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美術

テート美術館展(10)

光と動きの印象をつくりあげるさまざまな方法
 20世紀に入り、マーク・レスコ(1903~1970)、バーネット・ニューマン(1905~1970)、ゲルハルト・リヒター(1932~)などが現れ、色彩と形への関心について同じように言及した。ロスコは、普遍性の表現に挑戦した。特定の事物にこだわることを放棄し、縦長の画面のなかにぼんやりと浮かび上がる、振動するような長方形を配置する独自の様式を確立した。ニューマンは、ユダヤ教の天地創造の神話に関心を抱き、神と人類をひとすじの光として表現する画面の縦方向に走る線を描いた。Photo_20240229054801
 リヒターは、カンヴァス全体に絵具を塗り、削り取り、そして引っ掻いて最初に描いた画面を破壊し、その上に新しいイメージをつくりあげる。そのひとつの作品がゲルハルト・リヒター「アブストラクト・ペインティング」(1990)である。リヒターは抽象絵画を「見ることも記述することもできないが、存在していると結論づけられる現実を視覚化するものだ」と言っている。
Photo_20240229054802  オラファー・エリアソンの「星くずの素粒子」(2014)は、光線を透過する構造の彫刻と照明とを組み合わせて、照明の条件や鑑賞者の立つ位置によって表情を変化させる彫刻作品である。結晶構造のような造形は、爆発した星くずの素粒子を拡大したもののようであるが、なにか新しい生命を象徴するもののようでもある。
 主に絵画をとりあげ、造形芸術の18世紀末から現代までの変化を、「光」を軸として考えるという趣旨の展覧会であった。そもそも造形芸術、とくに絵画は、光があって初めて意味をもたらすのだが、顕わに「光」を意識し、また強調した芸術活動というと、私たちは「印象派」を連想する。しかしあらためて「光」と芸術との関係を歴史的に俯瞰してみると、この展覧会のように、芸術家の光との格闘はさらに少なくとも100年ほど遡るのだろう。そしてヨーロッパ、とくにイギリスでは、時代背景に産業革命があり、それにともなう都市の発達、社会の変化があった。その変化に対する芸術家の反応にもさまざまな立場があった。
 芸術もヒトが創造するものである限り当然のことではあるが、時代から強い影響と規制を受ける。「光」という芸術の要素を軸にして、あらためて振り返った展覧会は、私にとっても新鮮な視覚を与えられたことで、とても興味深い鑑賞であった。

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テート美術館展(9)

色彩と光の関係の探求
 19世紀にジョゼフ・マロード・ウイリアム・ターナーは、ロイヤル・アカデミーの生徒のために光線の反射・屈折、影の生成などを説明する図解をたくさん用意し、それまで視覚芸術で再現されることのなかった視覚的な感覚をとらえることを教えた。
Kv  そのターナーを「称賛すべき先達」とした作家・写真家・画家でもあるハンガリーの美術教育家モホイ=ナジ・ラースロー(1895~1946)は、そのような実験の歴史に触発され、19世紀末に出現した写真が絵画のもっとも革新的な側面をも追い越すことができると考えた。
 彼がドイツの前衛的な芸術学校であるバウハウスの教育に関わったことで、写真を用いたさまざまな実験や作品制作が多くの芸術家たちによって進められ、幾何学的な形態を用いて光と色彩の関係を考察するアーティストたちが大きな足跡を残した。
 ドイツ出身のヨーゼフ・アルバース(1888–1976)は、色は周辺の色との関係によって見え方が変わることを追究し、幾何学的な造形の中に色を配置することで、ある色の面が手前に見えたり、一方で奥に見えたりするといった現象が起きることを示した。モホイ=ナジ・ラースローや、ロシア出身でのちにドイツで活躍するワシリー・カンディンスキー(1866–1944)も色同士の関係性が生み出す視覚的効果を探求した。Photo_20240228054301
 この視点は、第二次世界大戦後の抽象画家の最も重要なテーマのひとつとなった。 1960年代半ば、英国の画家ブリジット・ライリー(1931~)は、様々な色の四角形や線を規則的に配置することで鑑賞者に錯覚をもたらす作品を発表した。「ナタラージャ」(1993)は、ヒンドゥー教のシバ神を意味するナタラージャを主題とした作品を制作した。それ以降も、ライリーの作品は絵画表現における光と色の関係を問い続けている。

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テート美術館展(8)

室内の日常に光を発見Photo_20240227055701
 都市の近代化がさらに進んだ19世紀末には、室内というプライベート空間をどう描くかについてもアーティストたちの関心は広がった。窓から入ってくる光の効果などを作品に取り入れることで、人と人の心のつながりや、個人の内面を鮮やかに映し出そうとする試みが出てきた。
Photo_20240227055702  イギリスのウィリアム・ローゼンスタイン(1872–1945年)の「母と子」は親子の何げない日常を描いた作品であるが、人物と同様に周囲の空間にも繊細な注意が払われ、2人の親密な関係性を裏付けるために光をできるだけ柔らかに描いている。
 デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイ(1864–1916年)の「室内」(1903)は暗めの色づかいに統一して、淡い光を効果的に描くことで室内の静けさ、空気の冷たさなどの感覚を巧みに表現している。柔らかで控えめな光と、物思いにふけるような女性の後ろ姿が、画面に深い静寂観を与えている。Photo_20240227055801
 同じくハマスホイ「室内、床に映る陽光」(1906)は、人物はなくただ窓と、その窓から差し込む光が床を照らす光景のみの絵だが、床に映る光は、まるで自身が光を発しているかのような精確さと鮮明さで描写されている。ハマスホイは、ジャポニズムに取り組んだホイッスラーに影響をうけているとされる。

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テート美術館展(7)

ヨーロッパの画家たちの自然界への強い関心
 19世紀後半になると、ヨーロッパの画家たちは、自然界への関心が一層強くなったようである。急激に変化する技術や社会への反応とも考えられる。Photo_20240226054701
 イギリス出身のジョン・ブレットは、画家活動の初期には明るく繊細な風景画の名手として名を馳せていた。ラファエル前派とも交流を持ち、宗教的モチーフも作品に取り入れていた。その後、航海の旅を好むようになり、海や海岸などをなじみ深いテーマとして制作するようになった。1870年夏、スクーナー船(帆船)「ヴァイキング号」でイングランド南西の沿岸を航海し、そのときに記録したスケッチや情報をもとに描かれたのが「ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡」(1871)である。海に差し込む陽光を丹念に描写するが、これは19世紀初頭にラファエル前派が推進した思想に基づくものと思われる。
Photo_20240226054702  ブレットは、画家であると同時に天文学者でもあったので、科学的な観点からも対象にアプローチしている。
 アメリカで生まれたジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラーは、ロンドンとパリを主な拠点として活躍した。「シンフォニー」や「ノクターン」といった音楽用語を作品名に取り入れ、絵画によって教訓や物語を伝えることよりも、色彩と形の調和を重視した。「ペールオレンジと緑の黄昏」(1866)は、スペインと南米との間に起きた戦争(1865~79)の舞台となったチリの港町バルパライソの海辺の風景を描いている。穏やかな海と船を照らす薄暗い光を表現するために、青、緑、灰色の淡い色調を活かしている。近づいてよく見ると、帆や帆柱に細く薄い水平線が細かく描きこまれ、隠し味のように画面の安定感を増している。ホイッスラーは、細部を注目させることより全体の印象を創り出すことに注力したことが窺える。Photo_20240226054801
 印象派として知られるフランス人画家たちにとっては、光そのものが作品の主題となった。クロード・モネ(1840~1926)、カミーユ・ピサロ(1830~1930)、アルフレッド・シスレー(1839~99)等は、風景を描くために郊外へ積極的に出かけた。Photo_20240226054901 彼らは自然のなかで光や大気、さらにそれらの束の間の動きをとらえ、スケッチや下絵にとどまらず仕上げまでのすべての制作の行程を屋外で行った。当時は、風景画は屋外でスケッチ、せいぜい下絵くらいまでをすませ、あとの仕上げはアトリエに戻ってからするのが通常であったので、彼らの制作手法は当時としては画期的であった。印象派はそれまでの伝統から脱却し、キャンバス表面の絵具を強調し、遠近法に拘泥せず平面的な表現をも駆使し、奇抜な方法も取り入れて構図を切り取った。

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テート美術館展(6)

「ラファエル前派兄弟団」のイギリス近代化への反発
 19世紀イギリスのめざましい地方経済の産業化と都市への人口流出など、イギリス社会の劇的な変化に反発して、15世紀のイタリア美術への回帰を訴える動きがあった。Photo_20240225055801
 ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~96)、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828~82)、ウイリアム・ホルマン・ハント(1827~1910)が設立した、イギリスの画家たちが緩やかに結束する集団「ラファエル前派兄弟団(ラファエル前派)」は、生活に密着した作品を制作しながら、光の効果をとらえることに細心の注意を払った。細密描写と強烈な色彩、そして複雑な構図が特徴であった。
 ジョン・エヴァレット・ミレイ「露に濡れたハリエニシダ」(1889-90)が展示されている。ミレイが「木霊の力強い声」に触発されたというこのテーマは、森の朝露と朝日が主題となっている。画面中央から照らし出す陽光と、それを受けて光るハリエニシダの葉の露が精細に描写されている。
Photo_20240225055901  エドワード・コーリー・バーン=ジョーンズ「愛と巡礼者」(1896)が展示されている。キリスト教の天使や古典的な愛の神であるキューピットの姿をした愛の化身が、巡礼者を孤独の闇から救い出そうとする場面が描かれている。画家はこの制作にあたり、中世フランスの詩『薔薇物語』から着想を得たという。この物語は14世紀のイギリス詩人、『カンタベリー物語』を書いたジェフリー・チョーサーが翻訳していた。鳥にかこまれた天使の羽は、巡礼者の解放と自由を象徴し、愛に導かれた巡礼者は光に照らされている。バーン=ジョーンズは、絵画のみならずデザインの分野でも活躍した芸術家で、この作品には20年以上を費やし、完成まで至った最後の代表作とされている。
 ウイリアム・ホルマン・ハント「無垢なる幼児たちの勝利」(1883)が展示されている。Photo_20240225060001
 ハントは、1870年代に聖地エルサレムを訪れてこの絵を描きはじめたという。この絵では、ヘロデ王がベツレヘムに生まれたすべての長男、いわゆる「無垢なる幼児たち」を皆殺しにするなか、マリア、ヨセフ、幼子イエスがエジプトに逃れる様子が描かれている。ハントは、画面中央に描かれた泡、すなわち「空気のような球体」で「永遠の生命の流れ」を表現しているという。

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テート美術館展(5)

風景画の改革─ありのままの自然の表現をもとめて
Photo_20240224055001  ジョン・コンスタブル(1776~1837)は、自然を理想化するのではなく忠実に表現することで「これまで知られていなかった自然の特質」を表現できると考えた。そして画業後期に大作を多作し、イギリスにおける最も重要な風景画家のひとりとして名声を築いた。晩年には、自らを「革新者」と述べている。
 そのコンスタブルの「ハリッジ灯台」(1820出品)が展示されている。イングランド南西部エセックス州ハリッジの港で描いた下絵がもとになった作品である。自然のなかで油彩の下絵を描き、アトリエに帰って制作に反映させる、という方法であった。明るい陽光を浴びる灯台と、空の厚い雲が陸上に落とす暗い影とが、見事なコントラストを成している。白い絵具を散らすことで、水面のきらめきを表現する特徴的な表現も見られる。Photo_20240224055002
 コンスタブルのライバルとして名を馳せたのは、若き画家ジョン・リネル(1792~1882)であった。リネルは、光の効果に細心の注意を払いながらも、周囲の世界をできるだけ忠実に描写することをめざした。彼は、意図的に牧歌的な風景を避けたが、それは当時としては珍しいことであった。
 ジョン・リネル「風景(風車)」(1845出品)が展示されている。雲、動物、草木などの生々しいまでの丁寧な写実が目立つ。

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テート美術館展(4)

哲学・科学の啓蒙主義とその合理的理想への反発
 イギリス産業革命の成果を受けて、画家たちも科学的・技術的な思考のもとに、光と陰の強いコントラストを活かすことで、対象を客観的にドラマティックに描こうとした。ジョゼフ・ライト・オブ・ダービー(1734~97)はそのような画家のひとりであった。Photo_20240223060001
 ジョゼフ・ライト・オブ・ダービー「噴火するヴェスヴィオ山とナポリ湾の島々を臨む眺め」(1778-80)が展示されている。光と陰のコントラストが活きて、ドラマティックで写実的な絵で、迫力も美もあるが、事象がそこはかとなく他人事である。科学的・客観的な観察という感じがする。
Photo_20240223060201  啓蒙主義者たちは理性と秩序を理想として掲げ、普及させようとした。しかし18世紀末から19世紀にかけて、ヨーロッパと北米の芸術家たちは、こうした考えに異議をとなえるようになった。自然と人間のつながりを重視し、世界を理解し経験するにおいて、理性や秩序のみでなく感情が果たす役割を重視しようとした。ダービーより半世紀ほど後のジョン・マーティン(1789~1854)は、こうしたロマン主義を代表する画家のひとりである。
 ジョン・マーティン「ボンベイとヘルクラネウムの崩壊」(1822)が展示されている。題材はダービーの絵と同じように火山爆発にかんするものだが、観る者と描かれた対象との距離感が違う。ここでは観る者を画面のなかに引きずり込んで、恐怖と入り混じった畏怖の念を呼び起こそうとしている。

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テート美術館展(3)

ターナーの「自然現象をとらえる新しい手法」Photo_20240222053801
 ターナーの作品は、直観的であるとともに科学的でもあった。「色彩はすべて光と闇の組み合わせである」としたドイツの作家ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの色彩論から大きな影響を受けていた。
 彼はロイヤル・アカデミーで教授を勤めたが、その講義のために制作した図解スケッチがある。ターナーはこれらの図を用いて、反射と屈折、そしてさまざまな状況による光の状態を説明した。
 Photo_20240222053802 たとえば、遠近法の図の例がある。またひとつの磨かれた金属球と一対の磨かれた金属給における反射の図がある。
 ターナーは、このような科学的検討をもあわせた技法として、18世紀の画家・建築家ピラネージの作品からヒントを得て、「監獄の内部」という作品で、強い陰影を用いて奥行を表現し、劇的な表現を生み出したという。

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テート美術館展(2)

19世紀の光と闇の宗教的世界の表現
 光をはじめて創造したのは神である、というのがユダヤ教とキリスト教の教えである。光は、善と純粋を表わし、暗闇は悪と破滅を意味する。イギリスでは、18世紀末から19世紀初頭にかけて、宗教を主題とする作品が再び人気を得た。芸術家は深い精神性をあらわすために画面を闇に包み、そのなかに鮮烈な光を取り入れて、苦しみと希望を対照的に表現した。Photo_20240221060001
 ウイリアム・ブレイク「アダムを裁く神」(1795)が展示されている。ウイリアム・ブレイクは、当時の先駆的な画家であり、神秘思想家であり、詩人であった。ブレイクは、産業革命の根底にある効率主義や科学万能主義、そして当時の思想の主流であった理性や秩序を重んじる啓蒙主義や合理主義に反発した。ブレイクは、神が創り出した人間の精神や魂の追求に向かった。この絵は、彼自身が創作した神話『ユリゼンの書』(1794)が背景となっている。炎の光のなかに現れる旧約聖書の神の姿は、その神話に登場する専制的な立法学者ユリゼンを思わせる。膝に置いた「永遠の真理の書」の掟を宣言する神は、頭を垂れるアダムに「ひとつの命令、ひとつの歓楽、ひとつの願望」に従うように命じている。
Photo_20240221060002  ジョゼフ・マロード・ウイリアム・ターナー「陽光の中に立つ天使」(1846出品)が展示されている。1775年ロンドンの下町に理髪店の子として生まれたターナーは、ろくに学校へも行けなかったが、14歳のころ風景画家トーマス・モルトンに弟子入りして絵を習ったことで絵の才能を見出され、ロイヤル・アカデミー附属美術学校に学ぶことができた。
 画家として初期は、パトロンの好むロマン主義的な具象画を描いていたが、44歳でイタリアに行ったとき、大気と光の表現に目覚めた。それ以来、描かれる事物の形はあいまいになり、抽象に近づくような作品も出てきた。この作品でも、天使は太陽の光を背景として、まるで黄色い炎のなかから姿をあらわすかのように、詩的で抽象的なイメージで描かれている。

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テート美術館展(1)

 大阪中之島美術館で「テート美術館展─光─ターナー、印象派から現代へ」というタイトルの美術展が開催された。

テート美術館(TATE)の由来Photo_20240220055501
 テート美術館(TATE)は、英国政府が所有する美術コレクションを収蔵・管理する組織で、テート・ブリテン(ロンドン)、テート・モダン(ロンドン)、テート・リバプール(リバプール)、テート・セント・アイヴス(コーンウォール州アイヴス)の4つの国立美術館から構成されていて、現在は単に「テート」と呼ばれている。
Photo_20240220055502  19世紀末ころ、砂糖の精製で財を成したヘンリー・テート卿(1819~99)が、自身が持つ当時の現代絵画のコレクションを、ナショナル・ギャラリーに寄贈しようと申し出たが、場所の余裕がなかった。それがイギリス国内に「現代絵画を収蔵・展示できる国立美術館を建造すべき」という世論を巻き起こした。おりしもフランスでは、当時の現代絵画のための国立美術館リュクサンブール美術館を開設したところであり、イギリス人の対抗心を刺激したのであった。Photo_20240220055601
 紆余曲折の後、1897年ナショナル・ギャラリーが分館を増設するかたちで、現在のテート・ギャラリーの前身が建設された。1916年からは、サー・ヒュー・リーンの外国の近代美術・現代美術コレクションも受け入れることとなり、規模の拡大が求められた。

Photo_20240220055701  1980年代以降、リバプールとセント・アイブスに分館を開設し、また2000年には新館「テート・モダン」が加わり、収蔵品の分担整理も行われ、2001年以降は現在の4つの国立美術館の連合体となった。
 今回の展覧会は、「テート」のコレクションから「光」をテーマにして作品を選び、18世紀末から現代までの約200年におよぶアーティストたちの創作の軌跡に注目するものである。


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