後期高齢者の景色
今年が明けてまもなく、私は無事に後期高齢者となった。いや、そのように思っていた。
しかしやはり、現実は厳しい、甘くない。「無事に」とは行かなかったのである。
それと気づかぬうちに、友人や知人が突然病気になったり、あるいは亡くなったりしていた。私は、気づいてみたら、親戚や友人のなかで最長老に着実に漸近していることに気づいた。振り返ってみれば、ここ数年以内のことが多い。しかも、どちらかと言えば元気そうな人が突然、というケースが多い気がする。明日は我が身か、という心境にもなる。
それと気づかぬうちに、頭脳のみならず、身体の老化が着実に進んでいた。今年の2月、いつものようにジョギングしていたが、天気もよく身体も軽く、ついつい調子に乗って爽快に走ってみようと、数百メートルほど、いつもよりかなり速いペースで駆けてみた。そのとき、あとから思い起こせばわずかに違和感があった。しかしその日はなんということなく、就寝した。翌朝起きると、少し膝のまわりの筋肉が痛い。まあいつもの筋肉痛の少し強いヤツだろう、とあまり気にしなかった。しかし筋肉痛は1週間たっても軽減せず、感覚としては部位が少しずつ変位する。3週間あまり経って、筋肉痛がスーッと消滅すると、入れ替わりにまともに膝関節が痛み出した。1週間ほど様子をみていたが改善がないので、とうとう整形外科医に診てもらったら、よくある加齢による慢性変形性関節炎だという。地元では名医と評判の高い先生は、水を抜く、痛み止めを処方するなどで傷みは抑え得るが、いずれも対象療法に過ぎない。治す方法は、これから教える筋肉トレーニングを励行して、膝廻りの筋肉を増強する以外にはない。よって、もう来院は不要、筋トレがんばるように、と明快な診断。それから2か月弱、筋トレ励行の成果か、ゆっくり歩く分には数キロ歩けるし、ときに膝を曲げて歩くので少し不格好だが、痛みに苦しむことはない。でも走れるようになるには、3か月あるいは半年は必要なんだろう。
そうこうしているうちに、なにをしたからなのか不明なまま、突然手首が、軽い捻挫なのか痛み出した。脚が悪くてジョギングできない上に、私に残されたわずかな運動たる腰痛対策の腕立て伏せもマッケンジー法ストレッチもできなくなった。ないない尽くしの老人となった。さいわいこの手首の痛みは、数日で消えたが。
昨年末に歯周病から突然前歯が一本スーッと抜けた。放置すると両側から他の歯が倒れてくるから入れ歯かインプラントが要る、と言われて、大学の歯学部附属病院に診てもらった。すると問題の歯だけでなく、私の口腔内は思いがけず歯周病が進んでいて、他の歯もやはり抜けるかもしれない、まずは歯周病の対策と処置から、と問題は想定外に拡大している。
この他にも、一昨年白内障で眼科に診てもらったら、眼底が少し傷んでいて、黄斑変性症の可能性がある、とのことで経過観察を続けている。
今とのころ、内臓など体幹内に顕著な疾患は発見されていないものの、明日はどうなることやら、一瞬先は闇である。
引退して高齢者になって思うのは、勤務がなく、対外的に責任をともなう仕事がなく、自由度が大きいことである。したがって幸いにも「現在の自由」は確保している。しかし「未来の存在」は保証されない。いつ、余命○○と宣告されてもなんら不思議はない。
それでも、未来の保証がないという以外は、本質的に愉快な身分である。
不調法な私は、カッコイイ趣味をなにも持ち合わせず、ただ読むこと、絵画などを観ること、気分転換にゆっくり、季節による光と空気の変化を体感しながらジョギングすること、くらいしか楽しみがない。老朽化した頭脳では、本を読んで理解するのに時間をより多く必要とするけれども、命が続いている限り時間は十分ある。
さらに、歳をとって月日の経つのがとても速くなった。これも、考えようによってはメリットがある。私の膝がもっと回復して、またジョギングできるようになるのは3か月先、半年先、あるいはもっと先かも知れない。それでも、もし命が続いていれば半年も1年もそんなに遠い先ではない。待っていれば、やがてその時はやってくる(知らんけど・・・)。
頭も身体も、確実に老朽化して劣化しているが、後戻りできないことを考えても生産性がない。できないことを悔やまず、できることを迷わず実行して、毎日の自分の時間を少したりとも無駄にせず、丁寧に大切に過ごしていきたい、と思う。
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