老いとの闘いと受容
私は今年74歳となり、「後期高齢者」間近となり、心身ともに老化と劣化を感じざるを得なくなっている。20数年前に読んだ中村光男の随想『老いの微笑』に、老化現象とそれへの対応の経験が書かれていて、当時は他人事として興味深く読んだのだが、今では我が身のこととして深く浸みいるようになった。中村光男に倣うというわけでもないが、少し自分自身の近況を記しておこうと思う。
まず頭脳の劣化である。65歳ころから、とくに記憶力の劣化のスピードが目立って早まり、70歳を過ぎて、自分でも嗤ってしまうような事態が増加した。本を読んでも、内容の少し細かいことは、読んだ直後から頭から消失する。英語の本の場合、ごく短い単語なのに、同じ日のうちに10回以上辞書をひき直さざるを得ないことが頻繁になる。テレビに登場する俳優やタレントの名前がとっさに出てこない。昼過ぎには、今朝やったことと昨日朝やったこととの区別が怪しい、日常に物忘れが増えた、などなど。
趣味の少ない私が、かろうじて楽しみにしている読書でも、興味をもって読んでいるつもりの内容が、ときとして難しくて理解に手間取るとき、ふと眠気が襲ってくる。
友人と年に数回は、会食してカラオケに興ずるのだが、頭の体操を兼ねて、できるだけ新しい歌にチャレンジするように心がけている。「新しい」というのは、時代的に新しいわけではなく、自分にとって未挑戦というだけの意味である。ヒトのカラオケを聴くことを楽しめるようになって、一層楽しめるようになった。日ごろ出せない大声を出すことは、誤嚥性肺炎の予防につながる、との説を信じて。
とくに頑健なわけでもないが、これまで幸いに大きな病気にもならずに済んできた身体も、白内障になり、4年前には前立腺がんとなった。中年ころは15キロメートルのジョギングを週末ごとにやっていた時期もあったが、60歳を過ぎると、7キロメートル以下でも膝に痛みを発生し、老化による慢性変形性関節症と診断された。これ以上走ると歩けなくなりますよ、と医師から警告され、しばらく走ることをやめていた。しばらくして膝廻りの筋肉を増やして、筋肉のサポーターを形成して関節を保護する、という治療方法の研究論文があると聴き、その筋肉補強体操を半年ほど励行したところ、少し走れるようになり、すくなくとも中1日を空けて、週に3~4回、3キロメートルをゆっくり走っている。ごくささやかなものだが、現在の私にはちょうどよいのではないか、と思っている。
大学生のときから軽い椎間板ヘルニアを患っていて、50歳代後半には腰痛の症状と発生頻度が増し、半年に1回くらい通勤に差し支えるほど痛いときがあった。これについては現役引退後、たまたま自宅最寄りの病院に「マッケンジー法」の専門医がいるということをテレビ番組で偶然知って、さっそく診てもらい、体操の方法を習った。脊椎のひずみを日々体操で矯正するというものである。あわせて腰痛に対しても、腹筋と背筋を補強して筋肉のサポーターを作ることが有効との由。これには、腰を曲げる腹筋運動は、腰痛をより悪化させる可能性があるため、アイソメトリックで腹筋と背筋を同時に増加あるいは維持するスロー腕立て伏せが有効だそうだ。以来10年近く、マッケンジー法体操とスロー腕立て伏せを毎日3セット励行することを続けている。お陰で、現役引退後10年余りの間に腰痛の発生は2度だけ、しかもごく軽めで済んだという改善を得ている。
私の場合は、筋力トレーニングのためにフィットネスクラブに通うなどというアグレッシブな意志はなく、ひたすら腰痛発生時のあの苦痛からなんとか逃れたい、というごく消極的な動機からのささいな努力に過ぎないが、すでに10年近くつづけたお陰で、体重も少し減少して脂肪を削り、わずかに筋肉もついた。
身体全体の健康維持も意識して、夜は10時ころに就寝、朝は5時半から6時までに起きるという、睡眠たっぷりの規則正しい生活を心がけている。
いまのところ身体の健康は大きな問題から免れているようだが、身近な親族・友人や知人の経過をみても、いつどのようなことになるかわからないという意識はある。
13年前に会社勤務を引退してからは、ごく一部の仕事を除いて基本的には自由時間の毎日である。自分の意志で、自力で動ける状態でこの年齢まで生きてこられたのは、ほんとうに有難いことだと思う。しかしこれがいつまで続くかは知る由もない。私にとっては、一日一日がかけがえのない貴重な時間である。無責任なマスコミなどによって、コロナ騒動で無意味な行動制限が煽られたのには憤りを禁じ得なかった。
そんなこんなで、当惑したり、思うようにできなかったりすることも多いが、失った能力を嘆いていても始まらないので、ともかく時間を大切にして、できることを、できるだけ楽しみつつ、のんびりと続けようと思っている。

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