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徒然雑感

老いとの闘いと受容

 私は今年74歳となり、「後期高齢者」間近となり、心身ともに老化と劣化を感じざるを得なくなっている。20数年前に読んだ中村光男の随想『老いの微笑』に、老化現象とそれへの対応の経験が書かれていて、当時は他人事として興味深く読んだのだが、今では我が身のこととして深く浸みいるようになった。中村光男に倣うというわけでもないが、少し自分自身の近況を記しておこうと思う。
 まず頭脳の劣化である。65歳ころから、とくに記憶力の劣化のスピードが目立って早まり、70歳を過ぎて、自分でも嗤ってしまうような事態が増加した。本を読んでも、内容の少し細かいことは、読んだ直後から頭から消失する。英語の本の場合、ごく短い単語なのに、同じ日のうちに10回以上辞書をひき直さざるを得ないことが頻繁になる。テレビに登場する俳優やタレントの名前がとっさに出てこない。昼過ぎには、今朝やったことと昨日朝やったこととの区別が怪しい、日常に物忘れが増えた、などなど。
 趣味の少ない私が、かろうじて楽しみにしている読書でも、興味をもって読んでいるつもりの内容が、ときとして難しくて理解に手間取るとき、ふと眠気が襲ってくる。
 友人と年に数回は、会食してカラオケに興ずるのだが、頭の体操を兼ねて、できるだけ新しい歌にチャレンジするように心がけている。「新しい」というのは、時代的に新しいわけではなく、自分にとって未挑戦というだけの意味である。ヒトのカラオケを聴くことを楽しめるようになって、一層楽しめるようになった。日ごろ出せない大声を出すことは、誤嚥性肺炎の予防につながる、との説を信じて。
 とくに頑健なわけでもないが、これまで幸いに大きな病気にもならずに済んできた身体も、白内障になり、4年前には前立腺がんとなった。中年ころは15キロメートルのジョギングを週末ごとにやっていた時期もあったが、60歳を過ぎると、7キロメートル以下でも膝に痛みを発生し、老化による慢性変形性関節症と診断された。これ以上走ると歩けなくなりますよ、と医師から警告され、しばらく走ることをやめていた。しばらくして膝廻りの筋肉を増やして、筋肉のサポーターを形成して関節を保護する、という治療方法の研究論文があると聴き、その筋肉補強体操を半年ほど励行したところ、少し走れるようになり、すくなくとも中1日を空けて、週に3~4回、3キロメートルをゆっくり走っている。ごくささやかなものだが、現在の私にはちょうどよいのではないか、と思っている。
 大学生のときから軽い椎間板ヘルニアを患っていて、50歳代後半には腰痛の症状と発生頻度が増し、半年に1回くらい通勤に差し支えるほど痛いときがあった。これについては現役引退後、たまたま自宅最寄りの病院に「マッケンジー法」の専門医がいるということをテレビ番組で偶然知って、さっそく診てもらい、体操の方法を習った。脊椎のひずみを日々体操で矯正するというものである。あわせて腰痛に対しても、腹筋と背筋を補強して筋肉のサポーターを作ることが有効との由。これには、腰を曲げる腹筋運動は、腰痛をより悪化させる可能性があるため、アイソメトリックで腹筋と背筋を同時に増加あるいは維持するスロー腕立て伏せが有効だそうだ。以来10年近く、マッケンジー法体操とスロー腕立て伏せを毎日3セット励行することを続けている。お陰で、現役引退後10年余りの間に腰痛の発生は2度だけ、しかもごく軽めで済んだという改善を得ている。738
 私の場合は、筋力トレーニングのためにフィットネスクラブに通うなどというアグレッシブな意志はなく、ひたすら腰痛発生時のあの苦痛からなんとか逃れたい、というごく消極的な動機からのささいな努力に過ぎないが、すでに10年近くつづけたお陰で、体重も少し減少して脂肪を削り、わずかに筋肉もついた。
 身体全体の健康維持も意識して、夜は10時ころに就寝、朝は5時半から6時までに起きるという、睡眠たっぷりの規則正しい生活を心がけている。
 いまのところ身体の健康は大きな問題から免れているようだが、身近な親族・友人や知人の経過をみても、いつどのようなことになるかわからないという意識はある。
 13年前に会社勤務を引退してからは、ごく一部の仕事を除いて基本的には自由時間の毎日である。自分の意志で、自力で動ける状態でこの年齢まで生きてこられたのは、ほんとうに有難いことだと思う。しかしこれがいつまで続くかは知る由もない。私にとっては、一日一日がかけがえのない貴重な時間である。無責任なマスコミなどによって、コロナ騒動で無意味な行動制限が煽られたのには憤りを禁じ得なかった。
そんなこんなで、当惑したり、思うようにできなかったりすることも多いが、失った能力を嘆いていても始まらないので、ともかく時間を大切にして、できることを、できるだけ楽しみつつ、のんびりと続けようと思っている。

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無駄と潤いと満足

 ある同窓会で、友人のひとりが「人間は生きながら、実は無駄を積み重ねていくようだ」と呟いた。自宅の整理をしたり、亡くなった親の遺品整理をしたりして、そんなことを思ったという。それを聞いた他の友人がすぐに同感を表明した。私も、とくに母が亡くなった時の実家の整理のとき、結局大部分の遺品を廃棄しながら、同じようなことを思ったことを思い出した。
 多くの場合「無駄」という言葉の含意は、個人的な判断である。ある人がとても大切にしていたものであっても、その本人以外はその大切さを共有できず、突き詰めれば「無駄」に過ぎないことは普通である。人間が生きていく上に本源的に必要な基本的な食糧・衣類・住居を除けば、大部分のモノは究極的にはそのような位置づけになるだろう。父や母が生前大切にしていた衣類などが典型的な例で、亡くなったら結局は破棄することになる。
 私個人を振り返っても考えても、現在私が大切にしている書籍、衣服、道具なども、その大部分は子供たちを含めて私以外にはほとんどなんの意味も価値もないであろう。
 実家の遺品整理でふと気づいたことだが、廃棄せずに引き取って持ち帰ったモノの多くは、百円ショップで売っているような品物であった。価格はとても低くても、誰にとっても一定の価値があるモノというのは、そのようなモノである。それだからこそ、百円ショップの売り手は、莫大な在庫を抱えていても安心なのである。
 少し考えると、人それぞれによって判定する「価値」が異なるようなモノこそが、より文化的、教養的なのだとも言える。その数によらず誰かが大いに個性的な価値として認める、受け入れるモノが文化を支えていると言える。ほぼ全員がおなじように価値をみとめるような、誰にとっても必須なモノだけでは、我々はとても潤いある満足な暮らしはできないであろう。その意味では「無駄」の効用面をしっかり認識して主張することは大切である。その一方で、多くの文化財はその価値を認める人々の一方で、その価値を認めない人々が常に大量に存在するのが通常というのも事実なのである。
 多くの人々がその価値を受け入れられない、認めたがらないものを、育成して保存するためには、保存しようとする人々の努力とともに、大勢の人々にとっての無駄を抱え込むことができる精神的・経済的余裕が必須となる。文化財の維持を、高踏的に「わが国の文化度の高さ」、「民度の高さ」などと偉そうに主張しても、多数の人々が本心では必要性を認めないのは当然かつ自然であり、それでも保存・維持するためにはそれを支え得る精神的合意のうえに、経済的余裕が必須であることを、我々は常に真剣に考えなければなるまい。「カネではない、心の豊かさこそが大切」とは言うものの、そういう側面も忘れてはならないのだろう。
 ある友人のふとした呟きから、ついついいろいろ考えてしまった次第であった。

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ヴァイオリニスト大谷康子さんの言葉

 ラジオ番組で、偶然ヴァイオリニスト大谷康子さんのインタビューを聴いた。
 大谷さんは、幼少期からヴァイオリンを学び、高い演奏技術を身に着けた。高校時代のはじめまで、コンテストに出場するたびに、確かで丁寧な演奏技術に対しては、いつも褒めてもらった。しかし優等生として認めてもらっていることはわかったが、なにか足りないような気が自分にもあった。それが高校時代のあるコンテストで日本一になったとき、演奏技術ではなく、温かみと拡がりと余裕のある大きな表現力を褒められた。自分ではなにが変わったのか、しばらくは理解できずにいたが、しばらく後に、ふと思い出して気づいたことがあった。そのコンテストの少し前の時期、友人の薦めでそれまでめったに観なかった映画を観たことを思い出したのであった。映画「風と共に去りぬ」は、とても感動してすっかり感情移入してしまった。自分がスカーレット・オハラになり切ってしまったような気分になり、スカーレットの気持ちの浮き沈み、愛の感情、後悔などが、自分のことのようにわかり、自分のことのように悩み、落ち込み、葛藤した。そのときは、いつも打ち込んでいたヴァイオリンの練習さえ、集中できないほどであったという。あのときの疑似恋愛の苦悩のような経験が、自分に新しい表現の力を与えてくれたのだと、確信したのだそうだ。
 もちろんしっかりした技術の基盤があってこそだが、芸術たる映画が、ヴァイオリニストに大きな決定的なインスピレーションを与えたのであった。
 凡人の私には、そんな雷鳴のようなインスピレーションの経験はないし、理解もできないのかも知れないが、優れた芸術の力というものは、私なりにわかるような気がする。そして、芸術を、インスピレーションを獲得する源とするためには、受け手側にその条件として、意識的か無意識的かを問わず、なんらかの強い問題意識と欲求が必要であり、そういう条件を満たした受け手に対してのみ、芸術は啓示を与えのだろう。
 これから何年生きられるのかわからないが、せっかくの貴重な時間に、できるだけよい芸術に出会いたいと、あらためて思った。

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歳末の墓参

 歳末の快晴の午前に、明石に墓参した。若いころはなにかとせわしなくて、先祖供養にもあまり関心なく、年に1回ほど父母にともなわれて墓参すればよいほうという感じであった。26年前に父が亡くなり、そのときの遺言に、江戸時代からの多数の墓石を整理してひとつにまとめなさい、古くなった仏壇を更新しなさい、とあったけれど、仏壇の更新はなかなか実施する機会がなく、私が離職して母が養護施設に入居したあと、ようやく仏壇を入れ替えた。すると毎朝、自然に仏壇に向かって拝礼をするようになり、さらに2回のお彼岸、夏のお盆、そして歳末と、毎年4回の墓参が定例となった。父の遺言も、思った以上に私の意識を変えたようである。
 墓参のために毎年違う季節に同じところを訪れると、季節の推移とともに明石の町の様子の微妙な変化を特段意識するでもなく観察するようになる。瀬戸内気候のためか、冬も温暖で夏は風が涼しく、とても快適そうな町である。さすがにここ四半世紀ほどの間には随分変わったけれど、長らく古い町並みが残って暖かなノスタルジーに浸ることができるところであった。実際には住んだ経験もないのに、私にとってなんとなく故郷の風情を感じることができる場所なのである。
 しかし今年の夏、菩提寺のすぐ近くにあった古い市場が火災となり、長時間燃え続けて全焼するという事件があった。このたびその現場を訪れたが、工事用のような粗末なフェンスに囲まれた焼け跡は、まだほとんど手付かずの荒廃した悲惨な様子であった。こうしてまた、見覚えのあった景観がひとつなくなった。
 墓の両親に近況を報告して、そのあと近くの別のお寺の墓地に数年前に亡くなった従兄の墓にお参りして、いつものように海岸を散策して、昼食に菊水の寿司を食した。

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突然のパソコン故障とささやかな新たな挑戦と

 実は去る7月末ころから9月初旬まで1か月以上、私のパソコンが故障して作文・メール・ブログなどの作業一切がまったくできなかった。
 今年も2011年の東日本大震災以来、酷暑の1週間弱を除いてエアコン無しで過ごし、したがってPCも36℃ほどの中で使っていた最中、突然PCが停止して動作しなくなってしまった。「熱暴走」という現象で、CPUの空冷ファンの故障が想定されるとのことで、やむなく修理に出した。ところが、修理の過程でハードディスク・ドライブのエラーが異常に増えていることが判明して、ハードディスク・ドライブの取り換えが必要となり、当初の予想をはるかに超える大ごとになってしまった。
 旧ハードディスクのテータの救済は、幸いにしてほぼデータ回収でき、1か月以上かかった修理を終えたPCが9月初めに帰ってきたのだったが、そこからがまたひと騒動であった。
 OSは5年前近く前に購入した時点のWindows 8にもどり、故障時点で存在していたすべてのデータはすっかり空になっていた。OS をWindows 8から Windows 8.1にヴァージョンアップ、メールとインターネットの回線接続、メールアドレスとメール送受信データの復元、ワークファイルの復元、自分が追加して使用していたすべてのアプリケーション・プログラムの再インストール、プリンターとの接続、などなど実際にやってみると思いのほか手間と時間を要した。OSのヴァージョンアップや種々の設定は、日ごろやる作業ではないので、PCメーカーやネットワーク・プロバイダーに電話して、細かに指示を仰ぐことになる。その間、インストールや再起動、ソフトの更新などマシン時間がかかる場合は、いったん電話を切って、PCが落ち着いてから再度電話をかけなおす、というサイクルを何度も繰り返さなければならない。
 PCメーカーもネットワーク・プロバイダーも、電話すればすぐ出てくれるわけではなく、短くて10分、長いときは数十分待たされる。これが何度も繰り返される。
結局、PCの再立ち上げに、ほぼまる4日を費やした。
 この度は、これまでのテータの復帰と原状回復を最優先に、ともかく修理・再立ち上げとしたが、このPCもすでに5年近く経っており、近いうちに新機種に更新する必要もあるだろう。そこで、今回の事故で考えたのが、私自身が「親指シフトキーボード」から卒業すること、であった。私はキーボードを使い始めた28年前からずっと「親指シフトキーボード」を使用してきた。「親指シフトキーボード」だと老人の私でも、なんの苦労なく迅速に日本文のキーホード入力ができた。しかしながら、最近はいよいよ「親指シフトキーボード」愛用者の絶対数が減ってしまったのか、OSのヴァージョンアップへの対応が覚束なくなってきたようだ。私としても今後のPC更新に備えて、準備に取り掛かる必要を切実に感じ始めたのであった。
 日本語入力を「ローマ字変換」にすべきか、「ひらがな直接入力」にすべきか、という悩ましい選択がある。これまで「親指シフトキーボード」でワンストロークで1文字を入力することに慣れ親しんできた身には、いまさら1文字ツーストロークの「ローマ字変換」は、やはり抵抗があった。そういうわけで、68歳を過ぎた老骨に鞭打ちつつ「ひらがな直接入力」を修行中であり、いまもこの文章を覚束ない手つきで「ひらがな直接入力」で綴っている。
 そういう次第で、老身に様々なことが立ち向かってきた盛夏がようやく過ぎつつある。

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民進党は「日本死ね党」に改名したら!?

つるの剛士さん「保育園落ちた日本死ね、が流行語大賞なんて…」
Photo  タレントのつるの剛士さん(41)が自身のツイッター上で、「保育園落ちた日本死ね」の流行語大賞トップテン入りに「とても悲しい気持ちになった」と投稿し、議論になっている。
 つるのさんは2日、「『保育園落ちた日本死ね』が流行語。しかもこんな汚い言葉に国会議員が満面の笑みで登壇、授与って。なんだか日本人としても親としても僕はとても悲しい気持ちになりました。きっともっと選ばれるべき言葉や、神ってる流行あったよね。皆さんは如何ですか?」(原文のまま)とツイートした。
 1日に「2016ユーキャン新語・流行語大賞」が発表となり、トップテンに「日本死ね」が入っていた。都内で開かれた授賞式には、国会でこの問題を追及した民進党の山尾志桜里衆院議員(42)が満面の笑みで登場。表彰され「年の締めにもう1度スポットライトが当たり、うれしい」と喜んだ。(産経新聞ウエブ版2016.12.2)

  授賞式に登壇した山尾とか言う民進党議員と異なり、つるの剛士さんはごく健全な正常な感覚を持っているな、と思った。昨年の安全保障関連法案、今年の年金改正関連法案、憲法審査会、そしてTPP法案への対応の酷さ・お粗末さ・稚拙さを見るにつけ、この病んだ政党には将来を期待できないと思っていた。そしてこの議員の信じがたいような破廉恥な行状を見て、心底呆れてしまった。たしかに民進党は、日本がよりよくなる方向のことはまったく目指していないようだ。それほど「日本死ね」がお気に入りなら、民進党は再び党名変更をして「日本死ね党」と名乗るのがふさわしいのではないか、とふと感じた次第。以上

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アメリカ大統領選挙に思う

  11月9日の夕方、トランプ氏がアメリカ大統領選挙に勝利した。これは私にとって、7月はじめの英国EU離脱国民投票と同様に、とても意外であり、また大きな懸念を引き起こす結果であった。
  トランプ氏が勝利した要因について、今頃になってさまざまな人たちが発言しているが、やはりもっとも大きな原因は、オバマ政権に対するアメリカ国民の不満であろう。オバマ大統領は、演説を得意とする「言うだけ」のリーダーであった。ほとんどなにも実行せず、アメリカの地位と威信を漸減させ、国際的にはアメリカの関与の低下を顕在化して、ISの発展、中国の増長、ロシアの暴挙などを招いた。国内に対しては、ジャーナリズムの基盤でもある中間層や、一部の不法移民やまじめに働かない人たちにケアをした反面で、経済的下層の人たち、普通にまともに働き納税して黙っていた多くの人たちを放置した、少なくともそのように捉えられたことが問題である、とされる。リベラルというより典型的左派のマイケル・ムーア監督が、忘れられた階層をまともに取り上げた偉大なリーダーとしてトランプを応援する演説をしたこともあった。
  さらに関連するが、国民の切実な変革への希求があったようだ。オバマ政権閣僚のヒラリー・クリントンでは現状からの変化がまったく期待できず、もううんざり、というイメージが、とくに女性を含む若年層に強かったようだ。
  それにしてもである。英国の国民投票といい、今回のアメリカ大統領選挙といい、メディアが報道する情報がいかにいいかげんか、あるいは著しく偏っているか、という事実に改めて呆れ返る。全米100社ほどのメディアのうち、共和党を支持するものは1割以下、トランプを支持したのはわずかに1社だったという。メディアは、公正・真実の報道と謳いつつ、実際には自分が支持する勢力に不都合なこと、不愉快なことは報道しない。われわれは常にそう実態をしっかり認識しつつ、常に情報を吟味して判断する必要がある。
  いわゆる識者というのも、ほとんどアテにならなかった。国内でトランプの勝利を明確に予言していたのは、元大阪市長の橋下徹氏と超ベテラン・ジャーナリスト 木村太郎氏のみであった。
  私は保守派だから、どうしてもトランプのような破天荒な人物が大統領になることに、不安と懸念を禁じ得ない。たとえば、アメリカ・ファーストで外国の防衛には深入りしないと発言するトランプに対して、あと半年も経たないうちに中国軍が尖閣諸島に上陸して、トランプの出方を試す可能性がある。そのとき、わが国がどう対応するのか、すべきなのか、それこそ政治家は深く真剣に議論すべきである。議員のつまらぬ失言などで揚げ足をとって審議が停止する、などという怠慢で馬鹿げた態度はまったく国益に反するのである。
ともあれ外国のリーダーをわれわれが選べるわけではないから、よくも悪くも与件として、それを前提条件として、日本のこと自分のことを考えて行動していかねばならない。わが国の政治も、新たな厳しい試練が課せられたということだろう。

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「生命政治」の時代と個人の健康

 ミシェル・フーコーは「生命政治」という概念を提唱し、現代の医学は人間を精神や魂をもつ存在としてではなく、人口として、他の生物と同じ次元の生物の「数」として、その最大化の維持に専念する存在である、とする。そのため医療の論理は、本人の意志に関わらず病気の予防として、生活態度の改善や運動の奨励さらに予防健診と先取りの治療としての投薬、さらには延命治療など、病気で苦しむ人間を救済するという以上に、福祉を達成する社会的・政治的利益を重視するという、民衆からも否定しにくい名目で人を縛りつけるという。たしかにこの指摘は、一面の真理をついている。「禁煙ファシズム」とも揶揄されるような強硬な禁煙強制、喫煙者への不当なまでの非難の風潮も同じような事情だろう。このようないささかヒステリックな禁煙運動には、たばこを吸わない私ですら違和感をもつ。
 私の母は、昨年初秋に95歳6カ月で亡くなったが、認知症が進んで判断があやしくなるまでは、めったに医師にかからない生活であった。本人の意識では、自分は健康保険に加入して保険料を支払ったが、自分自身が疾病で使用した給付額は些少であったと思っていたに違いない。しかし亡くなる前の2年間ほどは入退院を繰り返し、大きな疾病をもたなかった母は胃ろうで生命を長らえ、保険診療で自己負担分は大きくなかったものの、結局大きな医療費を費やして死んだ。生命を重視するというある意味反論しにくい論理で、本人の意識がまどろんだなかで巨額の医療費を費やされたのも事実である。私自身を含む国民の大多数が同じことをやるようでは、わが国の健康保険制度は、いずれ破綻を免れないだろう。
 ただこの問題に関しては、幸いにして現在のわが国ではさほど強い強制力が働いていない側面もある。私たちに残された自由度はまだかなりあるとも思う。私は自分が納得する以上の予防健診は避けているし、そのためにたとえば癌の発見が遅れて死亡が早まったとしても、幸いにしてこれまで生きてこられたことで満足していて、生を終えることに大きな未練はない。私の認知能力が低下したときには、延命治療を断る旨の遺言書のようなものを認めて、家族に配布している。
 テレビなどの多くのメディアでは、毎日のようにあれを食べず飲まず、これを食べなさい、これを続けなさいという類の無数のアドバイスが流されるが、私はほとんど興味がない。家人がつくってくれるおいしい食事を楽しんで、自分が抵抗なく無理なくできる範囲の生活習慣を続けて、結果として適当なところで命が尽きれば、それで十分幸せなことであると思っているのである。

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民主主義の課題と行方

 「これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀に満ちたこの世界中で試みられていくだろう。民主制が完全で賢明であると見せかけることは誰にもできない。実際のところ、民主制は最悪の政治形態ということができる。これまで試みられてきた民主制以外のあらゆる政治形態を除けばだが」。これは、さきの大戦後の1947年に英国下院で行ったウインストン・チャーチルの演説であり、名言とされる一節である。
  ごく最近でも、この重大で解決困難な課題を見せつけられる事態が絶えない。なぜ「民主制は最悪の政治形態」なのか? 私なりにこれを考えてみる。
  民主主義は、選挙を通じて「民意」を政権の選択・委任を通じて政策に反映することができる、とされる。ここで「民意」なるものの本質が基本的な問題となる。「民意」とされるものの本質が、実は「政策」ではなく、民の単なる「希望」に過ぎない、ということである。「このようなことが実現できたらいいな」ということは表明されるが、それを実現するための「プロセス」については、ほとんど無頓着なことが通常である。
 現実の政治では、あるひとつの要望を実現しようとすると、別の要望を抑制せざる得ないことが通常である。さまざまな民の要望を同時・並行に実現することができる、という環境は現実世界にほとんど存在しない。もしそうなら、専門家としての政治家など不必要である。現実の政治の課題は、相反する利益相互間の妥協・調整の積み重ねとなる。
  そういう状況の下、実現不可能なさまざまな「要望」「希望」が「民意」となる。民主主義のルールは、このような「民意」を「票数」で政治に影響を与える。その結果、国民の「民意」である「要望」「希望」に対して、政治家は「票を獲得したい」がために、政策の実現性を真剣に顧みず寄り添おうとする傾向が発生する。これこそが「ポピュリズム」である。
  「民主主義」において、政治家は票を獲得することでようやく存在できるがために、「票を獲得」することが常に優先される。このため、具体的な政策を通じてそれが実現されるか否かの真剣な考察を飛び越えて、国民の「民意」、つまり「要望」「希望」を重視せざるをえない、という誘惑が常に存在する。その結果、国民すなわち有権者の「無責任」が政治家の「無責任」として展開することになる。
  あるべき姿は、国民の「要望=民意」を実現するために、政治家が政治のプロフェショナルとして、有効で有益な「政策」を具体化し検討し、その実現のためにいかなるコスト(=その実現のために犠牲とならざるをえない別の要望事項への影響)をきちんと説明し、そのうえで国民の「要望=民意」を受け入れて対峙することである。ほんとうは、実現できる目処のない国民の「要望=民意」を、安易に「公約」してはならない。
  しかし現実の状況は、政治家にとって選挙で当選しななければ政治を主導することができないがために、先ずはなにをさて置いても「要望=民意」に寄り添い、実現できる目処のない「要望=民意」を「公約」してしまうのである。これは、いずれの政党も陥りやすい、根強い傾向である。
  この大問題を是正しないかぎり、少し前の民主党政権のような悲惨な状況を招くことになるし、現在の自民党政権でさえ、本来最優先で実行すべき大切な政策を後回しにすることになる。
 国民の側でも、政策を通じて具体化・実現が可能か否かを深く問わずに、自分たちの「要望」をストレートに安易に聴いてくれる政治家に期待しがちである。これは日本に限ったことではなく、現在アメリカ大統領候補予備選挙で発生している「トランプ旋風」も、同じ現象である。
  この困難な問題を少しでも是正するためには、政治家の真摯な反省と「覚悟」が必要であると同時に、国民の側も諦めずにほんの少しでも「政治的に賢くなる」ことを積み重ねていく必要がある。そのためには、あたかも衆愚化を煽るかのような低レベルのマスメディアを信用せず、われわれが自分自身で少しずつ考え抜くこと、かつその地道な積み重ねが必要である。

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高齢者の誕生日

  私は67歳の誕生日を迎えた。
  若いころは、誕生日と言っても「またひとつ馬齢を重ねてしまったか」「あまりパッとしないまま年齢だけ過ぎていくな」などと思うことが多かった。しかし今では、こうして無事に年齢を重ねることができることだけで、その境遇と家族、そして周囲の友人・関係者に感謝する気持ちになる。
  ついここ2~3年に急に多数の同年齢のひとたち、たとえば高校や大学の同窓生が鬼籍に入った。それ以前は、たしかにたまに友人の死があったものの、私の主観としては「事故」的な死として捉えていた。ところがここ2~3年、私の感覚としては、急増した友人の死は「事故」ではなく「寿命」として切実に感じるようになった。
  死に至らなくとも、たとえば同窓会では、参加者の約四分の一程度の比率で「昨年は病気が発覚して、いろいろあって、幸運にもこうして復帰できて、同窓会に参加できた」という話題がある。ひとごととして見ると、そもそも病気になることが不運で、復帰できて「幸運」というのは腑に落ちない、などと傲慢に考えていたが、いまでは違って、こうして無事であること自体がとても幸福に思えるようになった。
  さらにそういう病災が、とてもひとごととして考えにくくなってきた。私は幸いにして今のところ内科的には問題はなく、しかし右脚膝が加齢型変形性関節炎で少し痛みがあり走ることができない、数年前腰痛に悩まされ、いまはマッケンジー法と腕立て伏せで骨格の矯正と腹筋・背筋の維持でなんとか無事に凌いでいる状況である。それでも、いつなんどき「致命的な疾患が見つかりました」ということにならないとは言えない、と本心から思うようになった。
  病気が現れなくても、老化現象はあきらかに発現している。かつては時間の有効利用のため、複数のタスクを並行して行っていた。ところが数年前から、そんなことすると、ときどきとんでもない失敗をするようになった。同時に確実にできることは、唯一になったのである。新たにものを覚えることはとても困難になり、かつて覚えていたことも、思い出すのに時間がかかる。
  思えば、20年くらい以前に読んだ文芸評論家中村光夫のエッセイに、老後の心身の変化や衰えを小説にしようとした、というエピソードがあった。私も今ではその中村光夫の心境がとても良く理解できる。
  あれができていない、これも不十分、という若いころの心境から、年齢を重ねた今では、いろいろ思うように行かなくとも、こうして何事もなく暮らせるということが、それだけでとても幸せなことだ、と素直に思えるようになったのである。
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