした人生の一部としての服は、ユーザー個人としては当然大切な自分の一部である。私の個人的経験では、私にも思いがけず30年余りにわたって着用したスーツがあり、すでに裏地の一部はすり切れて見すぼらしくなってはいるが、私個人にはとても思い出多い私の一部である。私は、これまで服装に特段の思いもなく、ただ望ましい均整から多少外れる私の日本人的な体形になんとか適応してくれるというだけで購入した量産の既製品であったが、ごく最近そのメーカーであったレナウンが倒産し、ついに清算するというニュースを知って、長い時間の経過の回顧とともに、そこはかとない淋しさと喪失感を覚えた。いまから思えば、ミナ ペルホネンのコンセプトにならって、もっと値段は高くとも長持ちするスーツを買っていたならもっと価値はあっただろう、と後知恵で思ったりする。
Oip-1  わが国は、建造物や家屋の多くが木造で、基本的に長期間の耐久性は必ずしも高くなかったこともあり、さらに戦災で大量に焼失したという経緯もあって、とくに近代以降は住居も服装も、長持ちさせることに意識や努力を注いでこなかった面があるのではないか、と思う。それでも、故郷の景観や生活の雰囲気には、長い時間の経過にもかかわらず不変な要素も残っていて、そのなかに生きる日常人としては、もっと長期的視点で服装を考えることが意味あるかも知れないとも思う。
 一方では、世界的なファッションの流行に乗って、雰囲気を常に一新して新しい気分で前進を期するという姿勢も、経済的発展だけでなく人間の心性としてそれなりに価値があるという側面も理解できる。
 それにしても、戦後の高度成長を経たわが国の服飾という世界で、このように流行を追うことを否定し、自分のライフスタイルを意識してとことん追求する、とういう意味できわめて保守的な方針でデザインを極め、そして成功した、という皆川明というデザイナーの、信念と実行力と美的想像力には、ほんとうに敬意を感じた。

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ミナ ペルホネン/皆川明 つづく 展 兵庫県立美術館(上)

 典型的な真夏の盛りのような日、家人とともに神戸市の兵庫県立美術館に「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」というタイトルの展覧会を鑑賞した。生地と洋服などを生業とするデザイナーの展覧会なので、いつもの純粋美術の展覧会とは少し雰囲気がちがう、ユニークな展覧会であった。Oip-2
 皆川明は、1967年東京に生まれた。祖父が輸入家具屋さんだったというから、幼少期から生活空間内の美的状況に興味があったのかも知れない。高校時代まで陸上競技の長距離走競技に打ち込んでいたという。高校を卒業すると、大学に進学するかわりにヨーロッパ諸国を漫遊して、生活やライフスタイルに意識的な国としてフィンランドに出会った。さらにパリコレクションに出会って、ファッションに興味を持つようになったという。
 工場などに勤務しながら文化服装学院II部服装科(夜間部)を修了して、デザインの基礎を身に着けた。そして1995年、27歳で『ミナ(minä)』を設立して独立した。このとき自分で描いた方形にならべた30個の不規則な形のドットの塊の絵を以後のブランド・ロゴとしている。
Photo_20200903081501  2003年には、フィンランド語で蝶を意味するペルホネンを取り入れて、ブランド名を「ミナ ペルホネン」と改めて現在に至っている。
 “life and design”と題したコーナーでは、山形・沖縄・東京・パリの4つの都市を背景として、ミナ ペルホネンの服装をまとった登場人物の日常生活の様子を、ビデオ映像で淡々と示している。それぞれの都市がもつ自然、光、植物、都市風景、などのなかに、ミナ ペルホネンをまとった普通の人々が普通に生活しているのだが、背景のなかにしっくり溶け込んだ人間たちが、ミナ ペルホネンの服装とともに実に美しい絵となっている。皆川明は服装を、生活環境のなかに溶け込み、活かしながら共存する、共生することを目指しているのだということがよくわかる。服飾という存在が、自己表現以上に自分と環境とを整合させる手段なのであり、人間が同じ環境のなかで時間をかけて生活していく限り、自然や風景などの周辺環境の構成要素が短時間で変わることはなく、したがって服飾も短期間に変わるべきではない、というのが皆川明の思想であり、主張なのだ。

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ポーランドの映画ポスター展 京都国立近代美術館(5)

ポーランド以外の各国の映画のポスター(下)
 「昼顔」(1970)は、世界的に大ヒットしたカトリーヌ・ドヌーヴ主演の名作である。裕福なのに興味から時間限定の娼婦となったヒロインを、娼婦としての時間のみを残す時計の文字盤と、眼を隠す顔として描いている。この映画の魅力を暗示する表現として、ひとつ納得させるものがある。Photo_20200703080801
 「暗殺の森」(1970)は、この展覧会自体のポスターに採用されたベルナルド・ベルトルッチ監督作品である。イタリア、フランス、西ドイツの3か国の共同制作の映画で、原作の原題は「順応者」で、ポスターの下段にポーランド語で書かれている。ファシストの命令に徹底して従順にしたがって反ファシストの夫妻を暗殺する主人公は、幼い時に同性愛者の相手を間違って殺したトラウマを背負っていた。後にその事件の真相を知り、さらに命をかけたファシズムが敗戦で崩壊し、とうとう自分自身の崩壊を迎えるという物語である。ポスターは、自分自身の顔と頭脳をかたくなに封印した主人公の男の絵である。反ファシズムは社会主義政権のモットーとされていたから、このような表現はポーランド国家にとっては受け入れ得るものなのだったのだろう。外からシニカルに見れば、社会主義ポーランド自身がこのような「順応者」を、国民に強いていたのであった。ポスターのデザイナーは、実はそれがわかったうえで、皮肉としてこの作品を描いたのかもしれない、とも思いたい。
 全体の作品数は、会期中の入れ替え作品がいくらかあったため80点余りで、私の鑑賞可能のキャパシティからみてちょうどよい規模であった。精神医学的、心理学的には、非常に繊細で微妙かつ複雑なテーマを扱いながら、かなり思い切った斬新な表現を積極的に取り入れていて、私の当初の期待を大きく上回る興味深い、印象的な鑑賞となった。あわせてポーランドの戦後には、興味深い映画作品がかなりありそうなことも、あらためて知ることになった。私はこれまでポーランド映画は、ごく少数しか観ていないので、これを機会に積極的に鑑賞するようにしたいと思った。

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